第4講 新経済史の台頭

経済発展の歴史

経済成長史学

 W.W.ロストウは1940年代から19世紀イギリス経済史の研究で知られている。第2次世界大戦後、国務院計画委員会の議長を務める。外交政策の立案や提言のほか、経済成長段階をとく。アメリカの発展を確信した氏は、アメリカ式の経済繁栄への道筋を若干の段階に定式化する。これが経済成長の5段階説として知られているものである。
 ロストウは、その著書『経済成長の諸段階』などににおいて伝統社会から高度大衆消費時代までの経済成長を次の5段階に区分する。


 氏は各段階における主導部門の役割を重視した。この主張は1960年代において工業化や企業家精神などが注目された時期と重なったこともあって広く影響力を発揮した。

名 前ロストウ (Walt. Whitman. Rostow, 1916-)
主要事項1929年ニューヨーク生まれ。エール大学に学び、1936−38年ビリオット大学で研究する。40年代コロンビア大学、オックスフォードおよびケンブリッジ大学の教壇にたった後、1950年からMITの経済史担当教授となる。ベトナム戦争期において米外交や政策立案の主要顧問も勤めた。
専門領域経済史学・イギリス経済近代史
主要著書 The World Economy: History and Prospect, 1978
The Stages of Economic Growth(訳書名『経済成長の諸段階』), Cambridge University Press, 1960
The Process of Economic Growth(訳書名『経済成長の過程』), W.W. Nordon & Company, 1952
Essays on the British Economy of the Ninetenth Century, 1948

工業化類型論

 ガーシェンクロンは後進国の工業化類型論でその名を知られている。氏は19世紀(1914年以前)におけるヨーロッパの工業発展に注目し、分析の道具として工業化の類型 (Typology of Industrial Development as a tool of analysis)を開発した。 当時ヨーロッパの先進国はイギリスであり、中進国はド イツ、フランスであるが、後進国はロシアであるとし、みずからの研究は主として1914年以前のヨーロッパ近代工業史[modern (largely pre-1914) industrial history of Europe]に限定していると明確にしえいる。

 歴史の連続概念は、数学的な連続概念とはおのずと区別がある。それは必然的にある期間における変化の過程を考察することではあるが、現実としての歴史的過去は観念的定義ほど単純でないことはいうまでもない。しかし、 経済史の意味を明かにする見地からすれば、歴史の連続性を考えることは必要であり、それによってはじめて発展過程の考察が 成り立つのである。(book1968,p.38)

名 前ガーシェンクロン(Alexander Gerschenkron, 1904-1978)
主要事項1904年ウクライナ南部のオデッサ(Odessa)生まれ。1928年ウィーン大学で学業を終え、10年後カリフォルニア大学で教鞭をとる。1944年から連邦準備制度理事会で働いた後、1984年からハーバード大学の教授となる。1966年から経済史学会の会長を2期務めている。
専門領域ロシア・東欧の経済発展、工業化類型論
主要著書An Economic Spurt that Failed, 1977
Continuity in History and Other Essays, Harvard University Press, 1968
Economic Backwardness in Historical Perspective, Harvard University Press, 1962
A Dollar Index of Soviet Machinery Output, 1927-8 to 1937, 1951


新しい経済史学

 1950年代から新しい経済学の成果が経済史の研究に導入された。その結果、経済史学の研究分野において数量経済史(Quantitative Economic History)または計量経済史(Econometric History)が発展した。

 この系列の研究は統計的手法の採用や理論の明示的応用それに反事実の論理を使用する点で特徴があるが、初期はその命名でかなり差異があった。60年代を経て「ニュー・エコノミック・ヒストリー」(New Economic History)という呼名が多用されるようになったが、すでに一つの勢力を形成した感がする今日ではこの呼び方も次第に廃れ、「歴史経済学(historical economics)」という呼名が使用されるようになっている。これはドイツの歴史学派経済学と混同しやすいが区別されるものである。

 「歴史経済学」の特徴は、研究用のモデル、仮設、前提を明示する。まず統計的分析手法を利用して経済現象を考えることである。経済量の大きさ、長さ、頻度、代表性を問い形で歴史を考える。次に反事実仮設の論理を導入し、既知の事実を比較検討する。さらに経済学の理論を論理展開の基礎にする。そのため、研究用のモデル、仮設、前提を明示する。以上の特徴から歴史経済学の取り上げる対象は常に新しいトッピクスに照準を当てることになる。すでに新しい経済史学といえないほど、時間が経過していることで「歴史経済学」は多くの領域に進出している。フォーゲルの米鉄道研究や、ノース、トーマスの西欧研究、クラフト、マックロスキーらの産業革命研究などに注目する。

代表的な研究1
名 前フォーゲル(Robert W. Fogel, 1926-)
主要事項コロンビア大のMA(1960)、ジョンホプキンズ大のPhD(1963)をへて、シカゴ大学の経済学教授となる。1993年ノース氏とともにノーベル経済賞受賞。
専門領域計量経済学・経済史
主 著The Union Pacific Railroad: A Case in Premature enterprise, Johns Hopkins, 1960
Railroads and American Economic Growth: Essays in Econometric History, John Hopkins, 1964

代表的な研究2

名 前ノース(Douglass C. North, 1920-)
主要事項1993年新経済史で上記のフォーゲル氏とともに経済賞受賞。
専門領域ヨーロッパ経済発展。ノースは制度を体制 (institutional environment) と会社制度 (institutional arrangement)に二分する。 D. North, Beyond the New Economic History,JEH,34,March.
主要著書Institutions, Institutional Change and Economic Performance(訳書名『制度・制度化・経済成果』)
The Rise of the Western World: A New Economic History(訳書名『西欧世界の勃興』)(with R.P. Thomas), Cambridge UP, 1973.
Structure and Change in Economic History, 1981.
Economic Growth of te United States, 1790-1860, 1961.
ノースの経済制度史
背景 ヨーロッパ経済史の重要研究課題としてヨーロッパ経済の発展が重要視されてきた。『西欧の勃興』論はヨーロッパが世界においていかに経済発展を成し遂げたかに答えるものである。
 アメリカに台頭した新経済史は、ヨーロッパにおける経済史研究にも影を落とすこととなる。ヒストリアンとエコノミストがそれぞれ別々に経済史を研究する局面の打開にノースが米欧間の経済史研究に橋をかける作業に取り掛かったと見ることもできよう。
特徴制度的制約:人間は社会を作る。そして社会の制約を受ける。合理的行動は時代によって違いがある。異なる時代においては同一の行動基準を選ぶことができない。
現代経済理論の適用:西欧世界の経済成長分析に利用されてきた理論と統計的手法でヨーロッパ経済史を再構築する。これが「新経済史」の課題であるという。
検証作業:ノースは「価格革命」と呼ばれる仮説の検証作業などを通じて現代経済理論と統計データの有効性を主張している。従来の価格史は新世界から金銀の流入によりヨーロッパにおいてインフレが起こり、経済成長が実現したという。しかし、ノースによると、16世紀のヨーロッパでは人口が増大し、農産物も生産コストの増大で上昇した。人口増加、農業収益減少のもとで起こるこの種の現象は、経済理論によっても説明されるという。
要点制度・制度化・経済成果の関係
資源の十分な利用による生産量の増大
投入産出量の関係
投入量単位あたりの産出量の増大

新しい経済史への道
 1920年代から30年代にかけてアメリカの経済史学会は全体として低迷していた。当時、グラスは、立派な研究業績が世に出ていないと盛んに嘆いていた。学会において議論が起こらないことを懸念した。彼は言う。「この分野には、まったく知的弾力性が存在しない」と。

 アメリカの経済史学会は1941年に設立されたが、The Journal of Economic History が創刊されたにもかかわらず、40年代の研究環境は決して明るいものではなかったという。コールは経済史研究について調べたが、発展が止まっているとの結論に到達した。 ヒートンは、同僚たちが経済史という学問を殺してしまったと不満をあらわにした。コックランは1947年に発表した30年間のレビュー論文において、「アメリカ経済史の偉大な大御所の業績以外に、新鮮な考え方も新しい学派もまだ出現していない」と結論した。

 1950年代を代表する刊行物がその前年に創刊された。Explorations in Entrepreneurial History がそれである。1960年に同誌の編集者が、経済史の分野は歴史学という専門領域で不動の優位性と尊敬を獲得したと表明したと同時に、経済史と経済学との結びつきが薄弱であると断言した。多くの経済史家は「ほとんど経済学理論を知らず、また知っていることの有用性を認識していない」という。このような事情はその後シュンペーター流の企業家精神理論にとって変わった計量・数量経済学が導入されたことで一変した。同誌の名称も Explorations in Economic History に改められた。
(マクルランド『新しい経済史』日本経済新聞社,1979, pp229〜230参照)

 歴史分析に経済学理論を使用することは、すくなくともアダム・スミスの『国富論』にまでさかのぼることができる。しかし、…歴史分析に経済学理論一般が幅広く用いられるようになったのは、まさに第二次世界大戦後の現象である。それ以前に経済学理論が余り用いられなかったということは、単なる流行ではなくて、その時代の偉大な歴史の多くの人たちからも支持を得ていた。たとえばアシュレイは経済史には「ありきたりの常識」以上のものは必要でないと信じていた。またマーシャルほどの大家でも「分析には、それほど大したものは必要ではない。必要なのは分析者の旺盛な好奇心と探求心である」といっている。クラファム卿は、もっと極端で「経済学理論は不必要なばかりではなくて、無意味である」と言っている。なぜならば、経済学理論とは、観測可能な現象を分析するときには役に立たない「空箱」からできている理論的構築物にすぎないからである。彼のこのような態度は主著 (Economic History of Modern Britain)によく現れており、彼の世代基調となっている。それゆえ、ヘクシャーの有名な「経済史における理論の崇拝」も、耳が聞こえないことはなくても耳の極めて遠い人々には、無視される運命にあった。

 理論を幅広く用いることが比較的新しい現象だとしても、数量化を幅広く用いることは、決して新しいことではない。しかし数量化の方法自体は、20世紀になって飛躍的に発展したことに注意すべきである。クラファム卿は歴史分析に経済学理論を用いることが適切かどうかには、大いに疑義を持っていたが、歴史を数量的に考えることにはまったく疑義をはさんでいない。彼は言う。「すべての経済史家は、…統計的センスというべきものを持つべきであって、どんな制度についても、またどんな政策・集団・変動についてもどの程度の大きさか・時間的経過はどのようなものなのか・どの程度典型的かなどの問を考える習慣をつけるべきである」…クラファム卿の「数量化の崇拝」は極めて大きな影響を与えた。

 ヒートンは経済史の「半分以上が数量データを追求する学問に変わってしまった」といい、1942年には、それが「自分たちの世代の恐らく顕著な特徴」になったという。

 新しい経済史の新しさは、数量データを大幅に使うことそのものにあるのではなくて、むしろそのデータの解析に統計理論やコンピュータを使うことにある。計量経済モデルを構築するのに必要な三つのもの――経済理論・データ・統計理論――を融合して歴史の分析に用いることに、その独創性があろう」。
(マクルランド『新しい経済史』日本経済新聞社, 1979, pp.231〜233参照)


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