2011年12月アーカイブ

 皆様,2011年もお世話になりました。

 教育と情報の過去・現在・未来を見通したい本研究室にとって,2011年は国の教育情報化事業に関わる中での幕開け,慌ただしいものでした。

 3月には,東京への出張中に東日本大震災に遭遇し,他人事ではない中でその後の日々を過ごしたことが最も大きかったのかも知れません。

 大きな事態は,隠れていたものを露にしてくれることもあり,必要な決断がなされないことに大きな戸惑いを感じることも少なくありませんでした。

 そして年末,常々取り組みたいと願っていた教育情報化の歴史探究を始めようと決意したのでした。

 現在と未来を照らすための過去を紐解く時期が来たようにも思ったからです。

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 2012年のことは正直わかりません。

 集めた資料と向き合いながらも,縦横無尽に動き回ろうと考えています。

 皆様にとって2012年がよい年でありますように。

                                2011年12月末
                                 林向達
  

 先日の研究会(BEATセミナー)はOECD-PISAのデジタル読解力と情報教育についてがテーマでしたが,そこで「PISA」の読み方についてちょっとしたやり取りがありました。

 司会の方がPISAを「ピサ」と濁らずに発音したことに対して,発表者として登壇した有元先生が「ピサと読まれたけどピザですので」と濁った発音が本来であると,ちらっと指摘されました。

 有元先生は日本側のPISA担当者をされてきた方なので,OECD本部の担当者とのやり取りもあったでしょうから,その本部の方たちが「ピザ」と発音されているのを前提にされた指摘だったのだろうと思います。

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 PISAの発音の仕方は,ネット上でもたまに話題になります。

 OECD本部の人たちが「ピザ」と発音しているんだから,正当な読み方は「ピザ」で良いのだといってしまえば,それも割り切りが良いのかもしれません。


 でも,たとえばgoo辞書(デジタル大辞泉)なんかでは「ピサ」という項目でどうどうと掲載されています。英語の「Programme for International Student Assessment」の頭文字でできた単語と考えれば「ピサ」と濁らず発音するのは当然のように思えます。

 
 これいったいどうなってるの?と思う人もいるでしょう。

 これはOECDの本部がフランスのパリにあるため,関係者が「ピザ」とフランス語の発音で読むことから起こっている多様性のせいだと思われます。


 多分,命名した人たちはあんまり気にしていないと思うので「ピサ」と読んでも間違っていると思わなくてもよいでしょうし,PISAについて触れたり考えたりした中で「ピザ」と読むのがそれっぽいかなと思ったら濁って読めばいいというだけだと思います。

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 実は,これによく似た発音の違いを持っている単語があります。

 それがクレジットカードでお馴染の「VISA」です。

 これは日本だと「ビザ」カードと濁って発音していることがほとんどですよね。

 しかし,VISAにも「ビザ」と「ビサ」という違った読み方があるのだということが知られていて,そのことは米国版ウィキペディアにも記載されているのです。

 その記述によると,VISAを命名した人物はDee Hock氏という人で,このネーミングなら国際的にも認知されやすいという理由から名付けたそうです。

 つまり,さまざまな国で認知されやすいということは,さまざまな発音で読まれることもある程度は想定範囲ということなのではないでしょうか。だから,「ビザ」でも「ビサ」でも構わなかったのだと思われます。実際,北米大陸とヨーロッパ大陸を市場にしていたわけですから織り込み済みだったのです。

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 というわけでPISAは「ピサ」なのか「ピザ」なのかという決着についてはつける必要はない。これが結論なのです。

 しかし,正統派好きな人向けとしては,OECD関係者が使っている「ピザ」を使えばよいでしょうし,それはVISAカードの「ビザ」と同じような発音法だとでも言えば周りへの説明も簡単になります。

 2011年12月17日に東京大学大学院情報学環で行なわれたBEAT公開研究会に出席しました。「デジタル読解力を育てる情報教育」というテーマでした。

 「デジタル読解力」とは,OECD-PISAが2009年に世界で行なった学力到達度調査結果の一部として2011年6月に入ってから追加発表され話題となったものです。(OECD東京の発表ページ)(OECDの発表ページ)(文部科学省の発表ページ

 日本ではPISA型学力なんて言葉が一部で使われることからも分かるように,国際学力到達度調査の結果を大変気にする空気があるため、PISAが提示してきた「デジタル読解力」に対しても気にしている人が多く,今回の研究会はタイムリーでした。

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 ただどうも「デジタル読解力」とは何なのか,私たちが了解できているとは言い難い。このところPISA型学力という言葉とともに頻繁に引き合いに出される「21世紀型スキル」というものと何かしら関係があると考えられているのかいないのか。

 そういうことについて他の人が何か語っているのをあまり見たり読んだりしたことがなかったので,正直なところデジタル読解力というものについての議論にどんな幅があるのか計りかねていたのです。

 とにかくデジタル読解力というものについて皆さんが何を語るのか聴いてみようという感じでの参加でした。

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 研究会の様子は早速Webの記事になっているようです(「今こそ必要な「デジタル読解力」、求められるのは「批判的読解」」PC Online)。

 記事の解説にあるような明瞭な流れとは対照的に,実際に参加しているときの私の認識は話の行方を追いかねていました。

 その原因は多分,デジタル読解力に過大な何かを最初から抱きすぎたせいかも知れません。この世界で多少はプロパーゆえ,議論の補助線を先取りしすぎたようにも思います。

 補助線は後から当ててみるから役立つのであって,先に引き過ぎてしまうと先入観となって認識や理解を縛ることを忘れていました。凡ミスですね。

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 しかし記事を読んでも,従来型のプリントで提供される情報を読むのに必要となる読解力と比べて,「デジタル」な情報である場合に必要な読解力とで何が違うのかははっきりと明示されているとはいえません。

 記事の最後に「インターネットの情報を見るときには、教科書や書籍など紙に書かれた情報以上に信頼性や正確性を吟味しなければならない」とは書かれているのですが、その理由がいまいち伝わっていないように思えます。

 それに「批判的読解力」や「実践的な能力」といったことまで言うならば,なぜ「21世紀型スキル」まで議論を拡張しないのかという素朴な疑問もまだ残ります。


 当日の皆さんの議論や会話を聞いていると、どうやらデジタルという技術によって提供者と情報の幅が広がり,更新頻度が激しくなることが上記の「信頼性と正確性を吟味しなければならない」要因と考えられるようです。

 デジタルによって情報の提供コストが下がることで、信頼性の低い情報も高い情報と全く同じ調子で届いてしまうし、情報の更新周期が短くなれば耐用時間も短くなるため,得られた情報の鮮度によって自分の理解や解釈を柔軟に制御しなければなりませんし,自問自答の頻度も増やさなければならないかも知れません。

 おそらくこんなところなのでしょう。

 そして,おそらく日本の場合、デジタルはもちろんのこと、アナログな場合においても情報過多な社会ということもあって,学校教育でデジタル環境や活用が充実していない現実があっても「デジタル読解力」が想定しているいくらかの力が養われていたので調査結果がまずまずだったということらしいのです。

 
 そして,この手の話を「21世紀型スキル」という言葉ではなく,「デジタル読解力」という言葉で考えようとしている理由は,PISAという調査がプリントを使った「プリント読解力」と比較する形で,コンピュータを使った「デジタル読解力」を調査したから。

 つまり表面的にはPISAのテストが紙からコンピュータに変わるというだけの話なので、PISA的にはそれぞれで必要な読解力を「プリント読解力」と「デジタル読解力」と名付けてみたりしたのだけど,内面的にはテストのやり方が違うということが単にコンピュータの操作に慣れてるかどうかってこと以上に違う力が必要だということも分かってきてるので,それは確かに「21世紀型スキル」とかにもつながっていくかもね,でもPISAは「デジタル読解力」って言うけどね,といった具合なのです。

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 まどろっこしい文を書いてしまいましたが、それは私が入り口を間違えたので遠回りしてしまったせい。他の皆さんにとってはシンプルな議論だったのだろうと思います。

 当日のグループディスカッションでは,少し論点のずれた事例だと分かった上で「同意ボタン」の例を投げ掛けてみたりもしました。

 私たちはインターネットのサービスなどを利用するために結構な頻度で「同意ボタン」をクリックすることが多くなりました。

 しかし,ほとんどの場合,同意しようとしている契約書を読むことはないですし、電子的に表示して読まされる契約書が頻繁に改変されていることにも無頓着だったりします。こうした形ですでに身近になっている電子的な契約書に対しての対応においてもデジタル読解力といったものが必要なのかも知れない...という投げ掛けでした。

 まあ,この事例の場合はちょっと違うのかなと思いますが...(この場合は法令リテラシーといったところかも知れません)。

 とにかく,デジタルによって提供される情報を読むことが多くなったのは事実ですが,そのために必要な力をどのような切り口で考えるべきかは,もう少し議論していく必要はありそうです。

 別の機会に,「21世紀型スキル」の定義や議論と合わせて,もう少し整理した文章を書いてみたいと思います。

 FS推進事業とLI事業の第3回地域協議会が行なわれたので出席してきました。前回は9月でしたので2ヶ月ぶりですね。連絡事項が山ほどありました。

 今回,文部科学省のLI事業(学びのイノベーション事業)側の有識者の先生が初参加しました。京都女子大学の吉永幸司先生です。

 吉永先生はamazonなんかで検索すると分かるようにノート指導に関する著書などをいくつも書いていらっしゃり,大学では付属小学校の校長もされている経験豊富な先生です。教科書制作にも関わられています。

 事業における学校の取り組みに関する報告をお聞きになって,いくつかのポイントについても興味深い研究になることなどご感想をお持ちになったようです。

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 総務省側からは災害時を想定したネット環境設備に関する実験と持ち帰りPCに関することなどが関係する実証校で進められていること。文部科学相側からは学校からのフィードバックをもとに新たに通達された文書に関して確認。事前事後アンケートや標準テストなどについて,山ほど宿題があるといった感じです。

 3年間を予定している事業も,FS推進事業が来年度(も実施するなら...)で終了。一年ずれてLI事業側が継続した後で終了します。そのため,展開した事業をどうたたむのかということが今後の課題ということになり,勢いとしてはもうひとピークが来てあとは下るだけといった感じかなと思います。

 裏舞台の雰囲気はともかく,事業から何を学び取るのかということは勢いとは別の話ですので,しっかりと事業の成果を出していきたいと考えていますし,私自身は関わったことから得られたいろんな情報や知見について発信して,いろんな動きのお役に立てていただければと考えています。

 2011年12月11日にNHK教育放送企画検討会に出席しました。国の教育情報化事業に関わっている立場で今後の教育放送(NHK for School)について意見を求められたからです。

 検討会は,大学の研究者と幼保小中高校の先生方などが出席するもので、専門家や現場の先生の声をNHKの制作関係者の方がダイレクトに聞くことで,番組作りに反映させようという趣旨で行なわれています。

 NHK放送センターには見学やアルバイトで訪れたことはありますが、正式なお仕事を直接依頼されて訪問するのは初めてでした。これも総務省FS推進事業や文部科学省LI事業に末端で関わっている後光のおかげといったところです。

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 私なりに教育放送について考えていたことを述べたりしましたが、むしろ学校の先生方のナマの意見を聞けたのは,私にとっても勉強になりました。

 全体会が行なわれた後で,幼保,小学校,中高校と3つの部会に別れたのですが、私は中高校部会に出席することになり、普段なかなか聞けない中等教育段階の学校の様子を伺うことになりました。

 そこでお聞きした学校の機器設備の環境は,なんとなく知っていたとはいえ、改めて実情を聞いて,悲しい気持ちになりました。

 日本の中学校・高等学校はメディア環境がかなり貧しい。

 
 もちろん,私が関わっている事業のように児童生徒一人一台のパソコンとか,各教室に電子黒板が必ずあるというのは普通ではありません。

 けれども,テレビくらいはわりと置いてあるのではないか。

 地上デジタル放送に移行したため、その地デジ化が進んでいないということは別の問題としてあるのかも知れないが、それにしたってアナログテレビくらいは残り物としてありそうな気もします。

 しかし,そのテレビすら教室に無いというのが現実です。

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 そこで文部科学省が行なっている「学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果」を再確認してみることにしました。

 いったいテレビは学校にどれだけ設置されているのか。以下が平成23年3月時点のデータをグラフ化したものです。
 

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 これがこの国の学校に設置されている「テレビ」の実態です。

 普通教室の部分だけを注目すれば、設置されているテレビのパーセンテージは,小学校で95%,中学校で56%,高等学校で7%,特別支援学校で43%となっています。

 小学校はともかく、中学校と高等学校がこのような環境下で、教育番組や映像教材をフル活用できるとは到底考えられません。

 
 日本の教育について考える際、中学校と高等学校(これらを合わせて中等教育段階と呼びます)は,難しい実情が多いばかりに、ちゃんと取り組まれないまま問題が先送りされやすかったともいえます。

 そうしたことが,教育環境の整備に関しても表れてきてしまったのが,このような調査結果なのかなとも思います。

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 このような貧しいメディア環境の実態があるために、様々なアイデアと努力によって制作されている教育放送番組がなかなか届けられずに苦心している現実があります。

 そして、魅力的な映像素材を学校の授業で使いたいと考えている学校の先生方がいるにも関わらず、それがなかなか出来ないことで,何より生徒達から学びの可能性を奪っているということを,もっと多くの人々が知らなければならないと思います。

 それぞれの地方自治体でしっかりと教育環境のために予算をつけていくことが必要です。そのような動きになるべきだと訴えたいです。
 

 教育情報化の風景にパソコン機器は欠かせないが、教育市場に強くコミットしてきた会社の一つとしてアップル社がある。

 創業者の一人,Steve Jobs氏が2011年10月5日に他界したことを契機に,彼自身とその会社への注目がさらに高まり,Jobs氏公認の伝記が刊行されたこともあって多くの歴史的エピソードも広く読まれることになった。

 そのような歴史的なエピソードの一つが,このWWDC1997における開発者とのチャットである。WWDCはアップル社のコンピュータ(Mac)向けのソフト開発者が集まって研修や情報交換をするイベントである。


 1985年,Steve Jobs氏は自らが創業したアップル社を社内闘争に敗れて追放される。それからNeXT Computer社やPixar社を生み出したことはご存知の通り。

 1997年、経営的にはほぼ倒産寸前だったアップル社に舞い戻ってきた創業者は,次々と社内改革を行ない、次々と開発プロジェクトを終了させていた。Macの互換機を他社がつくることも禁じた。

 
 開発終了が宣言されたものには「ニュートン」や「オープンドック」といった開発者に人気のプロジェクトも含まれ、その技術にエネルギーを注いでいた開発者からは強い非難がアップル社に向けられたのであった。

 こうした背景のもと,WWDCで行なわれた異例のチャットはSteve Jobs氏が開発者と直接コミュニケートすることで,アップル社の取り組みについて理解してもらうことが目的であった。

 そこでJobs氏は,現在のアップル社が何を考え何を目指しているのか,開発者は今後何を取り組むべきなのかを説いた。

 特にビデオの50分20秒あたりから始まるやり取りは,印象的だ。このエピソードについて書いているeWeek記事を引用しよう。

例えば、1人の開発者がジョブズ氏はAppleの問題解決について何も分かっていないと言ってやじった。ジョブズ氏はこの開発者はおそらく正しいと認めておいて、顧客価値について語った。

 「開発者は顧客体験が第一、技術はその次という姿勢でなければならない――逆はない。わたしは恐らく誰よりも多くこの点で過ちを犯してきたし、それを証明する傷も負った」とジョブズ氏は語った。

 「顧客体験が第一,技術はその次...」という部分は,実際のJobs氏の言葉では次のように語っている。

「私たちは利用者体験から技術へと逆向きに取り組むべきで,技術を先にして如何に売るかを考え出すなんてすべきじゃない」

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 教育の世界にも授業の「逆向き設計」という言葉があり、求められている結果から評価及び授業設計を考えていくことが重要であると説いている。

 こう考えると,Jobs氏やアップル社が目指したものづくりが教育的な発想と親和性が高いのもうなずけるというものだ。

 私自身はこうした考え方でつくられた教育向けICT機器を「学用品としてのICT機器」という言葉で表現したいと思っている。ぜひとも多くの企業がこうした考え方で商品開発されることを願っている。

 しかし,とあるブログの「やめることの難しさ」というエントリーを読むと,それが如何に大変なことなのかも分かるから,悩ましい限りだ。

 80年代は,1977(昭和57)年の小中学校及び1978(昭和58)年の高等学校で改訂された学習指導要領で迎えることになった。一般的には「教育の人間化」のキャッチフレーズで知られている改訂である。

 一つ前の改訂は「教育の現代化」を標榜し,教育内容における科学的な概念や見方などを強化するよう見直されたが、この試みは子ども達の現実を置き忘れてしまう結果となり大量の落ちこぼれを生んだとされる。

 実際,70年代後半から80年代前半は,「校内暴力」といった問題が学校現場で頻発した。こうした世相を象徴するものとして,後にテレビドラマ化された小説「積み木くずし」(小説1982年,テレビドラマ1983年)は有名である。

 また,いじめの問題も「いじめによる自殺」として社会問題化する一方で,次第に陰湿化していくことが問題視された。少年自殺そのものも多発が問題となり、1986年には人気アイドルの岡田有希子が飛び降り自殺をしたことに衝撃が走るとともに,自殺率にも影響を与えるなどした。

 80年代の学校はこうした問題と隣り合わせにあり,「教育の人間化」を目指した学習指導要領に基づいて,ゆとりのある教育を展開しようとしたのだった。

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 一方で、日本の社会は急激な経済成長を達成した後の余暇を過ごしていたともいえる。当時は日米摩擦という言葉にあるように,対米国貿易が好調な日本に対して,米国の貿易赤字が大きな問題となっていた。

 1985年9月22日のプラザ合意を契機に円高不況が起こったものの、その後始まった「バブル経済期」には大量の資金が市場に押し出されていったことによって,経済的にも文化的にも物質的な豊かさの絶頂期を迎えた。

 当時の子ども達や若者は,落ちこぼれや校内暴力,いじめといった暗い部分を一方で抱えながらも,上り調子にあった時代の空気を背に受けて、能天気にも過ごしていた。

 当時人気だったゲームマシンのファミリーコンピュータ(ファミコン)は売りきれ店が続出。1985年にはファミコン向けソフト「スーパーマリオブラザーズ」が発売され爆発的にヒット,一時代を築き、現在もその伝説は続いている。

 確かにおもちゃ屋やおもちゃ売り場はテレビゲーム機やゲームウェッチ等の小型ゲーム機にスポットライトが当たり始めていたが,プラモデルやラジコン,カードゲームやメンコ,コマなど、古き良きおもちゃについても品揃えは豊富で活気があった。近所のおもちゃ屋という業態がまだ成立しており、当時の子ども達のたまり場となっていた。

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 世界的にも豊かな経済大国となり,消費を経由して国際的なものについても人々の意識が向き始める一方、きわめて好調な国内の景気に心奪われ続けるという一種の乖離が深まっていった80年代。

 学校教育もまた時代の喧騒の中でたくさんの出来事や問題を抱えながら時を駆け抜けることになる。学校教育という場に対する神聖さも,次第に相対化されていく。

 そうした事態への危機感も,当時の臨時教育審議会設置へと結びついたといえる。
 

 この時代,パソコンといえばNEC(日本電気)のPCシリーズに最も人気があった。とはいえ,今日のパソコンに通ずるマッキントッシュが1984年に登場したばかり。当時のパソコンは文字表示をベースにグラフィックも扱えるという程度であった。


 PC-8801シリーズは,ホビー向け8ビットパソコンの雄として君臨。ユーザーは,雑誌に掲載されたBASICプログラムを手入力したり,フロッピーディスクで提供されたソフトを動かしたりしていた。

 当時のソフトハウスやゲームタイトルには次のようなものがあった。

 ・エニックス「ウイングマン」(コミックアドベンチャーゲーム)
 ・クリスタルソフト「夢幻の心臓」(ロールプレイングゲーム)
 ・光栄「信長の野望」(歴史シミュレーションゲーム)
 ・システムサコム「メルヘンヴェール」(アクションロールプレイングゲーム)
 ・シンキングラビット「カサブランカに愛を」(アドベンチャーゲーム)
 ・スクエア「キングナイトスペシャル」(ロールプレイングゲーム)
 ・T&E SOFT「ディーヴァ」(シミュレーションウォーゲーム)
 ・日本ファルコム「ロマンシア」(ロールプレイングゲーム)
  etc...

 8ビットパソコン市場は,その他にも富士通のFMシリーズ,東芝のPASOPIA,シャープのX1シリーズ,などがしのぎを削っていた。そこに8ビットパソコン共通規格MSXに準拠したパソコンなどが参戦するなど、ゲーム/ホビーユーザーをターゲットとした市場は,今では考えられないほど賑やかであった。

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 16ビットパソコンは主に事務向けだった。基本ソフト「MS-DOS」が用意されていたのも特徴的である。NECは16ビットパソコンPC-9801シリーズを投入しており,OAやCADといった用途に販売されていた。

 やがて8ビットに飽き足らなくなったユーザーが16ビットパソコンの性能に引かれて使い始めることが多くなり,徐々に一般向けとしても受け入れられていく。

 こうした流れを後押ししたのは,この年発売された日本語ワープロソフト「一太郎」や翌年発売の表計算ソフト「ロータス1-2-3」などのビジネスソフトでもあった。

 特に1987年に発売した「一太郎Ver3」は,コピープロテクトを廃止した英断とソフトの完成度の高さによって日本語ワープロソフトの代名詞になるまでのヒットアプリとなり,PC-9801シリーズを国民機へと押し上げていく原動力ともなった。

 日本語ワープロソフトのライバルとしては「松」や「ユーカラ」「将軍」といったソフトがあり,他にも表計算ソフトの「Multiplan」,データベースソフト「桐」「dBASE III」,グラフィックソフト「Z's STAFF」,ファクシミリユーティリティ「STAR-FAX」,財務会計ソフト「二代目大番頭」などがあった。

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 ところで当時の教育ソフトにはどのようなものがあったのだろうか。

 『NECパソコンフェア'86 ガイドブック』の「教育ゾーン」を開くと、当時からいくつかの企業が教育向けソフトを販売していたことが分かる。

 ・教育ソフト研究所「マイコンドリル算教シリーズ」
 ・CESコンピュータ教育システム「集団分析システム ソシオメトリック」
 ・トステムハウス ハイネ「成績管理統計システム ユーシック・キング」
 ・スズキ教育ソフト「中学校成績処理SA-1000」
 ・太平洋工業株式会社「教育用CNC旋盤PNC-10L」
 ・データポップ「マイ国語レッスン 中学文法編」
 ・日本シーディーシー「ATMオーサー・セット」
 ・パル教育システム「PAL TEACHERシリーズ」
 ・村田簿記学校「MCAI簿記入門編」
 ・ヤハタOSシステム「塾太郎ミニ」
 ・ライフボート「学習用C言語RUN/Cインタプリタ」
 ・ローヤル カレッジ「教材作成支援ソフト」


 コンピュータ教育元年と呼ばれたこの時期,人々はアメリカで1950年ごろから始まっていたCAI(Computer Asisted Instruction)「コンピュータ支援授業」の成果に注目していた。

 CAIという言葉自体に特別な含意はなかったものの,初期のCAI研究がティーチングマシンでも知られる心理学者スキナーのプログラム学習をベースにしていたこともあり、学習者一人ひとりの履歴に基づいた学習過程を展開できるシステムの名称として理解された。

 しかし,当時のコンピュータ教育に対する漠然とした期待の一方で,技術的には未成熟なコンピュータ自体の限界によって,人間の介在しない機械的なドリル学習といった誤解も生み、結果としてCAIを黎明期の徒花と印象づけてしまったのは不幸なことだった。

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 CAIの考え方は,時代を経て技術的な進歩とともに見直されるべき時機がやって来たのかも知れない。

 そうした未来の可能性を語りたいのはやまやまだが,それは過去への旅路を終えてからの楽しみにするとして,さらにこの時代の散策を続けよう。