人工知能時代に必要な小学校段階の学習事項とは何なのか

平成29年3月告示の学習指導要領が示した、小学校段階におけるプログラミング体験について考えています。

文部科学省「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」は、小学校段階にもプログラミングに関わる教育を持ち込むことを諮るための会議であった以上、その議論の取りまとめから「プログラミング」を取り除くことができない宿命にありました。

組み込むべきパーツが状況的に決められ用意された状態の中、それらを求められている形に組み上げていく作業が大変であったことは、長くなりがちになっている文章を見ても分かります。加えて、私たちのようなしがらみのない部外者から、本来はこうだああだと批判あるいは非難されることも必至である仕事です。そのことを労う文脈が無いことは残念ですが、こればかりは仕方ないことだと思います。

無礼は承知で、部外者は部外者なりの役割を演じさせていただくことにします。(その分野の関係者として、純粋に部外者といえるのか、あるいはお前は足を引っ張る側にまわるべきなのか、という批判もあり得ると思いますが、自由に論じさせていただくことも大事かなと考えています。)

やはり、少し巻き戻したところから出発しましょう。

目指しているものを実現するために、必ずしも「プログラミング」に縛られなくてよいとすれば(とはいえ離れ過ぎないところで)、どんな議論の可能性があったのか。

平成29年3月告示の学習指導要領、そのための中央教育審議会への諮問と出てきた答申には、社会の変化について、何かしらの前提が描かれていました。[記事「何を想い,諮問し答申するのか」]

答申には「第4次産業革命ともいわれる、進化した人工知能が様々な判断を行ったり、身近な物の働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の到来」と記され、そうした世の中で生きていく子供たちは、おそらくもっと「知識・情報・技術」について強くならないといけない。そう多くの人々が考えていることが反映されています。

端的にはIT人材の人口を増やしたいという願いになって表れ、先の有識者会議の設置へと繋がったことはご承知の通りです。

しかし、今回の話がIT人材の増強という単純な話でないことは明らかです。

「第4次産業革命」つまり昨今見られるような人工知能技術の前進(ディープラーニング)を踏まえた時代というのは、IT産業やIT人材とは何かの捉えに関しても、明らかにステージが変わっており、その新しいステージで通用するように子供たちを育んでいかなくてはならないということが書かれています。

人工知能技術(ディープラーニング)によって、一体何が変わったのか。

私たちが使う道具の挙動が予測困難になったということに他なりません。

従来、私たちは使う道具の挙動を把握して、道具を利活用します。道具の使い方がわからなければ道具は使えないし、少なくとも使い方を学び把握することで(場合によっては自分で創造して把握することで)道具を使います。

道具が複雑な場合、確かにその挙動は予測が困難ですが、その場合でも私たちは道具の「仕組み」を理解することで、なんとか道具の挙動を把握して利用します。

しかし、人工知能技術が生かされた道具は違います。

人工知能技術を生かした道具は、機械学習を行ない、その成果を踏まえた挙動をします。その挙動は、私たちが想定した範囲に収まる場合もありますが、そうでない場合の可能性についても否定できません。

そのような道具を把握し利用する場合、道具が学習するという「仕組み」を理解するだけでは足りないのです。どのように学習するのかという「学習のさせ方」を汲み取らなくては、道具を想定的にあるいは効果的に利用することができません。しかし実のところ、学習のさせ方が分かっても、もはや「学習の成果」を予測することは困難です。

挙動の予測が困難な道具が、私たちの社会生活にどんどん応用されようとしている。

この事実を踏まえる必要があります。

誤解のないようにあらかじめ断っておきますが、私はシンギラリティが到来して、人工知能が人間の能力を上回って、いろいろ悲劇的なことが起こるということを肯定したいわけではありません。

シンギラリティ云々については、来ようが来まいが、私たちの議論にはあまり大きな影響はないと考えています。扱うものがどんどん大げさになっていくという大変さはあり得ると思いますが。

挙動の予測が困難な道具が私たちの生活を支える社会

こうした社会では、プログラミング技術あるいは能力があるに越したことはないし、そういう道具やシステムで構成された社会を維持する人材としてIT人材のすそ野が広がることには意味があります。

しかし、プログラミングという「データ」や「アルゴリズム」や「コーディング」といった諸々の仕組みを扱う能力が身に付いたところで、道具の挙動を予測することが困難であることには変わりありません。

それはせいぜい「人工知能の学習をデザインできる技術を持っている人」になれるだけで、「挙動の予測が困難な道具を上手に使って社会に役立てる人」になることにはならないのです。

これは良き「作り手」が良き「使い手」とイコールではない、という有りがちな話を踏まえているようでいて、やはりまったく異なるステージの話なのです。

従来の道具は、作り手が道具の挙動を意図して生み出してきました。その意図を使い手が汲み取って、道具を利用します。それは「作り手→使い手」(一方向)という関係で完結します。

しかし、人工知能技術を生かした道具は、作り手が学習のさせ方を意図することはできますが、学習の成果を掌握することは論理的に難しいはずです。使い手は、(作り手によって意図された)道具の挙動を予測して従来の道具のように利用しますが、やがて挙動が変化していく事態に直面し、それがポジティブな範疇に留まっている限り「便利さ」を享受することになりますが、そうでない場合には道具の学習による「困難さ」を被ることになります。とすれば、使い手は作り手のデザインした学習について遡ることを余儀なくされ「作り手←→使い手」(双方向)の関係を織り込まなくてはなりません。

(従来の道具の場合であっても、双方向の関係を想定することができるではないか、という指摘もあり得ると思います。もちろんそうすることは可能ですが、表面上の関係性に違いの根拠があるわけではないので、このお話は、もう少し別の説明の仕方を試みた方がよいかも知れません。)

使い手が、道具の作り手へと遡るからこそ、プログラミング体験・学習を通してプログラミング的思考なる論理的思考や、ITリテラシー、情報活用能力を身に付けるべきなんだ、という見解はあってもよいと思います。

ただ、そうしたところで「挙動の予測が困難な道具を使う社会」になることを見失っては、単なるIT人材育成話に留まるだけだと私は考えます。

どんどん進歩し続けている人工知能技術が、私たちの生活をどのように明るく彩り、どのようにトラブルを引き起こし、また、どのように人工知能の学習をデザインし、どのように調整していくのか。そういった事柄はすべて、私たちの描き方次第で、如何様にも変わり得る、まさに予測が困難な状況にあります。

そう考えたとき、小学校段階で必要な学習事項として新たに加えるものの一つが「プログラミング的思考」といった「仕組み」にフォーカスするようなものでよいのかどうか。他の教科との横断的な関係と中学校・高等学校との体系的な捉えの中で、もっと考えを深めてもよいのではないかと思います。

そうすると、意外とシンプルな実践と、もっとディープに記号や命令をいじる実践が組み合わさった形のカリキュラムが子供たちにとって必要になるかも知れません(これは単なる直感です)。

文部科学省の有識者会議の議論の取りまとめは、 第4次産業革命や人工知能について、社会に大きな変化をもたらすものであるという認識は持ちつつも、それを括弧に入れてしまい、激変する社会に対応するために求められる資質・能力とは何かを問うてしまいました。

しかし、人工知能という「人間とは異なる、学習をするもの」が、いよいよ括弧に入れられなくなって、相手をしなければならなくなったことが、いま足を踏み入れようとしている時代やその社会のはずです。

人間の意図によって制御される社会という世界観から、人間の意図を託した学習の成果によって制御される社会という世界観への転換を明示しない限り、「第4次産業革命ともいわれる、進化した人工知能が様々な判断を行ったり、身近な物の働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の到来」を見据えた学校教育をつくり出していくことは、遠いままかも知れません。

とはいえ、私たちや子供たちは、否応なくそういう時代に突入しています。お忘れなく。

探しています『NEW教育とマイコン/コンピュータ』誌

りん研究室では『NEW教育とマイコン』(『NEW教育とコンピュータ』)のバックナンバーを捜しています。ご協力お願いします。

1985年に学習研究社(学研)から創刊され、2007年まで発刊されていた教育とコンピュータ関連の雑誌です。教育と情報の歴史研究のため、所蔵できていない号を入手したいと考えています。

こちらで送料負担をいたします。お譲りいただけると有り難いですが、もし有償でのご提供をお考えの場合は相談させてください。正直、予算がないため、徳島の粗品か何かお礼を…と思います。

連絡先: kotatsurin @ gmail . com

[近況 8/27]1996年〜1997年頃の号をお譲りいただけそうです。引き続き,ご協力よろしくお願いします。
[近況 10/10] 2004年以降のものもたくさんお譲りいただきました。感謝。
[近況 10/16]無事に創刊号を入手しました。引き続き,残りの号も探しています。

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【捜して入手したい『NEW』誌リスト】

1985年6月号(創刊号)(入手しました[10/16])
1985年10月号(創刊3号)

1986年4月号(No.6)

1987年9月号

1990年1月号
1990年2月号
1990年3月号

1992年9月号

1995年12月号

1996年1月号
1996年2月号
1996年3月号

1997年3月号(入手しました[8/30])
1997年6月号(入手しました[8/30])
1997年8月号(ありました[8/21])
1997年9月号〜1997年12月号(入手しました[8/30])

1998年1月号〜1998年7月号(入手しました[8/30])
1998年9月号(入手しました[8/30])

1999年1月号(入手しました[8/30])
1999年10月号〜1999年12月号

2000年1月号(ありました[8/21])
2000年5月号
2000年7月号〜2000年12月号

2001年1月号〜2001年4月号
2001年6月号〜2001年11月号

2002年2月号〜2002年5月号
2002年7月号〜2002年9月号
2002年10月号(入手しました[8/30])
2002年11月号〜2003年3月号

2003年5月号
2003年9月号〜2003年11月号
2003年12月号(入手しました[9/11])

2004年1月号〜2004年5月号(入手しました[9/11])
2004年6月号
2004年7月号〜2004年12月号(入手しました[9/11])

2005年2月号(入手しました[9/11])
2005年3月号(入手しました[9/11])
2005年9月号(入手しました[9/11])

2006年5月号〜2006年9月号(入手しました[9/11])
2006年12月号(入手しました[9/11])

2007年10月号(入手しました[9/11])

以上の号を捜しています。よろしくお願いします。

プログラミング体験・学習について鳥瞰する

公立学校で「プログラミング教育」なるものが必須になると話題です。

平成29年3月告示の学習指導要領に至るまでの「プログラミング教育」にまつわる事象と、学習指導要領とその解説で示されたプログラミングに関わる記述について、本当に様々な事柄が語られる対象となり、いろんな解釈と見解を人々が発信しています。

議論することが必要で大事であると日頃から考えている手前、立場に応じて提示される事実認識や考え方、取り組みや主張について、初めから斬って捨てることはないと考えています。

私がこれから書くことさえ、私個人の一認識でしかないのですから、まずは論じてみて、どのくらい妥当かどうかを闘わせてみるしかないと思います。

そう前置きしつつ、この「プログラミング教育」にまつわる話題が混沌としているとしたら、その理由は何なのか書いてみたいと思います。

まず「プログラミング教育」という用語について、この文章ではこれ以降「プログラミング体験・学習」という表記を使おうと思います。

理由は簡単で、小学校がプログラミングの体験を重視し、中高ではプログラミングを通した学習が展開するという、新しい学習指導要領が示した初等中等教育におけるプログラミングの体系的な位置付けを、まずは明示的に共有したいからです。

【議論の混沌要因】の一つは、学校段階(小学校・中学校・高等学校)毎に分けて論じるべきプログラミングの扱いが、「プログラミング教育」という体系的な呼称で一括りに論じられてしまうことにあります。

乱暴かも知れませんが、プログラミング体験(小学校段階)とプログラミング学習(中学校・高等学校段階)として、分けて呼称できるように「プログラミング体験・学習」を使ってみようと思います。

【議論の混沌要因】の二つ目は、国の学習指導要領と学校の教育課程との関係について、その従属関係をどう捉えるかによって議論が難しくなることです。

すでに小学校段階におけるプログラミング体験に関して、「関係する有識者会議は何を言っているのか」、「中央教育審議会は審議をどうまとめたのか」、「学習指導要領と解説にはどんな文言が記されているのか」、それらが内に含んでいる意図に最も沿う考え方とは何か、といった引用・解釈合戦が賑やかです。

学習指導要領は(検定教科書という同伴とともに)、学校現場にとって絶対的な存在として君臨し続けてきた歴史があります。文言としては創造的な学校の教育課程を編成しなさいとは言い続けてきたものの、多くの教育委員会や学校にとってはそうでなかった過去が積み重なっています。

新しい学習指導要領(平成29年3月告示)は、とりわけ学校の教育課程に関して挑発的な言葉が並びます。「社会に開かれた教育課程」の実現を目指すよう促し、「カリキュラム・マネジメント」の実現も求めます。学習指導要領は「学びの地図」であると一歩引いては見せるものの、示された到達すべき地点は膨大です。

より増長したダブル・バインド状況に立ち向かうために与えられたリソースは少なく、当然のことながら、少しでも効率的で、省力的で、手離れがよいものに逃れたい衝動に駆られます。正解探しが終わらないという皮肉な再生産です。

【議論の混沌要因】の三つ目は、プログラミング体験・学習を学校教育に盛り込んだ側の人々が、その盛り込み方について分からないこと、思い通りにならなかったことがあり過ぎのまま、見切り発車的に決定を重ねた(重ねざるを得なかった)ことです。

小学校英語と比較すれば分かりやすいですが、その準備にかけた時間もステップも、すべてが少なく短過ぎました。たとえば、英語教育の必要不要を扱う書籍と小学校プログラミング教育の必要不要を扱う書籍の数の違いは(あくまで傍証でしかありませんが)議論の少なさ短さの証明です。

つまり、プログラミング体験・学習が学校教育に必要であることが直感的に分かっていたとしても、それを言葉として説得的に積み上げていく助走作業やそのための時間がなかったことを意味します。

その結果、新たな造語「プログラミング的思考」が、有識者会議という場で生み出され、学習指導要領の解説に示されたことが、議論をさらに複雑なものにしているのです。

「プログラミング的思考」について、[1]有識者会議の議論のまとめから[2]各所各者言及から[3]英訳検討から、議論の素材を集めていましたが、明確にしようとすればするほど言葉を重ねなければならない事態を招いていて、つまり用語としての明確さに疑念が生じています。

端的に、この語を生み出した人々自身が、中身を分かって用いたのではなく、生み出す必要性に駆られて用いたと理解した方が、むしろ話は分かりやすくなります。

プログラミング的に表現すれば、汎用型変数の宣言あるいはクラスを定義したに過ぎません。

「プログラミング的思考」に実体があるかのように論じても、それは各論者が好き好きに論じているにすぎず、有識者会議のまとめがこれを縛るための規約として、沿っているかどうかのチェックに利用される。そういう形だと理解すると現状をうまく捉えられるように思います。

すみません。何を書いているのか分からない方々もいらっしゃると思います。

「プログラミング的思考」という言葉は、生まれたときからバズワードであり、そうである以上、文脈に依存するため、議論する者同士がその文脈を共有しないと、この言葉を要にして議論することはできないのです。

【議論の混沌要因】の四つ目は、役者(アクター)の配置が複雑になっていることです。

ここでいう「役者(アクター)」というのは、省庁や関係団体(産官学)、政治家や事業家や研究者、教育者、保護者、子ども、関心を持つ一般人など関わっている人々をまとめて呼ぶための言葉です。ステークホルダーという言い方もあります。

アクターが多様で複雑なのは、どんな物事にでも当たり前にあることですが、プログラミングに関してはアクター毎の知識や認識・理解も様々で、それゆえプログラミング体験・学習に対するイメージについて共有していることはとても少ないことが特徴です。

その一方で、プログラミング体験・学習に関わっていこう、提供していこうとする人々も一枚岩ではない以上、非常に多様なものが発信されているため、それらを整理することがなにより重要なことになっています。

対象読者を絞ったガイドブックが少しずつ出始めていますが、これも増え過ぎれば、あちらはああ言う、こちらはこう言う、どちらが私に合っているのかを判断するのが難しくなってくるかも知れません。

(ちなみに堅いことを言わなければ、保護者向けと思われる『図解・プログラミング教育がよくわかる本』は、時節を捉えた内容でイラストとレイアウトなども上手に編集された無難な一冊と思います。)

プログラミングということでいえば、学校教育を管轄する文部科学省だけでなく、情報通信政策を管轄する総務省、そして情報通信産業を管轄する経済産業省が関わってくるテーマだけに、業界団体も巻き込んで、それぞれの思惑が交差していることも複雑さの一因です。

知らないうちに私たちが、この三つの省の代理戦争をしている状況さえ起きています。

他にもたくさんのアクターがいるわけで、その分の文脈が増えれば、議論が混沌としないはずがありません。

【議論の混沌要因】の五つ目は、教育の情報化(学校教育のIT対応化)がネガティブなイメージを払拭できずに、長らく足踏みしていたことです。

ゆえに混沌要因の三つ目(議論の少なさ短さ)が引き起こされたともいえますが、日本では、教育の情報化の取り組みが仕組み的に難しくなっている現実があって、それを放置したまま今日に到っているのです。

平成元(1989)年の学習指導要領の改訂時、「情報基礎」という領域が中学校の技術・家庭科に新設され話題となりました。

公立学校に大量の教育用パソコンが必要になる!と業界が湧いたことをご記憶の方もいらっしゃるかも知れません。当時、主流であった「NEC PC-9801シリーズ」が採用されるのか、それとも海外から入ってきたIBM PCを日本向けに規格化した「AX規格パソコン」が採用されるのか、あるいは国産OSとして通産省も期待をした「トロン規格」が採用されるのか。

いまはJAPET(日本教育情報化振興会)へと合併しましたが、CEC(コンピュータ教育開発センター)という組織が学校の教育用パソコンの規格を策定して、それを導入機器のガイドラインにしてもらおうと動いていたことが知られています。1990年7月に「学校で利用されるコンピュータシステムの機能に関する調査報告書 CEC仕様’90」が出されました。

しかし、その裏側では、様々な思惑の衝突と、貿易問題としてのアメリカからの圧力などで業界の勢いは削がれ、CECを中心とした教育用パソコンの普及計画は事実上消えてしまいました。あとは、パソコン各社それぞれ入札案件を取りに行く形で導入が進められましたが、入札疑惑、入札談合、入札収賄と事件が続き、導入しても宝の持ち腐れ論もかまびすしく、パソコン導入に関する世間のイメージはすっかりダークに染まったのでした。

そこから四半世紀近く、日本の学校の情報化(IT対応化)は極めてネガティブな空気感を伴ってしか、展開されてこなかったのです。たとえば、情報モラル教育が危険性を強調することでしか存在をアピールしてこなかったことは象徴的です。ある種の情報が人を喜ばせ、生活を豊かにするといった明るい方向性のモラルはほとんど語られてこなかったのではないかと思います。聞こえがいいこと言うのは宣伝ばかりだったともいえます。

そのためか、平成29年3月改訂の新しい学習指導要領やその関連文書には、環境整備の必要性を読み取らせ整備を迫る文言があちこち巧妙(?)に編み込まれており、呪縛を解こうと案じた様子が見えてきます。

ツケが大きくなり過ぎたことのケリをどうつけるのか。

Raspberry PiやIchigoJam、micro:bitといった比較的安価な選択肢が目の前にあっても、これをすべての子どもに配布するといった大胆な選択をとれない日本の現実こそ、本当は何とかすべきですが、すでに話が大きくなり議論の混沌を引き起こしているのは、これでお分かりいただけると思います。

十分な検討を経ず、徒然に書いたプログラミング体験・学習の議論に関する5つの混沌要因。

5つはもっと整理できるかも知れないし、5つだけではない他の要因もあり得るし、そもそもこの要因がわかったところで本来の議論に貢献できるとはいえないかも知れず、そういう意味でこの主張も、異論反論を必要としているものだと思います。

もう少しいろいろ考えて書ければと思いますし、もっと具体的に特定の論考を相手に議論を闘わせることもしてみたいと思います。

FileMaker Cloudを導入

りん研究室は、教育と情報の歴史研究に取り組んでいます。正確には、取り組むための文献資料集めと整理をしている段階です。長い時間がかかっていますが。

歴史研究には年表づくりが必要で、初期にはExcelファイルやGoogleスプレッドシートで作成していました。シンプルな表形式は便利なのですが、記録したい詳細情報が大きくなると参照が難しくなる弱点もありました。

それで数年前からFileMakerを利用したデータベース管理に移行して、データベースファイルをDropBoxに保存しながら利用していたわけです。職場のiMacや持ち運びのMacBookでFileMaker Pro等を起動して更新作業するスタイルです。

データベースによる年表項目の管理自体は問題なく運用できて、とにかく情報収集とデータ更新が目下の課題です。

ただ、唯一問題が残っていて、それは私がiPad Proのヘビーユーザーなのに、iOS版のFileMaker GoアプリではDropBoxに置かれているデータベースファイルにアクセスできないということ。ファイルは読み込めますが、作業結果はiPadのみに保存されて、共有しているデータベースファイルとは別物になり反映されないのです。

情報収集に図書館等へ行く際、持ち込むのはiPad Proが多くなっているので、そこから作業できないのは辛い。

これを解決する方法は、FileMaker用サーバーを立てること。

しかし、これまでFileMaker用サーバーは自前で立てる必要があり、運用コストもかかる手間もかかる状態でした。

2016年9月、この問題を解決する「FileMaker Cloud」がファイルメーカー社から発表されました。Amazon Web Services(AWS)というクラウドプラットフォームに対応したLinux版FileMaker Serverの登場です。

日本でも2017年7月からサービスが利用できるようになったので、早速利用を試みました。

FileMaker Cloudは、「AWSという外部に立てるクラウドサーバー」と「FileMaker Serverというデータベースサーバーソフト」の2つのセット商品と考えると初心者には分かりがいいと思います。

というのも、料金はそれぞれ別立てになっているからです。サーバー利用料とソフト利用料の2つ。

料金徴収の方法には選択肢があり、AWS(つまりアマゾン社)とFileMaker(つまりファイルメーカー社)のそれぞれ2社が用意したルールでそれぞれに徴収する方法と、AWS(アマゾン社)が一括して徴収する方法があります。

アマゾン社は、サーバーを時間貸しする料金体系がメインなので、一括徴収を選ぶとサーバーもソフトも時間料金で支払える特徴があります。ビジネス用途にはそういう方が便利なことが多いようです。

私のように「いつでもどこでもFileMaker使いたいんだよね」みたいな場合は、2社が別々に用意している割引制度を最大限利用するのが良いです。

FileMaker Serverは複数ユーザー利用が前提のソフトですから、お値段はそれなりに。FileMaker Licensing for Teams (FLT)というモデルは、普通に買うと最低クラス(5ユーザー向け)で約10万円/年間くらいします。(2ユーザー向けとか作ってくれるとちょっと嬉しいんですけど)

私は教育機関に勤めているので、アカデミックライセンスという形を利用して、約6万円/年間という料金でライセンスを取得しました。研究費はこれで吹っ飛んじゃいます。

AWSサーバーは環境を借りる手続きをすることになります。すでにAWSのWebサイトにはFileMaker Server用の環境セットがライセンスのタイプごとに用意されているので、今回は別々に料金を支払う用の「BYOL」タイプを購入する手続きを進めます。

この辺は全部英語で進むので、事前に「FileMaker Cloud入門ガイド」を読み、再度読みながら手続きを進めた方がよいと思います。AWSの知識や利用した経験がないと道に迷いやすいかもしれませんが、説明通りの手順を踏めばセッティングは可能だと思います。(追記:「FileMaker Cloud スターティングガイド」はさらに丁寧に解説してありますね。)

AWSのセッティングが終わると、AWSセッティング過程に入力したメールアドレスに対して、ファイルメーカー社へのリンクを含んだメールが届きます。そこからファイルメーカー社のWebサイトを開き、すでに購入したFileMaker Serverライセンス番号を入力してFileMaker Cloud用に変換手続きすることで、AWS側とFileMaker側が繋がって、利用が承認されるという仕組みです。あとは立ち上がったFileMaker用サーバーに接続するだけ。

晴れて、iPadのFileMaker Goからも統一的にデータベース更新作業ができるようになりました。

しかし、このままだとAWSクラウドサーバーの時間貸し料金が膨れ上がって大変なことになります。

もともとAWSをセッティングする際に、サーバーを置く場所(リージョン)を選択したのですが、実はリージョンによって料金が違うので、こだわりがなければ安い米国のリージョンを選択しておくことになります。反応速度云々はあまり気にしなくてよいと思います。

それから、サーバーの性能が決まる「インスタンスタイプ」というものも、初期セッティング時には選択をしておかなくてはならなかったのですが、FileMaker Cloudの場合は「t2.small」タイプが最低条件です。そしてランクアップするごとに料金も高くなります。反応速度はインスタンスタイプで決まると言ってもよいと思います。

私はt2.smallを選択しました。動作はもっさりですが,WebDirect機能も使うことができます。複数接続だときつい感じかも知れません。残念ながらt2.smallではFileMakwerデータベースをWeb画面で操作するWebDirect機能を使うことができないようです。(当初できなかったのは、FileMakerデータベースファイルに対して「WebDirect構成」していなかっただけでした。)ファイルメーカー社の技術仕様ページにも「*メモ: FileMaker WebDirectでのt2.smallの使用はお勧めしていません。」と注意書きしています。

お一人利用で安さ優先ならt2.small。複数利用ならt2.medium以上といった感じです。料金も倍々に跳ね上がりますが…。

さて、その上で、通常の時間貸しタイプではなく、年単位契約による割引タイプ「リザーブドインスタンス」を購入するのが重要です。これはサーバーを年単位でリザーブしておく権利を買うものです。

すでにインスタンスを立ち上げてあるのに、またリザーブドインスタンスを買ったら二重買いになるのではないかと不安になるかも知れませんが、これはすでに立ち上げたインスタンスに対して、リザーブドインスタンスという権利を適用するという形をとるので、同じリージョン内に同じタイプのインスタンス(t2.smallとか)があれば自動的に適応されます。

リザーブドインスタンスの価格は、リザーブする期間と支払い方法(全前払い、一部前払い、前払い無し)によって変わります。私は米国リージョンのt2.smallを1年間リザーブしたので、137ドル(約1万5千円)を全前払いしました。

というわけで、FileMaker Cloudを使い始めるためには、少なくとも年間12万円程度(教育関係者は8万円)が必要という支出規模になります。(FLTに2ユーザー向けライセンス設定があって少しでも安価になれば助かるなぁと思います。)

以上が、自分でFileMaker Cloudを立ち上げる際の大まかな流れやポイントです。

これとは別にFileMaker ProやFileMaker Pro Advancedを利用してデータベースやカスタムAppの設計開発をすることが必要なのはいうまでもありません。ちなみにFileMaker Serverには、サーバー接続用のFileMaker Proが付いてます。

「未来の仕事の65%が今はまだない」のその後

 2011年〜2012年頃に次のような文言が話題にのぼりました。

「2011年にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」(キャシー・デビッドソン氏(ニューヨーク市立大学教授)の予測)

この予測は,様々なニュースや記事で取り上げられて,国の審議会でも触れられるに至り,たとえば次のような文書にも注釈として引用されています。

20141222「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号)
20150217「産業競争力会議 雇用・人材・教育WG 提出資料
20150826「教育課程企画特別部会における論点整理について(報告)
20150826「教職員等の指導体制の在り方に関する懇談会提言
20161221「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)」 

ちなみにこの元ネタはニューヨークタイムズ紙のインタビュー記事とされています。

20110807「Education Needs a Digital-Age Upgrade」(NYTimes)

しかし,当の予測者であるキャシー・デビッドソン氏は,2012年から「65%」という数値を使っていないと告白しています。

I’ve not used the figure since about 2012

20170531「65% of Future Jobs Haven’t Been Invented Yet? Cathy Davidson Responds to Cathy Davidson and the BBC」(hastac)by Cathy Davidson

ご本人は,開き直ってか,「すべての仕事が何かしらで変わってる」(100% of our jobs have changed in some way, if not in the actual methods we use, then in their economics, delivery systems, or their future)と持論展開されています。

これはBBCのインタビューに呼応して書かれたブログで,ご本人の生声による弁明はこちらで聞くことができます。

20170530「Have 65% of Future Jobs Not Yet Been Invented?」(BBC)

 —

いったい「65%」の数値はどこから来たのか?

キャシー・デビッドソン氏本人が書いているように,Jim Carroll著『Ready, Set, Done』 (2007)を読んで,その引用を辿って閲覧したオーストラリアのWebサイトから,「65%」を別の著書で引用し,それを新著で再利用したのだが,もとのオーストラリアWebサイトが新しい政権になって閉鎖されたため確かめようがなくなったのだといいます。

この件については,

20170711「65% of future jobs, which doesn’t exist, 70% of jobs automated, just not yet」(SPATIAL MACHINATIONS)
20170708「A Field Guide to ‘jobs that don’t exist yet’」(Long View on Education)
20170706「The Undead Factoid: Who Decided 65% of the Jobs of the Near Future Don’t Exist Today?」(The Edtech Curmudgeon)
20161102「012 65%の都市伝説」(21世紀のヒューマン)
20150730「0085: 150730 「出典」は、果たしてどこに?(その2):”65%” の謎」(Here and Now 704 : いま、ここ、から。)
20150527「A Myth for Teachers: Jobs That Don’t Exist Yet」(Scenes From The Battleground)

といったWeb記事で話題にされていました。

10年ほど前に流行った「Did you know?」インフォグラフィックムービーでも同じようなモチーフのデータ提示がありました。こうした「未来への備えのために教育を変えなきゃ」言説は,関心を集めるのに便利であるため,私もやってしまっている側です。

それだけに,その根拠を確かめるところについても,気を配れたらと思います。