20111217 BEATセミナー「デジタル読解力を育てる情報教育」

 2011年12月17日に東京大学大学院情報学環で行なわれたBEAT公開研究会に出席しました。「デジタル読解力を育てる情報教育」というテーマでした。
 「デジタル読解力」とは,OECD-PISAが2009年に世界で行なった学力到達度調査結果の一部として2011年6月に入ってから追加発表され話題となったものです。(OECD東京の発表ページ)(OECDの発表ページ)(文部科学省の発表ページ
 日本ではPISA型学力なんて言葉が一部で使われることからも分かるように,国際学力到達度調査の結果を大変気にする空気があるため、PISAが提示してきた「デジタル読解力」に対しても気にしている人が多く,今回の研究会はタイムリーでした。

 ただどうも「デジタル読解力」とは何なのか,私たちが了解できているとは言い難い。このところPISA型学力という言葉とともに頻繁に引き合いに出される「21世紀型スキル」というものと何かしら関係があると考えられているのかいないのか。
 そういうことについて他の人が何か語っているのをあまり見たり読んだりしたことがなかったので,正直なところデジタル読解力というものについての議論にどんな幅があるのか計りかねていたのです。
 とにかくデジタル読解力というものについて皆さんが何を語るのか聴いてみようという感じでの参加でした。

 研究会の様子は早速Webの記事になっているようです(「今こそ必要な「デジタル読解力」、求められるのは「批判的読解」」PC Online)。
 記事の解説にあるような明瞭な流れとは対照的に,実際に参加しているときの私の認識は話の行方を追いかねていました。
 その原因は多分,デジタル読解力に過大な何かを最初から抱きすぎたせいかも知れません。この世界で多少はプロパーゆえ,議論の補助線を先取りしすぎたようにも思います。
 補助線は後から当ててみるから役立つのであって,先に引き過ぎてしまうと先入観となって認識や理解を縛ることを忘れていました。凡ミスですね。

 しかし記事を読んでも,従来型のプリントで提供される情報を読むのに必要となる読解力と比べて,「デジタル」な情報である場合に必要な読解力とで何が違うのかははっきりと明示されているとはいえません。
 記事の最後に「インターネットの情報を見るときには、教科書や書籍など紙に書かれた情報以上に信頼性や正確性を吟味しなければならない」とは書かれているのですが、その理由がいまいち伝わっていないように思えます。
 それに「批判的読解力」や「実践的な能力」といったことまで言うならば,なぜ「21世紀型スキル」まで議論を拡張しないのかという素朴な疑問もまだ残ります。
 当日の皆さんの議論や会話を聞いていると、どうやらデジタルという技術によって提供者と情報の幅が広がり,更新頻度が激しくなることが上記の「信頼性と正確性を吟味しなければならない」要因と考えられるようです。
 デジタルによって情報の提供コストが下がることで、信頼性の低い情報も高い情報と全く同じ調子で届いてしまうし、情報の更新周期が短くなれば耐用時間も短くなるため,得られた情報の鮮度によって自分の理解や解釈を柔軟に制御しなければなりませんし,自問自答の頻度も増やさなければならないかも知れません。
 おそらくこんなところなのでしょう。
 そして,おそらく日本の場合、デジタルはもちろんのこと、アナログな場合においても情報過多な社会ということもあって,学校教育でデジタル環境や活用が充実していない現実があっても「デジタル読解力」が想定しているいくらかの力が養われていたので調査結果がまずまずだったということらしいのです。
 
 そして,この手の話を「21世紀型スキル」という言葉ではなく,「デジタル読解力」という言葉で考えようとしている理由は,PISAという調査がプリントを使った「プリント読解力」と比較する形で,コンピュータを使った「デジタル読解力」を調査したから。
 つまり表面的にはPISAのテストが紙からコンピュータに変わるというだけの話なので、PISA的にはそれぞれで必要な読解力を「プリント読解力」と「デジタル読解力」と名付けてみたりしたのだけど,内面的にはテストのやり方が違うということが単にコンピュータの操作に慣れてるかどうかってこと以上に違う力が必要だということも分かってきてるので,それは確かに「21世紀型スキル」とかにもつながっていくかもね,でもPISAは「デジタル読解力」って言うけどね,といった具合なのです。

 まどろっこしい文を書いてしまいましたが、それは私が入り口を間違えたので遠回りしてしまったせい。他の皆さんにとってはシンプルな議論だったのだろうと思います。
 当日のグループディスカッションでは,少し論点のずれた事例だと分かった上で「同意ボタン」の例を投げ掛けてみたりもしました。
 私たちはインターネットのサービスなどを利用するために結構な頻度で「同意ボタン」をクリックすることが多くなりました。
 しかし,ほとんどの場合,同意しようとしている契約書を読むことはないですし、電子的に表示して読まされる契約書が頻繁に改変されていることにも無頓着だったりします。こうした形ですでに身近になっている電子的な契約書に対しての対応においてもデジタル読解力といったものが必要なのかも知れない…という投げ掛けでした。
 まあ,この事例の場合はちょっと違うのかなと思いますが…(この場合は法令リテラシーといったところかも知れません)。
 とにかく,デジタルによって提供される情報を読むことが多くなったのは事実ですが,そのために必要な力をどのような切り口で考えるべきかは,もう少し議論していく必要はありそうです。
 別の機会に,「21世紀型スキル」の定義や議論と合わせて,もう少し整理した文章を書いてみたいと思います。