いま何が起こっているのか…

 2012年師走も残る日数が少なくなりました。
 クリスマスの日、東京大学BEATメールマガジン「Beating」に私のインタビュー記事が載り、Webサイトにフューチャースクールの様子紹介を含んだ全文が掲載されました。
 Beating 特集 「いまどきのミレニアムキッズ」特別編
 林向達先生(徳島文理大学/准教授) ロングインタビュー
 「日本の初等・中等教育における教育情報化の現状と課題」全文
 http://blog.beatiii.jp/beating103_note.html
 どこかで読んだことのある内容をパクって話してるだけなんじゃね〜か?と感じるプロパーな皆様には大変物足りない内容ではありますが、クリスマス放談ということで3時間も自由に語らせていただいた結果です。
 
 要点は「歴史的な観点と世界的な観点から私たちの立ち位置を見直して理解を深めないといけませんね」ということ。そのためにも,教育の情報化の問題に取り組むことは大切である…と言いたかったわけです。
 教育の情報化が大事なのは,私たちが歴史的にも世界的にも自分を見直し育んでいくためであると言い直した方が良いでしょうか。他により良い代替があるなら,それを否定するものではないですし、共存或いは競争して切磋琢磨するまでです。
 多くの人は「私」が歴史的・世界的にどうあったり生きるかに関心が小さいので,漠然とした感覚で処理する人も多いのですが、「私たち」(社会)にとっては大問題なので、そのことを1,800もある地方自治体単位で理解してもらわないといけない。でも,説明説得するための材料も人材もぜんぜん足りないじゃん…という苦言を呈しているのがインタビュー前半というわけです。
 とにかく,教育の情報化を歴史記録や調査結果などを踏まえて議論できるよう,またその議論が散逸せずに交わるよう結びつける努力も合わせて取り組んでいかなくてはならないと思います。
 

 フューチャースクール推進事業は,自民党政権から民主党政権に交代したのを機に始まりました。気がつけば政権は再び自民党へと戻ることになりましたが、事業自体はあと残りの1年間,最後まで継続できるのではないでしょうか。
 『世界』2013年1月号から短期連載「デジタルは教育を変えるか」が始まったようです。筆者は,ジャーナリストの斎藤貴男氏。
 初回は「電子黒板のある教室」と題して,フューチャースクール実証校の一つである大阪府箕面市萱野小学校への参観や取材をベースに,まずはICTを取り入れた学校がどうなっているのかを描いくことから始めています。途中,何か言いたげな部分は出てきますが、元総務大臣の片山善博氏や「『デジタル教科書』推進に際してのチェックリスト」に関して日本物理学会理事の三沢和彦氏に取材するなど,基本的には淡々と現状を書き綴っています。

 デジタルと教育のことを考えたり議論したことがある人々からすれば、教育を変えるのはデジタルではないという結論は分かり切ったことです。
 一定の模範的な手続きで生きていくことが困難な世界になった以上,多様で複雑な条件を前提に自らの最適解を見出す生き方に長けていかねばなりません。あるいはその前提条件をひっくり返す力量や戦略を学ばなければなりません。そのために教育が変わらなければならないとすれば、実に様々なことを変化させなければなりません。
 その入り口を,教育改革と銘打って制度的な変化から取り組むのか、学校改善と銘打って経営や施設等の変化から取り組むのか、授業改善と銘打って教育方法や実践の変化から取り組むのか,教育の情報化と銘打ってICT活用や校務の変化から取り組むのか…いずれにしても入り口一つ選んで終わるわけではない以上,どの手段も等しく重要であり、等しく断片でしかありません。
 その上で,私は教育の情報化を入り口にすることが,教育へ変化をもたらす効果が高いのではないかと思い,この界隈で活動しています。
 教育の情報化議論をするとデジタルにのみ込まれて終わるような印象が先行してしまいがちですが、デジタルをどうバランスさせながら教育の場に生かすのかこそ,この問題において重要な論点だし、そのためにどんなリソースとサポートが必要なのかを教育の実践と平行して未来永劫問い続けなければならないのです。
 わりと誰もが好きな「黒板」も,教科教育や教授法の中で,「授業でどう板書すべきか」が延々と研究や議論されてきました。
 「ICT機器」の場合も,これから教科教育や教授法の世界で「授業でどうICT活用すべきか」が延々と研究や議論されることになるでしょう。それを先送りする余裕はなくなりました。ここで腹を決めて取り組むことが必要だということです。
 デジタルが教育を変えるのか?
 この乱暴な問いが生まれてしまう背景にある漠然とした不安が明確にされ、デジタルとのよりよい向き合い方を見出すのに役立つ示唆が,『世界』の連載から示されるといいなと期待しています。

 2012年12月19日にDiTTシンポジウム「地域から広がるデジタル教科書~先端自治体が描く未来~」があったようです。ニコニコ生放送でも中継されたので鑑賞しました。
 デジタル教科書教材協議会(DiTT)の活動報告とパネルディスカッションという構成でした。視聴した感想としては,大風呂敷を広げ,構想をいろいろぶち上げ賑やかだった立ち上げ当初に比べると,現実に即して堅実に活動を進めた一年だったのかなという感じです。
 学習者用デジタル教科書に関しては,2015年目標で実現することが困難なのは明確になってきたので、著作権に関わる問題などを解決する法案の検討作業とか,様々なメーカーが参戦できて利を分け合えるためにも標準化の作業を進めたり,賛同してくれる著名人や自治体を増やすなど,わりと地道な作業に着手しているという報告。
 後半は,先進的な取組みをしている自治体の首長や教育センター長,文科省の大臣官房審議官と総務省の政策統括官が登壇してのパネルディスカッション。
 確かに物事を決めるのに重要なポジションにいる方々なので、キーマン達であることは間違いないのだけれど,積極派ばかりだから話は簡単「決断するだけ」と問題を一蹴。あとは他の自治体に広めるためには様々な事例を出して真似したくなるように煽ることが大事というシンプルな結論に至ってました。
 1,800もの地方自治体を説得するのに,教育の情報化に関わる若手やコミュニティを増やさなくてはならない,繋げなくてはならないと私が考えているのも同じ発想なので、パネルディスカッション全体には異論なし。
 結局、DiTTのような団体の大きな問題は,教育分野に対する理解が深まっていなかった人々が「デジタル教科書」というキーワードだけでドンチャン騒ぎしながらやって来て、あちこちぶつかりながら渋々学習していく様子に,こっちが付き合わされていたことに起因する苛立ちや面倒くささにあるのかなと思います。
 いわゆる著名人グループと業界繋がりの人々によってコミュニティをつくって活動展開することは悪いことではないのですが、そういう人は雲の上の人たちなんですよね。
 たとえばパネルディスカッションに登場する文科省の大臣官房審議官という方は,政策決定に近い人ですが、実務を担当しているような局や参事官付とは違う立場の人なので,どこか縁遠さがあります。その代わり著名人の人たちと仲がいいわけです。
 「DiTTが何か活動している」とか「文科省の人が何か発言している」とかは,一般の人からすると何か事態が動いているように見えるのかも知れませんが、それが現実的な部分と繋がるには一段も二段も手続きをかいくぐってこなければならないのだというくらいの距離感で見ていただいた方が事実に近いのだと思います。

 でも,どうやら雲の上の人たちは,平成26年度以降にも何かしら教育分野の情報化事業を予算化できないか考えているようです。
 自民党政権になりましたから,たとえば「デジタル・ニッポン」戦略に沿うように復興に焦点を当てた教育の情報化を優先する形のものが出てくるのかも知れません。
 フューチャースクールでも防災対策や避難時のネット環境確保などが実証の課題に挙がったりもしていましたから、それをより推し進める形も可能でしょう。
 とはいえ,正直なところ,新しい政権が具体的にはどのような体制で今後の日本を運営していくつもりなのか,まずは見定めることが先決なのかも知れません。