20181217_Mon

センスメイキング』(プレジデント社)を手にした。

実はほぼ同じ主張をしている同じ著者の本『なぜデータ主義は失敗するのか?』(早川書房)を少し読んだことがあった。

簡単に書けば,データサイエンスといった自然科学的な手法に圧倒されるばかりでなく,人文社会科学的なセンスメイキングもお忘れなくという主張である。もう少し踏み込んで書けば,センスメイキングの方がより重要だということだ。

実はどちらの本にも,プラグマティズムの創始者として知られるチャールズ・S・パースが整理した「アブダクション abduction」(仮説形成)のことが触れられている。これは推論方法の一種で,よく知られている「帰納法」(induction)と「演繹法」(deduction)に並ぶ第3の方法とされている。

もともとは近代科学の方法を探究していたベーコンによって,単純枚挙による帰納法ではない「真なる帰納法」として模索されていた手法であり,その日本語訳が想起させるように,問題に対する仮説を形成した上でそれを検証するというものだ。単なる帰納法とも演繹法とも違う。

それで宿題を思い出した。

以前,ブログに「プログラミング的思考と論理的思考」を書いた。

そこで「問題解決に際して,帰納的思考を展開するのか,演繹的思考を展開するのか。そういう観点からプログラミング的思考と論理的思考を位置づけて論じること」もできるかも知れないと書いて,そのままにしていたが,ここに「アブダクション」(仮説形成)が登場する展開になるであろうことは容易に想像がつく。

端的に書けば,プログラミング的思考とはアブダクション(仮説形成)による思考のことである。

「プログラミング的思考」なる言葉を持ち出した人々が意図しているのは,プログラミング的思考の育成によってアブダクションにもとづく思考方法や手法が育成されることだといえる。

ところが,そのことを明確に意識して論じたものがほとんどないため,プログラミング的思考を論理的思考として検討する際に,帰納法的に捉えたり,演繹法的に捉えたりする視点が混在してしまい,議論が迷走してしまうのである。

たとえば,プログラミングにおける「順次」「分岐」「反復」という要素について,これらを用いてアルゴリズムを考えることが重要であるといった理解は,プログラミング的思考の演繹的な部分だけを見ているだけに過ぎない。

また,意図する動きを実現する方法に[いくつかの模範解答があると考えて、それらから記号や組み合わせを学ぶといった捉え方も帰納的な部分を試みているに過ぎない。]正解はないのだからどんな命令や記号でもよい,といった多様な方法を許容するという考え方は,逆に単純枚挙な(帰納的)態度が行き過ぎたものにも似たように捉えられる。コンピュータプログラミングには,計算処理コストなどの現実的な制約が存在する。(訂正:当初書いた内容だと、むしろ「真なる帰納法」に」近いものになってしまうことに気づく。アブダクションは発見の方法であり、仮説をどんどん形成することにこそ意味があるのだから。)

ここに第3の方法である「仮説形成」手法がプログラミング的思考を指向する際の基調になり得る余地が見出される。

もともと,教育学でお馴染みのジョン・デューイによる問題解決学習に関する言説を見れば,プラグマティズムの考え方があり,よってアブダクションの考え方も自ずと反映されている。問題解決としてのプログラミング的思考にそれを重ね合わせる考え方もそれほど目新しいものではないだろう。

しかし,いまだ「プログラミング的思考」にまつわる論説や議論において,明確な特性を示しえていない状態が続いているため,プログラミング的思考を「どのように扱うのが妥当であるか」の基準を個々の教員に持たせられないでいる。

ここではっきりと「プログラミング的思考とはアブダクションによる思考である」と措定し,問題解決の文脈で展開されてきた仮説形成と検証の蓄積を土台にしてコンピュータや情報通信技術の課題に取り組んだ方が,同じ悩むとしてももっと明確に悩めるのではないかと思う。

20181216_Sun

所属している児童学科で運動会。

学年を超えて学生たちが集まって対抗戦を行った。私たち教員も招待を受け,施設管理上の付添が必要ということもあったので分担しながら参加した。

基本的には観覧するだけだったが,学年対抗の際に1年生の人数が足りないということもあり,リレー競走で走ることになった。登板する覚悟はしていたが,日頃の運動不足と身体的加齢は不安材料であり,内心は冷や汗状態。

急激な運動が発生することを身体に覚悟させるために,短時間でほぐせるだけほぐして,いざ競技へ。アンカーから3番目の走者として,バトンを受け取り全力疾走した。前方の学生に追いつこうと必至に走ったが,そりゃ若さにゃ勝てんということで,順位を維持するので精一杯。

さっそく身体のあちこちが痛くなった日曜。

20181214_Fri

専門ゼミナールでは文献講読。

ライフロング・キンダーガーテン』の第4章「仲間」を読んだ。全体の中でも重要な部分で,空間デザインや学習コミュニティといったキーワードが出てくる。

グラフィカルなプログラミング環境として知られるScratchの誕生秘話というか,何を目指して開発されていたのかが読めるという意味でも本章は興味深い。

168頁で「多くの人はスクラッチをプログラミング言語だと考えています。もちろん,間違いではありません。しかし,スクラッチに取り組んでいる私たちは,それ以上のものだと見なしています。」と書いており,「若者がお互いに,創造し,共有し,学び合う,新しいタイプのオンライン学習コミュニティを創造することでした。」と書いていることはもっと広く知られるべき箇所だろう。他にもスクラッチの名前の由来なども書かれている。

学習コミュニティのオープン性について,たとえば他の人の作品をもとに何かを作るリミックスという仕組みに関して,従前の学校だとそれは不正行為と見なされていることではあるが,スクラッチのコミュニティではむしろリミックスされることは誇らしいことだと思える文化を醸成しようとしていることなども述べられている。

発表担当学生が一番気に入ったというのが「気遣いの文化」という節であった。

学生が印象に残ったとした部分は…あるスクラッチユーザー(スクラッチャー)の子が「スクラッチコミュニティの良いメンバーであるとはどういうことか」という質問に対して返した答えが「最も大切なことは,コメントで『意地悪に振る舞わないこと』」だった点(184頁)。

さらに,スクラッチのモデレーターがコメントやプロジェクトを削除しなければならないときに説明する内容として「スクラッチャーは,他のスクラッチャーが自分は歓迎されていないんだと感じさせない限り,自分の宗教的信念,意見,そして哲学を,自由に表現することができます」という部分(190頁)。この「歓迎されていないんだと感じさせない」という箇所が特に関心を引いたようだ。

またこの章では「教え方」について,良いメンターが「触媒」「コンサルタント」「媒介者」「コラボレーター」といった役割の間を行ったり来たりしていることが書かれていたり,仲間がいるだけでも十分ではなく,「専門家」を必要とする場合もあることなども指摘されている。

ここで論じられている学習コミュニティにおける気遣い文化を考えるとき,日本文化の角度から見るとまた違う課題もありそうな気もするが,その点についてはまた機会をみつけて考えてみたい。

残業はWindowsに泣かされる。

たまに使おうとするせいだとわかってはいるが,いざというときにまともに動いてくれないのが困る。

20181213_Thu

保育原理は保育士について。

あらためて保育士とはどのような存在か。国家資格化した経緯などから始めて,求められる倫理観や専門性について確認した。

保育士という国家資格は,たとえば「国家試験を受けない国家資格」とか「独立法令がない国家資格」とか,他に比べて残された課題の多い状態にあり,その社会的地位を向上するためにしなければならないことは山ほどありそうだが,実現には時間がかかりそうである。

授業回数も残りがわずかになってしまい,教科書の残りの部分をどうやって消化しようかと悩みが始まる時期。

卒業研究は,お尻叩きモードの時期。

ゼミ生には研究室を開放しているので,授業以外の時間帯は4年生達と過ごす。黙々と作業をするときもあれば,雑談したり,話し込んだり。こういう機会でもないと学生たちとゆっくり話すこともないので,これはこれで良いことだと思うし,研究室環境を改善した甲斐もあるというもの。

とはいえ,やはり毎度の反省。もっと早くから取り組んでくれていたら…と思うことも多い。本人たちも取り組みが佳境に入ったこともあって「もう少し早くから取り組んでいたら…」と思うところは同じ様子。次の学年は早め早めを促そう。

20181212_Wed

下手なくせに翻訳作業がしたくなることがある。

いわゆる「ハードファン」をちょっと味わいたい衝動に駆られるから。翻訳作業は,機械的に訳すだけで終わらない奥深さがあり,その部分を考えあぐねる苦労や辛さを乗り越え,膝を叩けるくらいの快訳がひねり出せれば,その達成感で楽しさを味わえる。

Micro:bit教育財団Webサイトで翻訳のお手伝いができそうだと風の噂に聞いたので,久し振りに翻訳ボランティアをしてみた。Crowdinという翻訳ツールサイトでmicro:bitサイト翻訳プロジェクトが進行しているので,Japaneseに参加申請して承認された。

参照されやすい部分は,先に作業してくださっている翻訳ボランティアの方々がすでに翻訳作業を終えてくださっているので,私はとあるスライド部分を中心に翻訳。あとは残された未翻訳部分を隙間時間を見つけながら翻訳していこうかと思う。

とはいえ,micro:bitサイトは外部サイトへのリンクも豊富なため,すべての英語情報を日本語翻訳することは不可能。これからはグローバルな交流活動も当たり前の時代となると,英語Webサイトに対する抵抗感を英語のままでも少なくするような意識醸成が必要かなと思った。