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 2012年5月16日から東京ビックサイトで「教育ITソリューションEXPO」を開催しています。せっかくなので教育ICTに関する最新動向の調査をするため参加してます。

 かなり大規模な展示会で、主要企業が何らかの形で出展してることもあり、情報収集には良い機会。しかし、平日開催であることや、来場者も教育企業や自治体関係者、大学関係者が多いため、小中高校の先生方にとっては距離が遠い催事でもあります。

 少しでも情報が伝わればと思って会場からのツイートをしてみたりしますが、前述したように客層が硬い人たちばかりなので、私以外のツイートはほとんどないといった状況ですし、大して反応もないのでちょっと寂しいところ。

 まぁ、教育展示会としては老舗のNEW Education Expoが別にあり、そちらは教育現場との距離も近いので、うまく棲み分けていると考えればいいのかも知れません。

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 さんざん教育のICTを追っかけているお前が展示ブースを見て回ることに意味があるのか、と思われてしまいそうですが、展示そのものよりもお客さんの反応を見に行っている部分も大きいのです。

 私自身にとってはだいぶ見慣れた商品やサービスを、普通の来場者は喰いついてるのかどうなのか...。

 今回、会場を回って感じたことは、目新しいものは多くないということです。

 ハードウェアに関していえば、電子黒板ソリューションが目立っていましたが、液晶やプラズマによるディスプレイの大型化というわかりやすい進化を除けば、電子黒板としての機能は何年も前からすでに出来上がっている状態。大手電機メーカーの決算に関する昨今のニュースを思うと、価格の問題は簡単じゃないことも感じます。

 また、情報端末に関しては、シャープの学習端末が目立って展示されている以外は、いずれも控えめな露出といった風で、学習者用情報端末に主役としての勢いはありません。タイミング的にWindows8待ちの中途半端な時期であることも原因でしょう。Androidに関してはフラグメンテーションやマシンパワー不足などがあともう一息で解消するという、これまた中途半端な時期だけに、本腰が入らないのも仕方ないのでしょう。

 ソフトウェアは、様々な企業が趣向を凝らして開発していますが、部分的な目新しさを除くと、ジャンルとしてはタイプがほぼ出尽くしているので、見た目や使いやすさで差別化をしていくくらいしかないといったところです。

 それでも教育の情報化市場の拡大を期待して、様々な企業がいまある商材を持ち寄って熱烈アピールをしているわけです。また、そうしたものに初めて接する来場者も少なくなかったりします。

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 幸い、フューチャースクールや学びのイノベーション、絆プロジェクト、教育スクウェア×ICT、DiTT実証実験などの実践事例が充実してきたこともあり、単に商品が存在するのではなく、具体的な活用と共に示されていることは今までにない傾向です。

 また、デジタル教科書に関しても、実際のデジタルコンテンツの充実と関係する団体や政府の動きの活発化もあって、盛り上がりが感じられるようです。

 こうした雰囲気が良い方向へと展開していくことを願いつつ、一方で、道具を活かすカリキュラムや教育方法の蓄積がますます重視されなければならないのだと思います。

 英国でBETTという教育とテクノロジーに関する展示会が行なわれている。毎年大規模に行なわれるので,世界中のICT活用教育関係者が注目したり参加したりしている。

 さまざまなブースが構えられた展示会も賑やかだが,同時に開催されているセミナーや講演会なども盛りだくさんで,英国の教育大臣がスピーチする機会もある。

 今年の教育大臣(Michael Gove)のスピーチがニュースになっている。

 今年9月をめどに現在のICTカリキュラムを抜本的に再設計するための作業に着手するのだという。もっと時代に合ったものにするのだとか。

 これだけならば,毎年行なわれるリップサービスみたいなものだが,どうもスピーチの内容が現在のカリキュラムについて過激に表現し,新しいカリキュラムの考え方が大胆でニュースらしい...。

 曰く,「現在のカリキュラムはとても取っつきにくく,意欲をかなり喪失させ,全然活気がない(the current curriculum is too off-putting, too demotivating, too dull.)」とか「現在のカリキュラムは英国の学生たちを技術変革の最前線で働けるようにはしない(the current curriculum cannot prepare British students to work at the very forefront of technological change)」など...。

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 一部のWeb記事では,WordやExcel,PowePointの代わりにプログラミング教育に力を入れるのだという解釈をしている。

 大学におけるコンピュータ・サイエンスを盛り上げようという文脈が語られたり,今どきの子どもたちはスマートフォン・アプリのプログラミングもしているといったエピソードも交えて話題になっているようなので,確かにプログラミングも新しいICTカリキュラムの射程に含まれるのだろう。

 ただ,それは単に最前線に関する分かりやすいトピックスがそれらであるというだけで,ことの本質は,変革する世界に学校教育とカリキュラムを合わせようとする,その動きそのものである。

 そういう意味では「学びのイノベーション」なんて名前を付けて何かをしようとしていた某国の取り組みは,発想としてはいい線をいっているし,それを主導できる世界的な人材も国内にあるのだから,やっと英国詣主義から抜け出すチャンスであった。けれども,政治の不安定さと経済不況がそれを不意にした...とでも書いておこうか。

 英国も同じ条件ではあるし,教師教育の問題,実際に組み立てられるカリキュラムに対する批判など課題も山積していて,今回のスピーチ内容が実現するのかどうかはいつもながら怪しいが,それでも,今回のスピーチに目新しい点があるとすれば「Disapplying the Programme of Study」という考え方である。

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 Gove教育大臣は「Disapplying the Programme of Study」として,新しいカリキュラムを、従来のように教育プログラムを開発して、教師研修をし、すぐ廃れてしまうGCSESテストを課すという手法では「やらない」と宣言した。

 「学校におけるテクノロジーは,もはや政府によって細かにマネジメントされません。教育課程を引っ込めることで,学校と教師が何をどのように教えるのかに関して自由にし,私たちが知るICTに大変革させます。(Technology in schools will no longer be micromanaged by Whitehall. By withdrawing the Programme of Study, we're giving schools and teachers freedom over what and how to teach; revolutionising ICT as we know it.)」

 そこに大学や企業がいろんな教育プログラムやリソースを提供する余地が生まれる...なんてことなども述べている。

 その他にも「An open-source curriculum」なんて言葉など,いやはやカリキュラムをいくらか生業としている人間にとっては垂涎ものの単語がオンパレードなスピーチであるが,こんなことを一国の教育大臣がスピーチするのだから,リップサービスで済まされるものではない。

 英国における教育の情報化は,学校と教師レベルに裁量を与える本格的な段階へと突入しそうな勢いである。それがどの程度のものになるかは,今後の行方を注視したいところだ。ってまた英国詣が賑やかになるのかな。

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 日本の場合,学校教育に関する学校や教師の裁量が限定的なものになっていることや,それを引き起こしている複雑奇怪な権限分散制度の問題など,改善したら良いと思われる事柄はとっくの昔から判明しているのであるが,残念ながら時間がかかっている。

 フューチャースクール推進事業などでは,事業の中で各学校にある程度の予算枠ようなものがあり,学校の裁量で若干のリソースをそろえられるという点など,現実として良い効果が確かめられている。ICT支援員さんが常駐していることもICT活用に幅の広さを生んでいる。

 もう少し学校が自分たちのカリキュラムに向きあうための権利やリソースを提供するという方向に向かわないと,日本の学校教育は,旧きものに縛られていることから抜け出すだけでも相当な労力を強いられ,新しい変革する世界に対応することに体力を向けられなくなってしまうように思う。

 新しいICTカリキュラムの中身も確かに大事だが,実は新しいICTカリキュラムを学校自身がつくっていける環境整備をするという点,もっと考えなければならない。


 先日,原稿依頼を受けたのでデジタル教材と教科書のデザインに関する原稿を書きました。

 「デジタル教材・教科書デザイン」という題目だけ与えられたので,それを純粋に引き受けた内容を書いたのですが,学校の先生向きの内容にはならなかったなぁという感じで終えてしまいました。

 思うに教材デザインという分野に関係するのは,教材開発することを商売としている人々がほとんどで、学校の先生方は教材デザインというより授業デザインを気にする人の方が圧倒的に多いはずです。

 それでもデジタル教材・教科書のデザインというテーマを論じる機会は滅多にないので、あえて変化球を投げてみることにしました。

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 デジタル教材や教科書の定義や理解のされ方に関しては,いくらか先行議論があるので,それを参照することから始めました。

 デジタル教材・教科書のデザインを論じるということは,デジタル教材・教科書とは斯くの如きものを論じるようなものなので,なかなか難しい。

 紙数のため十分な指摘は盛り込めなかったのですが,諸外国の「digital textbook」や「electronic textbook」という言葉は緩やかな括りになっていて,Web上で実現されている役立つ学習コンテンツなら何でも範囲に含めてしまうところがあります。

 それを日本で「デジタル教科書」と訳して理解しようとしたときに,眼前の検定教科書をデジタル化することを起点として議論が展開し、Webで提供されている学習コンテンツは「デジタル教材」であっても「デジタル教科書」じゃないよねみたいな理解が確立されてしまったわけです。

 正直なところ,海外の基準に照らせば、日本ほどデジタル教科書資源が豊かな国もないかも知れません。だから,海外からすれば、世界に誇る電子機器メーカーを有しているのに学校には端末が導入されず、少なくない学習資源を有しているにも関わらずNICERのような事業を停止してしまう,クレイジーな現実が理解できないでしょう。

 この時点で,日本におけるデジタル教材・教科書デザインの取り組みは,社会的な動きとして大いに理不尽なのですが、これをあえて日本なりの伝統的な教育方法の完璧主義がもたらした遠回りだと前向きに捉えることにして,ならば,どのようなデジタル教材・教科書が求められているのかを考えていくことが大事になります。

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 これまで印刷図書の教科書であれば、その編集や出版こそがデザイン活動でした。これがデジタル教材・教科書になった場合,これまでとは異なるデザインの考え方やり方が必要になります。

 そこでまずは教材の構造をコンテンツ,メディア,ツールの3つからなるものと考えて、それぞれの角度からデザインを考えていくことにしました。多少無理の生ずるやり方ですが,限られた紙数で考察するには,こうした方がマシなときもあります(マシなだけで良くはなりませんでしたが...)。

 いわゆる定番のインストラクショナルデザインの理論は無視できないので軽く触れた上で、デジタルコンテンツの代表ともいえるWebサイトの構築でよく参照される情報デザインとか情報アーキテクチャという知見も活かせることなど触れました。

 さらにデジタルデータの特性やデジタルデータを扱うツールのデザインも別途考えなければならないことをバタバタと触れて、最後にデジタル教材・教科書の本質は「履歴」をどう学習に活かすのか,ということだと指摘して紙数が尽きました。

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 相変わらず問いだけ発して終わってしまった消化不良感残る原稿ですが、言いたかったことは、「デジタル教材・教科書のデザインは授業・学習活動から逆算しなければならない」ということです。

 従来の教授・学習自体が,図書教材・教科書を前提として構築されてきた成果物なので,慣れ親しんだ印刷物(本や冊子)を使う限りほとんど悩みは発生しません。

 しかし,デジタル教材・教科書の場合、デジタルで記録されたコンテンツが同一だとしても,実際に操作するツールの使い勝手によって教授・学習活動は変わってきてしまいます。

 そのツールとは多くの場合,パソコンなどの情報機器ということになりますが,本や冊子のときにはあまり考える必要もなかった「安全性」「信頼性」「簡便性」といった要素を改めて吟味し、これらを満たさなければなりません。


 さらにデジタル教材・教科書であることの最大のメリットとは,履歴をとれることです。デジタル教材・教科書を使用して学習する過程を様々な方法で記録に残すことで,それを指導・学習の深化・促進に活かすことが可能となります(必ず活きるというわけではなく、活かすことが可能になるという程度のことだと自制的に理解したほうがよいと思います。学習の道具は,あくまでも道具なのですから...)。

 今後は,こうした活かし方ができるようにデジタル教材・教科書自体が進化していく必要があるということを示唆しました。

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 さてここに,とある文具店で写させていただいた風景写真があります。ノート売り場の棚です。主に小学生向けの学習ノートですが、様々な種類があるとわかります。

 デジタル教材・教科書に電子ノート機能をつけて,児童生徒が学習の記録を残せるようにしているものがたくさんありますが、残念ながらあまり満足のいく出来ではありません。

 こうした文具店の風景を見れば,ノートが如何に多様な目的や要望に合わせてつくられているかが分かりますし、簡単な電子ノート機能をつけただけでその幅広い要望を満たせるわけがないことも容易に納得できます。

 履歴を残すという以前に、私たちが教授・学習という活動で営んでいた諸々を,もっとつぶさに観察して理解していくことがとても大事だということが分かります。

 
 デジタル教材・教科書をデザインするとは,教授学習の文化を創造していくことですが、そのためには従来の伝統文化に対する真摯な対応を省略するわけにはいかないということを私たちは理解して、前進しなければならないと思います。
 

20110629 韓国・教育科学技術省
プレスリリース「"人材大国に向けた教室革命" スマート教育の本格的導入」(粗訳)
(原文:韓国教育科学技術省プレスリリースページ

□ 国家情報化戦略委員会(委員長イガクボム、以下"戦略委員会")と、教育科学技術部(長官李周浩、以下"教育科学技術部")は本日、大統領府で李明博大統領に"スマート教育推進戦略" を報告した。

※スマート教育:
21世紀の知識情報社会で必要とされるインテリジェントにカスタマイズされる教授−学習システム。カリキュラム、教育内容、教育方法、評価などの教育システム全体の変化を通して、いつでも、どこでも、個人の資質やレベルに応じた学習が可能な未来の人材育成システムを意味する。


[1] なぜ、スマート教育なのですか?

□ 新しいスマート教育に対するニーズは、最近のソーシャルネットワーク(SNS)、クラウドコンピューティングなどのIT技術の発展とスマートデバイスの急速な普及によって、個人の特性に合わせて差別化された創造的な学習への需要が増加しているところに見出すことができる。

※2011年末のスマートフォン加入者数予測 2,000万人(放通委、2011年3月)

□ 特に、最近発表されたPISA 2009 DRA(デジタル読解力評価)で韓国がOECD加盟国中1位を達成するなど、デジタル社会が整備され、生徒たちの未来のためにも教育パラダイムの転換が必要であるとの認識によるものだ。


※私たちの国の学生の情報化能力(2011年、行政安全部、韓国情報文化振興院)

- インターネットによる必要な情報検索能力(09年70.7%→'10年80.6%)
- 検索情報の質の分別についての自信(09年67.8%→'10年76.5%)
- 検索情報の目的に合った活用('09年68.6%→'10年78.4%)



[2] スマート、教育の目標と主な課題

□ 戦略委員会と教育科学技術部は共同で「スマート教育推進戦略」を策定し、国の教育競争力が2015年までに世界10位、2025年には世界3位に入ることを目標として設定した。

※主な推進課題

①デジタル教科書の開発と適用
②オンライン授業の活性化
③オンラインによる学習診断·処方体制の構築
④教育コンテンツの自由利用と安全な利用環境の整備
⑤教員のスマート教育実践力の強化
⑥クラウド教育サービスの基盤環境整備



[3] 書籍教科書を、デジタル教科書に転換

□ 2015年までに全教科の書籍教科書が、自己主導的学習を実現できる「デジタル教科書」に転換される。

※デジタル教科書:
教科内容と学習参考書、問題集、学習辞書、ノート、マルチメディア素材のデータなどといった機能が連携した未来型教科書(07年〜現在:モデル事業を推進中)

○ 政府が構想するデジタル教科書は、既存の教科内容に、様々な参考資料と学習支援機能が付加され、PC、スマートパッド、スマートTVなど、すべての端末で利用できる電子的な媒体として、教科書としての法的根拠を付与するための方策が推進される。

○ デジタル教科書は、2014年に小学校を皮切りに、2015年までに小、中、高校の全教科を対象に開発され、開発の標準と活用のプラットフォームを民間に提供し、開発会社の参加と、スマート教育、産業の活性化をサポートすることにした。

○ デジタル教科書は、学生には重いバックパックの代わりとして、保護者には学習指導の参考書を個別に購入する負担を軽減すると期待される。



[4] 正規教科でのオンライン授業の活性化

□ 学生たちの学習の選択を保証し、学業空白を最小限に抑えるため、正規教科のオンライン授業が活性化される。

○ 2013年からは自然災害、病気などによる欠席の学生を優先して、高校における少数の選択教科領域、中学校の集中履修対象学生に順次拡大する予定である。

○ オンライン授業は、やむを得ない事由により学業に空白が生じてしまう学生に学業継続の機会を提供し、専門教師の不足で必要な科目を選択できていない学生の学習選択を保障することになるだろう。

○ また、IPTVの活用サポート体制を強化し、私教育の需要が多い教科等に対して様々な課外プログラムを提供し、他文化の学生の韓国語学習の支援、コンテンツ制作と放送を体験するIPTV放送サークル活動も支援する予定である。



[5] オンラインでの評価および個別の学習診断−処方

□ スマート技術を活用し、中央及び市都教育庁、学校単位のレベルで評価方法を革新し、オンラインによる学習診断−処方体制を構築する。

○ このため2012年から市教育庁には基礎学力の予防・診断・指導システムを、学校単位にはオンライン実施による評価システムを構築し、2015年までに国家レベルの学業達成度評価を段階的にIBT(Internet Based Testing)方式に転換する予定である。

○ オンラインによる学習診断・処方体制は、学生のレベルを正確に診断し、それに応じた学習方法を提供することで、基礎学力不足の学生の学力向上に役立つと期待される。

○ また、紙ベースによる評価が中心の伝統的な評価手法をオンラインで実施する評価へと改善することにより、学生の高次な思考能力の評価が可能となり、教室での授業に大きな変化が予想される。



[6] 便利で安全な教育コンテンツ利用環境の整備

□ 教員と生徒が放課後の授業、休暇期間の授業など、通常の授業時間外で教育コンテンツを教育目的で利用できるよう制度を改善していきたい。

○ 教育関連機関の著作物の共同活用、民間レベルの自由利用許諾を表示(CCL)の運動を拡散し、教育コンテンツの寄付、分かち合いの文化を醸成していく。

※著作物の自由利用許諾を表示(CCL:Creative Commons License):
著作権の部分的共有を目的として、著作物の自由利用を許諾する表示制度

○ また、スマート教育の実施中に発生する機能障害を緩和するために、情報通信倫理教育と人格教育を強化する。



[7] 教員のスマート教育力の強化

□ スマート教育へのスムーズなパラダイム転換のために、教員研修と教員養成教育が強化される。

○ このために2012年から毎年、全教員の25%水準で、スマート教育に関する研修を実施し、2015年までに市・道教育町に合計17個のスマート教育体験施設を構築し、スマート教育の拡散速度に合わせて、すべての教師に向けてトレーニングとスマート機器を普及させる。



[8] すべての学校でのクラウドの教育サービス環境の構築

□ いつでも、どこでも必要な学習機会を提供するために、2015年までにすべての学校へクラウドベースの教育情報サービス環境が整備される。

○ このため、EDUNETをベースとして、すべての教材を網羅した国レベルのコンテンツ・オープンマーケットを構築、運営し、教育コンテンツの生産-流通-管理の好循環体制を用意する。

○ 全ての学校に無線インターネット網を設置し、スマートフォン、タブレットPCなど、どのような端末でも動作が可能な教育情報活用サービス体制の構築を推進する。

○ クラウド基盤の構築により、従来は分散して提供されてきた教育サービスを統合連携させることで、利用者が容易にアクセスできるようになるだけでなく、既存の情報化環境の構築コストを削減することが期待される。

[9] スマート教育の推進策

□ 教育科学技術部に「スマート教育推進委員会」を設置し、韓国教育学術情報院(KERIS)に「未来教育研究センター(仮称)」を設立して、スマート教育の推進体制を整える。

○ また、世宗特別自治市や先導的な教育庁に、スマート・トレーニングを可視化した未来の学校を試験的に導入し、現場の適用性を検証していきながら、徐々に拡大していく予定である。

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 米国2011年3月2日にApple社が「iPad2」を発表しました。

 療養中のジョブズCEOが登壇して,堅実にブラッシュアップを施したデバイスをお披露目したのです。

 ・2倍速く
 ・3割薄く
 ・1割軽く
 ・表裏カメラ
 ・iOS 4.3と新アプリ
 ・10時間バッテリーの維持

 これらを変に奇をてらわずにAppleの職人仕事で現物化したのがiPad2です。

 他社も最大限のスピードで追いついてきていますが,最終的な製品を芸術的なモノとして仕上げる部分において,ほとんどの追従製品(Copycat)が魂を込め忘れています。そのことをiPad2はあらためて白日の下にさらしてしまいます。

 昨今,ジョブズ氏がスピーチする際に登場する「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」スライドは,単に企業理念というだけでなく,製品から何を漂わせるべきかの重要な核心部分を表現しているのだと考えられます。

 後継問題が頻繁に取り沙汰されるApple社ですが,おそらく,これが後継に伝えるべきApple哲学だとジョブズが考えており,それを単に社内だけではなく社外の顧客にも伝えることで,単なるイノベーション企業に終わらない方途を見出そうとしているのかも知れません。

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 iPad2の発表は,待ち望んでいたものを素直に形にしてくれていることにホッとするとともに,再びワクワク感を抱くのに十分な内容でした。教育における活用にもさらに幅が広がりそうです。たとえば

 ・完全な画面の外部出力
 ・カメラ
 ・ビデオチャット機能

 の3つは,教室で使用する教育ツールとしての可能性を拡げます。

 初代iPadでは画面の外部出力が特定のアプリや場面に制限されていましたが,iPad2では制限なく画面で見ているものを外部出力できるようになりました。これで,iPad2に収めたコンテンツや興味深いアプリを自由に大画面テレビに表示できます。

 カメラは様々な対象を記録するのに役立ちます。子ども達の学習の様子をパチリと撮影して,授業内にすぐにリフレクションする(見返す)ことも出来ます。ノートや作品を教室の前の実物投影機のもとまで運ぶ余裕がないシチュエーションでは有効です。

 ビデオチャット(FaceTime)は,リアルタイムの交流学習の際に役立つでしょう。Skypeなどのビデオチャットツールと違って操作が手軽であることは,授業に使うツールとして安心感があります。交流学習みたいな授業は滅多にありませんが,滅多にしない特別なときだからこそ操作が簡単なツールは有り難いのです。


 これらはいずれも「先生にとって」のiPad2の魅力ですが,そうした教授ツールとして役立つことが証明されて初めて,学習ツールへの可能性も受け入れられる余地が生まれるのだろうと思います。

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 初代iPadが発表されて1年がすぎました。

 iPadが発表されたことに触発され,日本で初めてのiPad教育利用に関する集いを開いたのが昨年3月でした。

 あれから1年。タッチデバイスの教育利用に関する動きは山のように登場し,実際にiPadを導入して教育実践に取り組んでいる現場もあります。

 私自身は,その後,総務省のフューチャースクール推進事業に関わることになってしまい,iPadを学校教育に導入させるために始めた個人活動を本格展開させることが出来ずにいます。


 けれども,様々な人々がiPadに触発されて新しい試みにオープンになっています。

 もともとタッチデバイスが導入されること自体を目的とするのではなく,こうした新しいツールを足掛かりに,教育に関わる人々の学びがオープンになっていくことを期待していたので,個人的にはこの流れは良い流れだと考えています。


 私の関心は,テクノロジーとエデュケーションの交差点という,支線の小さな交差点ですが,そこで少しでも新しくオープンな流れが生まれることを期待しています。

 そういう意味で,テクノロジーとリベラルアーツの交差点を意識したApple製品は,常に強いインスピレーションを与えてくれます。今回のiPad2もきっと大きな(しかし静かな)影響を与えていくだろうと考えています。

 今回の駄文は、7NotesというiPadアプリを使って入力しています。このアプリがどのようなアプリなのかをご存知でない方もいらっしゃるかも知れません。これは、最近発売された文書作成アプリです。そして、その特徴は独自の手書入力機能(mazecと呼ばれています)を有していることです。

 従来までもタブレットPCには手書き文字入力機能が存在していましたので、それ自体は目新しいものではありません。教育らくがきでも、かつてThinkPadのタブレットPCで駄文を入力した経験があります。今回のアプリが面白いのは、手書き文字を認識しておきながら、文書に手書き文字がそのまま使われるという見た目が大変アナログな文書作成アプリなのです。

 残念ながらブログに使うためには手書き文字のままというわけにはいかないため、今回は従来と同じく文字変換していますが、手書き文字のままで作成すればPDF出力するという形で利用することが可能です。

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 現時点ではiPadの処理能力の限界に足を引っ張られているため、細かいところでまだ実用段階に至らないと感じる部分も多いのです。それでも、野心的な試みを一先ず形にして出したという点は大きく評価してもよいのではないかと感じています。


 何よりも教育の文脈で考えたときに、手書き文字を認識しておきながらそのまま文書として残せるという仕組みは、大きな可能性を秘めていると言えます。

 つまり昨今、デジタル教科書議論の中でも取り上げられているデジタルノート(電子ノート)の具現化に大きな一歩となる応用技術だと考えられるのです。

 学校教育における手書き入力とキーボード入力の使い分けや移行タイミングについてはまた別に考えるとして、この技術を学習用デジタルノートに応用すれば、子どもの手書き文字をノートに残せる一方、文字データとしても認識されているので後々の検索が可能となり過去のノートへのアクセスが容易になるというメリットが生まれます。


 これは教育クラウドとも連動した重要なメリットです。

 仮に教育版のオンラインストレージサービス(Dropboxのようなもの)が実用化されたときのことを想像します。

 子ども達はセキュアな個人のストレージ(ディスク)領域を持ち、通っている学校に登録してリンクさせ、通常はクラスのフォルダの中に自分のストレージ領域を見つけて利用します。学年があがったり、上の学校に進学しても登録を変更し、自分のストレージ領域をあらたな学校やクラスのフォルダから覗くだけです。そしてノートや作品を保存し続けていきます。

 このような個人ストレージ領域を持つ方法だと学校側は学校サーバーで個人情報を保持して管理をする必要から解放されますし、進級や進学の際のデータ移行や削除の手間を大幅に低減できます。学校教育から卒業後は、完全に個人のものですから、そのまま個人用のクラウド・ストレージとして利用を続けるか、個人で破棄・移行すればよいことになります。学校教育在籍中は無償かアカテミックプライスで提供してもらい、卒業後に有料サービスとして有償化するビジネスモデルを構築してもらえたらと思います。


 さて、このような教育クラウドの世界で、過去の手書きノートを後から参照したい場合を考えるとします。

 手書きノートを単にカメラで撮ったとか、スキャナで画像として保存した等の記録では、小学校から高校大学までに溜まった膨大な記録から希望のものを電子的に検索することは大変困難です。なぜなら、検索しようにも対象とするキーワードが文字データになっていないからです。

 しかし、あらかじめ手書き文字が文字データとして認識された状態のノートとして保存・記録されていれば、これを電子的に検索することができます。


 現実的に過去のノートを参照する機会やそのニーズがあるかどうかは、また別の議論になるかも知れませんが、膨大なデータを管理する側からすると、この技術が実用化されることは大きな飛躍を持たらしてくれることには違いないはずです。

 教育的な観点からしても、過去の学習履歴にアクセスしやすくなるというのは、学習指導上もちろんのこと、学習者自身にとっても過去の学習履歴を振り返ることで学習を深めるという手段を支援してもらえる点で大変意味のあることです。

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 と、ここまでずっと手書き文字を変換しながら駄文を綴ってきました。率直に書けば、それなりの長さの文章を手書き入力するのは、不慣れもあってやはり疲れてしまいます。キーボード入力にもそれなりのメリットがあるというわけです。

 しかし、手書きのゆっくりしたペースというものにもそれなりの良さがあるのではないか、そんなことを感じてみたりもします。

 ドン・ノーマン氏の『インビジブルコンピュータ』にはまだほど遠いですし、あえて手書きにこだわるべきかどうかの議論もあるとは思いますが、このような形でコンピータが透明になっていくのは大事な進歩だと思います。まだまだ磨いていく必要はありますけどね。

 フューチャースクール推進事業では、こうした最新動向に十分キャッチアップできませんが(それは悲しいかな、事業計画が先にあるためなんです)、議論は積極的にしていくつもりです。むしろICT絆プロジェクトなんかの方が取り組みやすいかも知れません。それともNTTグループのプロジェクトかな。

 りんラボはいつもの如く、勝手に動向追いかけていきます。

Becta閉鎖

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 英国の教育情報化を推進してきた組織Bectaが廃止され、Webサイトも閉鎖されることになりました。興味深い研究成果がたくさん公開されてきたサイトなので残念です。

 今後もアーカイブに残るそうですが、資料ファイルや動画がちゃんと残される保証は無い(経験上、こういうパターンで残っているのは難しい)ので、必要なファイル類はダウンロードして確保することにしました。

 結構時間がかかってしまいましたが、まあ、見たくなりそうなものはできる限り記録したので、またゆっくり読めたらと思います。

 果たして、日本はBectaのような組織を作ることができるのか。財政を考えると難しそうですが、教育情報化をしっかり進めるためには、そうした役割を担う立場をつくらなければならないと思います。

 http://www.becta.org.uk/

Androidに備える

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 徳島で「Androidセミナー」が催されたので出席してきました。いよいよAndroid陣営の勢いが本格化しそうなので,情報を収集しておこうと思ったからです。

 講演者もNTTドコモの方とAndroidの会の丸山先生というこの時期に贅沢な面々。大変興味深いお話を聞くことができました。

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 NTTドコモといえば,サムソンのGALAXY SとGALAXY Tabの発売を控えているわけで,そのお話も惜しみなく(?)お話しいただきました。

 ご苦労も多いようで「Twitterに書かないでくださいね」と釘指された話も多かったですが,ドコモとしてはGALAXYに大きな期待をかけ,単なる土管屋としてではないビジネス戦略を模索しているのは確かなようです。

 担当違いは重々承知の上で,教育分野・市場に対する取り組みは何かお考えですかと質問しました。領域としての重要性は認識されていらっしゃいましたが,具体的な取り組みはまだこれからといったニュアンスでした。

 この時期は,GALAXY始めとしたドコモのスマートフォンの普及とその事業を本格軌道に乗せることが最優先事項なので,たぶん来年になれば動きも見えてくるのかなと思いました。

 GALAXY SとTabの実物を触らせていただくことができました。

 GALAXY Sはハードウェアとしては立派な出来で,これならAndroidスマートフォンを持ちたいと思いました。すでに世界的なヒットになっていますので,売れないはずがないですね。

 GALAXY Tabも7インチタブレットとしてはありじゃないかと思いました。動作はSと同程度のように感じました。個人的には筐体のデザインをもう少しSのように薄さを意識したものにして欲しいと思いましたが,悪くはないです。

 Androidのハードとしては人に勧められるものだと感じました。

 残る問題はAndroid2.2のフィーリングが,まだiOSほどではないということ。滑るようなアニメーションで反応を返すiOSと比べると,カクッと止めが入る動きが残るAndroidは,せっかくのハードがもったいない感じがします。もっとも,これはバージョンアップとともに改善される部分だと思われます。

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 丸山先生は,CPUの処理速度の話から始まって,メディアの変遷を追っかけながらクラウドとユニメディアの時代について,壮大なスケールで語る中にAndroidを位置づける話をされました。

 講演のレポートが課題となっていたのか,徳島大学の学生さん達がわんさとやってきて会場は満杯。そのわりにはせっかくの質疑応答にほとんど質問の手を挙げないので,結局私がまた教育について質問。

 丸山先生としては,クラウドを基盤としたメディアとそのデバイスに接するのは当たり前となることを前提として,そうしたメディアやデバイスを教えられる人材がほとんど居ないということに危機感を抱いていらっしゃいました。

 つまり,教える人たちを教育しなければならないということの必要性を考えておられたわけですが,教育者を教育することの難しさについて,悲観的な回答だったわけです。

 あとで個人的に話の続きを聞くと,悲観していても仕方ないので,会としてもいろいろ取り組みをしていますというお返事でしたが,技術周りを中心に活動している皆さんにとっては,教育分野のことはなかなか手が回らず悩ましい問題といった感じでした。

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 現時点では,いろんな点でiOSデバイスが先行しているのは仕方ありませんが,マルチプレーヤーを受け入れるAndroidデバイスの方が今後爆発的な存在感を出していくことは間違いありません。

 教育現場における学習ツールにもAndroidデバイスのものが当然入り込みます。必然的に「文教製品」「学用品」としてのクオリティーを維持してくれるのかどうかが問われてくることになります。

 Androidについてもいまから注視しておくことが大事だと思います。

勝利の方程式

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 スクールニューディール政策が残した支流は,多少の混乱はあれど,教育の情報化に関心を集める程度には生き残っています。

 皆さんは同じくくりにしか見えないかも知れませんが,電子黒板と学習者向けデジタル教科書と一人一台タブレットPCは,まったく異なる文脈にあったもので,どれも十分な議論を尽くさないままに合流させられてしまったというのが本当のところです。

 たとえばフューチャースクールの取り組みにデジタル教科書の議論を重ねることは,よいことではありません。重なる部分があり得ることは認めますが,重ならない部分が多すぎて,実りある議論をあまり期待できません。

 斯様に私個人の中では分けて考えているのです。

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 すでに多くの企業が行動に移しつつあるので,特別目新しくはないですが,この日本で「教育用」あるいは「学用品」としての〈学習端末〉が成功するための方程式は明らかです。

 AndroidとHTML5とWebサービスを極めること。

 余力があるなら独自アプリでも新規プラットホームに手を出しても結構ですし,理想のデジタル教科書をつくるのも素晴らしいチャレンジですが,当面,上記の3つを最低限として標準規格をフォローして商品作りをする他,勝利する方程式はありません。

 Appleは特別。彼らは自分だけの勝利の方程式をもって,ユーザーを引き込むブランドを持っているのです。あの土俵は戦う場所ではありません。あそこはシャープに任せましょう。

 むしろ日本の電機メーカーにとっての警戒すべきはサムスンであることは明白です。技術力が劣っている訳じゃないのだから,素性のよいAndroid端末をつくってしまえば負けるはずはない。

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 コンテンツ企業はまだ時間稼ぎができますし,最悪,海外勢の襲来に対しては翻訳権契約でもして間をつなぐ策もあります。

 早く自社の商品をHTML5ベースに移植して,Webサービスとして提供できるようにすることと,EduMallのような課金・配信システムと対等交渉できる組織作りをしていくべきです。複数の課金・配信システムにコンテンツ提供するような形にできれば,ユーザー側のシステム導入の選択肢が増えるというものです。

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 将来はともかく,地盤をつくる現在において,シンプルなAndroidタブレットとPDFやePUBなどのコンテンツが各社から提供されれば,教育現場にも徐々に端末とコンテンツが浸透するはず。

 残る問題があるとすれば,体力が持つかどうかかも知れない。

 8月も終わりが見えてきました。まだまだ暑い日が続くようで,秋の気配に無頓着でいると,あっという間に冬に突入してしまいそうです。

 2010年8月26日付けで,「教育の情報化ビジョン(骨子)」が文部科学省より公表されました。これまで8回開かれた「学校教育の情報化に関する懇談会」や熟議カケアイなどの議論を踏まえて「取りまとめ」られたものです。
 来年度予算の概算要求直前のこの時期に出されたということからも,このビジョン骨子に基づく予算項目が盛り込まれることがわかります。

 まずは骨子の章立てを見てみることにしましょう。それと合わせて「ビジョン(骨子)のポイント」を比べてみると,疑問点が浮かんでくるかも知れません。

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第一章 21 世紀にふさわしい学びと学校の創造
 1.21世紀を生きる子どもたちに求められる力
 2.教育の情報化が果たす役割
第二章 情報活用能力の育成
第三章 学びの場における情報通信技術の活用
 1.デジタル教科書・教材
 2.情報端末・デジタル機器・ネットワーク環境等
第四章 特別支援教育における情報通信技術の活用
第五章 校務の情報化の在り方
第六章 教員への支援の在り方
 1.教員の役割と情報通信技術の活用指導力養成
 2.教員のサポート体制の在り方
第七章 教育の情報化の着実な推進に向けて
 
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 骨子本文の章立てと骨子ポイントの構造図は,基本的に対応関係にありますが,力点の置き方に(レイアウト制約の結果かどうかは,この場合置くとして)多少曖昧さを残しています。要するに「骨子」にも関わらず,優先順位が不明瞭なのです。


 まず,ビジョンが「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」を育むことをトップ目標に掲げていることは分かります。

 以下,この目標のために必要なことが,演繹的に(場合によっては帰納的に)指摘されたり,整理されたりしていきます。

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 トップ目標「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」のために,次に必要と考えられたのは「(21世紀にふさわしい学びの創造と)教育の情報化が果たす役割」であるとされます。

 実のところ,この部分がビジョン策定の根拠を提供する要であり,人々を最も納得させなくてはならない部分でもあります。

 「なぜ教育の情報化なのか?」「必要であるとすれば何から順に手を付けていくべきなのか?」その説明にどのような論理を用いているのか,手の内を見せて納得させなくてはなりません。


 ビジョンでは,骨子のポイントが整理しているように,トップ目標「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」とは,「知識基盤社会」「グローバル化」の世の中で生きていくための能力のことであり,「わが国の競争力や子どもたちの学力の低下」といった現状に対応しなければならないという捉え方です。

 そして,教育の情報化がそこで役割を担えるとした上で、

「情報活用能力の育成」
「教科指導における情報通信技術の活用」
「校務の情報化」

という三本柱と,それに付け加えて

「特別支援教育における情報通信技術の活用」と
「教員の支援」

が必要だと説明し,

「教育の情報化の着実な推進に向けて」必要な事項を最後にまとめています。

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 しかし,この問題の捉え方と立て方は正しいのでしょうか。

 そもそも,この問題の捉え方はこのビジョン特有のものではありません。これまでの教育課程審議や学校教育に関わる議論にもたびたび垣間見られ繰り返されてきた問題の立て方です。そして,残念ながら問題の立て方に関して疑念を呈した議論がほとんど見受けられません。

 こう考えるのは,「教育の情報化ビジョン(骨子)」が,過去先行した取組みを踏まえて,今回はこう改善したという事柄を(含んでいたとしても)明示していないからです。

 目新しい事項が,21世紀に入ったことや他国が先取りした新しい事例,あるいは「デジタル教科書」や「教育クラウド」の可能性では,焼き直しビジョンと言われても文句は返せない。

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 私は,ビジョンにおける問題の捉え方を反省的に表現すべきだと思います。

 つまり,旧来の学校教育が子どもたちの能力発揮の足かせとなっている現実について,もっと自覚的に捉えた上で,子どもたちの「知識」と「グローバル活動」を支える基盤としての学校教育を創造する〈ビジョン〉を描く必要があると考えます。

 そうした〈ビジョン〉を描く中に,足かせを解除する重要な手段として「教育の情報化」が主軸として位置付くのだと説明すべきです。

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 「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」を育むことの「足かせの解除」という捉え方で整理すると,先ほどの

「情報活用能力の育成」
「教科指導における情報通信技術の活用」
「校務の情報化」

「特別支援教育における情報通信技術の活用」
「教員の支援」

「教育の情報化の着実な推進に向けて」

という項目群に対して,考え記述することも変わってくるのではないでしょうか。

 「これこれが可能になったので取り入れたり対応する」こと以前に,「これこれするのを難しくしていた条件や規制を緩和する」方が大事ではないのか。


 私が今回のビジョン骨子に対して「屋上屋を重ねたもの」と感じるのは,反省的な視点が大きく欠けているためです。

 年度内に出されるであろう正式な「教育の情報化ビジョン」では,こうした問題の立て方を脱構築した上で,まったく異なる形で組み上げる必要があると考えます。

 そのような極端な提案が受け入れられないのであれば,少なくとも全ての項目について過去への反省を踏まえた改善案や具体案を含めるべきです。

 (そうしたとき,この議論はもはや日本の公教育自体をどう組み立て直すかというものに変わってしまうことは明白ですが...)

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 もっとも現実的には,「教育の情報化ビジョン」は,総務省,経産省との連携を前提とした現況において策定されるので,その作業は今まで以上に難しいことも理解できるところです。

 そのため文書として出てくるものに過大な期待を抱くことが所詮は無茶な話であることも了解すべきかも知れません。

 だとすれば,その策定にかかわる人々の議論が問題になるのですが,果たして,それが私たち国民に伝わり納得できる形で出てくることが無い以上,このビジョンはどこまでいっても国民にとって雲の上のものでしかないかも知れません。

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