最近の生物化学研究の成果発表について思ったこと

 1月は行ってしまいました。2月は逃げ、3月は足早に去ると言われるように,残り2ヶ月は気を引き締めないとすぐに年度が替わりそうです。

 ここ数日は,理化学研究所の女性研究員がノーベル級というか,学術的な常識をひっくり返す成果を発表し,世界を沸かせました。日本だけは割烹着に萌えたようですが,いずれにしても大きな話題になっています。

 「体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理」を発見したとするその成果は,一つの細胞が分化し生物が形作られれば,形作られたまま後戻りはしないという常識に対して,細胞を酸性にさらしたら,その形がリセットされて後戻りできましたという実験結果を突きつけたもの。そうやって出来た細胞(今回はSTAP細胞)は最初の出発点の細胞になるわけで,そういうのを「多能性細胞」と呼ぶそうです。別の方法でつくるiPS細胞もこの仲間というわけです。

 小保方研究員が記者発表で若返りにつながるかもと説明したのは,リセットすることが時間を巻き戻すことにも似ているのでそう夢を語ったと思うのですが,それはもちろんリップサービス的な部分もあって,現実はまだ何も言えないんじゃないかと思います。

 それでも,話に便乗してしまえば,細胞に酸性によるストレス(刺激)を与えるというのが今回の初期化する原理なので,オレンジジュース浴なんて美容サービスが登場して,酸性が人の細胞をリフレッシュするのです,とかなんとか宣伝が始まるかも知れません。

 私は,生物化学については素人ですし,ただの科学好きな一般人ですので,素人発想で様々な説明を読んで楽しんでみることしか出来ません。そんな私からすると,今回の発表は次の点が興味深かったです。

 ・研究環境の巡り合わせや研究者のキャリアの積み方
 ・理化学研究所のPR/コミュニケーション手法
 ・iPS細胞の生成方法との対比,報道の扱われ方の対比など

 文系研究者の私にしてみると理系の研究世界は,羨ましくもあり,理不尽でもあり,いろいろ眺めていると面白いです。そうした文脈から,どうしても研究者個人にも興味が湧いてしまうので,私も日本のマスコミがやっているおじさん的報道を興味深く消費している一人ということになります。若い女性が研究の道を歩むというのがどういうことなのか,それは知りたくなるのが人情です。

 一方で,割烹着姿や明るい壁とキャラクターに囲まれた研究室での様子を,結構いろんな角度から記録させた映像素材の露出を見て,理化学研究所という組織が今回の成果発表で用いたPR戦略に少し懸念も抱きました。

 戦略を間違ったというよりも,読み間違えたのかなと思います。関係者にとってみれば,iPS細胞に匹敵あるいは凌駕する成果ですから,むろん世間はSTAP細胞の成果の方に注目するだろう。iPS細胞関連の報道や出版物などの情報露出の実績を見れば,それと対を成す形で今回のSTAP細胞を扱ってくれるはずだ。小保方研究員は,そうした研究成果を一般にも知ってもらう良いキャラクターになるだろう。そんなふうに考えていたのだと思います。

 理化学研究所のWebサイトのトップページには,小保方研究員の写真が登場しますが,それは女性研究者としてのふつ〜の写真で,これが他の研究者(男女いずれ)であったとしても,扱いが違うということはなかったのだろうと思います。ただ,人物を持ってきた時点で親しみを持ってもらおうという含意はあったにしても。

 そのあと,きっと研究室公開の段になって,広報関係者にも多少は不安がよぎったのだろうと思います。研究所内では見慣れた光景が果たしてマスコミに流れて何か言われないだろうか。スポーツ紙やネタ系Webニュースサイト,2chやTwitterなど,広報関係者もちょっとは騒がれるだろうなぁ…とそれらが頭をよぎったでしょう。

 そうした胸騒ぎはあったのだと思いますが,今回の発表内容の凄さを考えれば,一研究員への関心は一過性だろうと思えたのかも知れません。それに,相手は世界です。科学研究なんて普段は気にもしない日本のマスコミのことより,世界に向けて成果を発信することの方に気持ちが向いていたとしても不思議はありません。

 さすがの理研広報も,まさか日本のマスコミ全部が割烹着萌えになるとは思わなかったのでしょう。ある意味では,読みが甘かったのでしょうし,理研が思う以上に日本のマスコミが幼稚化していたということかも知れません。

 結果的には,一研究員のプライバシーに関する報道合戦になって研究活動などに支障が出たため,報道関係者へのお願い声明が出るに至っています。

 関心は持ち続けて欲しいけれど,普段は放って置いて欲しい。研究者とはわがままな職業なのだとご理解いただき,放って置きながらお付き合い願えればと思います。

 ところで,STAP細胞の可能性なのですが,私は今回の原理が生後間もないマウスによる実験に限局されるという点が今後どのように打開されるのかに関心を持っています。

 素人考えですが,外部からの酸性による刺激によって分化状態の記憶を初期化するという説明から考えるに,それは分化して間もないから可能であって,分化して時間が経過した場合にはより強い刺激が必要だとか,場合によっては外部の刺激では初期化できない可能性が残っているということです。

 細胞の単位時間スパンもわかりませんし,細胞レベルのことを人間の活動レベルに当てはめて考えることは非常識なのかも知れませんが,長い時間慣らされた状態を解除することは大変難しいはずです。

 であるからこそiPS細胞は遺伝子を使って細胞を操作するというやや強制的な方法によって多能性細胞へと導いているのであって,もし本当に大人の細胞に対してもSTAP細胞の原理が適応できるようになれば,これは世紀の大研究ということになるのだと思います。

 とはいえ,その可能性を指し示したということだけでも,今回のSTAP細胞の功績はとても大きいということになります。

 一般常識的には,仮に大人の細胞や人の細胞に適用できなかった場合,今回のSTAP細胞の原理発見も「意味はなかった」とか「役に立たなかった」という評価を下されるのだと考えがちです。だって,「なんだ若返りの薬が出来るものじゃないのね」とか「すぐには役立たないんだ…」とかいう落胆の声は普通に聞こえてきそうですから。

 ここが科学研究とか学術研究と,世間一般常識との相違点,あるいは理解の溝みたいなところですが,こういう基礎研究というか,積み重ねのための一石は,科学研究が積み上がる(あるいは押し広げる)ことに貢献するかしないかが重要点で,その研究そのものが社会的に役立つかどうかは第一義ではないのです。それは言葉にすると「数百年後の人類のための研究」といった風に説明されて納得することになるのですが,日本の場合,それを実感できるようには理解してもらえないことが多いのです。

 もちろん,そのような状況は少しずつ変わってきているのですが,分かり始めた層と分からない層が入り交じっているのが現実で,そうした混沌を象徴しているのがマスコミ報道なのかなとも思います。

 今回の件は,教育と情報について理解を得ようとする動きにおいても,情報認知の仕方について大いに考えさせるものでした。

 教育と情報の分野では,学校の先生たち以外だと,ほとんど男ばっかりのおっさん集団がやっているので,そりゃおっさんがおっさんにアプローチしてちゃダメだなぁとw。

 かと思えば,外野の女性方が時々発する情報は,どこか浮世離れというか,本丸じゃない部分が多いというか,好きな部分だけ食べ歩いているというか…。そうでない女性もいらっしゃるとは思うのですが,まだそういう方とお仕事をしたことがないので,今のところ私の中では「教育と情報の世界はおっさんばっか」という感想になっています。

 さて,駄文が過ぎました。今月も頑張ろう。