平成22年度から平成23年度へ

 いよいよ年度替わりを迎えます。
 りんラボにとっての平成22年度は,実に慌ただしいものでした。一年前の記録を振り返れば,ブログにはiPadの話題が溢れています。
 そう,まさにiPadの年(Year of the iPad)だったわけです。
 りんラボとして平成22年度はタッチデバイスの教育利用に関して邁進しようと考えていました。
 授業と校務の隙間で文献資料集める日々が始まり,iPadアプリの開発にも意欲を見せていました。学会でのワークショップ実施とか,アプリのプロトタイプ開発までやっていたのは確かです。
 しかし,もう一つ大きな仕事を請け負っていたのも平成22年度でした。
 総務省のフューチャースクール推進事業です。年度後半は,どっぷりとそちらにはまり込んでしまいました。
 たくさんの人間が関わる国家事業の一部ですから,できるだけその背景を理解する努力が始まりました。国の仕事に関わるのは初めて,その流儀は誰も教えてくれませんので,周りに迷惑をかけながらもぶち当たって確かめるの繰り返しをしていました。
 そんなことをしているうちに平成22年度が過ぎ去ろうとしているわけです。

 さて,平成23年度の予定。
 ・フューチャースクール推進事業
 ・教育の情報化に関する本を執筆
 この2つを中心に進めていく予定です。
 フューチャースクール推進事業では,文部科学省の学びのイノベーション事業も自動的に関係することになるので,それなりに対応しながら,またいろいろ発信してみます。
 本を書いてみようというのは個人目標で,自分が関わったことや調べたことをまとめるタイミングかなと考えているということです。PDFで公開しながら執筆していきたいと思います。
 平成23年度は,担当する授業の時間割りがさらに不都合な散らばり方になり,外部で仕事するのが難しくなりそうなので,閉じこもって文章を書こうというわけです。
 あとは,隙間でプログラミングでもして気晴らしをしようと思います。
 さて,平成23年度も頑張りましょう。

教育の情報化ビジョンの行方

 もうすぐ平成22年度が終わり,平成23年度がやって来ます。
 平成22年度中に策定される予定とされたものはあれこれありますが,教育と情報に関連して一番注目されているのは「教育の情報化ビジョン」でしょう。
 学校教育の情報化に関する懇談会で検討され,3月16日に予定されていた第12回を最終機会としてビジョンが示されるはずでした。
 しかし,ご存知の通り,3月11日の大震災の影響のため,この回は取り消され,構成員間でのメールのやり取りによって最終的な検討に代える 延期とされ,調整の上で4月中に開催される予定となり,その後にビジョンも発表するとされたようです。(追記:当初の記述は誤りでした。こちらの記事を参考に訂正します。)
 ここ数日,従来は熟議カケアイのサイトに保存していたこれまでの議事概要を文部科学省サイトにも転載するなど,いよいよビジョン公開に向けて準備に入り始めた動きを見せています。

 すでに「教育の情報化ビジョン」の骨子本文案は掲載されていますので,これまでの慣例からすれば部分的な修正を除き,素案内容が正式なビジョンとして策定されることになると思います。
 ビジョンの章立ては次のようなものになっています。

  • 第一章 21 世紀にふさわしい学びと学校の創造
  • 第二章 情報活用能力の育成
  • 第三章 学びの場における情報通信技術の活用
  • 第四章 特別支援教育における情報通信技術の活用
  • 第五章 校務の情報化の在り方
  • 第六章 教員への支援の在り方
  • 第七章 教育の情報化の着実な推進に向けて

 懇談会構成委員はもちろん,4つのワーキンググループに集まった外部の方々を加えた有識者による議論が盛り込まれた内容です。
 この教育の情報ビジョンが2020年に向けて日本が取り組むべき施策の方向性を指し示していると位置づけられるわけです。

 しかし残念ながら,学校教育の情報化に関する懇談会において,これら項目や工程に関する優先順位の議論は,最後の最後まで行なわれませんでした。
 月並みな批判の言葉を使うなら,ビジョンの内容は総花的で,長期に及ぶ取組みの過程で早期に取り組むべきものと積み重ねた上で取り組むべきものといった計画を組むために必要な指針は明示されているとはいえません。
 各項目はどれも重要であり,どれも可及的速やかに取り組むべきなのだという風に彩られています。
 「これはビジョンだから…」
 という指摘もあり得るでしょうが,個別項目のビジョンだけでなく,「教育の情報化」という総体的な取組みに対する展望を示す中に,2020年なりそれ以降への見通しを持った流れを描くことも含まれてよいはずです。
 ところが,その部分について教育の情報化ビジョンが何をどうしたのかといえば,附属資料として高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部が策定した「新たな情報通信技術戦略工程表」を添付した形で終わっているのです。
 この工程表は懇談会の議論が反映されたものではありません。
 工程表は2011年度をスタートラインとして,非常に多くの取組みを「よ〜いドン!」とスタートさせ,2020年に向けてどの取組みも期間がぼよ〜んと延び続けるように描かれています。工程表としての鮮明さを欠いています。
 そのうえ,教育情報ナショナルセンターといった運用停止が決定したものについて,体制や機能強化に関する記述もそのまま。これを添付したものを新しいビジョンとして提示することに,実質的なプラス効果があるのか疑問です。
 なぜこんなことになってしまっているのでしょうか。

 この問題には行政論理といった修正困難な要素が大きく関わっています。
 けれども,もう少し別の角度から考えてみましょう。本当にそれは修正なり,もう少し妥当なものへと前進させることは出来なかったのでしょうか。
 多少意地悪とは思いますが,懇談会構成員に目を向け,この懇談会がどのような人々によって進行されていたのかを確認してみることにしましょう。
 以下が,構成員の名簿を生年順に並べたものです。
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【学校教育の情報化に関する懇談会・構成員22名】
生年  年齢
1945  66  村上 輝康  株式会社野村総合研究所シニア・フェロー
1946  65  安西祐一郎  慶應義塾大学理工学部教授
1949  62  三宅なほみ  東京大学大学院教育学研究科教授
1950  61  若井田正文  世田谷区教育委員会教育長
1951? 60  重木 昭信  株式会社NTTデータ顧問、社団法人日本経済団体連合会高度情報通信人材育成部会長
1953? 58  市川  寛  東京書籍株式会社編集局ソフトウェア制作部部長
1953  58  馬野 耕至  読売新聞東京本社メディア戦略局専門委員
1955  56  西野 和典  九州工業大学大学院情報工学研究院教授
1956? 55  大路 幹生  日本放送協会放送総局ライツ・アーカイブスセンター長
1956  55  玉置  崇  愛知県教育委員会海部教育事務所所長
1958  53  陰山 英男  立命館大学教育開発推進機構教授
1959  52  関口 和一  日本経済新聞社産業部編集委員兼論説委員
1960  51  野中 陽一  横浜国立大学教育人間科学部准教授
1961  50  天野  一  社団法人日本PTA全国協議会副会長
1961  50  小城 武彦  丸善株式会社代表取締役社長
1961  50  中村伊知哉  慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
1962  49  新井 紀子  国立情報 学研究所社会共有知研究センター長
1964  47  堀田 龍也  玉川大学大学院教育学研究科教授
1972  39  國定 勇人  三条市長
?     五十嵐俊子  日野市立平山小学校校長
?     千葉  薫  仙北市立生保内小学校学校支援地域本部地域コーディネーター
?     宮澤賀津雄  早稲田大学IT教育研究所研究員(研究総括)
 ※公開されている情報を収集して生年を付させていただきました。「?」は推定または不明です。年齢は2011年から生年を単純に引いただけですので正しくないものもありますが,おおよその世代を知るのが目的なのでご容赦ください。
 (計22名:30代 1名/40代 2名/50代 11名/60代 5名/不明 3名)
===
 
 構成員のほとんどが50,60代であり,30,40代はごく限られた人数です。
 上位世代が情報化を議論するのにふさわしいとかふさわしくないという議論をしたいわけではありません。しかし,このような極端にアンバランスな年齢構成は,本当に次代のための議論をするのに適していたのでしょうか。
 確かにワーキンググループのメンバーの年齢構成も加味する必要があるかも知れません。もう少し多様性が確保されている可能性もあります。
 しかし,肝心の親会の構成員がほとんど50,60代で,ネット世代との掛け橋となる30,40代が少数では,そもそも発言回数的にも不利であり,10,20,30,40代の問題意識をどれだけ議論に反映し得るのか,し得たといえるのか,はなはだ疑問です。
 振り返れば,長年の専門的経験にもとづいて未来や新しい教育を見通して発言された多くの知見は,無意識のうちに上位世代が下位世代のために展望を指し示してあげているというような構図になっていないでしょうか。
 本来ならば,この日本がガチガチと組み上げてきてしまった制度や条件のために,次の世代が取り組みたがっている新しい試みが思うようにできないといった問題を解決するのが重要ではないのか。
 それを上位世代がいまだにメインを陣取って,自分たちの方がよく分かっているからと,代わりに新しい試みを描いてしまおうとしていないのか。
 そうした善かれと思っているお節介を国家規模的にやってしまっていないかということを今一度考えてみなければなりません。

 教育の情報化ビジョンは,確かに従来までの知見の集大成です。
 この国はここに書かれた事柄に取り組んでいかなくてはなりません。
 しかし,このビジョンには,余白がなさ過ぎる。
 老婆心が集積され,粗削りな挑戦を後押ししているとは言えない。
 優先順位を付けることさえ放棄したビジョンは,私たちがその先を見通すように導くどころか,今後いつも振り返って配慮しなければならない文書になっている。
 
 ビジョンが公開された後,私たちは解釈を繰り返し,解説を繰り返し,2020年に至るまで,見通しの悪い議論を繰り返すことになるかも知れません。

ご卒業・ご修了おめでとうございます

 この時期は卒業・修了,また異動などの見送りとお別れの季節です。

 私の職場でも先日,卒業式が行なわれました。そして私の古巣でもたくさんの後輩たちが卒業や修了を迎えて新たな場所や時間へと移ろうとしています。

 この職に関わって十何年が経ちました。時間ばかりが経って,私自身は相変わらずで恥ずかしい限りですが,見送る立場をそれだけ繰り返したことになります。

 基本的に別れは好きではないので,その裏返しで他人に深入りしない質です。

 教え子たちのほとんどが「女の子」なのは幸いで,もともとうだつが上がらない男性教員には関心もないし,卒業してもほとんど会うこともないので,見送る寂しさに耐えれば,それでまた次へと進む,その繰り返しで過ごせます。

 時々,教え子たちは元気にしているだろうかと思いを馳せることはあります。

 けれども,「教え子」という不特定多数の集合体となった,その一人一人に対しては,所詮,私自身がやろうとしていることでエールを送ることしか出来ません。だからもっと精進して頑張らないと。

 数々の仕事でご一緒した方々のことも,また思い返すことがあります。

 思い返す人が多くて,そして私の記憶力の悪さが祟って,もはや顔と名前が一致しないということも多いです。何かの機会に再会しても,ど忘れしていることもあります。

 それでも,ご一緒していたことは嬉しいことであるし,そのことに感謝もしています。こちらもまた,ご恩を返すために自分自身の仕事を頑張らないと,と思います。

 私は40歳になりました。

 もう30代ではありません。そのことの意味を考えて,行動にも移さなければならないとは思います。

 才覚溢れる若い人達はたくさん居ます。その人達が今の時代を切り開くことが出来るように,私は何かをどける役目を負っているのかも知れない。そう思うことがあります。あまり気持ちのよい喩えではありませんが,土砂や瓦礫を除去して仮の道路スペースをつくるような仕事のイメージです。

 もちろん,何を求められているのかどうかに拠ります。もっと創造的な仕事が望ましければ,積極的にそれに関わっていきたい。

 そして,いつか私のラボに教え子が出来たら,彼,彼女等とあれこれやってみたいと思います。それまで「りんラボ」は,教育と情報界隈を放浪する一人の研究者の旅路として続きます。

 新たな時間を迎えるすべての皆様に,心からのエールを送ります。

東京で地震に遭遇しました

 3/10からセミナー参加や資料収集のため東京に出かけていました。
 3月10日のお昼の飛行機で羽田に到着して,そのまま東京大学に向かいました。まずは出身研究室にお土産を届け,夕方にある外部でのセミナーまで教育学部の図書室で資料漁りをしていました。
 外部でのセミナーが終了した後は,特に宿も決めずに上京したので,以前住んでいた池袋に足が向いて,そこのカプセルホテルで一泊。
 その日は平穏な東京滞在でした。

 3月11日の朝は,国立国会図書館へ行こうか,東京大学へ行こうか,迷った結果,東京大学で一日粘ることに決めて出かけました。
 普通の金曜日の朝でした。
 午前中は,書棚の間を巡って文献を探し出し,積み上がった文献をひたすらコピーしていました。2時間弱くらい,ずーっとコピー機の前で文献をひっくり返してボタンを押していたわけです。
 お昼ご飯時でしたが,納得のいく資料がまだ探し出せていなかったので,引き続き書棚の間にたたずんで,古い雑誌をローラーで眺めていました。
 欲しかった情報が見つかれば,紙のしおりを挟んで積み上げて,後でまとめてコピーするために,ずーっと書棚の間で探し続けていました。
 そんなことをしているときにゆらゆらと来たのです。

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 少し待てば収まるだろうとじっとしていましたが,揺れは続きます。
 あまりに続くので,大きく広い自習机のあるところに出て,他の利用者と顔を見合わせました。声も出さずに「…大きいですね…」と口の形だけで確認し合いました。
 やがて女性の司書さん達が「きゃ〜たいへ〜ん」とこちらにやってきます。
 「ちょ,ちょ…,動かないほうがいいですよ!」
 揺れは依然として続く中,司書さん達に声を掛けます。
 一人の司書さんが私たちの居る机のところまでやって来たところで,揺れが一弾と強くなって,私たちも「机の下に!」と隠れると,地震シミュレーターで体験したことのある,あの強い揺れが図書室を襲いました。
 教育学部の建物は歴史がある古い建物の上に,私たちが居る図書室は最上階である4階に置かれているので,それもあって揺れ幅が大きかったのかも知れません。
 机の下に隠れている間,文献図書がばっさばっさと落ちてきて,書棚はぐわんぐわんとたわみ,私たちも強い揺れに振られる中で,日頃の冗談を悔いました。
 「本に埋もれて死ぬのは本望」と研究者魂を喩える話として冗談を言うのですが,本当に埋もれて死ぬのは洒落になりません。
 ようやく揺れがおさまって,あたりを見ると写真の感じ。
 みんなで建物の外へ避難し,お互いの安否を確認したわけですが,さすがに図書室に戻ることは出来ない状態。「このまま閉室ですよ…ね」「そうですねぇ」てなことで,欲しかった論文をコピーできずに図書室から強制退去させられてしまいました。
 図書室の復旧もいつになるやら…。

 そして,福武ホールにある古巣の研究室に避難をして後輩たちと再会…
 …したのも束の間,2度目の大きな揺れがやってきて,またもみんなで机の下へ。
 福武ホールは安藤建築として有名で,その安藤さんは阪神大震災のことも念頭に建築物を設計してきた方ですので,耐震性についてはどこよりも安心できます。
 しかし,地面とともに大きく揺れることには変わりなく,乗り物酔いのような気持ち悪さが襲ったりと,不安な事態には変わりありません。
 その後は,大学の避難マニュアル通りに行動することになり,情報学環の本館前に集合することになりました。
 全体の安否確認が行なわれるのですが,外部からの来校者も含む大勢の人々を誘導することも難しいですし,建物の現況などの把握も時間がかかります。その間も,幾度も余震が感じられました。
 とりあえず安否確認後は大学業務も中断され,解散となったわけですが,この時点で,今回の地震の全体像を把握していた人はほとんど居なかったと思います。駅などに帰宅困難者が溢れ返る事態になっているとは誰も想像していなかったのではないでしょうか。
 宿泊先も確保していない私は,とりあえず福武ホールに戻ることにしました。
– 
 iPhone片手にTwitterを眺めるのですが,断片的な情報からは各地で被害が出ていることくらいしか想像できませんでした。
 ケータイのワンセグでテレビを見ても,直後では地震の揺ればかりに注目が集まる段階で,津波の被害の酷さを知るのは後になりました。
 騒ぎが縁で初めてご一緒した人やリアルでお会いすることになった方々と挨拶や自己紹介などの会話をして時間を過ごしていたので,自分たちが被災しているという感覚は少なかったと思います。
 やがて携帯電話の通話回線が使えないことはもちろん,ほとんどの交通機関が不通になったことが確定的になると「動けない」「帰れない」という事実も実感され,その晩は東京大学で夜を明かすことを理解します。
 私たちは,帰宅難民として福武ホールに一泊することになりました。
 久し振りにお会いした恩師は,緊急事態の対応で奔走され,院生や大学スタッフの皆さんは食料などを調達しに動いてくれていました。
 福武ホールには海外からの学生も多いので,そうした学生達もパソコンを使ってネットから情報を収集しながら事態を注視していたようでした。

 手元の情報源はネットとテレビ。
 iPhoneとiPadでTwitterやYAHOO!ニュースなどを確認したり,ケータイのワンセグでたまにテレビのニュースを見たりという情報収集でした。
 しかし,事態の全体像を把握することが難しい。
 自分たちの関心事は,首都圏の交通機関だったりするし,Twitterで流れてくる断片的な情報だけでは,全貌を描くことは難しい。
 一夜明けて,なんとかかんとか徳島に帰宅した後,ノートパソコンやテレビで落ち着いて情報収集をし直してみると,震源近くの宮城の被災状況と原発事故には衝撃を受けることになりました。
 出来る支援をしていかなくてはならないと思いました。

テクノロジーとリベラルアーツの交差点

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 米国2011年3月2日にApple社が「iPad2」を発表しました。
 療養中のジョブズCEOが登壇して,堅実にブラッシュアップを施したデバイスをお披露目したのです。
 ・2倍速く
 ・3割薄く
 ・1割軽く
 ・表裏カメラ
 ・iOS 4.3と新アプリ
 ・10時間バッテリーの維持
 これらを変に奇をてらわずにAppleの職人仕事で現物化したのがiPad2です。
 他社も最大限のスピードで追いついてきていますが,最終的な製品を芸術的なモノとして仕上げる部分において,ほとんどの追従製品(Copycat)が魂を込め忘れています。そのことをiPad2はあらためて白日の下にさらしてしまいます。
 昨今,ジョブズ氏がスピーチする際に登場する「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」スライドは,単に企業理念というだけでなく,製品から何を漂わせるべきかの重要な核心部分を表現しているのだと考えられます。
 後継問題が頻繁に取り沙汰されるApple社ですが,おそらく,これが後継に伝えるべきApple哲学だとジョブズが考えており,それを単に社内だけではなく社外の顧客にも伝えることで,単なるイノベーション企業に終わらない方途を見出そうとしているのかも知れません。

 iPad2の発表は,待ち望んでいたものを素直に形にしてくれていることにホッとするとともに,再びワクワク感を抱くのに十分な内容でした。教育における活用にもさらに幅が広がりそうです。たとえば
 ・完全な画面の外部出力
 ・カメラ
 ・ビデオチャット機能
 の3つは,教室で使用する教育ツールとしての可能性を拡げます。
 初代iPadでは画面の外部出力が特定のアプリや場面に制限されていましたが,iPad2では制限なく画面で見ているものを外部出力できるようになりました。これで,iPad2に収めたコンテンツや興味深いアプリを自由に大画面テレビに表示できます。
 カメラは様々な対象を記録するのに役立ちます。子ども達の学習の様子をパチリと撮影して,授業内にすぐにリフレクションする(見返す)ことも出来ます。ノートや作品を教室の前の実物投影機のもとまで運ぶ余裕がないシチュエーションでは有効です。
 ビデオチャット(FaceTime)は,リアルタイムの交流学習の際に役立つでしょう。Skypeなどのビデオチャットツールと違って操作が手軽であることは,授業に使うツールとして安心感があります。交流学習みたいな授業は滅多にありませんが,滅多にしない特別なときだからこそ操作が簡単なツールは有り難いのです。
 これらはいずれも「先生にとって」のiPad2の魅力ですが,そうした教授ツールとして役立つことが証明されて初めて,学習ツールへの可能性も受け入れられる余地が生まれるのだろうと思います。

 初代iPadが発表されて1年がすぎました。
 iPadが発表されたことに触発され,日本で初めてのiPad教育利用に関する集いを開いたのが昨年3月でした。
 あれから1年。タッチデバイスの教育利用に関する動きは山のように登場し,実際にiPadを導入して教育実践に取り組んでいる現場もあります。
 私自身は,その後,総務省のフューチャースクール推進事業に関わることになってしまい,iPadを学校教育に導入させるために始めた個人活動を本格展開させることが出来ずにいます。
 けれども,様々な人々がiPadに触発されて新しい試みにオープンになっています。
 もともとタッチデバイスが導入されること自体を目的とするのではなく,こうした新しいツールを足掛かりに,教育に関わる人々の学びがオープンになっていくことを期待していたので,個人的にはこの流れは良い流れだと考えています。
 私の関心は,テクノロジーとエデュケーションの交差点という,支線の小さな交差点ですが,そこで少しでも新しくオープンな流れが生まれることを期待しています。
 そういう意味で,テクノロジーとリベラルアーツの交差点を意識したApple製品は,常に強いインスピレーションを与えてくれます。今回のiPad2もきっと大きな(しかし静かな)影響を与えていくだろうと考えています。