PaSoRiとOSXとRaspberry Pi

 ICカードリーダー/ライターは,名前の通りICカードの情報を読み取ったり,情報を書き込んだりする機器です。具体的には電子マネーカードや関東圏のSuicaカードのような交通系カードを読み取るもので,パソコンに接続する周辺機器として店頭でも売られています。ソニーのPaSoRiという商品はその中で最も手に入りやすいものとして有名です。

 最近では,iOS端末(iPhoneやiPad)にBluetooth無線接続するタイプのPaSoRiが登場し,電子マネーカードや交通系カードの残高確認がアプリからも可能になりました。

 斯様にソニーのPaSoRiというのは現在も販売されているのですが,結構なモデルチェンジを繰り返して現在に至っているものとしても有名なのです。

 もともとFelica方式(多くの電子マネーやおサイフケータイで採用された方式)のカードを読み書きできるように作られた製品RC-S310という機種から始まり,廉価で多く販売されたRC-S320,黒くなってe-Tax対応したRC-S330,改良版RC-S370,そしてNFC国際規格に対応を果たしたRC-S380と進化を続けてきました。

 Android端末もNFC規格に対応を始め,iPhone6も内部的にはNFC機能を持つようになってきたので,今後はRC-S380という機種である程度落ち着くのではないかと思いますが,技術は日進月歩ですのでPaSoRiは今後も変化していくのかも知れません。

 ところで,PaSoRiというのはWindowsパソコン用として販売されてきました(RC-S390は別枠なのでUSB接続できるPaSoRiはWindowsのみ対応というのが基本です)。あとは同じソニーということでPlayStationに接続できるという変わり種はあります。

 しかし,世の中にはMacもあるし,Linuxパソコンなどもあるし,そうしたWindows以外のコンピュータでもICカードを扱いたいというニーズはあったわけです。そうした声に対してソニー側も水面下ではいろいろ対応してきましたが,なかなか思うようには使えなかったというのが正直なところです。

 一方で,オープンソースの世界には,いろんなデバイスを自由に扱えるように,独自にドライバやプログラムを組んでいる人たちがいます。有り難いことに,そうした人たちの努力によってUSB機器が自由に扱えるようになったり,PaSoRiがLinux上で扱えるようになったりしています。

 ただ,そうした動きがあるにも関わらず,ネックなのがPaSoRiのような頻繁なモデルチェンジ。

 新しい型番のものは,たとえ見た目が似ていても中身ががらっと変わっていたりするため,今までの対応方法では動かなくなることも少なくないのです。

 PaSoRiもRC-S320(白PaSoRiと呼ばれています)とRC-S330(黒PaSoRi)との間に互換性がなくなり,作業のやり直しが必要になりました。同様なことがRC-S370とRC-S380の間でも起こり,いままで対応してきたものがまたリセットされたところでした。

 私自身,RC-S320を対象した残高ソフトをMac OS Xのネイティブアプリとしてリリースしたことがありますが,これも残念ながらRC-S330以降のPaSoRiには対応できていません。ハードウェアと直接やりとりするソフトウェアをメンテナンスするのは,結構大変です。

 現在販売されているRC-S380に対応したオープンソースの成果はないのではないかと思われていたのですが,実は「nfcpy」とよばれるPython言語で書かれたものが対応しているとわかり,しかもRaspberry Piで動かした報告などが紹介されていました。

Raspberry Pi 2 で NFC (FeliCa) を使えるようにする」(しばやん雑記)

 こうしたライブラリが使用できるのであれば,FelicaやNFCによるIDカード(社員証や学生証)を読み取って出勤/出欠管理システムをRaspberry Piで構築するというのも悪くないかも知れません。

 個人的にはMac OS XでRC-S380が動かせるようにしたいなと考えていますが,まずはRaspberry Piでメイカーズ的にシステムを作ってみるのも面白いかなと思いました。

「授業」支援から脱け出せない

こんなニュースが配信されていました。

「ソニー、来年8月に教育分野向けLinux搭載タブレット発売へ ~倉敷の中学校での実証実験の取り組みを追う」(PC Watch)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/20141208_679040.html

 5月の教育ITソリューションEXPO(EDIX)に参考出展されていたそうですが,残念ながら私は触れることができていませんでした。昨年(2013年)の第10回日本e-Learning大賞の部門賞も得ていたという「小中学校向け Tenobo学習システム」(Tenobo 21世紀型クラスルームソリューション)の実証実験の記事です。

 岡山県倉敷市の多津美中学校という公立中学校で試用されている端末は,オリジナルで製造された2画面折り畳み式のクラムシェル型の端末で,Linuxをベースに開発されたシステムだといいます。

 また,来年発売を予定しているのは1画面タイプのタブレット型端末のようで,大画面にすることで画面分割する使い方を想定しているとのこと。メーカーのWebサイトに説明があります。

 端末やシステムについて。

 2画面分割で教科書などを参照する領域とノートなど記録する領域を併存させるというアイデアは,過去にもありました。代表的なものとしては,Knoと名付けられたタブレット端末がありました。

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 iPadと時を同じくして登場した端末でしたが,残念ながら紆余曲折を経てソフトウェアに絞り込んだビジネスに転換し,いまはインテルの傘下で提供されている形になっています。つまり,Knoの2画面タブレットは失敗に終わったとされています。

 Knoは米国のテキストブック業界(教科書業界)の電子化という課題に取り組もうとしていたということもあり,今回のソニーのTenoboとは位置づけられ方が異なりますが,端末に限っていえば同じ夢を見ているといってよいでしょう。

 そのTenoboの方は,学習システムと銘打ってはいますが,当初は「クラスルームソリューション」と名付けられたいたことから分かるように「授業支援システム」として開発されたものです。

(ソニーエンジニアリング株式会社 Webサイトより)

 

 冒頭の記事やメーカーの図からもわかるように,授業内の情報のやり取りを電子化によって効率的にすることが目的で,そういう意味では確かにシンプルなシステムに徹しているように見えます。

 「教材表示のための画面」と「記録作業のための画面」の2画面は,学習側から見れば「教材を見る」ことと「ノートを書く」ことを併置する当たり前な最低限の条件を満たしたにすぎませんが,教師側から見れば「教材を配布する」ことだけでなく「学習者の進捗をのぞき見る」ことを可能にしてくれるものとなります。

 Tenoboには学習者が同じ領域に書き合うようなコラボレーションノートテイキング機能は搭載されていないようですので,そういう意味でも,教師−学習者個人というシンプルな双方向を実現しているシステムのようです(複数の学習者端末の画面を教師側で提示することは可能みたいです)。

 こうしたシステムを取り巻く認識について。

 授業支援あるいは学習支援システムを紹介する時に難しいのは,開発者の人々が考えて実装した機能の一つ一つについて何をするものなのか使用例を説明した途端,説明をされた側は,そういう形式の授業をすることが教育界全体で目指されているのだという風に勘違いしがちであるということです。

 たとえば先生端末から学習者端末の進捗がリアルタイムで「モニタリング」できるという機能があります。なるほど授業に遅れている子を見つけられたり,問題に対する解答の違いを把握することが,その機能によって可能ではあるかも知れない。

 しかし,そのようなあり得る断片的なシチュエーションだけで授業が成り立っているわけでないことは,考えてみれば分かります。そもそも授業支援システムを使う時間も全体から見れば限定された場面でしかありません。

 ところが,説明を受けた側にしてみると「児童生徒はずっと監視されるのか?」とか「授業中,先生はずっと画面を見てしまうのかしら?」というような疑問や違和感を持ってしまいがちです。

 一方,開発者側にしても,「授業や学習を支援する」といったときの想定範囲があまりにステレオタイプであり,このようなシステムの上で支援された学習の記録が,システムに閉じこもってしまうことに何の疑いも持っていないようにさえ見えます。

 たとえば,Tenobo上のノートテイキングは卒業時にどのような形で児童生徒本人に手渡されるのでしょうか。それとも授業や学習が終わればそれらは消去してよいと判断しているのでしょうか。この問いを「PDFに変換して残せるようにすれば良い」というエンジニアリング的な解答で片づけることは可能ですが,その発想がまさに授業支援システムが「授業」支援という範疇に閉じこもっている証しなのです。

 現在,多くの学校から注目が集まるロイロノート・スクールが良い線をいっているのは,タブレット上のアプリ単体でスライド作成が完結し,それを共有する形をとっているからです。

 つまり,基本的には「個人の範疇」(タブレット上のアプリ)で学習活動が完結するように設計されて,それを先生がのぞき見ていたり,必要に応じてスライドを共有できるという「集団の範疇」にリンクさせるというシステムデザインだからです。

 なぜなら,ロイロノート・スクールがもともとロイロノートという単体アプリを出発点に出来上がっているからです。そのため,ロイロノート・スクールで作成したスライドデータをロイロノートに移せば,児童生徒は自分のデータを卒業後も保持できることになります。(理屈上は…なので実際にそうできるかどうかは未確認です。でも可能性は開かれています。)

 ロイロノートの問題は,動画に特化したアプリだということです。書き出しも動画データのみで,PDFデータとして書き出す機能はありません。また,スライド管理機能もたくさんのデータが蓄積されることを想定したものでは無く,大人が実務で使う範疇へとステップアップするようにはデザインされていません。

 ロイロノートは授業という範疇から学習成果を持ち出すことは可能ですが,基本的にはロイロノートで閉じていて,そこから持ち出す方法が動画書き出ししかない点が短所です。

 

 単体アプリを出発点に開発されたシステムとして先日発表されたのがMetaMoJi Share for ClassRoomでした。こちらは動画データを扱うことはできませんが,タブレット向けのノートアプリとして高評価を得ているMetaMoJi Note/Shareをベースにしていることから,蓄積されたデータを個人に返しやすい点は同じく良い線をいっています。

 またMetaMoJi Note/Shareはそれ自体も実務に使えるアプリやデータ形式ではありますが,PDF書き出しや様々な共有機能を有している点で,アプリからデータを持ち出す際の選択肢が用意されています。

 しかし,あえてfor ClassRoomという形でMetaMoJi Shareをベースにシステムを構築したのは,やはり「授業」というものに捕らわれてしまって,理想へ遠回りになってしまったのではないかと思います。私自身はMetaMoJi NoteをベースにしてShareの技術を組み合わせる形にして欲しかったと考えています(つまり「授業」ノートをShareするのではなく「個人」ノートをLinkやShareする発想)。

 端的にMetaMoJi Share for ClassRoomの短所を書くなら,Shareノート(授業ノート)を先生が配布しないと何も始まらない点です。児童生徒側のアプリで個人ノートを作成しておき書き進めておくという使い方は難しいのです。これも「授業」の支援に捕らわれてしまった一つの例です。

 誤解して欲しくないのは,ソニーのTenoboにしても,ロイロノートにしても,MetaMoJi shareにしても,それぞれはそれぞれの開発思想に則って作られた(あるいは作られているところの)システムで,「授業」支援に対しては効果を発揮してくれる素晴らしいシステムだということです。

 お読みになっている皆さんは,目的や目標を設定してシステムを選択したり利用したりしているはずですから,それに叶ったシステムを選択すればよいだけのことですし,その目的や目標を,これらのシステムは満たしてくれる部分があるはずです。万能なシステムはありません。目的・目標に応じて選択するだけです。

 そのうえで,私たちは本当はどんな支援をしてくれるシステムを必要としているのか,考え続けておかなくてはなりません。授業支援が本当のゴール(目標)なのか,その先の個々人の学習支援は?,学習の記録の行方は?

 問いは尽きません。まだまだ考えていろんなアイデアを描き,試してみることが必要です。

MetaMoJi Share for ClassRoom発表

 11月12日,MetaMoJi社の「MetaMoJi Share for ClassRoom」という授業支援システムの発表会が行なわれました。これは同社のMetaMoJi Note/Shareを基盤として開発された学校向け製品です。

 あらかじめサーバーあるいはクラウドに児童生徒用のアカウントIDを登録した上で,協働作業できるシェアノートを配布して授業に利用するというシステムです。

 授業支援システムと一口に言っても,具体的にどんな機能で支援をするのかは製品によって異なります。

 一般的には,ファイルの配付/回収,端末画面の転送,教師端末における生徒端末画面の一覧/選択表示,問題やアンケートの出題と回答/集計,同一制作物の同時編集,端末同士の呼び出し/メッセージ交換,端末ロック機能などがあります。すべてを備えているものもあれば,一部に特化したものもありますし,具体的な実現方法や操作方法が異なる場合もあります。

 いずれにしても情報端末が複数台ある環境で,授業における教授学習活動を支援してくれる機能を持ったシステムの事を「授業支援システム」と呼んでいます。

 知識伝達色の強い授業を支援する場合,教材の提示あるいは配布,提出物の回収といった機能による支援が期待されます。つまり先生と生徒の間のやり取りを効率化することです。(一斉学習の支援)

 もう少し発展した使い方として,提出物を回収後,大画面に比較表示する機能の活用が想定されます。いままで生徒を前に呼んで板書させていた活動を効率化するわけですが,全生徒のその時点の学習進捗や成果そのものを授業に生かすことでもあります。(個別学習と一斉学習の相乗支援)

 ここまでくれば,グループ活動における個々の生徒の記録を交換することも難しくありません。グループ内の協働学習活動を支援し,グループ間の学習成果の比較検討を通して,構築的な知識獲得の活動を支援することもできます。(協働学習の支援)

 授業支援システムは,かように様々な学習活動や場面において,学習記録や成果を伝えたり,比較したり,掛け合わせたり,残したりする事を助けてくれる道具なのです。

 さて,MetaMoJi社が提供を始める授業支援システムは,何か目新しい特徴を持つのでしょうか。

 既存の授業支援システムのほとんどが,授業支援システムのために開発された「特別仕様システム」のようなものであり,ユーザーは教材あるいは学習成果であるワープロファイルやら写真ファイルやらのデータをそのシステムに託して利用するといったものでした。

 MetaMoJi社のShare for ClassRoomは,市販のデジタルノートアプリとして評価の高いNote/Shareシリーズを基盤としてシステムが開発されているため,様々な教材や学習成果データをデジタルノートとして管理できるメリットがあります。

 特別仕様で作ったか,市販アプリをもとに作ったのか,この点が決定的な違いです。

 私は,授業で扱う教材や学習成果のデータをデジタルノートとして記録し管理する事がとても重要であると考えています。MetaMoJi社の授業支援システムは,一般にも使われているデジタルノートをベースにした基本的な設計とポジションにおいて,他の製品と一線を画しているといえます。

 既存の授業支援システムでデータを扱う際,2つの方法があります。1)汎用的なファイルを管理する方法と2)独自形式で記録して管理する方法です。MetaMoJi Share for ClassRoomの場合は,後者2)に当てはまります。

 

 1)の方法は,ワープロのWord形式や一太郎形式,スライドのPowePoint形式,文書のPDF形式,写真のJPEG形式,動画のwmv形式やmp4形式といった馴染みのファイルを整理しながら扱います。私たちが日頃パソコン操作でやっている作業です。

 通常のファイル管理と同じである点で敷居は低そうですが,授業や学習が進んで扱うファイルの数が増え続けていくと問題が起こります。分散しているファイル同士の関係を忘れたり見極める事が難しくなり,記録を見返す事が困難になるのです。

 つまり,分散するファイルの形で授業や学習の成果が記録されてしまうと,それらを整理した形で振り返ることが難しくなるということです。

 小中学校において学習ノートが重視される事の意味を問い直してみると,もちろん学習した内容を整理するためでもありますが,授業の内容と学習の成果がノートに順を追って記録され,必要に応じて遡って確認できる事に意味があるのです。

 私たちはノート記録という型のある学習形式の習得を経て,複雑な情報整理や記録へと駒を進めるのであり,最初から煩雑なファイル管理の世界で学習を積み重ねるのはあまり勧められません。それはアナログでもデジタルでも同じです。

 
 一方,2)の方法は,独自の形式で記録しファイルをやり取りすることになります。このやり方は,様々なデータを統合的に記録管理できる点でメリットがあります。

 学習ノートを再現するように授業内容や学習成果を蓄積できれば,学習の振り返りをする際にも記録を容易に遡る事ができます。

 MetaMoJi Share for ClassRoomの特徴は,「授業の記録」がデジタルノートと同じ形式(のシェアノート)でやり取りされて残るため,学習ノートにおける個人の「学習の記録」と容易に統合できる点にあります。

 このように「授業の記録」と「学習の記録」の対応を保って記録を残せるということが,学習を個に返す上で大変重要です。

 

 ただ,この方法では,特定製品にロックインされてしまう問題を孕んでおり,データの永続性という点で不安視されているのも確かです。

 私たちの学習成果を特定製品のデータ形式で蓄積したとして,その製品を使い続けなければならないのか。仮にその製品が開発中止になった場合にどう対処すればよいのか。こうした問題は常に意識しておくべきと思います。

 幸い,MetaMoJi社のNote/Shareアプリは認知度や評価も高く,ビジネスや日常生活でも多く使われています。「学校の中だけで使う独自アプリ」という枠に囚われていません。これが他の授業支援システムと異なるMetaMoJi Share for ClassRoomの優位なポジションです。授業や学習の記録を普段使っているデジタルノート形式で残せれば,学校に閉じてしまうことが少ないといえます。

 (※また当然の事ながら紙の学習ノートの併用も前提とした議論です。アナログとデジタルのノートの組み合わせ方は,それ自体が一つの研究対象になりえます。)

 辛口な事を書けば,MetaMoJi Share for ClassRoomは,まだ登場したばかりの後発製品です。先行製品を無批判に真似た部分は多いし,学校で使うためのツボを押さえた機能にはまだ乏しいといえます。

 たとえば,生徒端末の画面一覧機能は,授業支援システムの基本でありMetaMojI社の製品もそれを機能として実装していますが,それだけでは不十分なのです。一覧表示はモニタリング目的には合致しますが,それを児童生徒への提示目的に使おうとした途端,一覧表示や選択表示ではまったくニーズに応えられないのです。

 具体的には,比較表示の際に生徒の名前は消せなければなりません。モニタリングの際には表示する必要があるものも,児童生徒達に見せるとなれば,誰の画面かを伏せた方がよい場合もあるのです。(大きく表示した画面に「モニタリング」という文字が表示されるということにも本当なら抵抗感を感じなければなりません)

 さらに,比較表示される生徒端末の画面は,整列するだけではダメで,自由位置にも配置ができなければなりません。自在に動かしてグルーピングする必要があるからです。その上,その比較画面にかぶせるように自由に書き込みができなければなりません。

 モニタリングではなく,生徒の画面そのものが提示素材となって説明対象となっているのですから,そこに先生が自由に解説書き込みできなければ意味がないのです。

 こうした機能は,まだ多くの授業支援システムで実現には至っていません。画像保存などして似たような事を再現できますが,本来そうした手間を支援するのが授業支援システムの押さえるべきツボなのです。既存のシステムも含めて授業支援システムはまだまだ進化しなければなりませんし,現在の形を一度壊す必要があるのかも知れません。

 

 私は,こうした進化を実現できる一番近いところにいるのがMetaMoJi Share for ClassRoomだと考えています。それは同社のデジタルノートアプリNote/Shareのもつ実績や技術面からそう考えています。まだまだ備えて欲しいものが多いのも事実。しかし,今後着実に進化してくれることが期待できるのも確か。

 だから私は「本当の意味でデジタルノートを基盤とした授業支援システムが動き出します。今後の進化を刮目すべき製品です」とエンドース文を贈りました。

 理想的には,一般の私たちが日常や仕事で使用しているNote/Shareアプリが直接,必要に応じてMetaMoJi Share for ClassRoomシステムに接続する形がよいのです。今回発表された時点では,デジタルノートとシェアノートのデータ交換が可能であるといったところに留まっているのだと思いますが,それらがもっと融合する事になると思います。

 今後は個人のデジタルノートと授業のシェアノートの橋渡しがどれだけ柔軟に操作できるのかがこの手のシステムにとって大変重要な課題になると考えています。

 

 可能性を秘める技術が学校教育に生かされる事を心から願っていますし,それは今回の製品に限らず,他のどんな会社のどんな製品についても同様です。

egword Universal 2というワープロ

 最近は常用ワープロというものがなくなりました。 現在はテキスト情報はEvernoteに記録しておき,図形や画像系の情報はDropbox上のフォルダで管理して,必要に応じてそれらを取り出し組み合わせて使っています。

 原稿依頼の要望に応じて,Wordを使うことが多いですが,授業のハンドアウトはPagesにしてますし,結果がPDFでよければInDesignでやってしまいます。

 これまで長文作成の機会といえば2回の修士論文執筆ぐらいしかありませんが,その時に使ったワープロはNisus Writer 6.5とegword Universal 2でした。

 この2つが私にとっての常用ワープロでしたが,どちらも販売が終了し,サポートもされていません。 Nisus Writerは新しいバージョン(全く新たに作り直されたProというバージョン)に引き継がれているので,ワープロで何か書かなければならないのであればNisus Writer Proをチョイスするという感じですが,以前ほどではなくなっています。

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 egword Universalはグッドデザイン賞も受賞したMac用の日本語ワープロでした。 販売が終了してしまったのは,Macの売り上げが今ほど良くなかったためソフトウェア販売もとても難しい時期で,経営判断として会社が解散したためです。

 それにあの当時から日本語ワープロというのは商売にするには大変難しいジャンルでした。Microsoft Wordが絶対的な存在であり,その周辺を小さなソフトウェア達が取り囲んでいたため,ユーザーはそれぞれの選択に散らばってしまっていたからです。

 egwordはMac用の日本語ワープロとしては老舗のソフトで,歴史は長いし,技術力も十分で,常に前進していたソフトウェアでしたが,あなたも私もEGWORDという風にはシェアが拡がりませんでした。 MacがOS Xとなり,Intelプラットフォームに変わり,激変を続けても,egwordはそれにピタッと張り付き,最新技術を投入して進化していましたが,とうとう2008年に販売終了が決定されたのでした。

 egword Universal 2は最後のバージョンでした。 Mac用の日本語ワープロで,あそこまで機能や性能品質をバランスよく高めてデザインしたソフトは他にないと思います。

 幸い,Mac OS X Mavericksにegword Universal 2をインストールしてアップデータをかけると,正しく表示されない部分はあれど,まだ動作するようです。もうサポートもされていませんが,久し振りに引っ張り出して使い始めているところです。

テクノロジーとリベラルアーツの交差点

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 米国2011年3月2日にApple社が「iPad2」を発表しました。
 療養中のジョブズCEOが登壇して,堅実にブラッシュアップを施したデバイスをお披露目したのです。
 ・2倍速く
 ・3割薄く
 ・1割軽く
 ・表裏カメラ
 ・iOS 4.3と新アプリ
 ・10時間バッテリーの維持
 これらを変に奇をてらわずにAppleの職人仕事で現物化したのがiPad2です。
 他社も最大限のスピードで追いついてきていますが,最終的な製品を芸術的なモノとして仕上げる部分において,ほとんどの追従製品(Copycat)が魂を込め忘れています。そのことをiPad2はあらためて白日の下にさらしてしまいます。
 昨今,ジョブズ氏がスピーチする際に登場する「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」スライドは,単に企業理念というだけでなく,製品から何を漂わせるべきかの重要な核心部分を表現しているのだと考えられます。
 後継問題が頻繁に取り沙汰されるApple社ですが,おそらく,これが後継に伝えるべきApple哲学だとジョブズが考えており,それを単に社内だけではなく社外の顧客にも伝えることで,単なるイノベーション企業に終わらない方途を見出そうとしているのかも知れません。

 iPad2の発表は,待ち望んでいたものを素直に形にしてくれていることにホッとするとともに,再びワクワク感を抱くのに十分な内容でした。教育における活用にもさらに幅が広がりそうです。たとえば
 ・完全な画面の外部出力
 ・カメラ
 ・ビデオチャット機能
 の3つは,教室で使用する教育ツールとしての可能性を拡げます。
 初代iPadでは画面の外部出力が特定のアプリや場面に制限されていましたが,iPad2では制限なく画面で見ているものを外部出力できるようになりました。これで,iPad2に収めたコンテンツや興味深いアプリを自由に大画面テレビに表示できます。
 カメラは様々な対象を記録するのに役立ちます。子ども達の学習の様子をパチリと撮影して,授業内にすぐにリフレクションする(見返す)ことも出来ます。ノートや作品を教室の前の実物投影機のもとまで運ぶ余裕がないシチュエーションでは有効です。
 ビデオチャット(FaceTime)は,リアルタイムの交流学習の際に役立つでしょう。Skypeなどのビデオチャットツールと違って操作が手軽であることは,授業に使うツールとして安心感があります。交流学習みたいな授業は滅多にありませんが,滅多にしない特別なときだからこそ操作が簡単なツールは有り難いのです。
 これらはいずれも「先生にとって」のiPad2の魅力ですが,そうした教授ツールとして役立つことが証明されて初めて,学習ツールへの可能性も受け入れられる余地が生まれるのだろうと思います。

 初代iPadが発表されて1年がすぎました。
 iPadが発表されたことに触発され,日本で初めてのiPad教育利用に関する集いを開いたのが昨年3月でした。
 あれから1年。タッチデバイスの教育利用に関する動きは山のように登場し,実際にiPadを導入して教育実践に取り組んでいる現場もあります。
 私自身は,その後,総務省のフューチャースクール推進事業に関わることになってしまい,iPadを学校教育に導入させるために始めた個人活動を本格展開させることが出来ずにいます。
 けれども,様々な人々がiPadに触発されて新しい試みにオープンになっています。
 もともとタッチデバイスが導入されること自体を目的とするのではなく,こうした新しいツールを足掛かりに,教育に関わる人々の学びがオープンになっていくことを期待していたので,個人的にはこの流れは良い流れだと考えています。
 私の関心は,テクノロジーとエデュケーションの交差点という,支線の小さな交差点ですが,そこで少しでも新しくオープンな流れが生まれることを期待しています。
 そういう意味で,テクノロジーとリベラルアーツの交差点を意識したApple製品は,常に強いインスピレーションを与えてくれます。今回のiPad2もきっと大きな(しかし静かな)影響を与えていくだろうと考えています。