NHK WORLD「静かで、にぎやかな世界~手話で生きる子どもたち~」英語版

昨年(2018)NHK ETVで放送されたETV特集「静かで、にぎやかな世界~手話で生きる子どもたち~」の英語版がNHK WORLDで放送され,期間限定配信されている。

A World of Boisterous Silence (NHK WORLD PRIME)
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/ondemand/video/3016028/

個人的にずっと見逃し続けていた番組だったので,英語版とはいえ,今回の配信は絶好の視聴機会となった。おおよその番組の内容と反応は日本語のページで見ることが出来る。

ETV特集「静かで、にぎやかな世界~手話で生きる子どもたち~」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259611/index.html

【再放送】小さな手でおしゃべりする子どもたち
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=14501

番組では,多くのろう学校で手話が禁止されてきたと紹介されているが,手話を活用した指導の議論は大きなトピックスとされ,ろう教育における専門性や人材確保・研修の問題として関係団体から提言も出されている。いわゆる手話法と口話法の対立問題は,ろう教育における根本問題としてずっと存在してきた歴史がある。

それでも圧倒的な規模の聴者社会で生きていくためには,自らが日本語の発音を訓練したり,他者の口話を読み取る読心術を習得するといった努力がなされてきたというのが,日本のろう教育の流れなのだろう。

明晴学園は私立学校であり,手話環境の確保を特徴とした学校。

慣れた手話によってストレスなくコミュニケーションしている児童生徒の様子を生き生きと描写した番組は,大きな反響を呼び,様々な賞も獲得している。

番組の後半に,高校や大学に進学した卒業生の様子が紹介されている。

授業や講義の教員による口話を字幕生成システムを使って獲得しようとしたり,学校側のノートテイキング支援について相談する場面などだ。

そもそも,進学を受入れてくれる学校自体が少ないことや,こうした対応をとってくれるかどうかも学校ごとに異なるのが現実だろう。

最近でこそ,GoogleがAndroidスマホで,リアルタイム連続書き起こし機能「Live Transcript」(音声文字変換)を実現したとして話題となり,聴覚障がい者にとって新しい利便性が提供されたが,だからといって配慮やサポートが不要になるといったことはあり得ないわけで,むしろよりきめ細かい対応が出来ると考えていくべきだろう。

この番組の示した聴者世界と聾唖者世界の構図を,コミュニケーション手段の異なる世界同士の構図として極端に捉えたとき,たとえば,旧いコミュニケーション手段に慣れきった世代と新しいコミュニケーション手段を使いこなす世代の対立を想像しないわけにはいかない。

先日も「ICT活用に遅れ 日本の小中教員、OECD調査で判明」(日経新聞)という報道がなされ,教員の勤務時間が依然として長時間傾向であることや,考える授業に割く時間が極端に少ないことなど,旧い手段で教育活動を続けている日本の傾向が浮き彫りになったばかり。

こうした普通学校の姿は,ろう学校では手話が禁止されていた,という番組内でのエピソードとオーバーラップするところがある。

もちろんどちらが本当のところ都合がよくて,本当のところ必要なのかは,人それぞれの選択だろう。

だから,私たちはよく考えることと,考えたことを選択できるようになることが大切だろうと思う。

20190112_Sat 真夜中の番組「山の分校の記録」

ETV開局60年の特番があった。

メディア研究の分野でも有名なテレビ映画「山の分校の記録」(1959年)が久方ぶりにテレビ放送されるというから気にしないわけにはいかない。なにしろメディアとの出会いに関する研究談義の際には,必ずや言及される番組。大学の授業で教材として利用している先生もいると聞く。

NHK教育放送が始まったばかりの頃,テレビ受像機が栃木県土呂部(日光市)の分校に1年間貸し出された様子を短く紹介したモノクロ番組である。

番組前半は,山の分校なので,子どもたちの日常的生活圏が狭く,接するものが限られている環境で,その中で学習することの難しさのようなものが描き出される。

たとえばコントラバスという楽器一つを説明するにも,実物がないのは当然として,写真が掲載されている適当な教材もない。バイオリンを大きくしたものと説明したくとも,そのバイオリンの実物がないため,これまたバイオリンとは大きさが似ても似つかぬ模型があったので,それを取り出してバイオリンを説明し,それが大きくなったものだと説明する先生の姿は気の毒に映る。それでも手渡されたミニチュア模型バイオリンを好奇の目で見つめる子どもたちの様子がまばゆく伝わってくる。そうやって想像力を働かせても,残念ながらコントラバスの音色は聞こえては来ないという現実。

こうした学習における困難な条件を,分校担当の老先生はずっと悩ましく思っていて,どうしたら社会を学んでもらえるだろうかと考え続けている。

ある年,老先生は6年生を連れて町の小学校へ3日間の留学を実施した。

留学先の小学校で町の子たちと一緒に学ぶ中で,この学校がテレビや放送施設などの視聴覚機器を活用しているのを一緒に体験する。

このときをきっかけとして,子どもたちがテレビを望み始め,さまざまな働きかけの末に,テレビ受像機の貸し出しが決まった。テレビと子どもたちの日々を追いかけるのが番組後半の内容である。

すべてを書くのは野暮なので,テレビを利用した学びの様子については,実際の番組をご覧頂きたい。

元の番組は「山の分校の記録 | NHK for School」として動画公開されている。

実は,元のオリジナル映像全編がネットで公開されたのはこれが初めてである。

今回,真夜中の放送の特徴は,元映像はNHKの学校放送サイトで動画コンテンツとして公開され,地上波では元の映像を視聴しながらチャット画面でコメントする様子を混ぜ込んだものだった。

真夜中の放送自体は,単に古い映像を流すだけで終わりにせず,他の人の反応を見ることで過去の映像の違った価値を発見する試みとして良かったと思われる。

映像を見ながらの呟きであるから,見たままのことを呟いたり,単に驚いたり嘆いたり,見ているところが瑣末だったりすると感じられるものもあっただろう。それに慣れない一般視聴者からするとそんなコメント吹き出しが流れている画面は,目障りだという感想も一部あったのは仕方ないことかも知れない。

ただ,こういう取り組みはまだまだ改善の余地があって,私たちは番組視聴中のコメント吹き出しを「振り返りアンカー」として打ち込んで,視聴後の感想交換パートでの議論を深めていくためにそのアンカーを辿り直すように活用も出来るはずである。

今回は教育工学研究者として堀田博史先生も登場していたわけで,そのように意見交換パートをもっと充実させるための役者は揃っていただけに,一部の感想を許してしまったのは残念である。

この番組は,あまりによく出来ているし,技術や社会状況はまるきり変わっているけれども,今日の学校に重ね合わせてしまえる部分も少なくない点で,文句無く伝説のテレビ映画だ。

けれども,あまりによくできているが故に,番組構成やスクリプトを手がけた当時のテレビマンのスキルの高さにあらためて感嘆してしまうという側面もある。

それはこの番組の名場面として語られる「テレビが無くなったとしたら」のくだりで,女の子のモノローグと番組ナレーションとの繋ぎで感ぜられる違和感を,見事に吹っ飛ばしてしまう映像と名台詞にも象徴される。

しかし,それが「テレビ」なのだろう。必ずしもフラットなものではない。

世界へのまなざしを開かせるメディアとしてのテレビと子どもたちとの出会いを描いた貴重なドキュメンタリー映像は,それそのものがテレビを体現しているからこそインパクトを持って語り継がれているのだ。