2009年10月アーカイブ

風に吹かれて

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 連休中に頭痛に襲われて,家に閉じこもって寝ていた。背筋に異様なほど凝りがあり,それが原因のようだ。しばらくしてだいぶマシになったが,休みが明けても背筋は痛いので,近くに針灸院を探して,ほぐしてもらった。

 そんなことがあって何となく,自分の中の熱を冷ますことにした。そもそも力量も無いのに自己要求水準だけは高く,それで焦りや苛立ちをしか感じていないのならば,いっそ実力相応に気持ちを緩めてしまった方が楽である。

 ただでさえ,そそっかしくて,忘れっぽくて,ぼんやりしている自分だから,ただ毎日,眼前の出来事に対応しているだけで日々は過ぎていくものである。平和といえば平和だ。


 高校を卒業してから以降,あまりに流転する人生の中で,気の置けない友人や仲間をつくることもほとんどしなかったし,気持ち許す異性と交際することも叶えることはしなかった。「教育に貢献すること」それに必要なことを模索しているうちに,道に迷ったまま,そして誰に頼ることもできないまま,好き勝手に走り続けている。


 たくさんの物事がデジャヴュのように映る。

 他のたくさんの人々が,かつて自分が考えを巡らせたことと同じ筋をたどっているのを見たとき,複雑な心境を感じざるを得ない。その過程に,先達として関わるべきなのか。しかし,そんなことは思考の先取表明をする自己満足でしかないのではないか。問いかけによって相手との創発をねらうにしても,語る材料の差分の開きがあまりに大きいままでは,双方に戸惑いを連れてきてしまう。

 ひとりでアクセルを踏む役とブレーキを踏む役を担い,与えられる課題について,肯定的な立場にも立てば,同時に批判的な立場にも立つ。そういう在り方が,集団の一員になることを妨げているし,付き合い難さにも繋がっているのだろう。

 そういう自分を緩めるか,辞めるかしないと,人間的には寂しいままかなと思っている。

 ただ,嫁さんを取るのか,「教育に貢献する」ことを取るのか,選ぶことになるなら。

 おそらく「教育に貢献する」ことを取るのだと思う。

 大学時代に,そう誓って,この方向に歩き出したのだから。それは最後まで変わらないと思う。

 でも,そのことが難しい。きっとそれも叶わぬまま,人生を終えてしまうのだと思う。

 寂しい話だけど。ひとりでは何もできないらしいから…。