風に吹かれて

user-pic
0

 連休中に頭痛に襲われて,家に閉じこもって寝ていた。背筋に異様なほど凝りがあり,それが原因のようだ。しばらくしてだいぶマシになったが,休みが明けても背筋は痛いので,近くに針灸院を探して,ほぐしてもらった。

 そんなことがあって何となく,自分の中の熱を冷ますことにした。そもそも力量も無いのに自己要求水準だけは高く,それで焦りや苛立ちをしか感じていないのならば,いっそ実力相応に気持ちを緩めてしまった方が楽である。

 ただでさえ,そそっかしくて,忘れっぽくて,ぼんやりしている自分だから,ただ毎日,眼前の出来事に対応しているだけで日々は過ぎていくものである。平和といえば平和だ。


 高校を卒業してから以降,あまりに流転する人生の中で,気の置けない友人や仲間をつくることもほとんどしなかったし,気持ち許す異性と交際することも叶えることはしなかった。「教育に貢献すること」それに必要なことを模索しているうちに,道に迷ったまま,そして誰に頼ることもできないまま,好き勝手に走り続けている。


 たくさんの物事がデジャヴュのように映る。

 他のたくさんの人々が,かつて自分が考えを巡らせたことと同じ筋をたどっているのを見たとき,複雑な心境を感じざるを得ない。その過程に,先達として関わるべきなのか。しかし,そんなことは思考の先取表明をする自己満足でしかないのではないか。問いかけによって相手との創発をねらうにしても,語る材料の差分の開きがあまりに大きいままでは,双方に戸惑いを連れてきてしまう。

 ひとりでアクセルを踏む役とブレーキを踏む役を担い,与えられる課題について,肯定的な立場にも立てば,同時に批判的な立場にも立つ。そういう在り方が,集団の一員になることを妨げているし,付き合い難さにも繋がっているのだろう。

 そういう自分を緩めるか,辞めるかしないと,人間的には寂しいままかなと思っている。

 ただ,嫁さんを取るのか,「教育に貢献する」ことを取るのか,選ぶことになるなら。

 おそらく「教育に貢献する」ことを取るのだと思う。

 大学時代に,そう誓って,この方向に歩き出したのだから。それは最後まで変わらないと思う。

 でも,そのことが難しい。きっとそれも叶わぬまま,人生を終えてしまうのだと思う。

 寂しい話だけど。ひとりでは何もできないらしいから…。

ベッドを買おう

user-pic
0

 先週末に始まった頭痛の影響もあって,しばらく仕事以外は静かにしていた。年度初めに張り切りすぎたのか,身体のあちこちにも疲労がたまっているみたい。すっきり快調という雰囲気ではなかった。

 なんで,こんなに気だるい感じなのか。どうしたら幸せな毎日を送れるのか。

 いろいろ考えた揚げ句,出た結論は「寝床が気持ちよくない」というものだった。


 東京暮らしは,長くはないだろうということもあったし,身軽にしたいということもあったから,安い折畳みベッドとマットを組み合わせたような寝床で過ごした。

 寝床としての機能は十分だったが,お世辞にもフカフカとはいえないし,あんまり幸せな気分にならない。大事な睡眠時間をそのような条件で過ごすのは,精神的にももったいないだけでなく,身体や健康面でも負担を強いていたと思う。


 というわけで,もう若くもないんだし,再びお給料をもらえる身になったのだから,残りの人生の睡眠をもう少し大切にするため,ベッドを買うことに決めた。無印良品にだって,いまのよりもマシなベッドがたくさん売っているはずだ。


 気持ちの良い睡眠がとれれば,目覚めもすっきり,きっと幸せな毎日が待っている。ずっとベッドに居たくなるという誘惑さえなければね。

ああそうか

user-pic
0

 今日は初めて合同教授会なるものに出席した。100人以上の人数が出席する会議に参加するのは初めてなので,ちょっとおっかなびっくりであった。何となく組織の仕組みが分かってきた。

 そして今宵も明日の授業の準備。節電を呼びかけられたので,半分電気を消した研究室で作業をしている。ふと気がつくと,相変わらずひとりぼっちで作業している。少し寂しいような気もするが,中途半端に知った顔が近くにいないので,開き直りやすい。

 寂しさを埋め合わせてくれるのは,旅路で拾い集めてきたいくつものモノ。馴染みの蔵書もそうだし,いろんな人たちからもらった贈り物もそうだし,使い慣れたパソコンたちも相変わらず働いてくれる。

 最近は,実家とSkypeで繋がるようになったので,たまに両親とビデオチャットをする。そういう時代なんだと前々から授業で語ったり駄文を書いたりしていたが,やっと自分の日常で活用するようになった。こうなると単純な会話に限れば,本当に物理的距離の障壁はなくなったようにも思う。


 少しずつ学生たちにも覚えてもらえているようで,教室を移動中など,たまに「りん先生」と呼ばれるようになってきた。こちらの方が学生を覚えきれないという問題は残るが,とりあえずは受け入れられているようでホッとする。

 まだ自分の職場の一部分しか見えていないので,何をどうするとよい方略を組み立てられるのか,まだ分からないのだが,早く何か取り組みを初めて見たい。何かしら文献読書会でもいいし,ポッドキャスト制作でもいいし,何かしら雑誌を編集するというのでもいいかなと思う。


 そうそう,この職場に来ての初給料である。借金を払うために消えてなくなりそうだが,何か美味しいものでも食べよう。

自炊環境を整える

user-pic
0

 引っ越した自宅では,当初から電気ガス水道を使えるようにしたのだが,引越し荷物が遅れて届くため,数日は寝泊まりすることが出来ないスタートだった。

 数日間のホテル暮らしを満喫
   ↓
 転入届を出す
   ↓
 荷物が届き,自宅で寝泊まり開始
   ↓
 洗濯機で洗濯,冷蔵庫で飲料保存
   ↓
 カーテンを購入
   ↓
 部屋は照明とガスコンロが未整備
   ↓
 しばらく外食生活
   ↓
 研究室の環境整備を優先する
   ↓
 他の先生からもらったデスクスタンドを自宅の照明に使う
   ↓
 免許証の住所変更
   ↓
 ガスコンロを買う
   ↓
 熱調理が出来るので,食材を買い込む
   ↓
 でも,最初の自炊(?)はカレーうどん(さすが讃岐うどんは美味い)
   ↓
 照明はしばらくこの調子でもいいか…電子レンジが欲しいかな?

 人に言わせれば「都落ち」ということにでもなろうが,のどかなこの街に越してきて,私自身はよかったのではないかと思っている。校務も本格化していないこの時期だから,まだ半分は春休み気分が抜けていないとしても,田舎過ぎもせず都会過ぎもしないこの街の雰囲気は,生活するのにいい。


 東京で沢山のご恩を得て刺激的な日々を送った経験からすると,どこか気の抜けたところのある地方都市での日々は,正直なところ,まったりとした時間に飲み込まれてしまう不安を感じさせる。


 やれコミュニティだ,ワークショップだと賑やかに唱えていた物語は,地方都市における土着の共同体意識の中に滑り込ませるにはあまりにも脆弱なままで,一体その溝を埋める仕事は誰がするのかという問題はほとんど手付かずであるような気がする。

 もちろん,ユニークな試みをするのは地方都市の方が多いという指摘はその通りなのであるが,そうした試みは地方都市を「舞台」にしたがゆえに成り立ったに過ぎないという風に考えれば,それを取り去ったところの地方都市に(ハコモノ以外の)何が残っているのかをハッキリ示してくれた試みを,私はすぐに思いつくことが出来ない。知らないだけだとは思うが…。

 そのことは,特に私が越してきたこの徳島県において顕著ではないかと思われる。

--

 学生達とのやり取りが進むにつれて,この地方都市が周辺の都市とどのような関係性で把握されているのかを伝聞レベルではあるが知るようになってきた。

 徳島という街に対する評価は,基本的には悪くない。しかし,若い人たちにとっては遊ぶ場所も楽しいイベントも少なく,夏の阿波踊りによる賑わいを別とすれば,関心は他所に向いているのが現状のようだ。

 四国の中なら,香川県の高松市に様々な商業施設や催事が集まっているという。ちょっと足を伸ばすなら,高松に遊びに行くという感じらしい。

 さらに足を伸ばすなら,大橋を渡り,神戸へと出かけるという。高速バスは毎時間出ているので,週末などは神戸・大阪に買い物に出かけるのも珍しくない。自動車とETCがあれば,高速料金もリーズナブルになった。


 そのような周辺都市の賑やかさに目を奪われながら,学生生活自体は徳島という街で過ごす学生達は,どこか心ここにあらずといった感じでもある。

 就職の話になれば,学生達の複雑な心境は深刻化していく。様々な資格を取得するために授業を受講しているが,その資格を活かした職につける可能性は大きくない。特に女子学生は地元志向である。できれば県内での就職,あるいは少なくとも四国,もしくは中国地方や関西地方といった地元を希望する。そうなれば,選択肢や可能性はおのずと絞られるか,無い場合さえある。

 就職や人生の不安ばかりが可視化され,勉学や学びに対する喜びや期待は風前の灯だ。

--

 「先生みたいな若い人が来てくれて,みんなも嬉しいと思います」

 自分も同じ学生にも関わらず,こんな風なコメントを書いてくれる学生が居る。場所や時間を違えて,似たような意見を聞いたり,見たりもする。教える者が「若い」ということの(事実性はともかく)認識が,授業に対する好意的な認識に大きな影響を与えるということを私たちは経験的に知る。

 学生達が欲しているのは何だろうか。年度が改まり,新しい事柄に対して何かしらを期待している。どんな変化を望んでいるのだろう。自分自身を新たな学びに開いてくれることだろうか。そのことを通して,生きている日々に意味付け出来ることたろうか。あるいは何かしらの目標の達成の手助けを期待しているのだろうか。

 もちろん私たちは,ニーズだけでなく,シーズを見つめて問い掛けなければならない。学生達はこの世界をどのように生きていくことができるのか。今後この世界で生きることとはどんなことなのか。地方都市で過ごす生き方はニーズかも知れないが,別の土地や世界へ出かける選択肢もシーズとして提示すべきではないか。


 私は「若い」という期待だけが頼りになっているような状況を良いことと考えていない。若さの可能性とは別に,老いによる深遠さにも期待を抱くようになれば,それだけ学びに広がりがでるはずである。

 私にしてみると,大人の学びという問題の議論は,まだ「若さ」に捕らわれているのだと思う。おそらく,数年後には老いの視点を組み入れた議論が展開してくると予想している。人々の議論は,人生という時間スパンの域に対して想像がまだ届いていないし,(都会に住む人たちにとって)そのことには時間がかかるのだろう。


 私は,地方都市という現場でそのような問題を考えることが近道だと思っている。もちろん,生ぬるい生涯学習の議論に陥る危険は十分あるし,反対に地方都市を舞台にするだけの表層的な実践と議論になる危険もある。その狭間をうまくバランスをとりながら歩むことで,何かしらの道(第三の道?)を見出すことが出来るのではないかと思っている。結局のところ,それが溝を埋める地道な作業なのだ。


--

 教育らくがきにでも書くべきテーマになってしまったが,学生のコメントやこれからご厄介になる土地に対する勝手な考えが含まれているため,少々遠慮してこちらに書くことにした。


 私は,この土地に骨をうずめることになるのかどうか。まだよく分からないので,そのような取り組みを自分自身がすべきかどうか判断しかねている。たぶん,考えて決めることではないのかも知れない。

 そうしたければ,そういう人生になるし,そうでなければ,また別の場所で別のことをする人生になるだろう。リキッドな私の生き方については,今回の内容も再度取り上げつつ,別テーマで教育らくがきに書くとしよう。

第2週を終えて

user-pic
0

 新学期の慌ただしい日々を含んだ第2週も終わり,明日から平常授業が続く4月第3週が始まる。研究室環境はほぼ完成し,贅沢を言うなら冷蔵庫とか電子レンジがあるといいなぁという感じである。

 前職の時から引き連れている蔵書と部材があったから,もともと一通りのものは揃っていたし,足りないものは職場の近所(?)にある文具店やホームセンターで調達できた。研究室を見ると,まるで数年前からここに居たんじゃないかと思うくらいにモノがたくさんある。というか,この部屋に馴染んでいる。

--

 研究室の環境を整備し終えたら,ぼちぼち仕事に取り掛からねば。環境作りで体力も使って,少しくたびれているものの,授業の準備もしなければならないし,研究成果の発表準備もしないと…。

 でも,正直なところ,学生達を見てみないことには,どの程度のレベルで授業を進めるべきかわからない。学生達同士は,総合大学ゆえか,かなり温度差がある。大学における最大の関心事が「学習意欲をどう喚起するのか」というところにあるのだから,東京で調子こいて講義していたのとはまた違う次元の努力が必要だ。


 う〜む,そんな調子じゃ,また研究とご無沙汰になっちゃうんじゃないかという不安は募れど,焦っても結果は出ないし,とりあえずは,自分のモチベーションを維持するために「教育らくがき」を再開することにした。

 隠居して沈んじゃわないためにも,まずはこの場所で孤軍奮闘,七転八倒しないと…。

 こんな記事があった。iPhoneの教育利用にちょっとは貢献するかな?でもトップ画面より先は通常のWeb画面になって、ちょっとiPhoneでは使いづらいか…。Yahoo!きっずのサイト自体がiPhone対応レイアウトになってもらわないと…。


http://journal.mycom.co.jp/news/2009/04/08/065/index.html

終電がない

user-pic
0

 久しぶりに大学のすぐ傍に住むようになって、好きなだけ大学に残れるようになった。東京大学在学中はどうしても終電に乗らないと帰れなかったが、いまは終電が無いので気にせず居残り。今日も夜中の1時半まで。明日は1時間目から授業だというのにね…。

 家に帰っても誰もいないし、何もないので、大学の研究室に居残るのが大好きである。願わくは邪魔されずに研究室でのんびりと本を読んだりしていたいのであるが、世の中そういうわけにもいかないので、まあ、授業やら仕事やらをこなしつつ過ごしたりする。大学院の時は、他の院生もいたりして一人の時間を確保するのも難しかったが、それに比べれば新しい職場の環境は有り難い限りだ。

--

 ここ数日、宙ぶらりんを楽しんでいたが、さすがにそのままというわけにはいかないようで、細かい所属と学生指導の仕事をいただいた。生活科学科食物専攻にぶら下がり、10人ほどの学生の面倒を見ることになった。

 栄養学は素人同然の私に、栄養士を目指す学生達をサポートできるのかどうか怪しいが、まあ、学生生活上の困ったことや相談事があれば話を聞くという役目なので、何とかなるかなと思う。

 男子学生が一人居る以外は全員女子学生。嫌だ嫌だと念じても、どうもそういう運命にあるようで、また気を使う日々の始まりである。どこまでも女性陣にご奉公の人生らしい。神様、太陽を見すぎました、来生は誰か一人の女性にご奉公するぐらいの運命にしてください。^_^;

 というわけで、こんな調子で突然仕事が降ってくるらしいので、とにかくうまくこなせるように頑張りたいと思う。

--

 あちこちに住所変更や勤務先変更を届け出る作業も進めている。銀行やカード会社、学会や定期刊行物、いままで名刺や年賀状をいただいた皆さんにもご挨拶をしないと…。住所録が未整理なので、改めて作成し直す必要があるなぁ。こういう作業はなかなか大変である。

 さてと、明日も頑張りますか。

研究室はOK

user-pic
0

 4月1日から新しい職場に着任し,右も左も分からないまま担当授業が始まり,週末を挟んで,今日は入学式。徳島にやってきて一週間経ったが,まだ腰を落ち着けて仕事を始めるには至っていない。

20090406lab220090406lab それでも,職場の研究室の環境準備も進み,いくらかの段ボールを除けば,人を受け入れる環境にはなったと思う。ご覧のように両側が本棚で,目茶苦茶な方針でかき集められた蔵書が並ぶ。教育学系の文献は実家に残してあるので,年内には一緒にしようと思っている。一番奥に私自身のデスクがある。私のデスクから見ると,入り口とテーブルはこんな感じ。私とテーブルにはある程度距離を持たせたので,基本的にテーブルは誰が利用しても良い感じにしてある。


 仕事場の整備はOKとして,一方の自宅は未整理。とりあえず隣り近所から丸見えだったので足りなかったカーテンを買い込んで,なんとかプライバシーは確保した。

 不動産屋さんによると,物件にもよるが,徳島の賃貸物件に電灯やガスコンロの無いものあるという。実際,私が借りた部屋も電灯とコンロがない。なので,真夜中に帰ると,お風呂とトイレの明かりと,持ち込んだデスクライトの明かりしかない。もちろんガスコンロがないので,まだ自炊もできない。

 いっそのこと,部屋の明かりは全部間接照明にでもしてやろうかなと思う。ガスコンロは,さすがに無いと自炊ができないが,置く場所一つの安いコンロ買って,立派なオーブンレンジを買ったほうがいいのかな。


 まあ,まだ徳島生活始まったばかり。環境は少しずつ良くしていくとして,ぼちぼち仕事に取り掛かろう。

やられた

user-pic
0

 新2年生以上は4月2日から授業開始なので,私も着任早々に授業を始めた。その勢いで月曜日の1時間目の授業からあるもんだと思って,真夜中までどうしようか困っていたら,ついさっき月曜日が入学式だと気がついた。

 ん?入学式ってことは,休講なのか?

 ああ,新任者説明会で途中抜けしたから,肝心のスケジュール説明を聞いてなかった。どこを調べりゃいいんだ。学内のポータルサイトをあちこち探し回るが,教員向け情報がたくさんありすぎて見つからない。

 学生向け情報の2月掲示分から,ようやく目的の情報が得られた。

 4月6日と7日は休講…。


 あ,そうですか…,ホッとするやら,悲しいやら…。