2009年1月アーカイブ

少しくたびれて

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 修士論文審査と博士口述試験を兼ねた発表を終えました。考える事いろいろですが,終わってしまった以上は結果を受け入れるしかありません。修士の修了は許してもらえるとして,博士課程への進学は…どうでしょうね。出直してこいと言われることもなんとなく覚悟しています。

 これで一段落…,ということにはならず,明日以降も原稿やら非常勤やら仕事が待ちかまえています。でもちょっとくたびれてしまいました。周りには大勢の人たちがいるにも関わらず,孤独な作業を続けているせいかも知れません。そのことは昔から変わりませんが,ときどき気持ちがくたびれてしまいます。

 人間関係というのは不思議なもので,遠い人ほど事情を察してくれていて,近くにいる人たちほど事情を知らないものです。まあ,改まって話をする機会も無いですからね。私は人に対する関心が高すぎて,よく誤解を受けるので封印しているタイプの人間ですが,それで話せないこともたぶんストレスになっているのだと思います。


 そんなことや仕事のことをぼんやり考えてたら,また夜更かししてしまいました。さてと僅かな時間でも眠りにつきますか。

 しばらく慌ただしさのために記録が滞ってしまった。非常勤先の担当講義も残すところ3回となり,そろそろ授業の締めにかからなければならない。

 「初等教育の内容と方法」は,最後に試験,その前に復習とゲストを迎えることになるため,自由に講義できる最後の日ということになった。教科書の内容はすでに先週のうちに片づけたので,その中の教育評価に関する復習とリクエストのあった指導案の書き方や在り方について論じ,十八番である就学前教育から高等教育までの各学校段階を通して見る話をして,初等教育の位置づけを確認して講義を終えた。

 3年ぶりの週一講義と修士論文研究を同時並行させるという無茶ぶりな担当であったが,なんとか一通り授業を終えられそうである。しかも,初等教育の内容と方法に関して学校教育の内部だけでなく外部のまなざしも強く意識した授業内容となり,他の授業が描く教育の姿と比べて,より現実的なものを描けたのではないかと考えている。

 概して,教員養成の授業で膨らまされている学校教育に対するイメージは,伝統的な教師文化の再生産といったものや,マスコミベースで展開する表層的情報が,教員養成現場に流布する素朴な誤解とともにないまぜになってしまっている。

 こうした混線状態を解きほぐしたり整理する機会は意外と少ない。このまま次代の教育現場を担う人たちが誤解を持って現場に入ってしまうと,想像と現実の齟齬でストレスや精神的負担を感じ,教員生活がより苦しく感ぜられてしまいかねない。まして,困難な時代に入ったこのご時世では,そうした状況に耐えられず教職を辞してしまう人も出てきてしまいがちある。だからこそ地方自治体の一部で,教師塾のようなものが作られ,少しでも現実に即した知識と技能を伝授しようとする動きがあるのだと考えられる。

 「大学という高等教育の現場で教員養成を行なうことの意義とは何か」

 教員養成に携わる人間全てが,真摯に考えなければならない問いだと思う。それは,少し変化球ではあるが,教員免許更新制度の講習の場において,どのような研修内容を扱うべきなのかという問いとして,投げ掛けられているところもある。しかし,現実的には,この問いに応える余裕が高等教育からも失われている実態があることも理解されなければならない。

 職場を捨てて自分のための勉学に精を出し始めた無責任な男に,なぜだか神様は,教員養成の現場を手伝うようにと運命の糸をたぐり寄せた。「まだ問いの答えを出したわけじゃないだろう?」そう言う神様に,私は「僕でいいんでしょうか」と聞いてみたりする。神様は「本当は誰よりもやりたいくせに」と言いたげな雰囲気で2つの授業を任せてくれた。

 高等教育の講義としては,あまりにジャーナリスティックであり,あまりにロマンチックであり,あまりに高尚で,あまりに下世話な授業であった。開始は時間通りで,終了は時間オーバー。同じ教室を使う次の時間の先生も,最初のうちはにこやかだったが,次第に呆れ始めていく。そういう授業を,たぶん他で見つけるのは難しいだろう。

 それが答え? そうは思わない。でも,そんな授業が一つあることも大事だと思う。

 一つ一つの授業によって教員養成が営まれているのではない。一つ一つの授業が集まり連携を通して教員養成を営んでいくのである。多くの授業が指導案を書く課題を相次いで出す。ならば,指導案というものの存在を思惟する授業があっていいはずだ。学生が疑問に思ったことに対して,考える術を提示するのも教員養成の仕事である。しかし,単なる批判に終わらぬようしっかりと手綱を取りながら。

 さて,初等教育の内容と方法も一段落。今日は授業アンケートも書いてもらった。かなり手厳しい評価も返ってくるだろうけれど,また次の機会に活かせるように精進したい。来週は試験のための復習とお楽しみゲストコーナーである。


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 「教材論」は,各自の調査の中間発表を終えて,ようやく私が講義をする授業らしい授業が先週から始まった。アン・スファードの「学習のメタファー」について学生達は学んでいないというので,今日はそのお話から始めた。

 「獲得メタファー」という学習観とともに「参加メタファー」といった状況論的な学習観が重要視されており,これらを目的や状況に応じて使い分けることが大事と紹介した。その上で,私たちが各自で調査している「教材」というものが,どのような意味で重要なのかを,活動理論の変遷をみることで確認した。そう「三角形」の登場である。

 ヴィゴツキーの三角形モデル(三項図式)は,AからBの間が直接つながるのではなく,Xという媒介項を介してつながるリだという,ただそれだけのことを言っている理論である。その大事さを伝えるのは,なかなか難しい。手を替え品を替え言葉を替えて,媒介することの意義を語る。そしてXを道具であると考えるとき,教材の存在価値が見出されるように仕向けてみる。
 さらには,エンゲストロームの活動理論に発展させて,授業で行なってきた活動が三角三角のあの図の上で,どういう風に説明できるのかを線引きして見せた。悔しいながらも,これまた活動理論の三角形は,授業をうまいこと説明してくれるのである。ずるいくらいに。

 そして,後半はグループに分かれて発表の進捗報告や相談。私も各グループを呼び出して,集団面接状態で進捗確認をする。面白そうな進捗ばかりで,話を聞き込んでいたら,「先生!時間過ぎました!」「あ!」また時間オーバーである。

 次回も少しばかりまとめをして,各グループの作業時間。そして最後の日には,外部ゲストをお招きして,いろいろと教材製作の裏話もお聞きしたいと思っている。

 教材論における各自の成果は,Web上で公開予定である。やっぱり本人達の最初の希望通りには調べは進まず,あれこれを諦めながらまとめているようだが,まあ,卒論じゃないから当然だし,それでいいと思う。最初からテーマは小さくて絞り込んで良いと言ってあったし。

 この「教材論」の授業は,先の「初等教育の内容と方法」に比べると小さい規模で,わりとみんなで和気あいあいと活動をしてきた。授業という大義名分を利用して,実際の現場に出かけたり,情報を集める計画を実行したり,学生時代だからこそ挑戦できることをやるようにけしかけてみた。若者の経験不足を嘆くならば,若者に経験の機会を与えよう。単純な発想である。

 以前にもここで紹介したことがあるが,ある大学生からこんな話を聞いた。教員養成に通うその学生さんが小学校の児童と関わったとき,自分の紹介として「先生を目指している」と語ったら,「もう夢がないんだね」と言われたという。小学生からそんなことを言われるとは…,それはそれはショッキングなエピソードである。というよりも,その小学生にそんなことを思い至らせた周りの大人を取っ捉まえてやりたい。

 とにかく,いつもと違う試みや出会いをすることで,今後の人生に少しでも花を添えることができれば,それだけでも十分価値があると思う。私が東京にやってきて,いろいろな方からいただいたご縁をちょこちょことつなぎ合わせたり,学生の背中を押してみたりすることで,そういうものが生み出せたなら成功かなと思う。


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 いつものように授業を終えて帰ろうかと思ったが,今日はたまたま学内で研究会が催されているというので,興味本位で飛び入り参加することにした。「PISA / TIMSSと教師教育 -日本とドイツの教師教育に何をもたらしているか-」(PDFチラシ)という公開研究会。こちらも大変興味深い内容だった。そして,いつもの質問癖が顔を出して,あれこれ口出ししてしまった。ああ…ごめんなさい。

 日本の文脈とドイツの文脈について,それぞれPISAショックを受けたといっても,その程度はかなり異なるというのが本当のところだろう。曖昧になりがちな両国の差異と,取り組みに対する受け止め方の違いなど,もう少し丁寧に議論しないと,難しいなと思った。たとえば他の人の質問にあったのだが,ドイツの「母語による教育」がドイツ文化を背景に持たない家庭の子たちに対する配慮や重視を教師に促しているのを受けて,日本も外国人をより多く受け入れる時代を迎え,それを見据えた日本語の教育の変化があったとして,それはいかがなものだろうかという懸念も,もう少し丁寧に議論することで答えを見出していくことはできるのではないかと思う。


 そうそう,今日の授業のコメントに「学内でPISAとか,TIMSSと書いた看板があって,授業のことを思い出しました」と書いてくれた学生が何人かいた。ええ,うちの授業は大学院レベルのこともしておりますからね,受講生には胸を張っていただきたいものです。

 以下の要領で「ICT活用実践研究教師塾2009」を開催します。関心のある方は,是非気軽にご参加ください。

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◎テーマ「活用型学習を創る教師の授業力とICT」

■日時:平成21年2月14日(土)13:30〜16:50(受付開始:13:00〜)

■会場:(株)内田洋行 新川オフィス(ユビキタス協創広場 CANVAS)B1F
    東京都中央区新川2-4-7
     http://www.uchida.co.jp/company/showroom/canvas.html

■プログラム:

13:30〜13:50
(1) あいさつ 辻 和久(石川県金沢市立金石町小学校/中川塾)
       井上 謙(埼玉県大利根町立原道小学校/ゼミ)
(2) 趣旨説明 中川一史(メディア教育開発センター)

13:50〜14:50
(3) 実践徹底討論(20分)と検討(40分)【2か所で】
●実践提案1【教科】石倉和幸(鳥取県米子市立成実小学校)
「メディア創造により試行錯誤する授業場面を設定した国語学習
              〜くらしの裏ワザ番組をつくろう〜」
 コーディネーター・佐藤幸江(神奈川県横浜市立高田小学校)
 コメンテーター ・中川斉史(徳島県三好教育研究所)
         辻 和久
         田中健太郎(長崎県南島原市立堂崎小学校)
          堀澤直樹(群馬県前橋市立大胡東小学校)
●実践提案2【総合】石井芳生(徳島県東みよし町立加茂小学校)
「各種メディアを効果的に活用して、総合的な学習の時間における豊かな学びを創り出そう
            〜お米学習におけるメディア活用力と豊かな学びをめざして〜」
 コーディネーター・中橋 雄(武蔵大学)
 コメンテーター ・児玉晴男(宮崎県新富町立富田小学校)
          林 向達(東京大学)
          鈴木 誠(山形県川西町立犬川小学校)
河崎 睦(神奈川県綾瀬市立北の台小学校)

<14:50〜15:05 休憩>

15:05〜15:50
(4) ポスターセッション(10分発表+10分討議)×2【6か所で】
     :コーディネーター・井上 謙
《前半戦》
A-1:岸本直樹(京都府京都市立柊野小学校)
「ICTを活用して書く力・読む力 の育成〜国語科での実践より〜」
A-2:福士晶知(北海道美唄市立西美唄小学校)
「デジタル教材を使って伝える力を育てる〜国語・総合の取り組み」
A-3:速水道弘(鳥取県米子市立河崎小学校)
「デジタルコンテンツを使って活用力を高める社会科の学習」
A-4:黒岩浩司(東京都足立区立青井小学校)
「デジカメでスピーチの指導〜特別支援の取り組み〜」
A-5:村田祐子(愛媛県松山市立北条小学校)
「小規模校における伝える力を高めるためのテレビ会議システムの活用」
A-6:河越光孝(長野県長野市立浅川小学校)
「小学校国語での思考を促すデジタルコンテンツと板書の活用法」
《後半戦》
B-1:松本佳子(千葉県鎌ヶ谷市立五本松小学校)
「ICTを活かした低学年・説明文の読解」
B-2:完田八郎(鳥取県湯梨浜町立羽合小学校)
「豊かな表現力を育てる指導〜情報教育を生かした国語科・総合的な学習〜」
B-3:木村徳泰(神奈川県相模原市立東林小学校)
「伝え合う創造性あふれる授業〜社会科におけるにICT活用実践〜」
B-4:手嶋香(北海道栗山市立栗山小学校)
「デジタルカメラでカルタづくり〜特別支援の取り組み〜」
B-5:北村義人(宮崎県宮崎市立住吉小学校)
「表現力育成を図る映像モデルの活用〜国語科における実践的取組〜」
B-6:赤尾知子(岡山県岡山市立福浜小学校)
「友達とかかわりながら学ぶ家庭科〜デジタルコンテンツを活用して〜」
<15:50〜16:00 移動・準備>
16:00〜16:50
(5) 総括パネル「活用型学習を創る教師の力量」
     コーディネーター(中川一史)
     パネリスト(佐藤幸江・中橋雄・中川斉史・児玉晴男)

■申込み・お問い合わせ:
 URL  http://sites.google.com/site/ictclasssemi/
 E-mail ict.class.semi@gmail.com
 お申し込みの際は、「お名前・所属」についてお知らせください。

■主催:ICT活用実践研究中川塾実行委員会&ICT活用授業力ゼミ実行委員会

■共催:パナソニック教育財団

■後援:(株)内田洋行、(財)学習ソフトウエア情報研究センター

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 ニュースによると、インテル社会長のクレイグ・バレット氏が5月の株主総会で引退することを発表したという。ちょっと心配なニュースである。

 なぜ心配なのかというと、バレット氏は教育支援などの社会貢献活動に力を入れていた人物で、日本も含めて世界中の先生たちがその恩恵を受けてきたのである。重要な推進者であるバレット氏が引退となったとすると、今後のインテル社の社会貢献活動に影響がないとは言い切れない。なにしろこのご時世である。何があっても不思議ではない。

 ただ、世の中の景気がどうあろうと、情報技術を活用していかなければならない流れは変わらないわけで、インテル社の社会貢献活動が無くなってしまうということもないだろう。
 けれども、選択と集中が必要とされる中で、インテル社の活動を有効に活用してこなかった日本のような国への支援は削られていくかも知れないのだ。

 確かに日本は、独自の研修制度が発達しており、こうした外部リソースをあまり必要としていないのかも知れない。そういう現実もあるのだろう。
 しかし一方、世界の先生たちの輪の中に入っていく機会を持つことも、今後はより大切になっていく。そうした機会が企業の社会貢献活動によって得られるというチャンスは、もっと有効活用すべきだと思う。

 もしあなたがそういう事に少し関心があるなら、ちょうど1月31日に東京学芸大学で教育フォーラムが予定されているはずである。参加してみてはいかがだろうか。

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教育フォーラム2009
http://www.u-gakugei.net/topics_pop.php?id=489

1月31日(土)13時より
東京学芸大学にて開催
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プチ帰省中

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 週末を利用して帰省をしている。正月帰らなかったので「いつ帰ってくるのか?」という問い合わせも強くなっていたし,先延ばしにしていると来月後半も帰れるかどうか分からなかったから,プチ帰省することにした。

 実家の蔵書から必要な本をゲットすることもしたかったから好都合なのだが,限られた時間でやりたいことが多くて,いまも切り上げられなくて困っている。実家サーバーのデータ吸い上げを始めたら,あと5時間ほどかかるそうで(ははは…旧いマシンなので遅いのである),今夜東京に戻るつもりが,明日になりそうな予感である。明日の早朝帰るか…。

 とにかく,書き上がった論文を実家に上納し,近況報告と,いつものように時事ネタ議論を展開し,地元の経済不況がどんな感じなのかを偵察にいったり,蔵書の確認をしたり,いろいろやっていた。

 なんか原稿も発表準備も授業の準備も足踏み状態なのだが,ま,なんとかなるかな。なんとかなるのか?

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 結局,夜の新幹線に飛び乗って,東京に戻ることにした。データ吸い上げは,全部ではないが,なんとか区切りがついたし,やっぱり戻っておいた方が楽だしね。

NewsMemo20090122

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 晴れてオバマ氏が大統領になった。ここ数日は,そのことを世界中がどう受け止めているのか,どういう意味があるのか,あちこちニュースを眺めたり,就任式を振り返るニュース番組やコメントを見ながら考えていた。 

 請け負っている原稿を書くに当たって,文献を読んだりしている。海外文献やその翻訳本を読んでいて,ふと,オバマ前とオバマ後の出版物や著作物で,拠って立つ背景が異なることになるんだということに気がついた。そうなのだ,人種問題やら何やらについて,そしてかなわぬ夢と思われた牧師の言葉が,今こうして現実になったのである。書物に書かれた事柄についても,私たちはそういう時代の変化や違いについて意識的にならなければいけなくなった。

 こういうWebの駄文ですら,私たちはもう少し時代の空気というものや,歴史とのつながりについて,何かしら意識しておくべきだと思うのである。もちろん,いつも気が抜けないのでは駄文にならなくて困るから,忘れてしまう時があってもいいとは思うけれども,もう少し何を書くにしても気概を持ちたいもんだと思う(自分が一番出来が悪いのかも知れない…)。

 そのほか,ぽつぽつとニュース。

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全国体力調査、上位県は「生活習慣が良い」 文科省
http://www.asahi.com/edu/news/JJT200901210002.html

 →学力の公表は神経質なのに,なんで身体的特性に関しては順位に寛容(?)なのだろう?


「学力も体力も低くてどうする」…全国体力調査結果に知事怒る
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/h_osaka/ho90122a.htm?from=tokusyu

 →ああ,やっぱり怒っちゃいましたか…。まあ,そりゃ怒りたくもなるかな。いや,泣きたいのか本当は。


携帯電話持ち込みに一定の方向性を ネットいじめ自殺受け、文科相
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090120/edc0901201121006-n1.htm
携帯は小中では禁止、文科省が各校へ月内にも通知
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20090121-OYT8T00582.htm

 →お墨付き効果を狙ってる?この記事一番頭いたいわぁ,原稿にどうやって反映させようか…。


市立の全491校で小中一貫教育 横浜市、12年度か
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200901190093.html

 →うーん,横浜の先生達の大変さが増してしまうのはちょっと心配だけど,いつかは通る道なので応援したい。


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 ところで,オバマ氏のミドルネームが「フセイン」だということは,いつくかのメディアでも報じられて「微妙な問題」として扱われている。大統領選挙中は,このミドルネームを表に出すとマイナスイメージにもなるということで,ほとんど使われなかったし,マスコミもその辺は触らなかった。

 しかし,選挙勝利後,大統領就任式ではオバマ氏自らがミドルネームもハッキリ出して「バラク・フセイン・オバマ」として宣誓を行なうと表明したので,この問題がどう扱われるか注目の的であった。

 全てのマスコミ報道をチェックしているわけではないので,全体でどうだったかは,また別の人が分析してくれるだろうと思うが(というか,すいません,うち教育駄文のブログだったのにねぇ…),Web記事を見ていた限りで,ニューヨークタイムズ紙とUSAトゥデイ紙で,表記が分かれていたのは確認した。

 ニューヨークタイムズ紙は,大統領就任式までは「バラク・オバマ」表記で,ミドルネームは出さないままだった。たぶん,かなり迷っていたのだろう。それに引き換え,USAトゥデイ紙は大統領就任式前から「バラク・フセイン・オバマ」とフル表記をしていた。大胆というか,あっさりというか…。
 その後,大統領就任式が終わると,ニューヨークタイムズ紙も,ホッと胸をなで下ろしたのか,「バラク・フセイン・オバマ」という表記に変わっていた。

 ところで,大統領就任式自体では,オバマ氏の名前がどう呼ばれていたかというと,オバマ氏が宣誓をする際に式場に流れたアナウンスは「バラク・H・オバマ」というイニシャル呼称だった。そして本人が宣誓の際に自分の名前を名乗るときには約束通り「バラク・フセイン・オバマ」と名乗っていた。


 就任スピーチに関してはメディアでもいろいろ分析されているように,選挙中のスピーチとは違い,あくまでもこの困難な時期に就任した大統領としてのスピーチに徹したものだったと思う。ABCニュースに出ていたレーガン元大統領の息子さんは,「彼(オバマ氏)のスピーチにしてはちょっと期待外れだった」というようなコメントを出していたが,まあ,それも当然なのかなという感じで,あとからじわじわと練られた演説文の意味が読み解かれていくという,そういうタイプのものだったといえる。

未来とは

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 日本では麻生総理が首相官邸に引っ越したことがニュースになっているが,米国時間の20日火曜日には,第44代アメリカ合衆国大統領にバラク・フセイン・オバマ氏が就任する。就任式(Inauguration)は,大統領選挙が行なわれた翌年の1月20日に行なうのが通例とされている。

 書店には,オバマ氏の自伝や著書はもちろん,演説集や選挙の様子を記録した出版物が集められている。岩崎書店が少年向けのオバマ本を緊急出版したりもしている。小学校の教室や図書室に置かれることを意図した内容だ。日頃,海外ニュースに疎い日本でもこうした動きがあるくらいである。世界中がオバマ氏の大統領就任を今か今かと待ちかまえている。

 それは無理もない。8年間のブッシュ政権は,各任期の最初こそ勢いはあったものの,前時代的なドンパチで富とパワーを得ようとした一部の浅はかさが,世界を混乱に陥れたのだから。そして,大統領のキャラクターのバカさ加減が印象的なだけだった。そういえば,パパ・ブッシュも唇ネタでバカにされたな。

 とにかくそれだけ長い時間のストレスと,現われた新星への期待が掛け合わさっている。この新星は,アフリカ系アメリカ人であり,シカゴ大学で教鞭をとり,そして権威ある『ハーバード・ロー・レビュー』誌の編集長を務め,州議員,上院議員のキャリアを歩んで,いまや合衆国のみならず世界に向けて「変化」を訴えている。そんな彼の語りは人々の心を捉えて放さない。

 当然ながら,多くの人々の期待とは別に,新しい大統領が直面する困難について指摘し,新星の力は及ばないかも知れないとする声もある。人々もマスコミもとりあえず静観する3ヶ月程度のうちに,目に見える成果を出すことができなければ,彼もまた批判の対象になるという。それが仮に半年に伸びようが,確かに新しい大統領のなすべきことは困難を極める。

 だからこそ,ますます新星に対する期待は膨らむ。もしかしたら彼なら変えられるかも知れない。かつてキング牧師が「夢」と語ったことを実現して見せた彼である。この8年間の悪夢からの目覚めがすがすがしいと言えないまでも,少しはホッとできるものであるように,彼なら思わせてくれるのではないか。いや,もしかしたら,夜明けを告げるスピーチとともに,新たな日々を見せてくれるのではないか。

 米国市民はもちろんのこと,世界中が,オバマ新大統領を加えた新しい世界の潮流に期待を寄せている。

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 それにしても,未来とは何だろうか。オバマ氏は,常々,融和や統一を口にする。私たちの未来は,お互いを分け隔てることに慢心するのではなく,共感を通してお互いが協調していく生き方が必要とされる。それは逆に言えば,タイトな関係を維持するコストを払わなければならないということであり,むしろ緊張感が伴うものであると考えるのが妥当であろう。

 もう少し踏み込んで考えるならば,その「緊張感」とは,同時代の者同士のそれというよりも,後世に対する緊張感といった方がよりオバマ氏の考えに沿うように思う。

 オバマ氏がハーバード大学の博士課程に進み,大学講師も勤めた研究・教育歴をもっていることは,今にしてみれば,政界で活躍する布石であるという捉え方にはなろう。しかし,「教育」という次代の人々を育み,知を受け渡そうとする営みに関わったという経験は,何かしら彼自身の根本に強く影響しているように思う。それは彼の娘たち(そして同じように学び夢を見る権利を持つ子どもたち)に対する想いからも垣間見られる。

 彼はこの世界を,次代に受け渡すための責任を果たそうとしているのではないか。


 それは「変化」というよりも,おそらく「選択」の問題になるだろう。月並みな見方だが,それが現実であり,オバマ氏が何を選択して次代に残そうとするのかが問題なのだ。そこに不安がつきまとうのも当然である。あるいは,ある人々にとっては,ブッシュ以上に残忍な大統領としてオバマ氏が立ちはだかるだろう。

 日本がオバマ大統領のアメリカ(あるいはヒラリーのアメリカ外交とでも言おうか)に対等な相手として扱われるかどうかは,日本が適切な選択をする国かどうかにかかっている。少なくとも今現在の日本は,その点に大きな不安を抱えている。


 日本は,未来に対する責任を,しっかり考えられているだろうか。その余裕を一人一人が持ちえているだろうか。

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 第44代アメリカ合衆国大統領が誕生する。

 この大統領の誕生が,歴史的にどれほど重要な意味合いを持つのか。この機会に学び直してみることも重要だろう。そして,この時代に居合わせたことに何かしらの意義を見出すことは,決して無意味なことではない。そこから未来に向けた「夢」を語ることができるのだから。

味噌煮込み

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 コンビニ夕食を食べながらネットをしていたら,味噌煮込みの話題が書いてあった。名古屋人の中には,味噌煮込みにこだわる人が多い。というか,ある味噌煮込み専門店のファンが多いと言うべきか。「山本屋本店」という名古屋の味噌煮込み屋さんは,名古屋の宝だと思う。

 もちろん,味噌煮込み自体は珍しい食べ物ではないから,あちこちで食べられるが,「山本屋本店」の味噌煮込みは,その味噌の味といい,芯が残るか残らないかの麺の硬さといい,絶妙で特別なのである。そして専門店としてお店の雰囲気も素晴らしい。だから,味噌煮込みを食べるとなると,どうしても「山本屋本店」の味噌煮込みを基準に良し悪しを判断してしまう。

 大学近くに味噌煮込み屋があって,ゼミのメンバーで食べに行ったことがある。正直不安だったが,そこの味噌煮込みはなかなか健闘していて及第点だった。変わりダネの味噌煮込みは,及第点の味噌煮込みをベースとしていたので,これも美味しく楽しめた。あ,そうか,今度また行こう。

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 ところで,味噌煮込みの話題で「山本屋本店」を出した以上,もう一つの山本屋である「山本屋総本家」にも触れて,この名古屋の二大味噌煮込みブランドについて整理しておかねばなるまい。

 名古屋人にとっては悩ましい話だが,名古屋には味噌煮込み店として「山本屋本店」と「山本屋総本家」という2つの全く違う味噌煮込みチェーン店が展開している。かつては「どちらが元祖か」という論争も賑やかだったし,「あれ,自分が好きなのは本店だっけ,総本家だっけ」とややこしいことこの上なかった。

 昨今では,味とサービスともに山本屋本店が格上で,山本屋総本家はまあまあという評価が定着している。それに,ネットを検索して驚いたのは,名古屋や愛知に居ながら「2つの山本屋」を知らないという人たちがチラホラいるとのことで,どうも名古屋の二大味噌煮込みブランド自体があんまりこだわりをもって語られなくなってしまったようでもある。

 どっちの創業が早いのかという単純な質問に対する答えには,解釈がいろいろあるため万人が納得する答えはないが,基本的には「山本屋本店」が創業明治40年に始まり,「山本屋総本家」は創業大正14年に始まった,とする説が一般的である。一応,歴史としては「山本屋本店」の方が長いことになる。ただ,本店の方は,現在の会社組織とはつながりが切れている云々がいろいろあって,ストレートに続いてきたという風にはならないようだ。

 ま,お家事情はともかく,名古屋の味噌煮込みといえば「山本屋本店」であって,これを押さえないわけにはいかない。以前は半年に1回は食べに行って贅沢な気分を味わっていたなぁ。また行きたくなってしまった。

よい提案

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 これはよい提案じゃなかろうか。こういう形で学校教育にお金を出す方法を提案して,給付金を教育バウチャーみたいに使ってみるのも悪くない。とりあえず思いつきレベルでは,とってもいいと思う。

「給付金を寄付して」橋下知事、小中学校にPC導入構想
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090115-OYT1T00043.htm?from=nwlb

仕事の津波

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 やったぁ!論文書き上げ提出できたぁ!と喜んだのも束の間,その間,オートストップしていた仕事やお返事をするために,過去のメールやデータを引っ張り出して整理処理。実はプログラミングで遊んでいる暇がないことに気がついたりする。ああ,奥多摩の温泉に入りに行こうか計画も水泡…温泉の湯煙の如く消えていく〜。

 年末年始の無茶ぶりに比べれば,まだ余裕があるからよいのだが,それでも放ったらかしにしていたことをもう一度再起動するのは,なかなかどうして大変である。でもそれが多分好きなんだろうな,自分。


 今日明日はセンター試験日。大学に入構する際には学生証が必要である。普段は一般の皆さんが自由に出入りできるので,散歩や観光する人々で常に賑やかなキャンパスなのだが,今日は,受験生と関係者のみ。しかも関係者もわざわざ来る人以外は,さすがに休むので,今日のキャンパスは閑散としているというか,実に静か。

 その静かなキャンパスを,自転車でしゃーっと生協まで走っていったりすると,なんか今日は自分だけの大学って感じがして面白い。またいろいろ文献買い込んで散財した。印刷やら何やらで破産寸前なので,資金調達を本気で考えんとなぁ…。

桜咲け

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テレビで東京大学前の郵便局が桜満開のイベントを始めたというので、ちょっと寄ってみた。いつも利用しているところなので、なんかちょっとだけ新鮮である。
この春、私も桜が咲くといいんだけど…。

 さて,いよいよ教育ト書きも再始動。残りの時間を頑張りたいと思います。

 年が明けるといろんなトレードショーがあります。まずは私の大好きなMacworld Expo(米国)です。ご存知,アップル社のパソコンやiPod,iPhone関連の展示会ですが,今回はソフトウェアの新版と17インチディスプレイで長時間バッテリーのノートパソコンが発表されました。

 ソフトウェアは,iLifeという写真管理,ビデオ編集,音楽制作ソフトのセット。そのうち,iMovieというビデオ編集ソフトが簡単操作はそのままにさらに高性能化し,Garage Bandという音楽制作ソフトには,有名人がビデオで楽器演奏をレクチャーしてくれる機能がついたりと,教育現場にとっても魅力的な進化を遂げました(もっとも有名人が楽器演奏のレクチャーをしてくれる機能は,英語ですけどね。音楽に言葉はいらないと思えば…)。

 さらにiWorksというワープロ,表計算,プレゼンテーションソフトのセットも進化しました。目玉はiWorks.comというWebサービスと連携して,つくったファイルを閲覧共有できる機能。そしてNumbersという表計算ソフトも着実に改善され,懸案だったグラフ機能が種類も増えて,より正確に描写されるようになりました(これで研究スライドにも使える,よかった…)。

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 ぼちぼち始まるトレードショーは,BETT(英国)という教育関連の展示会です。

 楽しみなのは,電子情報ボードをつくっているSMART社の「SMART Table」ですね。電子情報ボードが浸透した英国で,次に何を売り込むかということを考えたとき,こういう形のデバイスが選択肢になるということです。

 うーん,要するに,一人一人が小さなパソコンを持つという発想は,大事なんだけど,ちょっと古いイメージになるかも知れないということです。まずこういうコラボレーションを支える機器があって,それをサポートする形で個人のマシンがつながっていくということをしないと,未来を描くことにはならないんじゃないかな,ということです> Iさん+Uさん,期待してます。

 それから,携帯タイプの液晶プロジェクタも登場して,あちこちで見かけるようになりましたね。こういったツールが学校教育現場のグループワークで活用される日が訪れるのも,そう先ではありませんね。日本はそう先でしょうけど。

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 皆さんはあんまり意識していないのかも知れませんが,文部科学省がYouTubeやYahoo!に公式チャネルを持つようになったんです。あのYouTubeにですよ!YouTube側が著作権侵害ビデオの削除や音楽著作権料の問題などに対応したり,いろいろ努力した結果なのでしょうけれど,本当に3年前からすると驚きです。

 つまり,うまい方法を考えてプライバシーや個人情報の問題さえ気をつければ,教育現場にとってもYouTubeは強力な発信メディアになるということです。諸外国の学校と簡単に交流することが出来ます。ファイアフォールでチャットが出来ないとかいうことよりも,気軽にYouTubeにビデオアップしあうことで交流につなげるというやり方も出てきますね。

 ちなみにTeacher Tubeという,より教育向けに配慮された映像共有サイトもあります。これを使えば,なおダイレクトに海外の学校と交流が出来るかも。

 こういうツールの活用を奨励するような教育委員会だとなお良いのですが,そこは親御さんたちを巻き込む形で地固めしていくなど,現場なりのボトムアップ戦略をとる必要があるでしょう。その辺のノウハウはまたいろいろアイデアを書いていきたいと思います。ツールは使い方次第で可能性を広げる,それが本来のはずです。

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 私もiPhoneのプログラミングを始めたいなと考えています。新しいデバイスを使って先生たちの校務が改善されるアイデアをいろいろ実験してみたいと思っています。まあ,いまは趣味の段階ですが。

修士論文提出完了

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 ご無沙汰しています。そして私事ですが,修士論文を提出し終えました。調査にご協力いただいた皆様,心配していただいた皆様,応援してくれていた皆様には,本当に感謝感謝です。

 本日締め切りでぎりぎりまで粘りました。孤独な作業ですので,あれこれ確認確認で進んでいたら,やっぱり最後までかかりました。製本して提出直前というところで,思わぬ間違いを発見して,丸まる一頁ペタッと上書きしたり,読み返せば読み返すほど朱を入れたくなったり,こういうのは続けていると切りがありませんので,まあ,時間も来たので出しちゃいました。

 また再び,締め切りの魔術師伝説が続いてしまいそうですが,家賃の支払いとか,メールの返事とかは全てすっ飛ばしてしまっていましたので,本当に申し訳ないです。ああ,家の中の掃除もしないと…。

 というわけで,私の修士大学院生活も大きな一山を越えて,あとは身支度をするのみという感じです。

 次は何処へ流されていくのかは,自分の努力とご縁と時の運次第。

 少なくともあと数ヶ月は東京暮らし確定しているわけですから,いまのうち東京生活を満喫します。

 あ,でも博士課程の試験準備をしなくては…,さて,生き残れますかな。

う〜ん

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 これではダメなんだな…。とてもダメなんだ。

 やっぱり無謀すぎました。

謹賀新年

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 明けましておめでとうございます。いやはや,2009年です。そして私はこの正月に修士論文を丸まるでっち上げようという魂胆であります。別に寝飛ばしていたわけではありません。

 新年早々,ミラクルは起きるんでしょうか。とにかくあともう数分で,1月2日です。そんなあっという間の元旦でした。そして,あらためて,本年もどうぞよろしくお願いします。

 何があっても驚かないですからね。つまり,何でも起こりえます。まあ,見ていてください。

りん