2008年10月アーカイブ

【講義後記】20081027

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 非常勤講師先での講義2回目である。前回ガイダンスだったので,今回から早速ぐぐっと中身に入ってみることにした。もっとも来週はまた休講になるので,少し詰め込んだ感じの1回分になったと思う。

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 「初等教育の内容と方法」は,申込みの学生が少し増えて,110名くらいだろうか。教室が120名用だから,これ以上は無理。しかも増えても代わりの大教室がないそうだから,あとはお断りになる。お断りした経験がないので,そうなったら申し訳ないなぁと思うが,まあ,たぶん増えないでしょう。

 マイク無しで80分くらいノンストップ講義。さすがに幾人かの学生さんは話が追い切れないという感想も書いていたが,確かに今日はあれこれ詰め込んだので,そういう感想も当然かも知れない。それでも,とても興味深いとか,新鮮であるとか書いてくれる学生さんもいて,まるでダメというわけでもなさそうだ。

 話し続けていると,確かに「わかってもらえてるかな,心配だな」という気分になるときがある。一部ではこういうシステムを使って授業中の学生さん達の理解をフィードバック受ける先生方もいるようだが,契約資金もないし,毎回パソコン持っていく気力がないので,教室の雰囲気を気にしつつ,なるべくあれこれ授業のアイデアを盛り込もうと思う。

 コメント用紙はいろんな価値観を持つ学生さんが書いているので,いろんな意見があって当然。それに一喜一憂していた時代もあったが,最近は少し余裕を持って,ちゃんと授業改善につなげられたらと思う。

 ははは,まだ始まったばっかりだからね。これからこれから。

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 一方「教材論」は,26名という受講者数。まあ,小さなクラスみたいな感じなので,こちらは全く違うスタイルで授業をすすめる。今日は,ポストイットとペンを用意して,みんなで調べたい教材や教具について出し合い,グルーピングするなどの作業を行なった。とりあえずグループを作って,そこでネタ出し合い,さらに全体で黒板の上にポストイットを貼付けながら,共有整理していく。

 こちらの授業は,逆に学生さん達にいろいろ意見出してもらったり,考えてもらったりする流れ。みんな積極的だし,考えたり分析する観点もセンスがいい。私自身,場をファシリテートしながら大変刺激を受けた。
 あんまり議論が面白かったんで,あっと言う間に時間が経過。本当はハートマークのポストイットも用意して,自分が調べる題材にペタッと貼ってもらおうという演出も考えていたのだが,また次の機会ということになった。

 楽しみな授業になりそう。個々の学生さん達がリサーチ対象と調査課題と観点を設定して,深く調べて共有しようという活動である。学校教育から自由に離れて,世の中にある教材をあれこれ吟味しようというわけである。若いまなざしは批判的に見る眼も鋭いから,この時期に社会に溢れる物事にぶつかっていくのもよい機会だと思う。

 うん,自分が受けてみたかった授業をやってみることにしましょう。

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 といっても(知っている人は知っている,わかる人にはわかるように)年内は大変てんやわんやなので,はたして上手くいきますかどうか。願わくは,この慌ただしさが吉となるように,あれこれ結びつけたい。

日本賞の夜に

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 すでに開催期間がスタートして,いくつかの催しも済んでしまっているが,NHKが中心になって動いている「日本賞」が開催中である。今日は学生セミナーもあったようだ。今年は残念ながら参加する余裕はなかった。

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 とはいえ,遠方からセミナー参加に来た他大学の学生さん達との交流会があるというので,皆さんにはお世話になったこともあるし,担当の先生にもご挨拶をしたいと思って,誘いを受け,気晴らしも兼ねて渋谷へ出掛けた。

 連絡の行き違いで少し遅れて到着すると,たくさんの学生さん。勢いに負けないように,少し昔を思い出しながら,あれこれ楽しく交流した。卒論や修論に取りかかっている者に共通する悩みなんかを意見交換できて,刺激を受けた。

 さてと,明日は非常勤先の授業。一週間は速い。

旅立ちは突然に

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 引き続き,研究協力者は大歓迎中であるが,有り難いことに研究協力してくださる先生方をご紹介いただいたので,11月初めの連休は調査出張と相成った。旅立ちは突然決まるものである。感謝感謝。

 もっとも旅の終わりも近づいている。あと半年もすれば仕事を辞めて3年。私製サバティカルという名の贅沢な時間も,資金とともに終わりが見えてきた。次の行き先は未定。まずは論文一本仕上げるのが先である。

【講義後記】20081020

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 今日は非常勤講師先での後期初授業。授業のガイダンスとさわりをお話ししてきました。いやぁ〜,行ってしゃべって帰ってくると,さすがに疲れるねぇ。これ毎週ですかぁ,体力と健康維持が大事になりそうだ。

 講義は「初等教育の内容と方法」と「教材論」。学生さんから履修する意思表示としてもらう履修申告用紙を数えたら,前者が101名で,後者が24名。まだ履修登録期間中だから,場合によっては若干増えるかも知れないが,大体こんな規模である。

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 今回は,ほとんど事務手続き的なお話しと,少しばかり教育内容と方法に絡んだ話題や過去を振り返ったり,教材論ではこの授業でどんなことをしてみたいのかを語ったりして,受講生の皆さんの関心度を尋ねてみる感じになった。いつものようにコメント用紙を準備して,ざっくばらんに書いてもらう。いろんな所属といろんな関心が混ざり合っていることがわかった。

 みんなそれぞれ元気だし,親切だし,叩けば響きそうなポテンシャルを垣間見たように思う。今日は様子見で,ぷにっと押してみただけなので手応えわからず仕舞いだが,こちらがエネルギーを投入したらしっかり返してくれそうな感じはわかる。これは気が抜けない。

 いずれ誰かが検索でもして,このブログも発見されるだろうと思っていたら,最初から「ブログ読んだので受講しました」という受講動機を書いてくれた人がいて驚いた。とにかく有り難いことです。感謝感謝。このブログも,もう少しシャキッとしないとね。でも,どこよりも遠回りしているのは相変わらずなんだけど。

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 授業が終わってから,大学に関する情報集めをした。大学全般の事柄を知ろうが知るまいが授業の本質とは関係ないのも確かだが,もともとカリキュラム研究出身なのだから,全体も把握して部分も把握するということを押さえないと気が済まないのである。気が済むまでやってみるのがモットーなので,事務に行って,学生の履修手引きちょうだいだの,大学案内ちょうだいだの,それは広報課に行ってくださいだの,それじゃ広報課はどこにあるの?だの,それは本部にありますだの,やりとりして,キャンパス内を歩き回った。

 途中,生協の書籍部に寄って,書棚チェック。なかなか,押さえるべき基本文献はちゃんと並んでいることに好感を抱く。こういう環境なら悪くない。図書館も立派みたいだから,今度またゆっくり覗こう。

 たくさんの戦利品を持って,帰路につく。さすがに非常勤講師でこんなことする人はいないみたいなので,最後は呆れられていたようにも思うが,まあ,やっぱり学生が,どんな学風の,どういう学習環境で,どういうカリキュラムの全体性の中で自分の授業を受講しているのかを知るためには,これくらい調べないとねぇ…,子どもの実態把握を説くような人間としては。

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 こうやって多人数の大学の講義を受け持って,新鮮なのは,必ず新しい名字に出会うことである。下の名前ももちろん個性豊かなのだが,名字に関してもまだ初めて聞く名が出てくる。いやぁ,まだまだ日本も世界も未知なるものがあるんだなぁと思う。

 とにかく不慣れながらも初回はなんとか終了。次回以降でグッと中身に入り込まないと…,1回分もったいないしね。さあ,毎週月曜日頑張っていきましょ。

 今日は,午前中に現場の先生方に研究協力をいただき,午後は国立公文書館に出掛けて,特別展「学びの系譜」を見た。ちなみに展示は木曜日の23日まで。入場は無料だし,それほど時間もかからないので,ふらっと寄っていただきたい。

 実際,特別展とはいえ,国立公文書館の1階展示回廊をグルッとコの字で囲む規模である。じっくり見るのでなければ1時間もいらない。しかし,1時間くらいじっくり味わうのも面白い。

 江戸から現代までの教育関係文書が展示されている。量的にそれほど多くはないが「学制」や「教育令」や「教育勅語」といったもの,もちろんかつての「教育基本法」もある。


 大学関係者にとって興味深いのは,大学設置認可申請書類の綴りの背表紙写真がズラッと壁に展示されていることである。だからどうだと言われると,まあ,確かにそれだけなのだが,自分が通った大学や大学院,自分がもと居た職場のものや,非常勤講師でお世話になった大学,そしていま居る大学,学会などで訪れたりした大学のものなど,探して見つけてほくそ笑んでしまった。館長さんがとある会場で「皆さんの大学のもあると思います」って言っていたのはこれだったのか。

 大学の授業で,日本の教育の歴史を紹介する機会があったりするのだが,それを史料をみながらなぞれる感じになっていて,自分自身も大変有効な復習になったりしたし,知らなかった細かい情報を得られたりしてよかった。

 東京の国立公文書館に足を運べる皆様は,是非,木曜日までにご覧になってはいかがだろうか。

 「♪私のどこがいけないの それともあの人が変わったの」と唄ったのは,いしだあゆみさんだったが(最近,旧い曲の名前や歌詞をネタにしても通じないのが寂しいが…),私たちは,みんながみんな自分や他人に対して変わっていっているのかも知れない。

 中原先生が並々ならぬ覚悟でワークプレイス・ラーニングのシンポジウムに臨もうとしている。勢い余って,挿絵が「2009」になっているのは,う〜ん,来年にも使い回すつもりなのかも知れないが,冗談はさておき,中原先生はたぶん本気なのだと思う。


 私の場合は,本気が間違って,血迷ったので,仕事を辞めてしまうという選択へと突き進んでしまったけれども,そこまでいくと,中原先生がどうして「腹をくくる」と書くのかも,よくわかるような気がするのである。

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 もちろん,ここにも「内と外」の問題が横たわる。大人の学びに限らず,何かを変える覚悟には「内に留まって」するものと,「外に飛び出して」するものの2つがある。

 私は中原先生の関心が,基本的には前者にあって,なんとか外部の知恵も取り入れながら持続した変革を実現しようという考えているのだと思う。ワークプレイス・ラーニングなのだから,その場所から離れるのは,本意ではないだろう。
 あるいは外側に飛び出すものの,周辺に留まりながら,外部の働きかけとして内部の変革を促そうとする立場があるかも知れない。その場合もその場所を捨てないという点では内部に留まるのに似ている。


 さて,問題は,「♪悲しみの眼の中を あの人が逃げる」場合である。これも流動性の高い社会においては,かなり多い選択肢である。私たちは,変わる気配のない場所で,いつまでもその内部やその周縁にとどまっていられない気持ちも持ち合わせる。

 もちろん,もしかしたら働きかけるこちらの努力や覚悟が足りないのかも知れない。自分の言葉を「ブーメラン」の如く自分に戻して問いかけたりする。ところが,いつまで経ってもブーメラン。切り刻まれるのは自分ばかりの日々が続く。


 職場に生きるということは,どういうことなのだろう。


 私は結局,「文化」と闘おうとして,結果的には職場を離れた。今もまた,いろんな文化と闘おうとする悪い癖を繰り返しているが,それはあんまり心穏やかな生き方じゃないことは確かである。


 まあ,私自身は,皆さんが血迷わない程度に本気になっていただくための反面教師になれればいいなと思っている。^_^;

 「201号室の加藤くん,201号室の加藤くん,お電話です。至急事務室まで来てください。201号室の加藤くん,お電話です。事務室まで来てください。」

 15年ほど前まで,寮に住む大学生に電話連絡すると,こんな風に放送で呼ばれる風景があった。まだ携帯電話が業務用でしかなかった時代である。ひとり暮らしの学生にとっては「固定電話」を契約することがまだステイタスになっていたのである。


 ちなみに,冒頭呼び出された加藤くんに電話をかけたのは女性である。もしも男性がかけてくるとこうなる。

 「201号室の加藤くん,201号室の加藤くん,電話です。至急事務室まで来てください。201号室の加藤くん,電話です。事務室まで来てください。」

 僕らは,そんな細かいニュアンスを,電話の呼出しという付随したやりとりの中に込めて,コミュニケーションをしていた。ある意味では,勝手に場に巻き込まれて,みんなで楽しんでいたのである。

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 「安藤さん,外部からお電話です!」

 声の届く大きさのオフィスなら,受話器の口を手でふさいで,同僚の名前を呼ぶ。

 今なら当たり前の内線交換機のようなシステムが普及していない時代は,全部が同じ回線に繋がった電話を先に取った人が出て取り次ぎ,相手の希望する人物が別の電話の受話器を取るのを確認してから,自分のとった受話器を置く(タイミングがずれると電話が切れてしまうから)。

 そうやって,同じ空間にいる人間の様子を確認するのは自然なことだったし,電話が終わると「○○さん,ありがと!」と取り次いでくれたことに礼を言うのも当たり前だった。そこから「どうお昼食べに行かない」とか,コミュニケーションが展開することもある。また,「誰からの電話だよ」という詮索に対しても,誤解を受けないように電話を受ける術を工夫したりする術を磨くことにもなった。

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 「え,あの,えと,まり,さん…いらっしゃいますか…」

 「君は誰で,まりに何か用かね」

 好きな人の家に電話をかけることが,どれほどの緊張を強いるものなのか,説明はいらないだろう。そうでなくても,本人にたどり着くには,大きなリスクが待ちかまえている。

 「あ〜,あの同じくクラスの○○です。学校のことで…」

 「明日じゃダメなのかね」

 大人の考えていることはわからない。なんで素直にまりちゃんが出てこないのか?あなたと話したい訳じゃないのに。

 それでも,障壁が大きければ大きいほど,相手への思いは増すばかり。僕らの時代は,本人にアクセスするのが困難なのは当然だったし,伝えたい想いが伝わらないことは日常茶飯事だった。

 リスクを冒して電話する本人も,様々な障壁の向こう側にいるまりちゃんも,想いを察してからかうクラスメートも,みんなある意味,正直だった。そしてそれぞれ,不器用だった。

 「用がないなら,切るぞ」

 「はい,すみません…」

 「(ガチャ)…プー,プー,プー」

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 同じ空間にいる人への配慮は日常的だった。けれどもそれは,裏を返せば,息苦しくて窮屈な気遣いと言えなくもない。だから,みんなが適当な距離感を欲していたのだろうし,そして一方でコミュニケーションの煩わしさから解放されたいとも思っていたのだろう。

 ポケベルに始まり,やがて携帯電話とメールが,人びとの隙間に入り込み,物理的距離の縛りをバッと緩めた。それは同じ空間に居ながら適度な距離をつくることにも貢献したけれど,やがて,同じ空間に居ることの重要性やその場のコミュニケーションを忘れ始めることにもなっていった。

 携帯電話は,同じ空間に居る人びとのコミュニケーションに,好き勝手に割り込んでくることにもなった。言葉によるコミュニケーションが行なわれていないからと,携帯電話を確認したり,メールを打つ行動をとることは,当たり前になってしまった。けれども,それがどの程度許容されることなのか,いまだにコンセンサスが形成されたとは言い難い。


 「情報モラル」というものを考えるとき,私たちはどの時代の意識までを踏まえるべきだろうか。インターネットも携帯電話も当たり前になり,今後も消えゆくことはないことがハッキリとしているからといって,かつての時代性や世界観を閑却してしまってよいものなのだろうか。

 少しだけ,昔話を思い出すことにしよう。

 日本教育工学会第24回大会の最終日。一般研究発表の"教師教育"部会で研究発表をしました。発表をご覧頂いた皆様,気にして頂いた皆様,本当にありがとうございました。

 発表内容は,題目の研究に至るまでに行なった先行研究のレビューから導出されたいくつかの知見と,それに基づいた提案,そして検証の予告でした。
 まだ,これから検証調査する作業もあり,題目に関して詳しくは書けませんが,大雑把には,授業づくりのための話し合いについて調べているという感じです。


 比較的広い教室で,前方を除いて,席が埋まっていたような気もしますので,多くの皆さんにお越し頂いたと思います。テーマは,パソコンもメディア機器も使わない,コテコテのローテクで勝負するという地味なものですし,今さらそこなの?という印象もあるかも知れませんが,テーマの重要性に少しでも関心を持っていただけた方々に集まっていただけたのだと思います。


 今年の学会は,開催校が教員養成大学ということもあり,教職大学院に関する問題意識が前面に出ていた大会でした。そのような問題意識の中には,現職教員による実践研究の在り方みたいなものも含まれており,そして当然,そこにも今回の題目のような問題関心が生まれます。
 本研究は,そういう関心に向けても,何かしらつながりがもてると思われます。その観点から今回の発表に関心を持ってくださった方が多かったのかも知れません。

 久し振りの発表でしたが,まあ適度に緊張して,適度に失敗して?,適度に笑いをとって,熱く語りすぎたという感じでした。拙い発表に対して,フロアのお二人の先生からご質問やご意見もいただき,大変励まされました。


 さあ,あとはひたすら努力あるのみです。頑張ります。

内と外

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 とある会話で「内と外」の話になった。ある集団に所属していたときに見えていた風景と,その集団から出た場所から見える風景とが違う,というような類の話である。

 それに当てはまる話はいろいろ出てくる。僕自身の例では,ある職場を辞めて内から外へ出たこととか,研究分野を越境して内から外へ出たこととかの経験がある。ある人は,卒業して就職したこととか。大学から大学院へ進学するのに,学校が変わったという人もいるだろう。

 内にいたときには見えなかったことが外に出るとよく見えてよりわかることがある,のだそうだ。確かに個人的にもそういうことがあるように思う。内にいては,なかなか気がつかないこと,本当にたくさんあるように思う。

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 とあるグループにいたとき,そのグループの今後を話し合う機会があった。僕はそのとき,その話の内容について流れに乗っ取って賛同していたように思うのだけど,同時にグループがどんどん閉じていく,もしくは何かを囲い込もうとしているようにも見えていた。これは望ましい話なのだろうか。頭の片隅で違和感が残る。ただ,僕はまだ内側にいて,内側の風景しか見えていなかった。

 残った違和感やら,いろいろな出来事が重なって,僕はそのグループから離れることにした。そうやって外側に出てみて初めて,違和感を具体的に実感するようになった。閉じたグループが互恵的な関係を掲げながらも,実のところ特定成員のモチベーションによって水準が高くもなれば,容易に低くもなってしまうという危うさを。そのことが,実はグループの内外に,あまりよい影響を与えていないことについても。


 少なくとも,内側にいたときには,そのことについてほとんど意識化できなかったが,外側へ出てみて,なにゆえ摩擦が起こるのかが,だいぶ見えてきた。結局,良かれと思ってつくったグループは,全体コミュニティを分断する方へ機能してしまうときが出てきたのである。
 たとえれば,会社組織内にたくさんの事業部や部署をつくってしまって組織全体を分断してしまいパフォーマンスを低下させるような感じである。

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 ただ,それは立場によって,良いと思うのか,悪いと思うのか,異なってくるという話になった。

 グループの内側に留まっている限りは,外側からの自分たちは見えない。グループの外側から眺めている限りでは,内側の風景は壁に遮られて見えるはずもない。内側に留まるのが良いのか,外側に飛び出すのか良いのか,それを判断することは,後々になってみても,きっと難しいのではないか。


 その会話はそこで終わってしまった。けれども,たぶん内と外の問題はいつまでも続くのだと思う。

 学会の懇親会や若手交流会などに参加して,ご無沙汰していた人たちと会う。人がたくさんいて,気にしながらも挨拶できず仕舞いの方々もいっぱいいるのだが,タイミングのあった人たちに近況報告も兼ねた挨拶をする。

 たぶん僕は,上手に人付き合いができていないと思うのだけれど,それでも会うとお話し相手をしてくれる人たちが幾人もいて,やっぱり有り難いと思う。

 もっとも今年は「昨年の出来事」が,かなり印象深かったのか,噂も含めて話が出回っていて,会う人毎「昨年は面白かったです」と感想を言われた。これもまた苦笑いするしかない。あれはあれで,あのあともいろいろあって凹んでいたりと大変だったのである。とはいえ,そんな出来事でも憶えてもらえるのは嬉しい。

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 もちろん,本来であれば研究上でのつながりをつくっていくことが大事で,酒の席ばかりで盛り上がっても仕方ない。そのことは痛いほどわかってはいるのだが,どうも研究とか仕事となると変に頑なになりがちで,そこから派生する諸々が自分の扱い難さにも繋がっているのかなとも思う。

 どっちにしても今日も調子に乗りすぎた。明日は気を引き締めて取りかかるとしよう。

ちょっと罪滅ぼし

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 以前,ICTEという情報教育関係の研究会で東京大学にやってきたM先生に,シンポジウムの場で,ちょっと意地悪な質問をしたことがある。

 意地悪といっても「先生(とその他の方々)のお話は,哲学を持て,といっているように聞こえるのですが…」という感想と質問だった。M先生からは「私は哲学なんてものは持たない」という哲学が返ってきたのには苦笑いするしかなかったが,とにかくちょっと意地悪をしたことがあった。なんとなく後ろめたい気持ちだったのである。


 今日,久し振りにM先生を発表の会場で見た。「これ後ろ通りにくいんだよな,まったく」とか言って建物の柱を叩いていた。お元気そうなので一安心する。

 その後,発表後の質疑で,M先生と某先生が,ちょっと険悪なやりとりを始められてしまった。え〜〜っ,真摯な論争ならともかく,すれ違いはまずいなぁ…。

 お口チャックの誓いもあって,どうしようかと悩んだが,実は誰も発言がない場面で仕方なく質問して,誓いはすでに破っちゃっていたので(ははは,ごめんなさい),手を挙げて質問を引き取ることにした(某先生,ごめんなさい)。あとはいつもの調子である。

 というわけで,少しだけ罪滅ぼしというか,恩返しをした。M先生,これで意地悪の件はチャラですからね。

 日本教育工学会が上越教育大学で催されている。初日は一般発表とシンポジウムが2本行なわれた。今日は午前中に一般発表と,午後に全体会やシンポジウムがある。

 昨日のシンポジウムについて,関係者の方々の感想などが,いくつかブログにアップされ始めている。私は,昨年から継続のテーマである「実践研究をどのようにデザインし,論文にまとめるか」の方を見に行った。

 今年はお口チャックを誓って参加したので,ひたすら議論を聞き入る。

 コンビは呆けと突っ込みが入れ替わった方が適切な場合があるが,それをシンポジウムにあてはめれば,今回はその典型だったかも知れない。適切な人選と役割分担が功を奏した。そして,大変教科書的な学会シンポジウムが展開した。
 もちろん,この「教科書的な」という言葉は,(ここは教育ト書きなので)何重の意味があるが,本当に文字通りそんなシンポジウムになっていたので,多くの人びとにとっては満足のいくものだったと思う。

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 実践研究に限らず,研究のデザインをどのように取り組み,どう作品としての論文に仕上げていくのかは,研究を生業にする人びとにとって関心の高いテーマである。

 だから僕らは大学院の授業で「研究法」を履修する。ただ,この手の授業は,実際のところその内実が千差万別である。分野領域によって異なることは当然としても,同じ領域にもかかわらず,力の入れようは授業ごとバラバラだったりする。

 僕は教育学の分野を学んだこともあって,宗像誠也の『教育研究法』を少しだけ読んだことがある。本当に少しだけで,そのうえ長い時間が記憶を消し去っているのだけれど,先達は,研究のデザインについても論文のまとめ方についても,ちゃんと(その人なりの言い方ではあるけれども)語っていたりする。

 知っていても,出来るわけではない。けれども,「知っている」状態になることは,本を読めば比較的容易である。ならば,「知っている」状態くらいは,みんな教科書を読んで知っておこうよ。僕はそう思う。

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 シンポジウムは,学会においても注目された論文や研究を事例として,その裏側を語ってもらいながら,どのように実践研究をデザインしていくべきか,そして論文として落としていくときの流れが概観された。

 それ自体は,大変教科書的な話だった。

 そのような過程で,査読に耐えうる研究論文として落とし込む際に直面する困難とは何か。それを実際の研究事例とそのご本人に登壇してもらって明らかにしていったという意味では,大変興味深いケーススタディであった。

 そういう意味では,学会というシステムの中で研究成果を出す,ということの教科書的な話だった。

 今回のシンポジウムは,会の進行もスムーズだった。学会のシンポジウムが,報告者とコメンテーターとの緊張関係を上手に素材としてフロアに見せながら進行させるものであることを「やってみせて」いた。フロアからの発言を求めたら,誰も手を挙げず,結局,大御所の先生方にお願いをするところも,ある意味ではオーソドックスな展開だった。

 シンポジウムの進行という意味でも,とても教科書的な会だった。


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 研究上で追究する「モデル」とは何か。それは誰のためのものであって,どのようなものとして形作るべきか。そのような問いかけも,今回のシンポジウムで出たもう一つの大きな問いであった。

 ただ,これも研究を生業にする人間なら,誰しもある種の立場を決定しなければならない基本問題である。そのことをシンポジウムの場で問題として扱っていたのだということに,僕は正直驚きを憶えた。そんな問題,昨年の段階で何かしら前提があったことじゃないのか?もしかして,原点回帰?根本問題は,やはりいつまでも根本問題?いままさにそれをみんなで論じる時期や機運がやってきたのだということ?

 21世紀に入って,それが問題なのだと,ようやくみんなが意識しだしたというなら,僕は,正直,昔からそういうことばっかり考えていて疲れちゃったので,苦笑いするしかない。

 たとえば,省察的な実践を唱えたショーンが,関連書を書いたのは1983年頃である。すでにその当時から,実証主義についてはいろいろ議論されていたし,あれこれ反省のもと模索が試みられていたはずである。
 複雑系に関するお話しも90年代に盛り上がった時期があった。そうした,従来までの問題枠組みの限界と,今後どうすべきかを議論すべきであるという問題意識は,とっくの昔に持たれていてよいはずであった。

 残念ながら,最新のトピックスが全体に広まるにはタイムラグがある。5年で広まれば早いほうだ。10年20年かかっても,何も広まらないかも知れない。問題共有が大事と方々の発表で語っていても(そして私自身の研究でも語っているが),当の学会が問題を共有するには時間がかかる。だから,そのことについては,諦めるほか無いのかも知れない。


 だから,今回のシンポジウムは,私たちの学会が直面している問題はこれなんじゃないの?ということを示すという意味でも,なんだか教科書的なシンポジウムだと思えた。


 これは世代間の認識落差の補完?異なる領域の人びとが集うがゆえの共通認識の形成?日々の仕事や研究で忙しくて,かつて「教育法」で学んだか学ばなかったかで忘れてしまった知識の復習?


 僕はお口チャックする必要はなかった。チャックしなくても,僕はポカンと口を開けて状況に驚くだけだった。

日本教育工学会24

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 10月11日〜13日に上越教育大学を会場として日本教育工学会・全国大会が開催される。ただいま私の研究の主戦場は,この学会になっているので,これから出掛けて参加する。

 本当は古巣の日本カリキュラム学会とか日本教育学会とか,そっちの方が慣れているし,まだ離れたつもりはないのだが,いまは貧乏も手伝ってお休み中。必ず舞い戻って,活動を続けたいと考えている。

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 日本教育工学会とはその出会いから,いろんな意味で多難な関係を続けている気がする。工学という名のもとに集まった,手を動かす系の様々な研究者の雑多な寄り合い所帯みたいなところがあって,観念・理念追究系の色が強い自分からすると「おおおい,ちょっと!」と思わず口挟みたくなってしまっていたせいかも知れない。

 ま,さすがに私も学習をするので,今年は心の中で「ふ〜ん」と繰り返し唱えて,基本的に自分の発表以外はお口チャックで通そうかと思う。こうして私も大人になるのです。^_^;


 余談だけれど,学会では毎年,昨年度の研究群から論文賞とか研究奨励賞が贈られる。全体会の場で受賞者の発表と簡単な挨拶があるのだが,今年から研究内容について語れということになったらしい。「へぇ〜」と思っていたら,「それ,りんさんのせいですよ」と言われる(実際は「せい」とは言われなかったが…)。去年,やらかしたことの副産物らしい。苦笑い。

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 かつての体育の日。素晴らしい晴天に恵まれた。さて,身支度をして出掛けるとするか。

学びの系譜

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 国立公文書館は,国の重要な文書を保管する機関だ。主に歴史的に貴重な史料が豊富だが,それだけでなく非現用行政文書の保管も行なう。もっとも日本の文書管理は世界的に見て後進的で,昨今ようやく法整備など取り組まれ始めたところ。「アーカイブ」と呼ばれる領域がしっかりと確立してないと,国家としては一人前とは言えない。日本は〈よく知られたことだけれど〉長らくそういう半人前状態が続いていたということである。


 さて,小難しい前置きは別として,国立公文書館は,春と秋に特別展を行なう。

 今年の秋の特別展は,「学びの系譜」という展示。「江戸から明治・大正・昭和にかけての学校に関する公文書や文献を展示し、わが国の学校の歴史について考えます。」という趣旨の興味深い展示である。

 教育に関心があって,国立公文書館まで足が伸ばせる皆さんは,ぜひお出かけいただきたい。10月4日から23日まで。気がつくとあっと言う間に終わっているので,思い立ったら是非。入場無料のはずである。

ドナルド・A・ショーン (原1983) 『省察的実践とは何か』鳳書房 2007

はじめに

第1部 専門的知識と行為の中の省察
1章 専門的知識に対する信頼の危機
2章 技術的合理性から行為の中の省察へ ※

第2部 プロフェッショナルによる行為の中の省察
3章 状況との省察的な対話としての建築デザイン
4章 精神療法
5章 行為の中の省察の構造
6章 科学に基礎を置く専門的職業の省察的実践
7章 都市計画
8章 マネジメントの〈わざ〉
9章 行為の中の省察の類型と制約

第3部 結論
10章 専門的職業の意味と社会における位置づけ ※前半

(※は,部分訳書『専門家の知恵』(ゆみる出版 2001)で翻訳された)


前半(1章〜5章)までの感想



【メモ】
 とりあえず,前半だけ駆け足でさらったので,記録公開。まず,本書に関していくつかの注意点を。

 本書『省察的実践とは何か』は,Donald A. Schon (1983) "The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action"の完訳本である。これに先立って,部分的に翻訳して刊行した『専門家の知恵』という訳書が存在する。

 2つの訳本は,翻訳者が異なり,出版社が異なる(もちろん翻訳範囲も異なる)。このことが意味することは,それぞれの文脈に位置づけられて翻訳出版されたため,訳語などに対するスタンスが異なっているということである。特にこれを象徴するのが「省察的実践」と「反省的実践」という訳語である。

 今後の訳語選択は,引用する者にとって悩ましい問題であるが,全訳本が刊行されるにあたって,部分訳書の翻訳者が刊行を承諾をしたと明記されているので,今後は「省察的実践」という表記が増える可能性もある(もちろんこの訳語の選択を承認したかどうかは,別の問題ではあるのだが…)。
 ただし,教育分野などでは,「反省的実践」という訳語がかなりの程度浸透してしまっている事情もあり,他分野と比べて,その転換は遅くなると思われる。しばらくは「反省的実践家」,もしくは「省察的実践家(反省的実践家)」といった補足・並列表記が散見されるだろう。


 本書は,Amazon.co.jpなどのいくつかのネット書店で品切れ扱いとなっている。しかし,実際には出版社に在庫があったり,実際の書店に在庫がある状態(2008年10月現在)なので,割高な古本などを慌てて買う必要はない。(ジュンク堂扱い) 


1章 専門的知識に対する信頼の危機

○専門的職業(profession)は,私たちの社会に必要不可欠なものとなっている。(3頁)
○プロフェッショナルとは,問題を定義づけ,解決してくれる,特別な訓練を受けた人々。

 →エヴァレット・ヒューズがいみじくも,「〈プロフェッショナル〉は,偉大なる社会的意義のための卓越した知を求める」と名づけたものに敬意を払い,その見返りとして,特別の権限と威信をプロフェッショナルに与えるのである。(3頁)

●「私たちは,プロフェッショナルに頼りきっているとはいえ,彼らに対する信頼がゆらぐきざしも見えつつ」ある。(3-4頁)
●「人類的な意義にかかわる卓越した知を身につけたい」というプロフェッショナルへの要求そのものに向けられる疑問。その現れ…

 →民衆がプロフェッショナルへの信頼感をもたなくなっていること
  左翼系の人々による,プロフェッショナルに対する激しいイデオロギー攻撃
  プロフェッショナル自身の利害関心や世の中への支配を維持したいというパワーエリートの関心に沿う点の暴露
  卓越した知への要求をめぐり,プロフェッショナル自身が自信を失うきざしが見えている。

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○1963年,アメリカ芸術科学アカデミーの雑誌『ディーダラス』のプロフェッショナルに関する特集

 →「アメリカの生活のいたるところでプロフェッショナルが勝利をおさめている」で始まる。

●「しばらくは,プロフェッショナルはその役割に対する需要の増大に対応していたが,やがて負担の増加に苦しむことになった。」(7頁)

 →『ディーダラス』誌のエッセイ記事。酷使される医師,科学研究周辺の官僚主義への癒着,司法の独立性困難,など。
  成功に伴う困難に関する描写の出現

●1963年から1981年の間,「この時期,プロフェッショナルも普通の人間も,専門家の能力に対する信頼の低下という社会現象に悩まされ,プロフェッショナルの正統性に重大な疑義を投げかけていた」(9頁)

●「プロフェッショナルが無能になっていることは,学術面でも明らかになっている。」(11頁)

 →「プロフェッショナルが頼りになるのはあくまで仕事に対してであり,仕事を意味づける点ではあまり当てにならない」(チャールズ・ライク)


★プロフェッショナルに対する信頼が危機に陥っており,そしておそらくプロフェッショナルそれ自体のイメージが低落していることの原因:

 →プロフェッショナルのもつ,実効性に対する疑いの増大,人々のウェルビーイングへの貢献に対する懐疑的な評価に根ざしている。


 【疑いの中心にあるのは,専門的知識への疑問である。】(13頁)

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専門的知識の能力に深刻な考えをもつ各分野のプロフェッショナルの解釈
●専門的知識は実践の場が変化するという性質にそぐわない
●複雑性,不確実性,不安定さ,独自性,価値観の葛藤など,求められる実践の場において見られる諸現象にますます合わなくなっている


●専門的知識が,たとえプロフェッショナルの現場における新しい需要に追いついたとしても,プロフェッショナルの仕事によって改善できるのは一時的なものに過ぎないだろう。(14頁)

 →専門的職業は今や,「予測できない状況に適合する」という課題を突きつけられている。(14頁)

●要するに,一流のプロフェッショナルがプロフェッショナルに対する信頼が危機に瀕していることについて記述し語るとき,彼らは実践・実務の現場では,伝統的な行動様式や知識が当てはまらないという点に焦点を置く傾向がある。(17頁)

 →複雑性,不確実性,不安定性,独自性,価値観の衝突のもつ重要性への認識の高まり
  「多様な意見」いくつもの手段からひとつを選択実行しなければならない実践者の苦境も裏に

★プロフェッショナルの実践が,少なくとも問題を解決することと同じくらい,問題を見つけることにかかわるならば,問題の設定(problem setting)もまた,プロフェッショナルの実践であると認識することができる。


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○1960年代「プロフェッショナルが謳歌する」時代 → 1970年代,1980年代初頭の「懐疑と不安」へ導く出来事。

○プロフェッショナルはまだ,プロフェッショナルの能力の中心として見なされるようになったプロセスを説明できないままである。(18頁)

 →専門的知識から照らしてみれば,これらプロセスは奇妙に映るからだろう。(18頁)


 【(次章にあるように)実践の認識論に向かって行かざるを得ないことになる。】(19頁)

 


【メモ】
 プロフェッショナルに対する需要と期待が大きかった時代から,プロフェッショナルに対する懐疑と不安の時代への移り変わり。この流れの中で,専門的知識を提供するプロフェッショナルと,その専門的知識を実行する実践者のそれぞれが苦しみ悩む。複雑化,不確実性,不安定性,独自性,価値観の衝突といった専門的多面性に,伝統的な専門的知識が対応できていないという問題が重大視されてきたわけである。

 そこには,実践者が状況に合わせてみせる巧みな能力について,プロフェッショナル自身が満足に説明できないという課題があるという。このような問題を考えるために,実践の認識論について考えなければならないと論じているようだ。


 

2章 技術的合理性から行為の中の省察へ

1 実践に関する支配的な認識論

■  この節では,〈技術的合理性〉というモデルに関する概要が説明される。大雑把に言えば,体系的で標準化・一般化された知識を,問題に「適用する」という考え方である。

 だから,専門的知識に階層を見たり,専門的職業の間に優劣を見たり,大学世界にも「知識」と「技能」に序列の考え方が垣間見られたりする。

 こうした〈技術的合理性〉というモデルに対しては,疑いも発生するが,すでにこのモデルはプロフェッショナル自身が依拠する制度に組み込まれてしまっているため,覆すことが難しくもなっている。


○〈技術的合理性 (Technical Rationality)〉のモデルは,プロフェッショナをめぐる考え方や,研究,教育,実践と制度との結びつきに関する考え方を,力強く推し進めてきた。(21頁)

○プロフェッショナルの活動
 →科学の理論や技術を厳密に適用する,道具的な問題解決という考え方で成り立つ。


○メジャーな専門的職業とマイナーな専門的職業(ネイザン・グレイザー)

 メジャーな専門的職業:科学的知識が典型的にもっている体系的で基本的な知を基礎としている
 マイナーな専門的職業:変わりやすいあいまいな目的や,実践にかかわる制度の不安定な状況に苦しみ,体系的で科学的なプロフェッショナルの知の基礎を発展させることができない

  →グレイザーは,マイナーな専門的職業に対して失望感を抱いているらしい


○専門的職業の人びとが身につけている体系的な知の基礎の特性
 「専門分化していること」
 「境界がはっきりしていること」
 「科学的であること」
 「標準化されていること」

 →ウィルバート・ムーアは,標準化されているという特性を重視して次のように書いている。
  「プロフェッショナルは具体的な問題に,きわめて一般的な原則,〈標準化された〉原則を適用するのである。」(26頁)

○適用(application)という概念から,専門的知識は階層をなすものとしてとらえる見方が導かれる。

 →「一般的諸原理」が最高レベル,「具体的な問題解決」が最低レベルに位置するようになる(24頁)


○〈技術的合理性〉のモデルは,プロフェッショナル教育の序列のついたカリキュラムの中に組み込まれる。

 →専門的知識の階層モデルから類推すると,研究は実践から制度的に分離しており,研究が実践と結びつくのは,注意深く定義された交換関係によってであるということになる。(27頁)

  研究と実践のとの階層分化は,プロフェッショナルスクールのカリキュラムが序列化されている点にも現れている。

○〈技術的合理性〉モデルの見地からすれば,実質的な知が存在するのは,基礎科学および応用科学の理論と技術の中ということになる。したがって,基礎科学と応用科学こそが最初に来るべきなのである。「技能」は,具体的な問題を解決する理論と技術を用いることの中にあり,それゆえ,学生が関連する科学を学んだあとに提供されるべきものとなる。(28頁)


 【実践に関する支配的なモデルとは,〈技術的合理性〉によって導き出される序列化の考え方】


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2 技術的合理性の起源

■  この節では,専門的知識に関する支配的なモデルである〈技術的合理性〉が,どうして大学にまでも浸透してしまったのかについて,その起源を歴史的に扱っている。

 十六世紀の宗教改革以降,「科学と技術」の台頭に始まり,次第に科学的世界観が支配的になっていく中で,十九世紀後半の実証主義の浸透が起こり,それが〈技術的合理性〉による序列化,研究と実践の分離をもたらしたという。


○〈技術的合理性〉は,実証主義の遺産である。(31頁)
○〈技術的合理性〉は,実証主義の基礎となる実践の認識論である。(32頁)

○十九世紀になると実証主義は,科学と技術の勃興を支えるものとして発展し,また科学と技術の成果をウェルビーイングに用いることをめざす社会運動として発展した,強力な哲学的教義である。

○実証主義の三つの主要教義(オーギュスト・コント)
 第一,経験科学を世界に関する実証的知識の唯一の源泉であるとする信念
 第二,神秘主義や迷信,その他の擬似知識を人間の心から追放する意図
 第三,科学的知識と技術的コントロールを人間社会へと拡張するプログラム

○実証主義者たちが科学的知識の排他性を説明し正当化する努力を洗練させるにつれて,観察に基づく説明が一定の理論をともなうものであることに気づくようになった。感覚的経験の要素には分解できないような経験的知識があり,それを意味づける必要性にも気づくようになった。彼らは自然の法則を,自然に内在している事実としてではなく,観察した現象を説明するために創り出された構成物ととらえ始めるようになった。科学はこうして,実証主義者たちにとっては仮説−演繹的な体系となったのである。(33-34頁)

○実証主義の教義に照らしてみると,実践は謎めいた特異なものとして現れた。実践的な知は存在するが,それは実証主義のカテゴリーにぴったりあてはまるものではない。

 →実践的な知は,目的と手段いう関係をめぐる知として構成されるようになった。目的に対し「どのように行動したらよいか」という問いを,目的を達成するのに最適な手段といった道具的な問いとして。


○アメリカの大学の現在のような構造とスタイルの誕生は,十九世紀後半から二十世紀初頭,実証主義の知的支配が確立され始めた時期に,ドイツの伝統に由来する形で入ってきた。

○新しい大学モデルの誕生にともない,実証主義の認識論も大学内に登場するようになったが,そこには上位の大学とそうでない専門的職業との間で,労働を適切に配分するという序列化された考え方が見られた。(36頁)

 →大学とプロフェッショナルスクールの関係や違い。高次元の学校と低次元の学校の適切な関係とは,分離と交換の関係であるという考え方。これはまた,プロフェッショナルスクールにいる技術者が,大学に職を得るのを許さないという現れ方をした。


○しかし,専門的職業を大学内部に受け入れようとする一般的な風潮などもあり,専門的職業は新しい大学に地位を占め,その数を増やしていく。

 →逆にそのことが,知の階層構造を大学内の地位に繁栄させることにもなり,「新しい理論を創造する人びとは,それを実践に適用する人びとよりも高い地位にあり,「高次元の学習」を担う学部は,「低次元の学部」を担当する学部よりも優位にあると考えられた」(37頁)


 【実証主義のカリキュラムの種がまかれ,研究と実践の分離が誕生した。】


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3 技術的合理性の限界に気づき始める

■  この節では,専門的知識の適用を前提とする〈技術的合理性〉のモデルの限界について述べている。科学技術信奉の強いときには見過ごされていたものの,次第に実践の複雑性や不確実性,不安感や独自性や価値観の衝突といった問題がクローズアップされてきたことを論じている。

 こうした問題を認識しながらも,当時の研究者は依然として〈技術的合理性〉を維持する形で解決しようと試みるが,そのような実証主義の実践的認識へのこだわり自体,本家の科学哲学ではよい評判を得ていない。

 実践の拡散的な状況を説明するための,別の実践の認識論を探究しなければならないことが示される。


○「第二次世界大戦」と「スプートニクショック」

 →科学的研究の発展,国家が科学や技術に投資する動きを加速させる
  専門職主義の勝利のお膳立て〜『ディーダラス』誌の特集

○副次的には,科学的研究をプロフェッショナルの実践の基礎と見なす考え方が強まる効果をもたらすことにもなった。(38頁)

 →しかし,1963年から1982年まで二十年間に,一般のひともプロフェッショナルも,次第に専門的職業の欠点や限界に気づくようになった。


○プロフェッショナルの実践は問題の〈解決〉(problem solving)のプロセスである。:定められた目的に一番ふさわしい手段を選びとることによりおこなわれる。

 →しかし,問題の解決ばかり強調すると,どんな目的を達成すべきであるかを定義し,選ぶべき手段は何かを決めるプロセスを無視することになる。


○実践者は,「問題状況」を「問題」へと移し変えるために,そのままでは意味をなさない不確かな状況に,一定の意味を与えていかなければならないのである。:実践の中核にある作業

 →問題の設定とは,注意を向ける事項に〈名前をつけ〉,注意を払おうとする状況に〈枠組み(フレーム)を与える〉相互的なプロセスなのである。(41頁)
  問題の設定それ自体は,技術的な問題ではない。つまり,〈技術的合理性〉のモデルとは異なった探究作業である。


○実証主義の認識論のしばりを受けている実践者は「厳密性か適切性か(rigor or relevance)」というジレンマに陥る。これは実践の領域においていっそうはっきりと生じる。

 →「フォーマルモデリング(formal modeling)」という分野は,実践者が示すふたつの反応を観察するのに興味深い状況を提供してくれる。フォーマルで量的な,コンピュータ化されたモデルに対する幅広い関心によって盛り上がったが,その後,この楽観的な期待は,膨らみすぎたものであったという意見も出る。複雑で,あま明確に定義できないような問題では,一般的に有効な成果をもたらさなかったのである。


●多くの実践者が厳密性か適切性かをめぐるジレンマに対してとった対応は,専門的知識に合わせて実践状況を切り取ってしまうことであった。(44頁)

 →このような戦略は,「状況を見誤り,状況を操作して,標準のモデルや技術に対する信頼感を維持したいという実践者の関心に貢献してしまう危険を産み出している。」(45頁)


技術的熟達がもつ限界について考察した専門的職業の研究者

エドガー・シャイン
基礎科学や応用科学が「収斂的(convergent)」であるのに対し,実践は「拡散的(divergent)」であるという事実にギャップをみた。

ネイザン・グレイザー
メジャーな専門的職業とマイナーな専門的職業(前出)

ハーバートサイモン
プロフェッショナルの実践が本質的にかかわるのは「デザイン」と呼ぶものであり,デザインには「現在の状況をより好ましいものに変える」プロセスがともなっている。サイモンは,自然科学とデザインの実践との間にギャップがあるとし,そのギャップを埋めるのがデザインの科学であると提言した。

 →彼らは,専門的知識を科学的に基礎づけることと,現実世界の実践がもつ要求との間にギャップがあり,そのギャップを,〈技術的合理性〉のモデルを維持する方法で埋めようとしているのである。(48頁)


●専門的職業の人びとを悩ませてきたジレンマの原因は,科学それ自体ではなく,科学に対する実証主義者の考え方にあったことは明らかだと思われる。(49頁)


 【直観的なプロセスに暗黙に作用している実践の認識論の探究を深めよう】


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4 行為の中の省察

■  この節では,これまでみてきた〈技術的合理性〉のモデルの起源や限界を踏まえ,行為の中,実践の中における省察によって,拾いきれなかった問題をとらえることを提言している。

 「行為における知の生成(knowing)」であるとか,実践者の振り返りで起こる「行為についての省察(reflection-on-action)」だけでなく,行為している最中の「行為の中の省察(reflection-in-action)」に関して事例を示していく中で,〈技術的合理性〉の制約を受けない,実践の文脈に引付けた新しい理論の構築に関する可能性を指摘する。

 まだこの節の時点では,その概要を示したに過ぎず,以下続く章の事例の探究によって,「行為の中の省察」がどのようなものであるかが模索されると思われる。


○日常生活での行為は,意識しないまま自然に生じる,直観的な行動である。(50頁)
○私たちの知の形成は,行為のパターンや取り扱う素材に対する触感の中に,暗黙のうちにそれとなく存在している。私たちの知の形成はまさに,行為の〈中(in)〉にあると言ってよい。(50頁)

 →行為の中の省察(reflection-in-action)というプロセス全体が,実践者が状況のもつ不確実性や不安定さ,独自性,状況における価値観の葛藤に対する際に用いる〈わざ〉の中心部分を占めている。(51頁)


(1) 行為の中の知の生成


○行為の中の知の生成:知的な行為の中にもある種の知が備わっているという考え方


○熟練した行為は,「私たちが表現できる以上の知」を明らかにする。この種の知について論じている人びと。

チェスター・バーナード
「思考プロセス」と「非論理的なプロセス」を区別し,非論理的なプロセスは,言葉や推論では表現できないものであり,その存在がわかるのは,判断や決定のときか行為のときのみであるという。

マイケル・ポランニー
「暗黙知」人の顔を見分けることができても,どのようにして自分が知っている顔を見分けるのか説明することはできない。

クリス・アレキサンダー
工芸品などのデザインにおける知の生成について考察。ある作品の形が文脈に「ぴったりこない」と認識し,修正をする中でぴったりきたと認識するときの規則についてうまく説明できない。

ジェフリー・ヴィッカーズ
アレキサンダーの事例について,十分に表現できない形の感覚に頼る行為は,何も芸術的な判断の場合に限られないと指摘。私たちは皆,このような暗黙の規範を用いて,自分たちの実践的能力に依存しながら判断し,状況についての質的理解を進めている。

アルフレッド・シュッツとその後継者たち
暗黙のうちにおこなわれている日常生活でのノウハウについて分析した。

バードウィステル
暗黙知が動作やしぐさを認識するときに具体化されることを説明するのに貢献した。


○知の生成(knowing)の特性:通常の実践知を特徴を示すモデル

・意識しないままに実施の仕方がわるような行為,認知,判断がある。私たちは自分の行為に先立って,あるいは行為の最中にその行為,認知,判断について考える必要はない。
・私たちは,こうした行為,認知,判断を学んでいるのに気づかないことが多い。私たちはただ,そうしたことをおこなっているという事実に気づくだけなのである。
・行為の本質(staff)に対する自分たちの感覚の中には,あとから(subsequently)取り入れられることになる了解事項について,あらかじめ気づいていた場合もあるだろう。また,これまでまったく気づかなかったという場合もあるだろう。どちらの場合でも,私たちの行為が指し示す知の生成を記述することは,通常できない。


(2) 行為の中の省察


○「行為の中の知の生成」が認められるならば,行為していることがらについて考えることも認められてよい。

 →「歩きながら考える」「分別を持ち続ける」「為すことによって学ぶ」といった言い回しが示すのは,私たちのできることは,行為について考えることだけでなく,行動の最中におこなっていることそれ自体についても考えることである。(55頁)


○直観的な行為から驚き,喜び,希望が生まれ,予期しなかったことが発生すると,私たちは行為の中の省察によってその事態に対応するだろう。(略)このようなプロセスでの省察の対象となるのは,行為の結果であり,行為それ自体であり,行為の中にある暗黙的で直観的な知であり,それらが相互に作用しあったものである。(57-58頁)

○ブロックのバランス実験に取り組む子ども達の行為:ブロックのバランスをとる際に〈幾何学的中心〉から〈重心〉へと子ども自身の理論を変化させていく様子が観察される。また子ども達は「成功を志向すること」から「理論を志向すること」へと理論を変化させた。

 →観察者は,このような子ども達による〈知の生成(knowing)〉を,(他に表現のしようがなく)行為の中での〈知識(knowledge)〉と置き換えて表現している。
  「このような置き換えは,行為の中の省察について話を進めるときに避けて通れないと思われる。ある種の知の生成とその変化について説明するためには,ある言葉を用いなければならないが,知の生成や知の生成の変化というのはおそらく,言葉では表現されてこなかったものである。」(61頁)


(3) 実践の中の省察


○「実践(practice)」という単語は意味が両義的である。:一定の範囲におけるプロフェッショナル的な状況における活動。また,活動への準備。プロフェッショナルの実践には,繰り返しの要素も含まれている。(62頁)


●実践が繰り返され決まりきったものとなるにつれて,また〈実践の中の知の生成〉が暗黙的で無意識的になっていくにつれて,実践者は現在おこなっていることについて考える大事な機会を見失ってしまうようになるだろう。(63頁)

 →このような事態は,実践者の「過剰学習」と呼ばれる。


○実践者の省察は,こうした過剰学習を修正するものとなりうる。実践者は省察によって,専門分化した実践の反復経験の中で発生した暗黙の経験があることを明らかにし,それを批判することができる。

 →メタ認知の上で起こることだろうか?(りん)


○問題が発生し,対応可能な問題にすぐには置き換えられない状況に陥ったときは,実践者は新しい問題の設定方法を生みだし,新たなフレームを作って状況にあてはめようとする。

 →「フレーム実験」と名づけたい。(65頁)


○実践者は目の前の現象を省察し,さらには現象をとらえる際の理解について,つまり,自分の行動の中に暗黙のままになっている理解についても省察を重ねる。(70頁)

 →行為の中で省察するとき,そのひとは実践の文脈における研究者となる。すでに確立している理論や技術のカテゴリーに頼るのではなく,行為の中の省察を通して,独自の事例についての新しい理論を構築するのである。


○問題の解決は,省察的な探究というより広い文脈の中でおこなわれるようになり,行為の中の省察はそれ自体として厳密なものとなり,実践の〈わざ〉は,不確実性と独自性という点において,科学的な研究技法と結びつくようになる。(71-72頁)


 【行為の中の省察による「実践の認識論」を発展させるべきである】

 
 


【メモ】
 翻訳文を一通り読んでも,いざ要約するとなるとかなり難儀だった。ただ,たぶん書いてあることはかなりシンプルなことだと思う。
 私たちは行為をするときに,前もって学んだ知識というものを適用することもあるけれども,それが通用しない事態もあるのだということ。そのようなときに,私たちが行なっていることは,状況との対話であり,行為の中での省察なのだと。繰り返される実践の中で,省察が重ねられていくことにより,より文脈に即した枠組みづくりや理論づくりに繋がっていくのだと,そんな感じなのではないかと思う。

 行為の中の省察を,このような形でとらえることで,これまで言語化されなかった実践家の実践を,より広範に,より深く,より厳密に検討していくことができるようになる,とショーンは考えたのだろう。


第2部 プロフェッショナルによる行為の中の省察 −いくつかの文脈

3章 状況との省察的な対話としての建徳デザイン

4章 精神療法 −固有の宇宙をもつ患者

5章 行為の中の省察の構造

■  3〜5章はワンセット。

 3章では建築デザインにおける図面上のデザイン指導の事例,4章では精神医学分野の臨床実習指導の事例を取り上げて,それぞれ,問題に直面している学生とそれを指導する指導者との間のプロトコルを分析している。

 5章では,この2つの章を取り上げて,両者の類似点をあげながら,指導者が学生の問題にどのようにかかわっていくのかを分析しながら,行為の中の省察の構造を描き出そうとする。

 ここで新たに登場するキーワードは「状況との省察的な対話」である。なかなか興味深い3つの章である。

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〈3章〉建築デザイン

●指導者は,学生がはまり込んで困ってしまった問題に対して,手本を示すことによって,習得して欲しい能力が実際に使われる様子を見せようとする。

○〈デザインすることについての言語〉=「メタ言語」

 →メタ言語を介して,学生にデザインするという行為について省察する手ほどきをしている。


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〈4章〉精神治療

●研修医の患者である女性がかかえる男性問題に関して,スーパーバイザーは,患者と治療者との関係に問題を転移させることによって,何かしらの糸口をつかませようとする。

○エリクソンが描き出している精神分析的な治療実践:「転移」という現象への特別な位置づけ

 →スーパーバイザーは,患者と男性との関係から患者と治療者との関係へとわずかに言い換える。


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〈5章〉行為の中の省察の構造

○ふたつの事例とも,実践者は実践の問題を,固有の事例として取り組んでいる。

○問題状況に固有の特徴を発見しようとし,徐々に発見していったものから,そこでのかかわり方をデザインしている。(148頁)

○その状況が問題であることを見つけ出した以上,その状況の枠組みの転換(reframe)をしなければならない(148頁)

○実践者の〈わざ〉は,膨大な情報を選別して管理する能力,ひらめきと推論の長い筋道をつむぎだす能力,探究の流れを中断することなしに同時に複数のものの見方を保つ能力(148-149頁)


○未知の状況を既知の状況と見なし,既知の状況でおこったことがあるとしながら未知の状況の中でおこなおうというのが,私たちの能力なのである。(158頁)

○行為の中の省察での新たな経験は,実践者のレパートリーを豊かにする。(159頁)


○実践者による仮説を試す実験は,状況とのゲームである。(167頁)

○行為の中の省察を行なう探究者は,実験の三つの段階,すなわち探究,手立てを試すこと,および仮説を試すことの三つのレベルに関連する考察が制約を受けるような状況においてゲームを行なっている。(169頁)


○実践者は自分の仮想世界では,仮説を試す実験において,実践世界に固有ないくつかの制約を管理することができる。したがって,自分の仮想世界を構築し操作する能力は,実験を芸術的に実行するだけでなく,実験を厳密に遂行するために重要な要素である。(174頁)

○探究者はある状況をみずからの枠組みにあてはめようとすると同時に,状況からの反論にみずからを開いておかなくてはならない。(180頁)

 
 


【メモ】
 残念ながら斜め読みなので,それぞれの事例の深いところや具体的な分析については取りこぼしがある。「状況との省察的な対話」の構造記述に関しては,教育者としての経験を重ねて興味深く読むことができたが,無意識にやっているからできるんだなとも思う。全部意識してたら大変だ。


 美味しそうな後半に触らずして,前半だけで感想を書くのももったいない気がするが,2章と5章でおおよそ粗描されている「行為の中の省察」から,いくらか感想めいたことを書いてみたい。

 まず〈技術的合理性〉モデルと「行為の中の省察」の対置である。

 〈技術的合理性〉のモデルとは,かなり単純化すれば,予め一般化され習得された専門的知識を,問題に対して「適用する」ような実践の考え方(実践の認識論)ということだと思う。
 一方,「行為の中の省察」は,そのようなモデルでは拾いきれない,複雑性や不確実性や独自性,あるいは価値観の衝突に起因する問題に対処するために,問題を設定し,知を生成していく過程を実践と考える認識論といえる。

 言ってしまえば,持ち込んだ既成の知識に解決策を求めるか,あるいは問題の中に沈み込みながら解決の知を編み出していくのか,という違いとも表現できる。

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 ショーンは,「じゃ,問題の中で解決の知を編み出していくような人って,どうやっているの?」と問うて,その行為の過程を追いかけた。


 で,わかったことは,「行為の中の省察」みたいなことをしている人ってのは「探究者」で,結構,実践の状況の中で試行錯誤して解決の糸口や知を見つけ出そうとしているってことだった。

 なんだ,あんまり特別なことしてないな,と思うのだが,熟練者の試行錯誤は,単なる試行錯誤ではないという点がポイント。そしてまた,実践者が陥りやすい点についても上手に回避する術をもっているという点が違うようだ。


 どうやら「行為の中の省察」を行なえる探究者(省察的実践家)は,自分の頭の中に問題状況を再現し,いろいろなことが試せる「仮想世界」をもっており,そこでいろんなレパートリーをサッサッサッと試行錯誤しちゃって,「んじゃ,これどうかな」と現実世界に向けて手立てを差し出していくらしい。

 さらに,こうした探究者は,繰り返される実践によって自分自身の生成する知が暗黙的で無意識になって,マンネリ化する危険(過剰学習)を,これまた省察によって,うまく回避することができる人のようである。

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 どうしてそのようなことが可能なのかというと,要するに常に問題の一つひとつに対して,固有性をみて,問題の捉え方を設定し直すことができるからだ。

 つまり,一つひとつの問題を常に「新鮮に」捉えることができるので,気持ちを切り替える感じで,新たな捉え方ができるというわけである。

 私たちは,一旦問題にはまると,なかなかそこから抜け出せなかったりする。それは直面してしまった問題の難しさに起因する場合もあるし,あるいは自分自身のもっている信念や価値観に捕らわれてしまっている場合も少なくない。(厳密性か適切性かのジレンマにはまる場合もあるだろう。)

 おそらく,熟練した探究者(省察的実践家)は,このようながんじがらめになりそうな状況においても,自分自身の問題設定方法をやり直すことができて,新しいフレームをつくっては状況にあてはめ,問題を把握し直すことで,問題を乗り切ろうとすることができる人だと考えられる。

 こうした「状況の枠組みの転換」ができるためにも,探究者(省察的実践家)は,問題の状況との省察的な対話を心掛ける。つまり,直面している固有の問題に素直に耳を傾け,また自分自身を捕らえようとしているあらゆる既存の枠組みを(仮想世界なんかを使って)退けようとする努力を惜しまない。

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 省察的実践者というのは,もう少し感覚的な言葉で書くと,「しなやかで柔軟性のある」人であり,また同時に「真摯な態度で鋭い」人であると表現できそうだ。

 ま,言ったり書いたりするのは簡単なのだが,これらの側面をバランスよく持つ人になるのは,なかなか難しい。あるいはだからこそ,時間がかかるのかも知れない。

 ただ,個人的には,必ずしも時間をかけなくても,人には誰しもそういう側面が備わっているものだし,上手に状況と接することができれば(あるいはそういう風にコーディネートできれば),省察的実践を行なうことができるのではないかと思う。そういう意味では,あらためて自分は環境・状況デザイン派なのかも知れないと思った。

 H20学習指導要領の印刷本はすでに書店に並んでいる。見た方はご存知のように,従来の学習指導要領の印刷本から体裁をガラッと変えたのである。

 従来まではA5サイズの判型だったが,新しいものはA4サイズの判型で統一され,表紙のイメージも刷新。教科書の判型変化が,とうとう学習指導要領にも起こったという感じである。

 この変更には,行政文書などをA4サイズに統一するといった文脈もあるだろうし,小さい文字で視力に負担があった人にとって大きい文字は有り難いともいえる。高齢者に優しいのはよいことだ。レイアウト的にも,表を掲げる際には大きい判型の方が有利であろう。これら書誌学的なメリットはあると思う。


 ただね,学習指導要領を授業の資料として持ち運ぶ身にとっては,大きくなったのは辛いなぁ。解説部分も複数持つとなると,視力よりも足腰に負担くるなぁ…。

 大学の授業で使う資料としてはちょっと残念な変更である。どこかの出版社がA5判の縮刷版をつくってくれるかな。採算合わないか。