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 iPhone / iPod touch用アプリケーションは日々どんどん増えて探すのも大変なくらいになっている。さっき知ったのは「パペットアニメーション(Puppet Animation)」というアプリ。

 取り込んだ画像に動く部分を指定することで,指先で画像を動かすことができる。似たようなものに,iPhoneを降ると指定した場所の画像が揺れるように動くというものもあるが,こういうアプリを使うと小さい子どもをあやすときに便利なのかなと思ったりする。

Puppet Animation
http://null-null.net/iphone-dev/app/puppet_animation.php


 保育や幼児教育の世界は,情報玩具のようなものを受け入れるための意識醸成が十分でなく,伝統的な方法や環境を守る傾向が強い。たぶん,旧来の保育・幼児教育玩具と新しく出てきている情報玩具との連続性や組み合わせ方について,納得できるモデルが描けていないせいなのかも知れない。

 様々なものや環境を自由に往来できるようになることが理想だが,たぶん保守的な人々の頭の中の情報玩具は,一度はまると抜けられない刺激の強いもの,という風に描かれていて,全体的なバランスを壊されると思ってしまうのだろう。

 情報技術を幼児教育に採り入れようとしている人々は,その点を十分認識していて,たとえば画面と現実空間との連続性を越える工夫などを盛り込む努力をしている。あるいは,人と人との対話が誘発されるような道具としてデザインをしている。

 プロモーションの問題だけではないと思うが,もっと実際の使われ方に関する様々な提案やPRをしていくことが保育や幼児教育の世界にも情報玩具が活かされるために必要なのだろうと思う。

林向達『わたしの情報活用』(カラーPDF版:約122MB)
http://homepage.mac.com/rin/.Public/rin_watashino2003.pdf

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 必要があって過去の記録を見返していたついでに自分の書いた本のことを思い出す。2000年,まだ短大教員として働いていた時に,東京の出版社の人が訪ねに来てくれた。「教科書つくりませんか」って。

 パソコンの演習を担当していたので,その受講生が利用するためのテキストをつくるというわけである。その短大や大学の全体で同様な授業を受ける学生の数はそれなりになるから,小規模とはいえテキスト販売が出版社にとって商売になるというわけである。出来が良ければ一般販売でも売れるだろう。

 ただ,教科書をつくることと,教科書を採用することとは,まったく違う力学が働いていて,当時の僕には,そのどちらに対しても十分な準備がなかった。だから,出版社の方とお会いしてから2年ぐらいは,何も進展しなかった。それでも,出版社の方は中部地区への出張シーズンがくると,毎回訪問してくれた。

 そのことが何より申し訳なかったので,僕はいい加減,授業のためにつくったハンドアウトをまとめる形で教科書執筆に取りかかることにした。だから教科書というよりは,見開きをコピーすればすぐ配布できるようなプリント集みたいにしようと方針を決めた。
 そして,出版社の方の手を煩わせないように,全部自分で編集して,完全原稿(PDF)を渡すことにした。

 結局,時間が無くて尻つぼみ気味の内容になってしまったけれど,出版社の人に原稿を渡して,2003年3月に『わたしの情報活用』という教科書が出来た。価格を抑えるために装丁は極めてシンプルだった。担当していただいた出版社の女性にお任せをして,表紙はクリーム色の地にピンク色の文字という意外と可愛らしいものになった。


 初めて教科書を使った授業は,気恥ずかしかった。しばらくして,出版社の女性が訪ねに来てくれて,会社でも結構評判がいいですとお世辞を言ってくれたことは嬉しかった。全部自分で編集したことに「ここまでやるか」という声もあったと聞いて苦笑いをした。

 それからしばらくして彼女は,その出版社を都合で辞めることになって,その後会うこともなかった。刊行後,僕の担当する授業数が少なくなって,当初の販売予定数を消化できなくなった。もしや,その引責で彼女は辞めることになったんではないかと,本当かどうか分からないまま勝手に心の片隅で気にし続けていたりする。


 あるとき学生が,授業のコメント用紙に「家でお母さんが先生のテキストを見つけて,これ分かりやすいと言ってパソコンの勉強してましたよ」と書いてくれた。それから短大を辞めるまで,自分が使うテキストの最後のページに,僕はずっとそのコメント用紙を挟んで持ち歩いていた。


 たくさんは売れなかったし,担当の人は出版社を辞めちゃったし,僕も短大を辞めちゃったけれど,その教科書を「分かりやすい」って言ってくれた人が一人でもいたことは確かで,そのことに僕は感謝したい。

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 その教科書をつくるにあたって,事前に「いずれインターネット上に公開したいのですが…」と聞いた時,「大丈夫です」とお返事いただいた口約束が,いまでも有効であることを信じて,ここにPDF版を公開します。しかもカラーで(教科書はモノクロ印刷だった)。

 もう時間も経過して,基本ソフトもアプリケーションソフトも大変化していますから,役には立たないかも知れませんが,こんな教科書もありましたということで…。興味のある方は,検索して,出版社に注文してください。

電子辞書のカタチ

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 皆さんは辞典や辞書をお持ちだろうか。

 家にある国語辞書を探してみると,古くなったものが一冊二冊出てくるか,あるいは人によっては「一冊もないです」なんてあるかも知れない。ただ,紙の辞書はないけど「電子辞書」ならありますという人は多いかも知れない。

 私はさすがに教育業界にいるので,パッと見えるところに「新明解・国語事典(小型版)」がある。気になる言葉があれば,なるべくこの辞書を引くようにしているが,最近はご無沙汰である。そのほか,紙の辞書としては,「ジーニアス和英辞典」「ロングマン英英辞典」があるくらい。あとは「カスタム英和・和英辞典」という携帯サイズの紙辞書とこれも携帯サイズの「英会話ビジネスひとこと事典」がある程度だが,やはり,今はほとんど使っていない。
 ちなみに実家に戻ると「広辞苑」はもちろん「岩波国語辞典」「リーダーズ英和辞典」「ランダムハウス英和大辞典」といった紙の辞典・辞書が残してある。

 紙の辞書を使わなくなったというならば,もう調べていないのかというとそうではない。いまや「電子辞書」で調べることが多くなっている。


 いまだと電子辞書といえば,コンパクトな端末にキーボードと小型ディスプレイが付いたもので,国語辞典から英和和英はもちろん,様々な言語やジャンルの事典データが同時収録されているものを思い浮かべる。
 紙の辞書だと数十冊になるものがすべて一つの小型端末の中に入っているというわけである。便利というか,なんというか,とにかく紙の辞書を使っていた世代にとっては,驚くべき進歩あるいは変化である。

 昨今の電子辞書端末は,ペン入力が出来るようになっているので,漢字を直接書いて調べることも出来るようになっている。今まで漢字の読みを調べるために部首やら画数やらで入力する手間があったものの,これなら漢和辞典機能も実用的だ。

 センター試験でリスニングテストが導入されることが決まった時には,電子辞書が一斉に音声機能を売り文句にしたのはご記憶の方も多いだろう。今時の電子辞書は,単語の読み方も音声で聞けるし,ものによっては写真や動画も見られる。電子辞書端末はどんどん高性能化している。


 しかし普段パソコンを使っている場合,皆さんもそうだと思うが,もはや端末タイプの電子辞書も使わなくなっているのではないだろうか。実は,電子辞書のもう一つのカタチは,パソコンの辞書ソフトである。

 Macというパソコンを買うと最初から「大辞泉」「類語例解辞典」「プログレッシブ英和・和英辞典」「オックスフォード英語辞典」が付属していて,辞書ソフトを使って語を調べたり,あちこちのソフトで右クリックをすることで自由に意味を表示できる。海外のWebサイトで英語を読む時にも,分からない単語があれば右クリックして,その場で意味を表示できるので便利である。

 また,日本語入力ソフトにATOKを使っているパソコンユーザーの皆さんの中には,ATOKと連動する電子辞典を使っている人もいるだろう。たとえば私は広辞苑と連動させているので,同音異義語があれば,変換中に意味が表示されて,語の使い分けを確認することが出来る。

 少し前までは,CD-ROMで電子辞書や百科事典が販売されていた時期もあったが,大容量ハードディスクを安く買える時代がやってきて,辞書はハードディスクにインストールするのが当たり前になった。いまパソコンソフトコーナーには,いろんな電子辞書が売られているのが分かる。この分野ではロゴヴィスタという翻訳ソフトも手がける会社が大手で,いろんな出版社の辞典を電子化して販売している。

 ちなみにボランティアベースで辞書データをつくるという試みもあって,その試みで有名なのが「英辞郎」という英語日本語辞書データである。これは翻訳実務家の人たちがボランティアベースで構築した辞書で,翻訳の仕事で培ったノウハウでつくられている点がとても素晴らしい。それ故,この辞書データは書店で販売されるまでになっていることはよく知られている。


 さて,ネットに繋げるのが当たり前になった時代には,電子辞書もハードディスクからネットへと置き場を移して,分からないものはネット検索するというカタチにもなっている。

 いろんな辞典・辞書が,有料無料などいろんな方法で提供されるようになっている。ネットから生まれたWikipediaはもちろんのこと,Yahoo!などのポータルサイトでは百科事典などの辞書コンテンツを無料で提供している。有料サービスとしては「Japan Knowledge」にもよく知られた辞典・辞書が用意されている。

 パソコンか携帯電話を使うことで,電子データというカタチだが,居ながらにして様々な辞典・辞書を参照できる時代になったのは,本当に有り難いことである。


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 しかしである。辞典や辞書を楽しむという場合,紙の辞典・辞書の味わい深さを,そう簡単に捨て去るわけにはいかない。学校教育で,紙の辞典・辞書を捨てないのは,単に時代に追いついていないというわけではなくて,やはり紙の辞典・辞書に良さがあるからである。

 電子辞書は,いかにも便利に思える。確かにキーボードから英単語を入力して調べるのであれば,紙の頁をめくるよりも遥かに検索が早い。さらに,関連語をボタン一つで拾い出すことも出来る。読み方も聞けたりもする。

 けれども,紙の辞書のように頁に折り目をつけて置くことは出来ないし,メモを書き込むことも難しい。二つ以上の単語の意味を比べたい時に,紙の辞書なら各頁に指を挟んで頁を保持し,さっさっさっと頁を開き直して同時に眺めることが可能だが,電子辞書にはそんな芸当は出来ない。しおり機能はそんなに素早く動作しない。

 さらに,英語ならともかく,日本語も何もかも,全部横書き表示である。パソコンも横書きなのだから,特に違和感がないのかも知れないが,紙の国語辞典・辞書は,どれも普通は縦書きである。そういう細かい部分にも紙の辞書の良さがある。

 電子辞書はもっと進化をしなければならない。

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 実は,電子辞書の世界では,ちょっと賑やかな出来事が起こっている。Yahoo!百科事典のサービス開始も,確かに電子辞書界に一石を投じたが,ネットのカタチではなく,ソフトのカタチの方にも新しい動きがある。

 iPhoneやiPod Touchにいろんなアプリケーションが提供されているのはCMやいろんな情報源でご存じかも知れないが,そのアプリの中に,「辞書アプリ」のジャンルがあって,これがいま熱い(ホットな)のである。

 これまでも「ウィズダム英和・和英辞典」アプリを始めとして,「ロングマン英英辞典」「ジーニアス英和和英辞典」「範例六法」「大辞泉」「広辞苑」「プチ・ロワイヤル仏和和仏辞典」などの有名辞書がiPhone辞書アプリとして登場している。あのタッチスクリーン操作で検索項目のリストを滑らせて選んで読むことが出来るわけだ。「広辞苑」なんかは音声や映像データも完全収録している充実ぶり。

 とはいえ,いままでリリースされたiPhone辞書アプリは,わりと素直というか,まあiPhoneで辞書を作ったら普通こうなるだろうなという範囲にとどまっていた。

 ところが今回,新しく登場した辞書アプリは,今までのものとは一線を画する。


 今回登場したのは,打倒「広辞苑」を目指してつくられた国語辞典界のもう一方の雄,「大辞林」の辞書アプリである。それをつくったのは物書堂というソフト会社さん。辞書アプリを中心に開発をしている会社だ。けれども今回の「大辞林」は物書堂さんがつくってきた辞書アプリとはまったく異なる新しいカタチでつくられた。

 明朝体フォントによる美しい縦書き表示なのである。検索項目もすべて縦書き表示。リストは横方向に滑らせる事が出来る。しかも,ジャンル毎に単語がマトリクスに並んだインデックス画面も用意されていて,広大なマトリクスの表を自由自在に滑らせていきながら,好きな単語を選んで字義を読むことが出来る。

 その上,この辞書アプリがすごいのは,字義の中の任意の場所を指でなぞって選択してあげると,その選択した言葉の字義にジャンプしてくれるという操作が実現されている。これは感動ものである。


 25万語もの言葉の一覧表を自由にスクロールして(滑らせて)言葉と戯れるなんて経験は,初めてである。いままでの電子辞書が実現し得なかったカタチをiPhoneやiPod Touchの辞書アプリが提案している。

 こういう新しいカタチの辞書は,きっとまだまだ出てくるだろう。これこそ紙の辞書にはできない,電子辞書なりの楽しさと言えないだろうか。

 学習にパソコンやIT機器が役立つかどうかという議論は,案外,こういう素敵なアプリケーションの登場と普及推進で,乗り越えられるかも知れない。もちろん,持続的活用を促す学習のデザインも合わせての話だけれど。

 小学館の百科事典「日本大百科全書」(ニッポニカ)が「Yahoo!百科事典」として無料で提供されるようになるという。これでいよいよプロの編集した事典データが自由にネット検索できるようになる。

 この恩威を受ける人は多いが,特に小中高校の教育機関では,調べ学習の際の情報ソースとして,ようやく信頼できる出典元を児童生徒に使わせることが出来ようになり,Wikipedia寡占状態を脱することが出来そうだ。

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 Wikipediaは,ユーザーによって項目追加や執筆が行なわれる点で,項目や解説に対する柔軟性がある。通常の百科事典では取り上げられない事柄についても項目が立ち,かなり重厚な解説がなされることもある。また,各種言語に対応していることから,それぞれの言語毎(その言語を使う圏内毎)にどのような解説がなされているのかを知ることも出来る。

 その反面,すべての項目が平等に解説されるわけではない。人々の関心が向かないところの項目は存在しないこともあるだろうし,あっても解説が手薄になることもある。項目に対する解釈や具体的な解説方法に関して衝突もある。場合によっては誤解や虚偽の内容が掲載される可能性もある。そのような場合にも複数ユーザーによる相互チェック機能が働くことで訂正がなされたり,あるいは解釈や解説の困難さそのものが情報として伝わるというメリットがないわけではなかった。

 混沌とした現実を直接反映する生きた百科事典としてのWikipediaは,確かにネット検索の際に大変重宝がられてきた。家や職場や大学でも調べたい項目があればネット検索,そしてWikipediaを参照するのはベーシックな調べスタイルになっている。

 そして,同じようなことが小中高校の現場でも起こっていた。果たして,Wikipediaは小中高校の学習活動,調べ活動の情報リソースして望ましいかと問われると,これはいくらか検討を要する問題である。まさに教材論だし,教育情報学として考えてもよい問題である。

 義務教育段階を知識に対する助走期間と考える立場であるならば,むき出しの生の情報ともいえるWikipediaの使用は,教材として扱うハードルが高い。これを使いこなせるほどに児童生徒は知識を扱うスキルを身につけていない(そもそも小学生だと読めなかったりする)し,不必要な内容に学習が振り回されることも考えられる。他にはもちろん,情報の正確性に関する懸念もあるが,それ自体はどのような情報リソースも同じく抱える問題なのであって,むしろ編集責任主体の曖昧さが問題ともいえる。

 そういう意味では,Wikipediaとは別に,プロの編集者によって編まれた百科事典の公開が待たれていたのも事実である。すでに英和/和英辞書や国語辞書などは三省堂や小学館のものがgooやYahoo!で提供されていたが,百科事典はなかった。

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 そこでようやく吉報である。

「Yahoo!百科事典」公開、小学館の百科事典データを無料で閲覧
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/11/27/21673.html

ヤフーと小学館、プロ編纂の知識の泉「Yahoo!百科事典」を無料公開!
http://journal.mycom.co.jp/news/2008/11/28/007/index.html


 プロが編集した日本語の百科事典がついにネット検索できるようになる。やはりコンテンツをもっている人たちがその気になると,いろんな事が出来るのだなぁ。

 小中学校の現場でも,小学館という信頼できるところから提供された内容のものを利用できるという点で,安心感があるはずである。もちろん一般向けの百科事典なので,小学生が読むのに苦労する場合も少なくないとは思うが,ベースになる情報リソースとしては申し分ないはずだ。

 今後,Yahoo!百科事典とWikipediaという組み合わせで,活用するスタイルが普及しそうだ。

 今日は,午前中に現場の先生方に研究協力をいただき,午後は国立公文書館に出掛けて,特別展「学びの系譜」を見た。ちなみに展示は木曜日の23日まで。入場は無料だし,それほど時間もかからないので,ふらっと寄っていただきたい。

 実際,特別展とはいえ,国立公文書館の1階展示回廊をグルッとコの字で囲む規模である。じっくり見るのでなければ1時間もいらない。しかし,1時間くらいじっくり味わうのも面白い。

 江戸から現代までの教育関係文書が展示されている。量的にそれほど多くはないが「学制」や「教育令」や「教育勅語」といったもの,もちろんかつての「教育基本法」もある。


 大学関係者にとって興味深いのは,大学設置認可申請書類の綴りの背表紙写真がズラッと壁に展示されていることである。だからどうだと言われると,まあ,確かにそれだけなのだが,自分が通った大学や大学院,自分がもと居た職場のものや,非常勤講師でお世話になった大学,そしていま居る大学,学会などで訪れたりした大学のものなど,探して見つけてほくそ笑んでしまった。館長さんがとある会場で「皆さんの大学のもあると思います」って言っていたのはこれだったのか。

 大学の授業で,日本の教育の歴史を紹介する機会があったりするのだが,それを史料をみながらなぞれる感じになっていて,自分自身も大変有効な復習になったりしたし,知らなかった細かい情報を得られたりしてよかった。

 東京の国立公文書館に足を運べる皆様は,是非,木曜日までにご覧になってはいかがだろうか。

 教育現場へのIT導入と活用には幾多の難関が待ち構えている。「学校の情報化」は,多くの関係者の理解を得て,コンセンサスのもとで支え合う関係づくりが必要だが,それはとても大変なことでもある。カリキュラム評価にITを活用するためには,情報化への努力を惜しまぬ学校づくりも不可欠なのである。
 「データをもとにしたカリキュラム・マネジメント」(Data-Based Curriculum Managemant)は,ITにとって絶好の活用機会である。しかしITの教育利用に関して,人々の理解は一定していない。無用な足踏みをしないためにも,まず次の事項を踏まえて周知したい。

 ①教育活動には,効率化・合理化すべき部分と時間と労力をかけるべき部分がある。
 ②ITには,道具としての「IT機器」と,技法としての「情報技術」の2種類ある。
 ③IT機器は,効率化・合理化必須部分の割合を圧縮するための道具として活用する。
 ④情報技術は,時間・労力必須部分に対して応用し,より高次な取組みへの進展を目指す。
 ⑤IT機器と情報技術は互いを補完する関係として連携させ,教育活動上のIT効果をあげる。

 これらに留意しながら,学校におけるIT活用の原則を設定しておくことで,不必要な誤解や抵抗を退ける ように努力しなければならない。もはや学校の情報化は達成されていなければならない要件なのである。

(林向達「ITを活用したカリキュラム評価の進め方」より抜粋)

iPhone発売開始

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 とうとうアップルのiPhoneがソフトバンクから発売された。昨日からマスコミ各社による報道が許可されて,あちこちのWebサイトでは紹介記事やレビュー記事が掲載されている。

 発売日の朝には,各チャネルのニュース番組が東京・表参道のソフトバンク販売店に並んだ行列を中継していた。ちなみに実機によるデモンストレーションをアナウンサーたちが披露するのだが,使い慣れてないせいなのか,緊張して汗かいているのか,あまり上手に操作できていなかった(一番上手だったのはNHKのアナウンサーで,普段からiPod Touchを使っているのではないかと思われるほど手慣れていた)。

 ラジオでも同じように話題を取り上げている。TOKYO FMの番組でも専門家のコメントで機能を詳解しているが,日本語入力の新しいアイデアについて,ちゃんと紹介し評価しているなど,言葉だけの説明ながら掘り下げて報道していた。

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 iPhoneの発売は歓迎すべきことだし,本体価格が2万数千円からであることも嬉しいが,月々の基本使用料が七千円程度かかる。家計に占める通信経費をまとめれば,それくらいになる場合もあるかも知れないが,それをiPhoneだけで置き換えるというわけにはいかないだろう。料金に関しては課題も多い。

 というわけで,当然のことながら私自身は入手することはできそうにない。しばらくはiPod Touchを愛用するつもり。

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 それにしても,今回のニュース報道で,他社の対応を紹介する件があったのだが,他社はiPhoneに対して「日本文化になじまない」というイメージをつけようと躍起になっているのが分かる。

 たとえば「日本はメール文化である」とか「絵文字がない」とか「ワンセグがない」とか「電子マネーがない」とか…。日本がメール文化であるというのは,絵文字メールを使う若いユーザーが多いということで絵文字機能がないのは問題だという文脈のことだと思われるが,とにかく,iPhoneに搭載していない機能について言及する形で差別化を強調していた。


 このような発言を聞くと,日本のケータイ・ユーザーは,確かに絵文字やワンセグ,電子マネーを使っているのだけれども,それは能動的に欲して利用しているのか,受動的に(機能があるから)利用しているのか,いつも考えてしまう。

 あれば便利で,もはや無くてはならないという風になっているのだが,無いと生活できないというわけでもない。少しアンチな考え方をすれば,私たちはメールやワンセグに時間をとられるようになってしまったし,電子マネーで細々とした消費が増えて家計を圧迫し始めたりと,デメリットがないとは言えない。

 iPhoneもまた,メールやインターネット,iPodやYouTubeを扱える多機能さが受けているが,それはそれで,そこに自分のリソースやエネルギーを注ぐことになるわけで,同じようにデメリットを抱えたりする。


 結果的には,道具を使う側の「物の見方」や「リテラシー」や「作法」やら次第だと思う。そうした次元の育成をどこが専門家として見守るのかについては議論が必要だろう。
 学校教育における情報教育や情報モラルに何かを期待するのは簡単なのだが,その学校にはPCがやっと入り始めたばかりでPC環境も十分でない。まして携帯電話やモバイル端末の持ち込みに関しては,ほとんど足並みがそろっていないのである。そうした環境や状況の条件不揃いが起こっている中で,教育することだけ期待されても困るというのが普通である。

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 iPhoneの発売は,携帯電話・モバイル端末市場に一石を投ずる出来事なのは確かだが,携帯電話やモバイル端末というデバイスそのものの存在意義などを考える契機としても捉えられる。

 この機会に,小さなボタンと小さな画面が配された小さな端末に向かう自分たちの姿を見直してみるのも悪くない。iPhoneは,ある私企業が提示した一つの提案でしかなく,形としては商業製品であるから,人々に見過ごされてしまうかも知れない。しかし,そこには,私たちの現在ある姿を肯定的に捉えた上で,どうすれば見えない窮屈さを解消して,あるべき姿へと変えていけるかに関するチャレンジが垣間見える。

 それは,日本の情報教育に欠けていると思われる「哲学的な問い掛け」の具体的な実践姿勢のようにも思う。

 日本だと,例えばNTTのdocomoモバイル社会研究所のように,商業的な部分と学究的な部分の両方が存在するにも関わらず,逆にこうした分離した形でしか扱えていないという問題がなかなか解決されない。

 それはちょうど「基礎」と「探究」の間を橋渡ししようとする「活用」の考え方が学習指導要領に取り込まれたように,商業性と学究性を橋渡しする努力を取り込むことが必要なのではないかと思う。

 教員研修の夏がやってくる。一般の皆さんの頭の中には,牧歌的な時代の学校風景が残っているかも知れないが,あの少年時代の夏休みといった世界に住む先生は居ても少数で,目まぐるしい校務や研修に勤しむのが,今日の先生たちの姿である。

 上手く機能しているかどうかの問題はさておき,この国の教員研修は手厚い,あるいは手厚くなってきた。それが何を意味しているかは,察しのよい皆様ならおわかりと思うが,実施主体が国,都道府県,市町村,学校という単位で並列し,教員に期待される自己研修を取り囲むように,法定研修,基本研修,専門研修,経験年数別研修などなど様々な呼び方の研修が用意され,いろんな意味で大変である。

 これに教員免許更新制導入に伴う研修が加わるわけで,まさにメニューだけ見れば研修花盛りな時代。問題は,こうした研修を充実化させたり,一つ一つを丁寧に深めるための環境(あるいは文化)整備について,あまり世間の関心が向いていないということである。
 本来,教育振興基本計画に盛り込まれるべきは,教員の増員といった人件費より,教員の専門性を高めるための整備費であるべきだったのだが,結局のところ「それは(研修を受けやすくするために)教員増員するってことでしょ?」という短絡的な理解で議論が終わって続かない,いつもの嘆き節である。

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 私は研修事業の取り組みが充実化することに異論はない。ただし,どのように充実化させるかについて,もっと新しいアイデアを取り込んでいくべきだと考える。

 教育関連リソース(資源)とその伝搬環境は,コンピュータとネットのおかげで激変している。そうした変化のメリット部分をもっと活かしていくべきである。そう考えると,「TRAIN」とか「ADAPT」とか教員研修を支援する取り組みを精力的に生み出してきた某センターが来年廃止という理不尽な展開は大変残念なことである。

 民間の力を,今以上に活用することも求められるのだろう。学習塾と学校との連携は,まだ心的な垣根が解消されていない関係ではあるが,手を取りあって教育を支えていくべき重要なパートナーには違いない。特定分野に関しては,民間企業の専門家が講師となる研修もあり得るだろう。あるいは研修という形態を見直しながら関係していく必要もあるかも知れない。

 そう考えたとき,新しい「研修」とは何かについても考えなければならない。賑やかになってきた「ワークショップ」という手法がもっと主軸に据えられるかも知れない。あるいはもっとイノベーティブな研究を推進する活動形態が生み出されるやも知れない。

 果たして,そうした新しい活動形態を活かせる環境設備・道具が,教育センターや学校施設にあるのかどうか。もう一度問い掛けてみる必要があるだろう。私たちは何にお金をかけるべきなのか。それが延いては子どもたちの学びにも影響していくのだということに,もっと想像力を働かせるべきなのである。

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 とある仕事で関わって以来,付かず離れずで眺めていた「インテル教育支援プログラム」という取り組みが,新しいプログラムをリリースしたようである。

 インテル社が全世界に向けて提供している教育支援プログラムは,思考支援型の授業をつくるための学習指導や教科指導に関する研修といえるもの。授業設計手法として諸外国で注目されている「逆向き設計」を取り入れ,実際の単元計画を作る過程を演習する研修プログラムとなっている。意外かも知れないが,これはICT活用が目的の研修ではなく,純然たる学習指導あるいは教職関係の研修なのである。

 教育研究機関に依頼してつくったプログラムだけに,かなり中身が濃い。おかげで36時間を確保しなければならないため,従来のような研修と同列に扱えないのが玉に瑕だった。さすがに,いきなり36時間(6日間)の研修プログラムを企画したり,申し込むのはハードルが高い。


 今回,そうした本体の研修プログラムへと誘うための前座メニューとして「ワークショップメニュー」が登場した次第である。インテルが提供する(ICTをメインとしない)教育支援プログラムとはいったい何なのか?そのような素朴な疑問を解消してもらうためにも,大変よいメニューではないかと思う。

 世界の先生たちが取り組んでいる教育プログラムがどんなものかを体験するという意味でも,あらためて触れていただければと思う。たまに関西風のときあるけどね^_^;。

iPhone 3G

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 ニュースでお聞き及びと思うが,アップル社が日本でソフトバンクモバイルと組んでiPhone 3Gを7月11日に発売することになった。噂のiPod携帯電話が,いよいよ日本に上陸というわけである。

 日本では,iPod Touchという製品が同じような操作性の機器としてリリースされており,だいたいの使用イメージというのは知られているところだけれども,iPhoneという携帯電話として登場する今回の機器は,携帯電話通信網を使って通信できることと,カメラとGPS機能が追加されたという違いがある。

 このような機能は,従来の携帯電話で珍しくはない。しかし,あらためてiPhoneという通信機器を吟味したとき,携帯電話とは全く違う情報端末としての次元の違う可能性が広がっていることがわかってくる。

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 現在までも,教育の現場に携帯電話を積極的に取り込み,授業や学習に活かそうという実験的試みがいくつかなされてきている。しかし,モバイル端末としての有用性は確認されながらも,端末操作の難しさや機能デザインの柔軟性の無さ,あるいは料金コストを考えた場合に,本格的な導入にはまだハードルが高いということも見えていた。

 すでに市場に出回っているスマートフォンを利用した社会人向けの学習コンテンツの研究では,一定程度の効果も認められ,あとは端末コストと通信コストの問題であるところまでいっている。

 そこにiPhoneである。

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 iPhone 3Gが注目すべき製品であるのには理由がある。これは 1) MacやWindowsと同じレベルのプラットフォームレベルの商品であるということ。2) 全世界70カ国を対象に安価($199〜)で提供されること。極端な話,この2点である。

 1)は,もっと細かい特徴に細分化できるが,とにかくタッチパネル操作によるパソコン並に高性能な携帯電話・情報端末であるということだ。消費者からすると従来のスマートフォンとか携帯情報端末との違いがわかりにくいが,この機器のためのソフト開発をするという立場から眺めると,その次元の違いは明らかである。

 2)は,そのような高性能な機器が,世界各国で安価に販売されるため,普及する程度がかなり高くなるということである。たとえば,世界の誰かとやり取りするときに,同じiPhoneだと使えるアプリが共通なので,なにかと便利だったりするかもしれない。海外での活用事例を取り込むこともできるし,逆に日本での活用事例を海外に提供することもできる。

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 いま,日本の学校は教員一人一台のパソコン整備が進められている。先生たちは教室,もしくは職員室に自分の仕事用パソコンを持つわけである。

 それが一段落するかしないかのところで,そのパソコンと組み合わせて使うデバイスに関しても未来を見据えなければならない。その際,連絡用の携帯電話としても使用でき,教育支援のための様々なアプリを開発することが期待できるiPhoneのようなモバイル端末が当然俎上にのぼってくるはずである。


 おそらく,あちこちの研究グループがiPhoneの教育利用に関するアイデアを練っていることだろう。これまでの機器とはその操作性も開発環境も,そしてコストの問題さえ一線を画してしまう。そんな可能性を持った機器だからこそ,ごくごく普通の教育実践を支えてくれる有能なツールとして活用できることが期待されている。


 まずは学校現場でのiPhone活用の可能性を模索する研究プロジェクトがいくつか登場するだろう。授業の中で子どもたちが使うツールとして,また教師にとっての公務支援ツールとして。

 それから,高等教育では学生にiPhoneを支給するところが出てくるだろう。入学生にパソコンやiPodを支給するのと同じ調子で,最初のうちならiPhone支給が宣伝上も効果的である。語学教育用のツールとしても,学生支援や学務の大学ポータルサイトへのアクセス端末としてもかなり理想的だ。Microsoft Exchangeを活用する手もある。

 塾や通信教育業界も,Nintendo DSと同じようにプラットフォームとしての可能性を見逃さないだろう。アプリの開発によってタッチスクリーンや傾きセンサー,カメラやGPSなどを利用したDSとはまた違った教育ソフトを提供することが可能になる。

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 携帯電話との親和性が比較的高い日本における活用事例は,きっと世界的にも注目を集めるはずだし,世界に情報発信するよいきっかけになるだろう。時間はかかるかもしれないが,大きな変化が起こり始めると思う。
 それだけに,先日のNEW Education Expoの雰囲気が,世界を先取りするどころか,自分たちの目標にすら到達するのに四苦八苦している状態であることを憂いでしまうのだ。杞憂であればいいが。