思索の最近のブログ記事

 人に言わせれば「都落ち」ということにでもなろうが,のどかなこの街に越してきて,私自身はよかったのではないかと思っている。校務も本格化していないこの時期だから,まだ半分は春休み気分が抜けていないとしても,田舎過ぎもせず都会過ぎもしないこの街の雰囲気は,生活するのにいい。


 東京で沢山のご恩を得て刺激的な日々を送った経験からすると,どこか気の抜けたところのある地方都市での日々は,正直なところ,まったりとした時間に飲み込まれてしまう不安を感じさせる。


 やれコミュニティだ,ワークショップだと賑やかに唱えていた物語は,地方都市における土着の共同体意識の中に滑り込ませるにはあまりにも脆弱なままで,一体その溝を埋める仕事は誰がするのかという問題はほとんど手付かずであるような気がする。

 もちろん,ユニークな試みをするのは地方都市の方が多いという指摘はその通りなのであるが,そうした試みは地方都市を「舞台」にしたがゆえに成り立ったに過ぎないという風に考えれば,それを取り去ったところの地方都市に(ハコモノ以外の)何が残っているのかをハッキリ示してくれた試みを,私はすぐに思いつくことが出来ない。知らないだけだとは思うが…。

 そのことは,特に私が越してきたこの徳島県において顕著ではないかと思われる。

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 学生達とのやり取りが進むにつれて,この地方都市が周辺の都市とどのような関係性で把握されているのかを伝聞レベルではあるが知るようになってきた。

 徳島という街に対する評価は,基本的には悪くない。しかし,若い人たちにとっては遊ぶ場所も楽しいイベントも少なく,夏の阿波踊りによる賑わいを別とすれば,関心は他所に向いているのが現状のようだ。

 四国の中なら,香川県の高松市に様々な商業施設や催事が集まっているという。ちょっと足を伸ばすなら,高松に遊びに行くという感じらしい。

 さらに足を伸ばすなら,大橋を渡り,神戸へと出かけるという。高速バスは毎時間出ているので,週末などは神戸・大阪に買い物に出かけるのも珍しくない。自動車とETCがあれば,高速料金もリーズナブルになった。


 そのような周辺都市の賑やかさに目を奪われながら,学生生活自体は徳島という街で過ごす学生達は,どこか心ここにあらずといった感じでもある。

 就職の話になれば,学生達の複雑な心境は深刻化していく。様々な資格を取得するために授業を受講しているが,その資格を活かした職につける可能性は大きくない。特に女子学生は地元志向である。できれば県内での就職,あるいは少なくとも四国,もしくは中国地方や関西地方といった地元を希望する。そうなれば,選択肢や可能性はおのずと絞られるか,無い場合さえある。

 就職や人生の不安ばかりが可視化され,勉学や学びに対する喜びや期待は風前の灯だ。

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 「先生みたいな若い人が来てくれて,みんなも嬉しいと思います」

 自分も同じ学生にも関わらず,こんな風なコメントを書いてくれる学生が居る。場所や時間を違えて,似たような意見を聞いたり,見たりもする。教える者が「若い」ということの(事実性はともかく)認識が,授業に対する好意的な認識に大きな影響を与えるということを私たちは経験的に知る。

 学生達が欲しているのは何だろうか。年度が改まり,新しい事柄に対して何かしらを期待している。どんな変化を望んでいるのだろう。自分自身を新たな学びに開いてくれることだろうか。そのことを通して,生きている日々に意味付け出来ることたろうか。あるいは何かしらの目標の達成の手助けを期待しているのだろうか。

 もちろん私たちは,ニーズだけでなく,シーズを見つめて問い掛けなければならない。学生達はこの世界をどのように生きていくことができるのか。今後この世界で生きることとはどんなことなのか。地方都市で過ごす生き方はニーズかも知れないが,別の土地や世界へ出かける選択肢もシーズとして提示すべきではないか。


 私は「若い」という期待だけが頼りになっているような状況を良いことと考えていない。若さの可能性とは別に,老いによる深遠さにも期待を抱くようになれば,それだけ学びに広がりがでるはずである。

 私にしてみると,大人の学びという問題の議論は,まだ「若さ」に捕らわれているのだと思う。おそらく,数年後には老いの視点を組み入れた議論が展開してくると予想している。人々の議論は,人生という時間スパンの域に対して想像がまだ届いていないし,(都会に住む人たちにとって)そのことには時間がかかるのだろう。


 私は,地方都市という現場でそのような問題を考えることが近道だと思っている。もちろん,生ぬるい生涯学習の議論に陥る危険は十分あるし,反対に地方都市を舞台にするだけの表層的な実践と議論になる危険もある。その狭間をうまくバランスをとりながら歩むことで,何かしらの道(第三の道?)を見出すことが出来るのではないかと思っている。結局のところ,それが溝を埋める地道な作業なのだ。


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 教育らくがきにでも書くべきテーマになってしまったが,学生のコメントやこれからご厄介になる土地に対する勝手な考えが含まれているため,少々遠慮してこちらに書くことにした。


 私は,この土地に骨をうずめることになるのかどうか。まだよく分からないので,そのような取り組みを自分自身がすべきかどうか判断しかねている。たぶん,考えて決めることではないのかも知れない。

 そうしたければ,そういう人生になるし,そうでなければ,また別の場所で別のことをする人生になるだろう。リキッドな私の生き方については,今回の内容も再度取り上げつつ,別テーマで教育らくがきに書くとしよう。

 「♪私のどこがいけないの それともあの人が変わったの」と唄ったのは,いしだあゆみさんだったが(最近,旧い曲の名前や歌詞をネタにしても通じないのが寂しいが…),私たちは,みんながみんな自分や他人に対して変わっていっているのかも知れない。

 中原先生が並々ならぬ覚悟でワークプレイス・ラーニングのシンポジウムに臨もうとしている。勢い余って,挿絵が「2009」になっているのは,う〜ん,来年にも使い回すつもりなのかも知れないが,冗談はさておき,中原先生はたぶん本気なのだと思う。


 私の場合は,本気が間違って,血迷ったので,仕事を辞めてしまうという選択へと突き進んでしまったけれども,そこまでいくと,中原先生がどうして「腹をくくる」と書くのかも,よくわかるような気がするのである。

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 もちろん,ここにも「内と外」の問題が横たわる。大人の学びに限らず,何かを変える覚悟には「内に留まって」するものと,「外に飛び出して」するものの2つがある。

 私は中原先生の関心が,基本的には前者にあって,なんとか外部の知恵も取り入れながら持続した変革を実現しようという考えているのだと思う。ワークプレイス・ラーニングなのだから,その場所から離れるのは,本意ではないだろう。
 あるいは外側に飛び出すものの,周辺に留まりながら,外部の働きかけとして内部の変革を促そうとする立場があるかも知れない。その場合もその場所を捨てないという点では内部に留まるのに似ている。


 さて,問題は,「♪悲しみの眼の中を あの人が逃げる」場合である。これも流動性の高い社会においては,かなり多い選択肢である。私たちは,変わる気配のない場所で,いつまでもその内部やその周縁にとどまっていられない気持ちも持ち合わせる。

 もちろん,もしかしたら働きかけるこちらの努力や覚悟が足りないのかも知れない。自分の言葉を「ブーメラン」の如く自分に戻して問いかけたりする。ところが,いつまで経ってもブーメラン。切り刻まれるのは自分ばかりの日々が続く。


 職場に生きるということは,どういうことなのだろう。


 私は結局,「文化」と闘おうとして,結果的には職場を離れた。今もまた,いろんな文化と闘おうとする悪い癖を繰り返しているが,それはあんまり心穏やかな生き方じゃないことは確かである。


 まあ,私自身は,皆さんが血迷わない程度に本気になっていただくための反面教師になれればいいなと思っている。^_^;