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ユーモアの古典

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 どんなユーモアやお笑いを好むかは人それぞれだし,地域や時代によって笑えるものと笑えないものがあったりもする。それでも多くの人々を魅了する笑いのパフォーマンスというものが時々にあったりするわけである。

 Comedy(コメディ)というと,日本語では「喜劇」になる。日本だとNHKの「コメディーお江戸でござる」がコメディという言葉をタイトルに使って耳馴染みが強いが,吉本新喜劇とかが日本のコメディ(喜劇)集団としては有名だし,テレビの世界では1960年代に放送されたいくつかの番組は,バラエティと言うよりはコメディの番組と言った方がよりしっくりくる。

 英英辞書には,たとえばOxfordだと「professional entertainment」と表現するものもあり,「作り込まれた喜劇」というニュアンスがある。日本では,Conte(コント)つまり「寸劇」が好まれる傾向があるが,コメディといえるものもあれば,バラエティとしかいえないものもあり,どこを基準に線引きするのか,よく分からないのが正直なところである。結果的にはあれこれ混ざった「お笑い」という括りで発展しているのが日本の現状である。

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 日本のコメディ番組(バラエティ番組)を紐解けば,やはりNHKの「お笑い三人組」という番組,クレージーキャッツの「おとなの漫画」,ドリフターズの「8時だョ!全員集合」,ラジオで展開していた「スネークマンショー」,漫才ブームの中での「オレたちひょうきん族」,もちろん吉本新喜劇などが歴史を作り,今日のバラエティ番組やコメディ番組に強い影響を与えた。

 海外のコメディ番組については,日本で紹介されたり,放送されたものが少ないため,私たちにあまり馴染みがないものの,たとえばアメリカであれば「サタデー・ナイト・ライブ」であるとか,深夜のトークショーなどが知られている。

 イギリスにも,ご当地の文化を反映した個性的なコメディ番組がある。それが「モンティ・パイソン」。日本でも一時期放送されたことがあると聞くが,英国のユーモア・センスは,高度のものからドタバタまで非常に独特で,好きな人は好きだし,わかんない人にはわかんないままらしい。もっともいまの日本では「Mr.ビーン」の方がイギリスのコメディとしては有名だろうけれど…。

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 世界的にも様々なコメディ番組に強い影響を与え,今なお多くのファンを獲得している「モンティ・パイソン」が,自ら過去の映像をYouTubeに公開するため新しいチャネルをつくったというのが,ここ最近話題になっている。(モンティパイソン・チャネル

 なんでも,YouTubeが出来てから3年間に,いろんな輩が自分たちのビデオ映像を無断でアップし続けてきたが,これに対抗すべく策を講じることにしたのだという。

 どいつが映像をアップしたのか分かっているし,懲らしめることも出来るが,むしろ自分たちで直接映像を配信することで,いままで劣悪な画質で中途半端にアップされてきた映像を,自分たちの臨む高画質の完全な形で公開することが出来る。しかも,タダで。え?課金なし?そうらしい。

 コンテンツを持っている人たちが腹をくくると,こういう動きになっていくんだなぁ。iTunesで映像販売する選択肢もあるはずだが(「サタデー・ナイト・ライブ」はその路線である),そうせずに,現状を皮肉りながら乗り越えてしまうあたりが,いかにも英国のユーモア精神なのかなと思ったりもする。


 僕は「Always look on the bright side of life」のクリップが気になる。というか,この曲はモンティ・パイソンがオリジナルだったのか。「いつも人生の輝かしい面を見ていよう」という口笛ソングだが,昔の時代の張付け刑という希望のないシチュエーションで歌われるというギャップを表現するあたりがモンティ・パイソンらしい。時代を経て,ある意味では,今日の社会の風刺みたいなところもある。

 この時期にこういう風に面白いものを公開されると,困っちゃうんだよな,見たくなっちゃうから。ああ,研究が…。

 スタジオ観覧を申し込むと,先方から電話やメールがやってくる。たぶん,申し込んだ時点で「教育関係者」したので,食いつきが良かったんだと思う。何度かやりとりして,観覧させてもらうことになった。

 それが決まると,当日の受付のための通知が郵送されてくる。封書にはフジテレビではなく,別のイベント会社の住所があった。なるほど,こういうエキストラの仕切りは委託された業者が担当するらしい。興味本位で会社をネット検索すると,フジテレビ関連のイベントをいろいろと請け負っている(フジテレビにとっては)馴染みの下請け会社のようだった。

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Img_5345 番組自体は19:00からスタートするが,私たちはお台場のフジテレビに16:10集合だった。のんびりと出かけたら,ちょうどぎりぎりに到着することになってしまったのだが,指定された場所には受付が設けられていて,ずらっと行列。200名ほどの参加者がいると聞いていたから,特に驚きはしなかったが,こんな風に受け付けているんだぁ…と素朴な感想を持った。ただ,教育関係者の受付はなかなか始まらず,30〜40分くらいそのまま待たされた。

Img_5346 フジテレビには,フジテレビクラブという会員組織がある。そのままずばりフジテレビファンクラブというわけだが,番組の情報やいろいろな特典,そしてこんな風に番組観覧やエキストラの募集などが行なわれる。今回も多くの人たちがフジテレビクラブ経由で募集と応募をしたようである。だから皆さん慣れた様子。

 さらに教育関係者の行列を眺めていても,どうも何度か番組に出演した経験がありそうな教育関係者が並んでいて,グループで楽しそうに話したり,テレビ局の人とよく知った者同士の会話をしたり,なんだか独特な雰囲気も感じられた。こうした企画に協力的な現場の人というのは,どうしても限られるから,常連さんが生まれるのは当然だと思うけれど,新鮮さがどの程度担保されるかは少し疑問に思えた。


 受付では,通知の提出と,ネームタグや書類の受け取り,そして交通費の受領のための手続きをする。そして,いよいよフジテレビ局内に案内される。

 やはり放送局なので,入構に関しては警備が厳しい。といっても案内係の人に連れられて,とことこ歩けば,控え室となっているスタジオに到着する。すでにほとんどの人たちが席について,説明待ちをしていた。

 ずらっと並んだパイプ椅子には,メッセージ用フリップと○×プレート,そしてサンドイッチとお茶が置いてある。長丁場なので,事前に食事するように指示があったが,軽食は有り難い。

 番組進行に協力する誓約書を書き,本日のテーマ「変わらなきゃ」に沿って,あなたは何を変えるかという質問の答えをフリップに書くことになった。そして全員が揃ったところで全体説明。番組進行に関する説明と,フリップやプレートの使い方,そして人による退場時間の違い(小学生や高校生や帰りの都合がある人はCM中に退場するのである)と退場の仕方の説明があった。とりあえず僕は最後まで居残り組である。

 しばらくトイレ休憩。本番40〜50分前だったか,本番のスタジオへの移動が始まった。僕は最後の方だったので,あとからスタジオに入る。テレビスタジオとしては大きなセットだったが,皆さんがテレビ画面から感じるほどには大きくはないセットに,200名の観客がずらっと座る。僕は向かって左端に座った。ゲスト席の真後ろ。

 スタッフは50人程度があちこち動いたりしている。出演者として,佐々木アナが入り,西山アナが入り,伊藤アナが入り,大島アナや後から高島アナも入る。本番15分前ぐらいには,いよいよ慌ただしくなり,スタジオの照明も全開になってくる。セットと向かい合わせに巨大なスクリーンが設置されていて,私たちは映像をそれでモニターする。なので,時々出演者や観客が上を見上げていたり,別の方向向いていたりするのは,その画面を見ているせいである。

 やがて爆笑問題が入ってきて,スタジオが沸く。前番組の最後に次の番組の告知が入るが,そのための撮影があっという間に始まって,「このあとは!たけしの日本教育白書!」というコールで生放送された。いやぁ,なに,このあっさり感。あれで,日本全国に流れちゃったわけだ。恐ろしい…。

 いよいよ本番直前,照明が落ち,ビートたけしがスタジオに登場。やはりスタジオが沸くが,たけしはクレーンに乗り込んで,オープニング撮影のために宙に浮いた。「大丈夫だろうな,これ!」とか言ってみんなを笑わせていた。

 そして,本番の秒読み。みんなスクリーンを見つめて,緊張の瞬間である。そしてCMが明けて,私たちのスタジオが映し出された。

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 生放送の進行は,見た目淡々と続いていた。しかし,どうやら,(当たり前であるが)様々な展開を想定して動いていたらしく,放送が始まるまでにあちこちでチラチラ見えていたリハーサル映像や台本や準備の内容を照らし合わせてみても,かなり放送過程で進行を臨機応変に変更していたことが伺われる。もちろん,確認したことではないので,あくまでも憶測だが,本来はもっと違う番組進行を予定していたように推察されるのである。

 ビートたけしも爆笑問題も,今回はかなり抑え気味。でも番組としてどうやって面白くするか,バランスに気を遣っていたようだ。そのせいなのか,意外や意外,テレビ生放送中の議論としては議論が盛り上がり,それもあって全体進行に変更が加わったと思う。どのコーナーの議論もそれなりに盛り上がっていたと言っていい。

 興味深いのはCM中,出演者がお互い議論の続きやフォローや確認をしあったり,「なんか方向が違うんだよなぁ」とつぶやいていたりと,テレビの議論の難しさをそれぞれで調整している様だった。短い時間のやりとりや言動なのだが,それがすごく面白いし,大事な部分にも思えた。「ああ,この人たちはやはりテレビ的エンターテイメントのプロなんだ」と感心した。


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 「たけしの日本教育白書2008」の評価をインターネット上で検索すると,その内容は実に様々であった。ちなみに視聴率は11.2%ということらしい。この数字の読み方は専門家ではないので分からないが,素人知識で12%が平均的だと聞いているから,少し残念な数字なのだろう。あの夜は殺人事件の容疑者自首というニュースもあったし。

 とにかく,人によって番組について触れる箇所が違うしその評価も違う。それゆえに,様々なテーマを詰め込みすぎて,どれも中途半端だったから面白くないという評価も少なくなかった。

 僕は,逆に現場に立ち会ってしまったので,放送されたものを評価することは出来ない。確かにたくさんのテーマを詰め込んでいたということと,時間制限ゆえに十分議論が尽くされなかったのだろう事は認める。

 その上で,僕は,今回の放送は,大変出来が良かったのではないかと思っている。民放の情報バラエティ系の教育関連番組がなしえる限界の中で,かなり高い水準だったと評価している。

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 まず,いろいろなものを詰め込みすぎたという点については,これはおそらく,生放送であることと,テレビ番組構成上,どうしても避けられない。

 というのも,今回はたまたま議論が盛り上がって,時間の足りない事態が生じてしまったが,場合によっては,あまり議論が盛り上がらず,ネタを早く消化しすぎて,時間が余るパターンもあり得た。
 そのため,観客席には,○×プレートを持った200名や,それぞれのフリップにメッセージを書いて,いつでもインタビューできるように準備していた人たちがもっといたのである。なのに今回,数人のインタビューと1回だけの○×質問で終わってしまうくらい,時間が足りなかった。トロッコ問題に関するFAXの扱いが小さかったのも,同じ理由だと思う。

 では,盛り上がった議論は,良いものだったかという点については,僕も議論が尽くされたとはいえないと思う。けれども,これも腹八分だったと思えば,すべてのテーマについて実にちょうどいい具合の飢餓感を残して終われたと思う。逆説的にはいろいろ考えてもらうのによい効果を生み出しているのではないか。各テーマについてあれ以上の議論を続けていたら,議論が煮詰まって,ダラダラした印象を増幅させてしまう。

 親子問題については,「気絶するまで褒める」という提案について,まあ,少々突っ込みづらさもあったためぼんやりとしたやりとりが続いたが,事件の犯人の親子関係についての映像は,結果的にはその夜に別の事件の犯人が自首したニュースが流れて,翌日からその犯人の父親のインタビューが報道されるあたりで,すごく考えるきっかけを提示したと思う。

 2chやネット関係のコーナーは,特にネット界隈の関心が高かっただけに,事前に伝えられた内容とも違ってしまったため,かなり評価が低かったりした。けれども,この部分は,おそらく先方の事情が変わってしまって,制作者側も当初の予定と変わってしまい,かなりトーンダウンせざるを得なくなってしまったように見受けられる。もちろん,そんなことはスタジオで一言も説明はなかったけれども,なんかそんな痕跡が見え隠れしていた。
 ただ,おかげで,かなり落ち着いた議論の場にもなったと思う。目新しさはなかったし,埋め合わせた部分の議論は少し強引だったかなとも思うけれど,匿名だと思っていても,ログデータが残っていることから,書き込み主は特定されるのだという事実を番組で再度確認できたのは,よかったと思う。

 学校教育,特に教育委員会に関するコーナーも,現職知事の話を交え,教育委員会と教育長と教育委員会事務局の関係を改めて確認してみせたことは,最低限のレベルを達成して好感が持てる。
 そして,知事や実際の教育委員,そして現場の先生たちの発言によって,地方分権改革との関係,責任所在が曖昧化してしまう複雑な仕組み,それを今後どうしていくべきなのかについて,現状の形の理由も踏まえながら,ゆれながら議論できていたのは,素晴らしい出来だと思う。

 確かに,あの議論を,背景知識なしで聞くと,結論の見えない中途半端な議論にしか聞こえないが,背景事情を知った上で改めて議論を聞くと,限られた時間と全国放送という条件の中で,如何に問題をバランスよく議論すべきかを全員が配慮しながら議論していたこと,そしてそこそこ良い議論が出来たことに,感嘆するはずである。

 僕は東国原知事も橋本知事も,実に上手な人だなと思った。タレント活動を通じて,テレビで出来ることの限界を肌で感じ知った上で,現在の職務で経験し直面している事態や制度,そしてその歴史的な事情についても,ちゃんと理解した上で,うまい具合の均衡点を探ろうとしていた。それを他の出演者やゲストが,非常にうまい具合にサポートしていたと思う。今回は人選の勝利だったと思う。

 最後に石原知事わ交えた議論については,退場後だったため,十分聞くことは出来なかったが,教育における地域の重要性について東国原知事が言及したと聞いている。それは今後,この国が今以上の地方分権を推し進めることになったときに鍵となる考え方だと思う。地方分権と地方自治のあり方と一緒に教育を考えるという入り口に誘う,とても良い方向性だと思う。


 繰り返すように放送されてものを見たわけではないので,内容のバランスが良かったのか悪かったか視聴者的には分からないし,見る人によって関心を持つポイントが異なる以上,複数のテーマを扱った今回の番組に対する評価が千差万別になるのは当然だと思う。
 けれども,僕自身は,番組裏側の動きも含めて見たとき,番組制作の諸条件の中で「よくぞ頑張りました,しかも出来はなかなか良かったです」といえるんじゃないかと思う。それがテレビ的に良かったかどうかは,実は全然関係ないので,番組関係者はしっくりこないかも知れないが,教育を扱った民放情報番組としては,花丸あげても良いと思う。

 フジテレビがここ数年,毎年放送している秋の教育スペシャル番組が「たけしの日本教育白書」である。今年2008年で第4回目を迎える。なぜフジテレビがそういう番組をつくるのかは分からないが,学校や学問をモチーフにした番組をいくつか放送しているということもあって,レパートリーの一つといったところのようである。

 僕が初回を見たのは,短大教員として仕事をしていた最後の年に,いよいよ辞める覚悟を決めた頃,職員の人たちと仕事帰りに寄った飲み屋のテレビでだった。本当は家で見たいと思っていたが,結局仕事に忙殺されて,そういう展開になったことを覚えている。まさか3年後にスタジオで観覧することになろうとは思わなかった。

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 2008年度後期から,とある大学で教職の授業を担当することになり,久しぶりに毎週教壇に立つことになった。僕は,知識を伝達したいとき,どうしてもある程度の文脈共有が必要なのではないかと考えてしまう質なので,自分が世の中をどう見ていて,何を考えていて,担当している科目についてどういう風に捉えているのか,他の人たちはどんな捉え方をしているのかについて,ざっくばらんに話すことにしている。

 僕はそのことによって,自分の狭い理解に学生が閉じ込められないための手がかりを作ろうとしているのだけれども,まあ場合によっては,僕が広げすぎる大風呂敷を鵜呑みにしてしまう学生も出てくるのかも知れない。ただ,その場合でも,いずれは不整合を見つけ出して,僕の浅はかさを乗り越えてくれるだろう,そんな風に信じている。

 というわけで,教育界隈の時事ネタも学術ネタも現場ネタも,あれこれ混ぜ合わせておしゃべりをする。そのためのリサーチもあれこれするようになる。興味深い本や雑誌とか,教育問題を扱ったテレビ番組とか…。そんな情報収集の一環で引っかかったのが「たけしの日本教育白書」だった。

 ただ,この番組は出演者の組み合わせや発言によって,かなり出来のぶれる番組である。正直,素材として扱うに値するものなのかどうか,放送されてみないことには分からなかった。

 そういう番組を「ぜひ見てみなさい」というのも,少々後ろめたい。事前に発表された番組内容は,「親子関係」「社会と子ども」「学校教育」「有識者による討論会」といったもので,ある意味では基本に立ち返った感じだったので,気にはなるが…,さてどうしたものやら。

 それで,ホームページを見たら「スタジオ参加者募集」と書いてあるから,それじゃ,そういう「民放の教育関連番組の制作舞台裏をみんなで見に行って,その可能性と限界を考えよう!」という提案をしてみようと考えたのが始まりだった。全員が行けないとしても,行って現場で見た人と,テレビ画面で見た人との受け止め方の違いが比較できれば,どうしてメディアから受ける教育言説の印象がこうなっているのかを身近に考えることができる。


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 まあ,たぶん多くの皆さんは,「屁理屈を付け足してるが,要するにテレビ局に遊びに行きたかったんでしょ」と思われるかも知れない。確かに,2割くらいはその通りなのだが(あれれ),残り8割は大真面目である。

 
 インターネットが普及して,テレビの視聴時間がどんどん減っていく時代といわれるけれども,依然としてテレビは強い影響力を持っていると思う。あるいはインターネットと結託して,どんどん話題の流れを加速させてしまったりする。そのテレビが教育の問題を扱い,非行,いじめ,学級崩壊,不登校,麻薬・性犯罪,児童虐待,家庭内暴力,家庭崩壊,過保護,給食費未納,教師バッシング,公教育の廃退などの問題を実態として印象づけてきた。

 どの問題も現実に起こっていたことではあったが,テレビの俎上に載ってしまうことで,そもそも問題が持つ影響の大小に関係なく,同じように全国レベルの問題へと押し広げられて,問題が固定化されてしまうことは不幸なことであった。

 こうしたプロセスは,いずれ打破されると信じたいが,それでもまだしばらくはテレビの影響力によって教育やその現場が振り回されることが続くだろう。そんな時代に教師をする人々にとって,テレビというメディアが一体全体どうしてそんなことをしているのか,別の言い方をすれば,どうしてそうせざるを得なくなっているのかについて知ることは,大変有用だと思われる。

 それを知ることによって,私たちは不当な言説に対処する術を得られるかも知れない。あるいは,仮に正当な言説であった場合でも,適切なメディア対応ができるかも知れない。昨今,学校の危機管理も重要視され,メディア対応に関しても『教育関係者が知っておきたいメディア対応―学校の「万が一」に備えて』といった本が出ていることを考えても,このようなことに関心を持たない理由は無い。

 さらにいえば,「番組にはスポンサーがいて,それから系列新聞社の思想・主義の縛りがあるから云々」なんて,知った振りした解説で納得するだけでは,まだまだすくい取れない現実がそこで展開しているはずなのである。


 僕たちは,ものごとに対する「理解の解像度」をもっと上げていく必要がある。


 そのためには,やっぱり現場へ出かけなければならない。幸いここは東京だ。フジテレビには少し電車に揺られていけば着ける。いざテレビ局の裏側へフィールドワークへ出かけよう。最初は,そんな腹づもりだった。

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 授業としての提案ではなく僕個人の提案として授業前に告知をしようと,あれこれ考えていたのだが,告知をする前に参加の募集を締め切ったという連絡を受けたので,結局は誘えず仕舞い。

 また一人きりで行動することになって(いつもこのパターンである。毎度周りを誘いたいと思って計画は立てるのだが,どうも状況とかタイミングが周囲と合わないらしい…),とりあえず参加することだけ学生たちに伝えて,次回お土産話をする約束をした。


 こういう授業ってのは,本当に有りなのか?って,それでもあなたは思うかも知れない。もっと学校現場で使える教育方法・技術やICTの使い方とか,授業の作り方みたいな力量形成に役立つことを教えるべきじゃないのかって思うでしょ。

 確かにそれも大事だから,十分じゃないとしてもそれを扱う部分だって用意している。でも,そんなの将来現場に出てからも,さんざん研修などで継続的に学ぶのであって,この時期に極めてハイ終わりというものでもない。


 僕は,世界の中に凹凸を見つけるまなざしを,若いうちに養って欲しいと思っている。インターネットなどで情報収集がしやすくなり,目の前に羅列されたことによる情報関係の等間隔化や平板化が起こっている。情報に対する値踏みや判断が,情報に触れることによってではなく,どこからともなく出てくる「好き嫌い」とかで行なわれるようになってしまうことを危惧する。

 だから,大学の講義ってのは,教職の講義であっても,社会に開かれてなければならないと思う。社会との関係の中で教育の方法や技術を学ばなければならないと思う。そこからでしか,ものごとへの凹凸,教育そのものに対する凹凸のまなざしをつかむことは出来ないと考える。

 それができていなかったから,IT機器の教育現場導入が遅れてきたんじゃないか?それが出来ていなかったから,学力低下批判に対する毅然とした対応が出来なかったんじゃないか?それが出来なかったからどこかの誰かは旧態依然の殻の中に閉じこもろうと必死なのではないか?


 僕自身は,権威も十分な学識も持ち合わせていないから,このことを目指そうとしたときに,どうしても「自分で動いてみせる」という風にしか示せない。これはあくまでも僕のスタイルでしかない。

 だから,他の大学の講義が違うスタイルで展開していることが問題だとは思わない。僕は,どんなスタイルの授業でも,本質的には「社会文脈の中で…,社会に開かれた…」というスタンスを持っていると思っている。

 問題なのは,そのことが,学生にも,また外部の世間一般にも,残念ながら十分に伝わっていない。唯一そのことだけなのだ。どんな授業にも社会との接点があって,その接点を活かすためには,受講者の協力(理解の解像度を上げること)も必要なのである。そして,受講者の理解の幅を広げるために,私たちは個別に異なるスタイルの講義や演習を行ない,その振り幅を広げる訓練をしているのである。その前提が伝わっていないのだから困った話なのだ。

 振り幅を広げるために,教師は好かれもするが,嫌われもする仕事でなければならない。むしろ僕は教師は嫌われてナンボだとさえ思っている(誤解ないよう補足すれば,嫌われることを厭わない教師でありたいということである)。教師がそのように振る舞えるための条件整備をするのが国や自治体の役目である。そのことをすっかり忘れている人たちが多すぎる。

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 おっと,観覧記の前振りでいきなりヒートアップしてしまいました。まあ,幸いこうやってピエロ的に授業をさせてもらえているのだから,むしろ感謝しなくてはならない。

 というわけで,8割の部分の真面目なお話は,とりあえずこの辺までにして,また後日ぼちぼち番組放送当日の感想を(余裕があったら)書き綴ってみたい。

テレビの生放送

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 東京・お台場にあるフジテレビに出かけた。「たけしの日本教育白書2008」のスタジオ観覧するためである。出演者ではなくて,単なるエキストラなのだが,まあ,とにかく民放の番組の裏側も見てみたかったのである。

 いやはや,楽しかった。番組内容に関しては改めて書くとして,生放送のスタジオ観覧というのは,実に面白い体験だった。画面越しに番組を見ていた皆さんには申し訳ないが,臨場感とかCM中のやりとりも含めて楽しめる点で,あの議論は直接その場で聞いた方が面白い。

 それから,これも生放送の醍醐味なのかも知れないが,当初の構成内容からかなり変更されたと思われる。これは視聴者の皆さんにもお分かりになったはずである。論点の足りない部分がたくさんあったことは確かだが,一つ一つのテーマで意外と議論が盛り上がってしまったので,時間が足りなくなってしまったようだ。

 最後の部分は,終電で帰宅しなければならないため,放送を見ることができていないのだが(しかも留守録できなかった…残念),どうやらたくさんのネタを盛り込みすぎたというのは共通の反省点だったようである。

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 とにもかくにも,出演者を間近で見られたのは嬉しい経験となった。ビートたけし,爆笑問題,それから3人の知事たちはもちろんのこと,数々のゲストとフジテレビのアナウンサーの皆さんも。

 いやぁ〜,高島彩アナは素敵でした。もう天使というか,妖精みたいな人でした。

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 僕は「教育関係者」として観覧したのだが,お隣に座った「保護者」のお母さんと仲良くなり,放送中やCM中にいろいろおしゃべりしたので,それも楽しかった。

 そのお母さん,フジテレビクラブの会員で,これまでもヘキサゴンを2回ほど観覧したのだとか。「絶対もと取れるから(フジテレビクラブに)入った方がお得よ」というフジテレビ好き。う〜ん,その一線を越えるべきかどうか,悩ましい誘いだ。

何かを見た方へ

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 もしあなたが,どこかの画面を見て,「え?」っと思って,こちらにやって来たというなら,あなたの頭の中の質問に対する私の答えは「はい,そうです」になる。

 この文面は,事前に書いて自動更新されるように設定したものなので,実のところ私自身,いまどうなっていることやら(これを書いている時点では)わからない。

 とにかく,本日夕方から,ある場所にいて,いつもと違う体験をしていることだけは確かである。それがなんなのかお分かりになったというなら…,いやはやなんともお恥ずかしい限りである。

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 特に深い意味合いを持って出かけているわけではない。どちらかというと終わりゆく東京生活の思い出づくりに,ちょっと湾岸にでも出かけてみようか,という感じであった。たまたまテーマが関心のあることだから腰を上げる口実に使えたし,こちら側からしか体験したことのない世界をあちら側から覗いてみる経験も必要だろうという単純素朴な素人考えで行動している。

 普段,批判の対象としているものに近づくのは,知識を公正に操るべき人間としては,あんまり望ましいことではない。とはいえ,それを言ったら東京にやって来たこと自体,「平均でない日本の街」を実体験したいという誘惑に駆られたのだから,いまさら公正だのどうだのいえる立場じゃないかもしれない。

 とにかく「ものごとはなるべく自分で確かめよう」という基本を踏まえて,私はとある場所へと出かけている。

 そこで,何かしなければならないときにどういう風に応対するかは,限界をがあることを承知の上で割り切って,ある程度方針を考えてある。ただしそこに,場の雰囲気というものがどういう風に作用するのか,半ば実験をする意味も込めて臨んでいる。


 たぶん何のことだか,わからない人にはわからないと思うが,仮に目撃されたのなら,どうか笑ってお忘れいただきたい。とはいえ,少しでも役立つお土産話ができるようにあれこれ頑張ってみたい。それはまた明日以降に…。

 明日(11/6)の木曜日のNHKクローズアップ現代は,「教育に穴が空く」と題して,教員確保問題について取り上げるらしい。久し振りに事前に情報を得たので,是非見て欲しい。