2008年8月アーカイブ

一人旅

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 金沢に来ている。研究協力してもらう方々を訪ねに来た。東京から金沢へは,列車の旅。たまたま今日は天候の優れない日だったが,そうでなくても飛行機でなく陸路の旅を選ぶ自分が居る。どうも飛行機ってのは海外へ行く乗り物だという感覚があるためだろう。さすがに九州とか北海道であれば,飛行機も考えるが…。

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 一人旅派だと思う。人を連れ立っていくと面倒をかけたりかけられたりするので,たぶん本質的には一人旅派なのだと思う。ただ,多人数でわいわい楽しむことが嫌いではない。旅先の空気を共有し,想い出を語り合う仲間がいれば,それはそれで幸せなのだと私も思う。一人旅はどうしても内省的になるし,旅の想い出を共有する相手は限られ,共に振り返る機会はほとんどない。


 長い長い人生。いくつかのひとときを誰かと共に過ごしてきたが,その想い出を共有はしてしても,それを取り出して語り合う機会はほとんどない。そういう意味で,一人旅のようなところがある。

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 学習や人の成長に関する研究の世界では昨今,個人よりも集団の力に注目している。実践共同体しかり,最近接発達領域しかり,組織学習しかり,社会構成主義しかり…。

 私も共同体の大切さを信じてはいる。学生時代の仲間の存在や同じ領域の先達や優秀な人たちとの関わり合いで学んだことはたくさんある。その存在は否定しようがない。

 けれども,たぶん,私自身は集団を最後のところでは信じ切れない面がある。もっと正確に言えば,もしも個人をないがしろにすれば(あるいは個人がしっかりしなければ),集団の力は容易に崩れてしまうということ。当然のことなのだが,その切り目をどこに見るかという点で,私自身は集団よりも個人を重視しているように思う。

 「最後,人は独り」

 馬鹿馬鹿しいほど当たり前で,こういう考え方に集団の持つ力が隠されて見えづらくなったからこそ集団に注目が集まったわけである。いまさら個人に逆戻りをするのかといわれれば,それはもちろんそう言いたいわけではない。ただ,もしかしたら集団という対象を経由して個人を見たとき,また違うことが考えられるのではないか。

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 私たちは,存分に一人旅を楽しめる世界へと突入している。ただし,一人旅となれば,独りで背負い込む物事も多くなる。それを他の人々と共有するなどして集団の力を借りつつ上手に乗り越えながら,また一人旅を続けるということが必要なのだろう。

 そこで必要になることは,単に一人旅する自分への関心だけでなく,同じく一人旅する人々への関心と配慮を持つということである。おそらく,それが個人と組織とが緩やかな関係において相互作用するのに大事な要素だと思うのだが,それはまた別の機会に考えを掘り下げてみることにしよう。

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 おお,やっぱり,旅は思索をするにはよい機会だ。

今日この頃

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 学校教育の世界では「夏期休業」という時期。子ども達は残りわずかの夏休みを過ごしているだろうし,先生方は研修や校務などで普段とは違った慌ただしさの中で過ごしているだろう。もっとも早いところでは始業式が済んで,学校が始まっているところもある。

 当ブログの更新人である私はといえば,大学院の修士課程に2年生として所属し,修士論文を書くための作業のまっただ中にいる。先日,中間発表を終えて,審査の先生達にすっかり首をかしげられてしまったが,とあるテーマで実験をすることになったので,そのための準備をしているというところだ。これから年末にかけては,実験・分析また実験・分析,そして執筆に執筆という日々を過ごす予定。

 本来ならば,あれこれ書いて思索を重ねたかったのだが,読んでいる方々の中に実験協力いただく人たちもいるやも知れず,ある種の先入観をもたれても困るかなと,いらぬ心配もあって書きづらかったというのが,ここのところの更新停滞事情である。


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 この頃,私個人の人生最大の問題は「止めどない遠慮」にあることをますます強く思うようになった。この止めどない遠慮が引き起こす「負の遠慮スパイラル」なるものが,くるくるくるくる自分の中で回っているのを,当の自分で感じる。

 今年の春,研究室内のブログにこんなことを書いていた。

 「少しずれたところに立っているから遠慮がちになる。遠慮が裏返って,卑屈になる。卑屈がすぎて,自分勝手になる。自分勝手が高じて,独善的になる。独善はやがて傲慢になり…。干支四周目。そこに否応なく襲ってくる不安のサイクル。」

 独善も傲慢も幾度となく繰り返していることは,このブログと長くお付き合いの皆さんには先刻承知のこととは思うのだけど,自分でもそのことが嫌になって,それでまた遠慮の振り出しに戻ってしまうという,よくできたサイクルあるいはスパイラルなのである(褒めてどうするのかよくわからないが…)。


 だから,この「止めどない遠慮」を,どうすれば「程良い程度の遠慮」にして負のスパイラルに陥らず済ませるか。それが解明できたら,私も少しは人並みになれるんじゃないかと,甘い期待をしていたりするのである。もっとも死ぬまで直らないのかも知れないが…。

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 この頃,物思いにふけることがさらに増えたのかも知れない。その度,「ボケッとするな」と突っ込む自分が出てくる。そうやって,日々は過ぎていく。

 教育現場へのIT導入と活用には幾多の難関が待ち構えている。「学校の情報化」は,多くの関係者の理解を得て,コンセンサスのもとで支え合う関係づくりが必要だが,それはとても大変なことでもある。カリキュラム評価にITを活用するためには,情報化への努力を惜しまぬ学校づくりも不可欠なのである。
 「データをもとにしたカリキュラム・マネジメント」(Data-Based Curriculum Managemant)は,ITにとって絶好の活用機会である。しかしITの教育利用に関して,人々の理解は一定していない。無用な足踏みをしないためにも,まず次の事項を踏まえて周知したい。

 ①教育活動には,効率化・合理化すべき部分と時間と労力をかけるべき部分がある。
 ②ITには,道具としての「IT機器」と,技法としての「情報技術」の2種類ある。
 ③IT機器は,効率化・合理化必須部分の割合を圧縮するための道具として活用する。
 ④情報技術は,時間・労力必須部分に対して応用し,より高次な取組みへの進展を目指す。
 ⑤IT機器と情報技術は互いを補完する関係として連携させ,教育活動上のIT効果をあげる。

 これらに留意しながら,学校におけるIT活用の原則を設定しておくことで,不必要な誤解や抵抗を退ける ように努力しなければならない。もはや学校の情報化は達成されていなければならない要件なのである。

(林向達「ITを活用したカリキュラム評価の進め方」より抜粋)

土日も営業中

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 今日はいろいろお世話になっている堀田先生が研究室を覗きに来られました。そのときの様子は写真撮り忘れたんですけどね。せっかくなので,私たちがどんな風に研究しているかご紹介します。


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 ま,こんな感じ。ちょっと普段より余計に本が積まれていますけど…。少しは勉強しているように見えますかね。ええ,ちょっと現実逃避したくて記念撮影してました。

お盆も営業中

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 名古屋から東京に戻っている。早起きして朝から大学に出掛ける生活リズムを定着させつつあって,戻ってからもさっそく継続中。ブログを書くための時間確保には至っていなかったので,そのルーチンに入ると,ここの更新が途切れてしまっていた。今回は,ちょっと夜更かしである。

 帰省ラッシュの時期にUターンした。お盆で休業しているお店があったり,学内の図書室もお盆休みで閉室するところがあって,少々面倒だが,基本的にお盆の時期の大学は穏やかな活気(?)が維持されて良い雰囲気である。

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 名古屋での集中講義が終わって数日は,実家に残っている所有物を少し見直していた。一部の蔵書が残っているし,過去の様々な物品がそのまま放置されている。捨てられない性分だったので,驚くほど下らないものまで残っていたりする。

 あちこち漂いながら生きてきた人間なので,多くの想い出があるが,あまりに多すぎて普段は忘れてしまっているものも多い。そして,もはやそうした想い出達をつなぎ止めてくれるのは,懐かしい品々だけとさえ思える。「俺って,こんなこともしていたのか」と自分の過去に驚いたりもするのだ。


 ただ,そうやって懐かしい日々を思い出しながら,すっかり歳をとってしまったのだなと事実確認する一方で,いまの自分が「若い気でいる」のだという事実にも気がついてみたりする。つまり,口では「いやぁ〜,もうアラフォーみたいだし…」なんて自覚したふりをしているにもかかわらず,なんだか諦めの悪い青二才な自分が抜け切れていないというか,まだ全力疾走で走れますみたいな勘違いをし続けているというか…。


 でも,だからこそ初心忘れるべからず。積み上がってしまった経験を退けるのは大変になってきたけれど,できるだけ意識の上では原点に帰れるように柔軟性を確保したいと思う。

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 「日経エレクトロニクス」8月11日号の特集は「iPhoneふたつの顔」。いままでなかなか開発レベルのiPhoneネタを扱う記事がなかったので興味深く読む。明暗(光と影)を平等に扱っている点は好感が持てるが,影の部分はいずれ解消されていくことばかりだから,逆に現実をアンバランスに捉えてしまっているようにも思う。まあ,いずれにしても無視できない新しいプラットフォームの誕生であることを確認できる。


 iPhone以外のネタでは,「プロジェクターが携帯機器に載る」という解説記事が興味深い。教育現場にとって,液晶プロジェクタの整備は急務だが,将来的にはノートパソコン自体にプロジェクタが搭載されるようになるというお話。

 もちろん,技術的な限界もあって,明るい部屋に大画面で投影する,いま実現されているレベルを携帯機器に組み込むことは難しい。それでも小グループのミーティングで使用する程度のものならば,今後の技術革新でかなり現実的な範囲の話のようだ。某所が出した未来の教室のイメージは,またこうした技術的可能性によって描き変わる可能性が出てくるわけだ。

 小型のプロジェクターが複数組み合わさって生まれる映像投影空間で生じる教授学習活動とはどのようなものか。もっと先を見通せる若い才能を集めて夢を描かせる必要があるだろう。


 私の場合,気だけは若いが,未来を見通すレンズは,だいぶ曇ってしまったからなぁ…。
 

メモ

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 8月は集中講義を担当している。今年も4日間,朝から夕方まで,カリキュラムにまつわるお話と作業。演歌のように変わらない節を唱え,一方で新しい動向についても小節をきかせてみる。

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 今回はいつも以上にあっという間だった。学生達にとってもそうだったようで,それだけ充実していたのか,それともスカスカだったのか,自己判断は付け難い。でも学生達にとっては,盛りだくさんだったようだ。

 今年の受講生達もよい子達で,気づきの足り無さはあっても,上手に手助けすれば理解力を発揮してくれる。文献引用部分の小難しい表現には,ますます抵抗感が強くなっているようにも思えるが,これも慣れの問題だ。解説を加えれば,むしろ興味深く読んでくれる。

 有り難いことに,質問もよくしてくれた。年々,年齢が離れ続けていくと,学生は質問しにくくなるのかなと心配してしまうのだが,作業課題で分からないことがあると呼んでくれたので,ホッとした。こういう対話の場面は,すべての学生に対応できないものの,とても大切だと思う。

 毎日コメントを書いてもらうのだが,最近は長く書くことに慣れていないせいか,文章量は少なくなっている。返ってくる感想が短いと,あまり受けなかったのかなと思うときがあるが,どうも全体傾向としてそうであるようだ。まあ,携帯世代だし。

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 というわけで,今年も熱い4日間が終わった。また来年もご縁が続けばよいなと思う。