旅行の最近のブログ記事

一人旅

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 金沢に来ている。研究協力してもらう方々を訪ねに来た。東京から金沢へは,列車の旅。たまたま今日は天候の優れない日だったが,そうでなくても飛行機でなく陸路の旅を選ぶ自分が居る。どうも飛行機ってのは海外へ行く乗り物だという感覚があるためだろう。さすがに九州とか北海道であれば,飛行機も考えるが…。

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 一人旅派だと思う。人を連れ立っていくと面倒をかけたりかけられたりするので,たぶん本質的には一人旅派なのだと思う。ただ,多人数でわいわい楽しむことが嫌いではない。旅先の空気を共有し,想い出を語り合う仲間がいれば,それはそれで幸せなのだと私も思う。一人旅はどうしても内省的になるし,旅の想い出を共有する相手は限られ,共に振り返る機会はほとんどない。


 長い長い人生。いくつかのひとときを誰かと共に過ごしてきたが,その想い出を共有はしてしても,それを取り出して語り合う機会はほとんどない。そういう意味で,一人旅のようなところがある。

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 学習や人の成長に関する研究の世界では昨今,個人よりも集団の力に注目している。実践共同体しかり,最近接発達領域しかり,組織学習しかり,社会構成主義しかり…。

 私も共同体の大切さを信じてはいる。学生時代の仲間の存在や同じ領域の先達や優秀な人たちとの関わり合いで学んだことはたくさんある。その存在は否定しようがない。

 けれども,たぶん,私自身は集団を最後のところでは信じ切れない面がある。もっと正確に言えば,もしも個人をないがしろにすれば(あるいは個人がしっかりしなければ),集団の力は容易に崩れてしまうということ。当然のことなのだが,その切り目をどこに見るかという点で,私自身は集団よりも個人を重視しているように思う。

 「最後,人は独り」

 馬鹿馬鹿しいほど当たり前で,こういう考え方に集団の持つ力が隠されて見えづらくなったからこそ集団に注目が集まったわけである。いまさら個人に逆戻りをするのかといわれれば,それはもちろんそう言いたいわけではない。ただ,もしかしたら集団という対象を経由して個人を見たとき,また違うことが考えられるのではないか。

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 私たちは,存分に一人旅を楽しめる世界へと突入している。ただし,一人旅となれば,独りで背負い込む物事も多くなる。それを他の人々と共有するなどして集団の力を借りつつ上手に乗り越えながら,また一人旅を続けるということが必要なのだろう。

 そこで必要になることは,単に一人旅する自分への関心だけでなく,同じく一人旅する人々への関心と配慮を持つということである。おそらく,それが個人と組織とが緩やかな関係において相互作用するのに大事な要素だと思うのだが,それはまた別の機会に考えを掘り下げてみることにしよう。

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 おお,やっぱり,旅は思索をするにはよい機会だ。

東京観光

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 憧れだった東京も,住んでしまうと家の近所になって,あらためて観光しようという対象にならなくなってしまう。だから,お客さんにいざ東京を案内するとなると観光選択は難しい課題だ。

 妹家族が米国からやってきて,東京に遊びにきた。こういう機会でないと自分も東京観光しないから,平日にも関わらず完全休日モードで一緒に行動した。それに姪っ子甥っ子たちとは数年ぶりの直接対面。次回もまた数年後となれば,この機会に伯父さんの印象を焼き付けなくてはならない。

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 まずは私が通う東京大学を案内。姪っ子甥っ子は,福武ホールを案内すれば走り回ったり階段を上り下りしたり,安田講堂のドアをガンガン蹴ったり,工学部2号館で奇声を上げたり,三四郎池で魚や亀を見て騒いだりと,そこそこ楽しそうに過ごしてくれた。大人たちの方が早速ぐったりである。

 その後も,皇居へ行ったり,池袋のサンシャインシティで買い物したり,翌日には東京タワーと豊洲ららぽーと,ゆりかもめで夜景を楽しんだりした。小さい子どもが3人もいると,観光もこれくらいが限界。案内すべきところはもっとあったのかも知れないが,賑やかに楽しい時間を過ごせたのだからよしとしよう。

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 さてと,ちょこまか動く子どもたちを相手にしながらの東京観光。すっかり疲れてしまった。明日はいつものように朝から小学校へ。ここで頭を切り替えて研究モードへ。