2009年2月アーカイブ

撤収準備

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 実家でしばらく両親と過ごしてから,東京へ戻ってきた。たぶん,今後ゆっくりと一緒に過ごす時間もなくなるだろうと思ったためである。東京に戻れば,こちらの生活や仕事の撤収作業に取り掛からなくてはならない。


 さっそく,春以降の職場から担当して欲しい授業科目の連絡があった。

 「教育学」に始まり,「教育方法・技術論」「情報検索演習」「栄養情報処理」「情報リテラシー」「PCデータ活用実習」などなど,何でもやってくださいね,という多彩なリクエストである。都合のいい教員になってやしないかとご心配の向きもあろうと思うが,何事も最初のスタートラインはそういうもの。落ち着いたら,やりたいことをやればいい。

 そんなこんなの就職活動が今まで落ち着かず,そしていまも細かいところが落ち着かない。特に引っ越し作業は頭痛の種だ。東京から徳島という遠距離引っ越しにかかるコストは馬鹿にならんし,部屋探しもまだこれから。数千冊の蔵書を置けるくらいの研究室が与えられるのかどうかもまだ分からない。そして,上のような授業の準備もしないといけないし…。

 一人旅行くのは慣れているが,一人引っ越しするのは大変である。


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 それにしても,私は節目ごとにバッサリと環境や居場所を変えるので,人との関係が中途半端になりがちである。常に距離が縮まらないというか,ずっと一緒には居られないというか。それはそれで寂しくもある。けれども,ご縁がある人となら再度ご一緒できるはずであるし,そうでないならご縁がなかったまでのことだと覚悟している。

 一方,新しい環境に慣れるのは,大変ではあるが,楽しくもある。新しい人たちや新しい出来事に出会えるのは,嬉しいことだ。不安がないわけではない。けれども,それくらいは乗り越えないと。


 山岸俊男『日本の「安心」はなぜ,消えたのか』(集英社2008.2)をぽつりぽつりと読みながら,あらためて自分自身の集団主義や個人主義に対する考え方を見直してみたりしている。この本では,安心社会から信頼社会への移行が必要でありながら,日本人は上手く信頼社会に乗れていないことを指摘していて,他者への不信ではなく,他者への信頼によって信頼社会を定着させるために必要な考え方を提唱している。

 とにかく,少し肩の力を抜いて,柔軟に対応できるように心がけよう。

踊るなら

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 踊り踊るなら東京音頭の東京から,踊らにゃ損々な阿波踊りの徳島へ。

 この度,春からの行方が決まり,また大学教員として働けることになりそうです。西は四国の徳島へ。西日本にも行ってみたいと思っていたので,有り難いご縁をいただいたことになります。

 またお世話になっている皆さんには改めて詳しい情報のお知らせとご挨拶をさせていただく予定ですが,とにかく春からは徳島で生活することになりますことを取り急ぎご報告させていただきます。

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 東京に暮らしていたがゆえに機会を与えていただいていた仕事もたくさんあります。そうした機会がなくなるのはちょっぴり寂しいですが,それも人生。ご縁があれば,またご一緒できると信じています。

 さて,また慌ただしい日々が始まります。
 

お疲れさま

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 私が前の職場を辞める直前に,私がお願いして採用になったパソコン教室の助手さんがいる。ご一緒に働けたのは数ヶ月だけであったが,とても仲よくなったので,たまに連絡をしてくれる。

 この度,ご主人の都合で引っ越されることになり,3年間の勤務が終わると連絡をもらった。大変だったが,楽しい毎日を過ごしたとのこと。私と同じである。

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 人を取るとか,採用するとかは,とても難しい。仕事の能力が必要なのももちろんだし,一緒に働く相手なのだからお互いの相性も大事だ。そうした様々な条件を満たす人材を探し出したり,あるいは巡り合ったりするのも難しい。

 でも,私の場合,最終的にはとても良い人達と巡り合えたので,ご一緒する仕事はとても前進した。

 え?私が上司っぽい仕事をするのが想像できない?ああ,そうですか。まあ,少なくとも島耕作みたいじゃないわね,確かに。前の職場の売店のおばちゃんに「先生は商売に向かないわ,あはははは」とハッキリ笑われたので仕方ない。

 とにかく,私の場合,どちらかというと人柄重視で評価し,人材を育てる覚悟で採用する傾向にあった。お給料が安い分だけ,専門知識を提供しようというわけである。そうやって技能を身に付けたら,また別の仕事にチャレンジしてもらえれば,本人にとっても得るものが大きいはずである。とにかく,毎日が学習だった。

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 今回,勤務を終えられる助手さんも,数ヶ月間の限られた時間の中で,あれこれ一緒に学んだ。そして,私は退職することになったけれども,その後3年間,しっかり職場を支えてくださったようである。本当にお疲れさま。

慌ただしい休日

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 あちこちの仕事の連続がやっと途切れた。一休みできるかというとそうでもなくて,大学院に出かけたり,家で宿題だった原稿を書いたり,久しぶりに駄文も書きたかったし,溜まりに溜まった洗濯物をやっつける必要もあった。

 部屋の掃除もしなければならないと思い,台所の可動式の棚を拭いていたら,棚が外れて,たくさんの食器が割れてしまった。その上,その拍子にお湯を出していた蛇口の向きが変わって,流し台の外側へ。しばらく気がつかず,部屋の一部が水浸しになった。他にもやるべき仕事があるのに…,まったく,慌ただしい日々である。

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 私製サバティカルの3年間が終わりそうなことは幾度か書いている。あれこれ就職活動をしていることも隠す必要はないだろう。春以降の予定が決まるのは,まだ少し先なので,どうなるのか今は正直分からない。

 春以降がどうなるか別として,懐具合は自動的に3年でシャットダウンすることになるので,残りの一ヶ月半の東京生活を楽しまなければならない。生活の場所となった東京は,あらためて観光しなくなるので,あちこち楽しんでいないのである。


 私はディズニー好きだが,東京ディズニーランドに行ったことがない。

 幕張メッセやメディア教育開発センターに用事があるとき,もっとも近くを通りすぎるのだが,降り立ったことがない。東京に住んでいてもその程度なのである。

 銀座や表参道,西麻布なんかで贅沢な食事をしてみたいと夢見たものだったが,貧乏人にはなかなか難しい。もっともお金の問題よりも,貧乏性が問題なのかも知れないが。

 横浜も遊びに行く機会が無かったなぁ。湘南海岸とか江ノ島とか,歌の世界に出てくる場所に憧れたのに,ちっとも出かける機会が無かった。ああ,夏は終わってるよ,とっくの昔に。

 日光なんかにも行ったことがないなぁ。妹によれば,なかなかよい場所だそうだ。しまったなぁ,ゼミの合宿,日光に投票しておけばよかった…。

 屋形船も体験してないなぁ,江戸の諸々を楽しむ余裕がほとんどなかった。芝居もほとんど観に行けなかったなぁ。悔しいなぁ。


 まあ,すべてを制覇することは土台無理だが,少しずつでも東京観光を達成しようと思う。

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 これから何度も繰り返し書くことになると思うので,読む側の皆さんには本当に申し訳ないのだが,この3年間という時間で起こった出来事は,私にとって夢のようなことばかりで,本当に有り難い時間だった。もちろん,それと同時に様々な方々にご迷惑をおかけした日々でもあった。

 そうした事柄をすべてひっくるめて,本当に3年間は楽しかった。


 4年目以降の選択肢としては,1) 東京に何らかの形でとどまるか,2) 愛知の実家辺りに戻るか,3) 別天地へ行くか,という3つが考えられる。(※本当に何も確定していないので,ここからは想像の話である。数週間のうちにきっと予定が確定すると思うので,今はまだご心配なさらずに。たぶん ^_^;)


 このまま何もなければ,2)実家辺りに戻る,という選択肢が有力馬。就職活動次第で,1)か3)になるという感じである。

 東京に住み続けられれば,それはそれで嬉しいが,この高コスト都市で生活するのは大変である。まあ,3年も住んだので,だいぶ気は済んでいる。東京はたまに来るのがよろしい場所だ。

 実家に戻れば,蔵書も待っているし,とりあえずは住む場所を確保できるだろう。いくらか財産処分すれば,もう少しくらいお金はなんとかできる。非常勤を紹介してもらって,日常に埋もれるのも悪くない。

 別天地へ出かける選択肢はもちろん捨てがたい。仕事辞めて東へ飛び出したんだから,今度は西へ飛び出すのもいい。大阪に住めば,三大都市制覇になるし。といっても,先立つものが無い以上,今回ばかりはハードルが高い。いっそのこと,海外に飛び出してみようか。残りの人生でパックパッカーするのも悪くない。


 いやぁ,男(もう直)38歳にして,まだまだ人生いろんな選択肢があるものだ。コラ,そこで油を売っている20代よ,可能性を閉ざすな。そして,いつでもワクワクせよ。まだ世界は冒険に満ちている。

 毎週月曜日に担当していた「初等教育の内容と方法」「教材論」という授業が最終日を迎えた。舞台で言えば千秋楽である。といっても,一方は試験,一方はゲスト講義だったので,私の歌と踊りはなかった(冗談)。

 自己満悦を許していただけるならば,東京学芸大学という日本の教員養成を代表する大学で,好きなように授業をさせてもらえたことは,望外の出来事であった。教員養成系学部の出身者として,大学は違えど同じ志を持った後輩達の学びを手伝えるということは,私の天職だと思っているし,(日本の教員養成の代表はウチだ!という他大学のご意見もあるとは思うけども)東京学芸大学という伝統のある教員養成大学で授業を受け持てたことは貴重な経験となって嬉しかった。コメントにもご登場いただき,私にそんな機会を与えてくださったNさんに感謝である。

 ただ今期は,私自身が大学院に通って修士論文準備をしていたことや毎週小学校現場でお手伝いをするなどしていたため,授業準備に十分なエネルギーを注げなかったことは悔やまれるし,受講生の皆さんにはとても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。本当は,もっともっといろんな情報資源を紹介して考えを深めたかったし,たくさんゲストを呼んだりしてダイナミックに対話しながら授業をつくりたかったし,課題もたくさん出して受講生の活躍の場をつくりたかった。


 教育について考え,悩み,論じ,演じ,聞き,返し,拾い,そしてまた考え悩み…,そのようなプロセスをみんなで「楽しむ」という時間と空間をつくりたいし,それが本当に楽しいんだということを伝えたかった。

 いや,もちろん日本の教育は厳しい状況下にあり,あんまり明るいニュースは聞こえてこない。これから教育現場に出ていこうとする人間にとっては,不安に充ち満ちている。そんな話を「楽しむ」なんて,どれほど不謹慎なことだろう。あなたはそういう風に思うのかも知れない。

 ただ,私が考えている「楽しむ」は,どちらかといえば願望を先取りして実践しようという意識にもとづいたものである。なんだか自己啓発的な空気が漂って怪しいかも知れないが,もう少し説明すると,社会風刺やコメディ・パロディがもつ余裕ある批判精神といったところを真似て,ジーンと考えつつも活路を見出そうという感覚に近い。

 繰り返しになるが,私の授業は,そういう意味合いにおいて,あまりにジャーナリスティックであり,あまりにロマンチックであり,あまりに高尚で,あまりに下世話な授業なのであった。


 でも,それはまさに「人生」と同じなのである。それを苦渋に充ち満ちた修行と捉えて息苦しく生きるか,なんと賑やかで多彩なショウと捉えて華々しく生きるか,あるいはまた他のメタファで捉えて生きるかは,すべて自分の選択次第である。パチンと指を鳴らした瞬間に,同じ現実はあらゆる解釈に切りかえることができる。

 私は,その中で,教育の世界に志を持つ者がそれぞれの立場で力を出し合うことで,学ぶ喜びに開かれた教育環境や教育活動を実現できるというシナリオを信じている。そのためには誰もがその過程を楽しまなければならない,そうでなければ力を出し合うことも続かないと思っている。ただそれだけのことなのである。


 私が教員養成の現場でやりたいことは,「楽しむ」スタンスを理解して自らを楽しませたり,周りを「楽しむ」ことに巻き込める力を学生達が身に付けるのを手伝うことである。それを,教育学や教育関連研究の新旧の知識を縦横無尽に紹介しつつ,または実際にやってみせたりする。これはとても楽しいことなのである。私たちは,それが楽しいことなのだということを,ちゃんと世間に伝えないといけないのである。特に教育に携わる人たちを育成する現場においてはそれはとても重要なことなのだけれども,実は,それが最も遅れていて不得手なのが教員養成現場なのである。

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 ならば,大口を叩く私はそれを達成できているのか,と問われると確かに返答に窮する。私は他の先生方の授業を受講したわけではなく,学生時代の受講の記憶しかない。もしかしたら,他の先生の授業の方がよっぽど学術的に最新で高度なことを体系的に扱って意味のある授業をしているかも知れない。そう考え始めると,自分の授業に懐疑心を持たないわけがない。

 隣りの花は赤く見えるのは人の心理というものだが,正直なところ,全体の中で私の授業がどんな風に役立っているのかを確かめる術が乏しい。考えられる方法は,学生による授業評価とFD活動による教員の相互評価だ。後者は非常勤講師に適用される機会が少ないので,残るは前者。学生による評価にもとづいて,自分の授業を評価することはできるのだろうか。


 授業としての楽しさや受ける印象の評価を知るためには使えると思うし,その限りにおいて,私の授業に対する評価はそれほど悪くない。早口であるとか,黒板の字が汚いときがあるとか,内容が多岐にわたっていて何が重要か分かりにくいという指摘もあるし,大変興味深い,いろいろ知らない話が聞けてよかった,楽しい授業だったという好意的評価もある。授業の直接的な評価ではないが,先生の授業が終わると思うと寂しいとか,先生の笑顔に癒されましたとか,嘘か誠か先生のお嫁さんになりたいですと書いてくれる人もいる(それくらい親しみを持ってくれたということの意味だと思う)。

 私は素朴に嬉しいし,有り難いとも思う。でも結局,私の授業に意味があるのかどうかを推し量るのは,学生達の評価だけでは難しいことにも気付く。
 大きくは間違っていないのかも知れない。教育について深く考えるきっかけが出来たと反応してくれる学生は多い。でも本当に自分の授業は受講するに値しているのかどうか。それはどこまでも分からないのである。


 だからこう言おう。相対評価のもとでなら,授業の評価は上位なのかも知れない。けれども,絶対評価のもとでは,目標の設定が難しく,上位なのか下位なのかを定め難い,と。

 講義については,様々な話題を提供して,受講生の理解を促すための最大限の努力を図っている。そうした目標に照らすなら,自分の授業に自信はある。しかし,もっと他に教えるべきことがあるとか,10年後の受講生達にとって価値ある授業であるのかどうかという目標に照らしたとき,私の授業にはまだまだ見直すべき点が多いかも知れない。

 だから,大学の授業実践もそれなりに難しいのである。FDの必要性の一部は,こういうところに宿っているわけなのだが,昨今の大学では,FDの取り組みが増えているにも関わらず,それを考える余裕の方はどんどん減っているという悲しい反比例があって,全国のFD関係者を悩ませている。

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 さて,「初等教育の内容と方法」は試験を実施した。まあ,試験自体は儀式みたいなものなので,ここまでの授業で得た知識や思考を存分に発揮していただければ,それで十分である。そのために毎回の授業があったのだし,私が試験で評価するのは,各自が重要だと考えた事柄を適切に表現できたり説明できるのかという点なのである。
 穴埋め問題とか,成績をつけるための建前的な出題もあるが,そのような知識について記憶再生できることが大事なのではない(だからノート持ち込み可である)。今後教育の世界に関わる者として,いま何を考え,この授業を通して得た思索のもとで何を語ることができるのか。

 だから,本音を書けば(あんまり書いちゃいけないかも知れないが),試験そのものも,さほど重要ではないのである。今後自分自身が生きる道を,学んだ事柄を踏まえて,どのように責任を持って歩いていけるのか。そのことの方が,もっと大事なのである(まあ,こういうことを考えるから授業の目標がぶれるというわけなのだが…)。


 講義が終り,担当を外れれば,私は受講生達を見ることが出来なくなってしまう。それはそれでもよいと思う。ただ,担当した者の責任として,彼・彼女達を見られない代わりに,私は駄文を書き続けているのだと思う。あなた達が受講した授業を担当した男は,まだここで元気に格闘してますよと。あのとき語った言葉について,いまでもこんな風に考えていますよとか,いまではこんな風に考えていますよと。

 そして,それを乗り越え先へ進むのは君たちだ。決して私ではない。

 そのことをどこまでも伝え続けなければならない。駄文が続いているのは,そういう思いにもとづいている。もちろん,駄文が届くことはほとんど無いけれども。


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 「教材論」では,ゲストをお呼びした。以前,お仕事をご一緒した通信教育会社のMさんとKさんの女性2人。多くの小学生達が利用している通信教材の制作過程や通信教育と学校教育の関係,そして教育関連企業の様子などをお話しいただいた。


 世間には,教育関連企業に対する様々な評判や評価が広まっている。社会貢献をしているという点について好意的な意見がある一方で,教育を利用して商売していることを批判する意見や嫌悪を抱く人もいる。

 ただ,どちらの場合でも,意外と私たちは当の教育関連企業のことについて,よく知らない。いまの日本の教育を考えたとき,教育関連企業の存在を無視したり消すことは出来ない。すでに重要なパートナーなのである。だとすれば,パートナーについてよく知り,お互いが協調して教育の活性化に取り組むことは,大事なことである。その中で,批判すべきところは批判し,協力すべきところはさらに協力すべきなのだ。

 というわけで,教員養成大学の学生達と教育関連企業の社会人が出会う場をセッティングすることは,是非やってみたいことだった。


 東京に出てきて,企業の方々と一緒に仕事をしたり,教員養成大学で非常勤を担当する機会をいただいた。どうしてこの出会いを結びつけないでいられようか。千載一遇の好機である。


 ゲストのお二人には,年度末の近い慌ただしい時期の平日にも関わらず,大学までお越しいただいたこと。豊富な資料と柔らかい雰囲気で学生達にいろいろなことをお話しいただいたこと。興奮してマナーをすっかり忘れちゃった学生達の態度にも文句言わず楽しまれながらお付き合いいただけたこと。心から感謝である。(それから,内緒でゲスト呼んでも怒らなかった大学の皆さんにも感謝,っていうか,申請してないから誰も知らない…,ははは)

 学生達は,とても嬉しかったようだ。そりゃ外部からゲストを呼ぶ授業は,それほど多くないだろうから当然か。でも,それ以上に,お馴染の通信教育会社のお二人からいろんなお話を聞けたことが嬉しかったようである。

 もともと持っていた企業に対する考えも深まったようだ。実際の現場の苦労や努力を知り好意を抱いた人。批判的なまなざしを向けていた人は,今回の話で企業の取り組みの可能性にも気付いた上で,批判的な問いを深めた。教育を利用したビジネスという短絡的な理解の水準から,そこで展開している努力について新たに知ることができた人も多かった。


 私自身は,教育関連企業とご一緒に仕事をしたり,仕事を依頼される機会があるという関係を持っている。目的を一にしている限り,私は教育関連企業の存在を重視するし,また必要があればその存在を批判もするスタンスである。そうした緊張感の上に,一緒になって教育に貢献したいと思っている。だから,相手をよく知る必要がある。


 学生達にも,是非そういうスタンスを持って欲しいと考えている。だから,この教材論の授業では,各自に課題を与える形で,積極的に外の世界と接触しなさいと指導したのである。まずは自分が行動して相手を知ること。大事である。

 そして,何よりここは東京だ。その気があれば,名だたる企業に直接接触できる。地域に根ざした教育を実践するのが大事というならば,大学の授業でもやっちゃおう!責任は授業担当者がとればいいのである。学生時代に,授業の課題を理由に,普段は接触しない相手と接触をするチャンス。こんなワクワクすることはない(担当者はドキドキですか?)。


 私たちの教材論の授業は,様々な教材をテーマにして,各自が調べたことをまとめて発表するものとなった。今月中には提出が完了するはずだから,春には公開できるだろう。拙い成果かも知れないが,これもまた今後の効果を期待しているのであるから,第一歩としては十分だ。


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 というわけで,成績づけを済ませたら,私の授業担当は一通り終わりとなる。本当に夢のような非常勤担当だった。たぶんあちこち迷惑をかけたままなのかも知れないし,冒頭に書いたように私の努力が足りない部分も多かったと思う。いまも学生から出された宿題が出来ていないので,きっと憤慨されているに違いない(ははは,ごめんごめん,もうちょっと待ってね)。こんな頼りない担当者に,様々な賛辞をくれた受講生達に感謝。そして授業に関わってお世話になった皆さんに最大限の感謝を。


 破天荒な授業は終わりを迎えたけれど,私たちの学びは終わらない。

 さぁ,続きは自分で。

集中講義を終えて

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 滋賀大学で3日間の集中講義「メディアとコミュニケーション」を終えたところ。あっという間であったし,コレ!という段取りを決めかねていたので,少々腰の引けた感じだったかも知れないと反省している。もちろん,ひとつひとつの事柄は責任を持って語っているつもり。

 1年生から4年生の混ざった少数混合クラスということもあってか,あるいは,ここの学生さんのもともとに気質なのか,授業中の雰囲気は静かな感じ。あんまりウケなかったかなと思っても,コメントなどの感想では興味を示していたりするので,反応からニーズを読み解くのは一筋縄ではいかない。

 春休みの集中講義という,ゆる〜い感じを活かしつつ,メディアとコミュニケーションという何でもありなテーマを学生の関心に添わせながら展開した。短い時間だったがグループ作業による発表もこなしてくれて,受講生も協力的だった。新しいチャレンジだったが,よい授業が出来たのではないかと思う。もう少し段取りなどを改善して,学べる知識を増やすことも出来るとは思うが,まあ,少人数だったので,ゆる〜く展開した方がよいのかも知れない。

 授業が始まってしまうと頭痛もどこかへ吹っ飛んで,いつものようにエネルギー全開。一通り終わって,いまやっと息をついたところである。とにかく任務完了。あとは帰るとしますか。詳細はまた後ほど。

そして移動中

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明け方まで続いた体調不良と頭痛との格闘の末、なんとか肩こり頭痛のレベルにまで押さえ込み、荷物をまとめて滋賀へ移動中である。ここら辺だけ、プロ根性である。


な〜んも準備が完了しなかったので、重たい資料を丸ごと抱えての出発となったのは痛い。肝心なところはアマが抜けない。まあ、大概勝手なことをしゃべって使わないのがオチなのだが、こうやって体力を使って運動していたりするわけである。(冗談)


というか、あんたまさかインフルエンザじゃないのか?という疑惑もあるが、何度測っても36度台は変わらず、残念ながら病気休みはできそうにない。ははは…。


というわけで、また慌しい 日々のスタートである。でも頭痛は続く…あ〜。

明日から滋賀へ

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 咽風邪は,寒気と頭痛を連れてきて,本日ぐったりである。それでも明日から滋賀へ移動。3日間の集中講義が待っている。滋賀大学で行なわれる「メディアとコミュニケーション」という授業をお引き受けすることになった。

 あれこれ材料は集めてあるのだが,料理する時間がなくなってしまい,しかも出発前日に頭痛である。さらに頭痛が重なっていく。まあ,とにかく頑張って取り組むしかない。

 今回も事前の手続き段階から先方にはご迷惑をかけつづけ,当日もあれこれと対応にお手数をかけてしまいそうだ。ふらっと寄って,ドタバタと授業をして,ふらっと帰るみたいな気楽な調子で考えているので,本当に申し訳なく思う。

 宿題がいくつもあるので,それもやらないと…。う〜ん,頭が痛い。でも,お腹減ったから,ラーメン食べに行くか…。あったかいもの,それくらいしか思いつかない…。

 残すところ2回となった。実は不覚にも喉風邪にやられて、ちょいと不調なのであったが、今回はゲストをお招きしての特別講義なので、だいぶ助かった。


 また詳細は後日改めて書こうと思うが、「初等教育の内容と方法」の授業では、ゲストのお話しに受講生が聞き入り、新しい動向に関する話題に新鮮な驚きを持ったようだ。こういった新しい世界との出会いをセッティング出来たことが嬉しい。わがままを言って、この後の「教材論」の授業でもお話してもらった。やはり受講生たちは関心を抱いた様だった。

 初等教育の内容と方法は、次回試験である。試験に関する説明をして、いよいよ締めのご挨拶。

 半年間受講してくれたお礼と拙い講義であったことのお詫び、そして再度この授業で皆さんに期待していた事柄について担当者としての考えを述べた。

 ある人は教育の現場に進むだろうし、ある人は一般社会に出て教育に関わる人もいるだろう。どんな立場になっても是非教育について関心を持続させて考えていって欲しいということ。そして、10年後の自分に思いを馳せて、決して枠をはめずに可能性を追求して欲しいと語った。
 みんなには若さがある。まだまだこれからいろんなことが出来るはずである。そんな中で、またこの授業のことを思い出してもらえれば嬉しいですと告げた。


 予想もしなかった拍手をもらった。まだ短い講義経験の中で、一般講義の最後に拍手をもらうのは初めての経験だった。教師冥利に尽きる?いやぁ、そう言うだけでは言い表せない、正直鳥肌が立つような感覚だった。受講生に感謝である。


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 教材論の授業は、ゲストのお話を踏まえつつ、いつものようにグループディスカッションと共有。授業が始まった頃の感じをもう一度呼び起こしながら、賑やかに、そしていつも通り時間ギリギリまで行なった。


 さあ、来週は最終回。こちらはまたゲストをお迎えして、いろいろ学ばせていただく予定である。最後も和気あいあいと楽しく授業が出来たらいいなと思う。

受験の季節

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朝から移動。交通機関に乗ると親子連れが多いことに気がつく。お休みの家族サービスというわけでは無さそうなのは、お父さんやお母さんがスーツ姿だったりするからだ。

どうやら受験関係のようである。最初は模試かなと思ったが、新幹線の中にも親子連れがわんさといて、今まさに私の隣りで父子が朝日小学生新聞を開いて知識の確認中である。

ここで見かけている人たちは受験を志した一部の人びとに過ぎないが、こういう風景を見ると思わず公教育の現状について考えてしまう。

何かと何かの距離は明らかに開き続けているが、それを繋ぎ合わせるために教育に提供されている資源はあまりにも少ない。