格差と葛藤

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 小学生の学習について親子が持っている意識や特性に関するデータ分析をしたことがある。親の関与が,子どもの学習や自主性を活性させ,成績にも影響する関係にあることを確かめた。

 この場合,私たちが考えていた「家庭教育」は,親が子に何某かを施すというようなものとしてではなく,単純に「学校教育」外に生じている学習のうちで家庭でなされているものを対象として指し示す用語としてだった。けれども,親の関与には様々な程度があることも指摘しており,学習に直接関与するものも含まれていたという点では,この本の「家庭教育」と無縁というわけではなかった。

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 本田由紀『「家庭教育」の隘路』(勁草書房2008.2)である。ニートに関する著書などでも知られる本田先生,どうもNHKの番組で派手にぶちかましたらしいが,残念ながらその回を見ることができなかった。^_^

 本田先生は,ほとばしる問題意識を勢いよく研究へと昇華させる手腕をお持ちで,たまに苦笑いしながらも感嘆するばかりである。この本も書き出しは「私はよい母親ではない。」で始まっており,本論の冷静さを担保するためのエモーショナルな導入が展開する。「ニートって言うな!」の成功パターン?を踏襲し,今回は「家庭教育って言うな!」である。


 家庭教育の重要性を考える人間の端くれとし,「家庭教育って言うな!」と言われれば,「え〜!」と身構えてしまうものの,その主張を丁寧に汲み取らなければ,どちらにしても不幸な物別れで終わってしまう。
 私たちは「家庭教育」を脅迫的に要求してしまっていて,本田先生がいう「格差」と「葛藤」の拡大を生み出すことに加担しているのであろうか。それともこのお話には,どこかに誤解や迂回路があるのだろうか。

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 本書では,家庭教育の実態をインタビュー調査から描き出し,家庭教育に関わる母親たちがすでに重荷を背負っていることが明らかにされる。そして質問紙調査のデータ分析から,子育ての在り方に「きっちり」と「のびのび」という主成分が見いだされたとし,それによって子ども達の将来にいくらかの傾向も見られるが,結局のところ母親たちはその両方について苦労することには変わらないことが描かれる。

 家庭教育の現実は様々であるが,そのような多様な現実について「格差」と「葛藤」という問題枠組みから現状把握しようというのがこの本の趣旨である。困ったことに,どちらに転んでも母親が苦労を強いられているという現実は,そう簡単には変わらない。であれば,いま現在の仕掛けを解明して,少しでも有効な手立てを打つ材料にしようというわけだ。


 その上で,「家庭教育って言うな!」という投げかけは,家庭教育そのものの否定や放棄を主張しているのではなく,どちらかといえば,見て見ぬふりしながら熱を冷ましましょうよ,という提案であるといえる。

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 親の関与の必要性を喧伝すれば,それだけ母親たちは急き立てられて熱っぽくなる。そうならない母親たちもいる。それぞれの反応や行動に問題などこれっぽっちもない。むしろ問題は,そのシチュエーションを想像力もなく作り出す無思慮な喧伝にある。

 もしもそうなら,私は無思慮な家庭教育推進者なのだろうか。それを完全に否定することは難しい。けれども,私が関わっている範疇で言えば,むしろ私たちは「家庭教育」について,親の関与の重要性を踏まえつつ,親の現実に即した提案をしていくことで,この問題を迂回できないだろうかと模索しているのである。

 テクノロジーを使うことで,親の負担を軽減しつつも,十分な親関与というものを実現できるかも知れない。もちろんテクノロジーが1割で,それを活用するためのデザインに9割の比重があるとすれば,そう簡単な話でないことも重々承知していることだ。

 それでも私たちは家庭教育における親の関与が必要であると考え,そこへチャレンジしていくことに変わりはない。本田先生は教育社会学の立場から真摯に問題を撃つが,私たちは教育の立場から様々なアプローチをするのみである。もちろん「家庭教育とは言わない」というアプローチも手元に携えながら…。

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