歌声は永遠に

user-pic
0

20080423c

 「魔法にかけられて」を鑑賞以来,劇中歌が忘れられず,思わず海の向こうの配信サービスで購入して,たまに楽しんでいる。良いものは何度観ても楽しくなるし感動もする。

 次第に気持ちが抑えきれなくなって,とうとう金字塔ともいえる「メリーポピンズ」を手に入れてしまった。映画製作から40年もの歳月が流れており,現在市場に出回っているのはこれを祝う40周年記念DVDである。

--

 早速再生したDVDは,日本語吹き替えモードになっていた。一抹の不安は「吹き替え声優」さん問題。実は,テレビの洋画番組で「メリーポピンズ」に接した世代なので,そのバージョンの印象が強く残っているのである。

 結論から言えば,残念ながら吹き替えはテレビ版とは異なるもの。とはいえ,ベテラン声優も多く参加して当時の雰囲気も香りつつ,ビデオ版自体はディズニーのコントロール下で制作された素晴らしい出来である。
 ちなみにテレビ版でメリーポピンズことジュリー・アンドリュースを吹き替えたのは武藤礼子さん(メルモちゃん!)で,バートことディック・バン・ダイクには佐々木功さん(ロッキー!)だと思われる。

 こうして記憶の中の吹き替えバージョンと現在バージョンの違いを辿ることで,いかに「声」というものが,私たちの感覚と記憶に大きな働きかけをしているものであるかを再確認している。そして声だけではない。声優さんたちが繰り出す「言い回し」の魅力や重要性をあらためて実感するのだ
 この「言い回し」は,特に「メリーポピンズ」のようなミュージカル映画だと,唄の調子としてハッキリと記憶に焼き付けられてしまうため,記憶に基づく吹き替えバージョンと現在バージョンとの違いが受け入れられないときもある。

 どうしても吹き替え(場合によっては字幕翻訳も)は時代性が反映されてしまうため,新たに録音ということは起こりうる。また,声優さんもいつしか天に召されて,新たに声を聞けなくなることもある。それはとても寂しいことではあるが,時の流れとはそういうものなのかも知れない。
 刑事コロンボしかり,ルパン三世しかり,トリビアのナレーションしかり,ジェットストリームしかり…。ヤッターマンのドロンボー一味が復活したのは,そういう意味では文句なく嬉し楽しくなる出来事なのだ。


 一方で今日,声優になろうとしている人々や活躍している若い声優さんたちは,厳しい時代の中で厳しいチャレンジをしていると思う。声優は確かに魅力的な仕事だが,かつてほどに声は届かなくなってしまった。一つ一つは魅力的かも知れないが,あまりに多声過ぎて埋もれてしまっているようにも思う。もう少し一つ一つの作品や吹き替えられる俳優が余裕を持って受け止められたらいいのに,いまはあまりにチャネルが多すぎて,声を消費してしまっているようにも思う。

--

 それにしても,ジュリー・アンドリュースの歌声が響き,ディック・バン・ダイクの陽気な演技が冴える「メリーポピンズ」は素晴らしい。

 「魔法にかけられて」と「メリーポピンズ」とでは,もちろん格が違う。たとえば「魔法にかけられて」は男女の愛を主軸にしていたが,「メリーポピンズ」は家族愛を主軸にした作品である。そういう意味で映画で描けるものの厚みは断然異なる(そもそもジャンルも異なるが…)。

 とはいえ,どちらの映画にも愛すべき歌声が響く。何度でも何度でも酔いしれていたい。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://con3.com/mt/cgi-bin/mt-tb.cgi/559

コメントする