教育振興基本計画の後退

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 打ち上げた花火が思いの外花開かずに落ちてしまう悲しさ。教育振興基本計画は,そういう物悲しさがある。もう少し優雅に表現すれば,ささやかな線香花火を見るような,そんな感じなのかもしれない。

 お忘れかもしれないが,我が国は平成18年の暮れ行く中で教育基本法を改正した。そこで文部科学省が手にしたアイテムというのが「教育振興基本計画」であった。

 この国には「ナントカ基本計画」という類いの施策があって,多くは「閣議決定」という手続きを経て,具体的なアクションに結びつけていくものとして扱われている。つまり,「基本計画」を提案し,閣議決定されれば,計画実施のための予算確保の根拠になるわけだ。

 旧来の教育基本法を新しいものに変える必然性はあまりない。けれども,教育振興基本計画を策定してもよいと認めてもらえるなら,変えない理由もない。改悪と人はいうけれど,具体的な基本計画を立てて閣議決定さえすれば,教育予算を確保できる(そして別の言い方をすれば権益確保もできる)のだから,飛び込んでみよう。それが平成18年の暮れに見た夢であった。

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 そして,平成20年6月27日。みんなの期待を盛り込んだ(かも知れない,盛り込んでないかも知れない)教育振興基本計画の原案は,財務省や総務省の反対を斥けることもできず,念願だったはずの「具体的な数値目標」を盛り込めずに7月1日に閣議決定されることとなった。予算確保(そして権益確保)の夢は淡くも消えていくというわけである。

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 文科省の人々は嫌がるかも知れないが,この攻防を観戦できる場所の一つが,財務省・財政制度等審議会の財政制度分科会財政構造改革部会で配布された資料の上である。

財政制度分科会財政構造改革部会(平成20年5月19日提出資料)

 実は,同じ論戦は1年前の同部会で行なわれており,今回は再戦。財務省が繰り出してきた「反論」は,基本的に昨年と同じであるが,その提示方法は,分かりやすさを追求してより説得性を高めるため,様々な飛び道具やレトリックを駆使していて圧巻である。これ以上やったら,コメディの域に達してしまう。

 もちろんこれは財務相側の一方的なパンチであり,公平な試合場面を見ていることにはならない。とはいえ,ここで改めて思わざるを得ないのである。教育をまじめに論ずることが難しい時代に入ってしまったのだなと。

 財務省は「OECD平均と比べることにどれほどの意味があるというのか」と主張する。なるほど「成果」を重視する立場からすれば,OECD平均という漠然とした目標の示し方が気に入らないのもうなずける。しかし,だとすれば「先進5カ国と比較して遜色ない」云々という文言も,いかほど意味のある反論といえるのか。

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 まあ,しかし,教育振興基本計画に具体的な数値目標が盛り込まれたとしても,膨大な項目のどれがどの順番で実現されるかハッキリしているわけではないのだから,目標達成の難しさは変わらないという予見もあり得る。

 むしろ,財務省の一部会に提出したこの資料の内容を,もっと人々が吟味する場をつくり,文科省vs財務省から多くを学ぶよう仕向けていくことが重要だと思う。今回の資料は,いかにもテレビ向きな作り方であり,ミスリードする可能性にも満ちているが,人々の注目を集めやすくした功績は認めるべきである。ならば,なおさら,この資料を肴に,私たちは教育についての見識を深める機会にしなければならない。

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