秋分の日。暦通りに秋がやってくる。
季節が変わり,僕の生活スタイルも変わる時期がやってきた。夏は,ひたすら大学の研究室に通った日々だったが,秋は,自宅にこもって過ごす日々になりそうだ。また,文章を練り出さなければならない。
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ちょうど最後の糸がプツンと切れて,少し漂う感じで週末を過ごした。
台風一過の日。街中をのんびりと歩く。それはとても休日らしい休日であった。
そして,いよいよ秋の到来を思わせた。
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仕事のついでに東京にきた先輩から突然連絡が入った。いつも絶妙なタイミングで現れてくれる。
学部から今に至る僕の軌跡を知っている人物で,いまも直接会う機会があるのは,この先輩だけ。ところが,この先輩でさえも,学部時代にはほとんど関わったことのない存在だったので,いまこうして毎度声をかけてくれるようになったことは,不思議といえば不思議である。先輩と飲むと,必ずその話題になる。そして更新の少なくなっているブログにも注文が飛ぶ。
「りん,もっとおまえの思いを書けよ」
そう言う先輩に僕は苦笑いをする。さらに先輩は,どちらかといえばデータや分析ありきで組み立てられたような,そこに泥臭くもベタな想いが不在であるような研究に対しても,辛辣な檄を飛ばす。
物事の本質というのは何なのか。そういう議論を交わすことを抜きにして研究は生き残らないのではないか。いまの学会も大学院も,どこかお上品になってしまったというか,その泥臭い部分を避けがちであるというか…。
「おまえ,そういうのを欲してるんだろうな」
酔っているというのに,こういう指摘の鋭いところが怖い先輩である。「みんな,おまえによろしくと言ってた」と何人もの人たちの名があがる。そうやって,気にかけてもらっていることに勇気をもらいつつ,すっかり気持ちよくなった先輩をバス乗り場まで届けて,その夜は別れた。
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「人間は行動した後悔より行動しなかった後悔の方が深く残る」
どうだろう。
僕は前者を選びがちであるけれども,それがいつでも正解というわけでもない。
自己の後悔の最小化は,必ずしも他者にとってのそれではない。
だとしたら,ときに後悔が深く残る方を選択する場合もあり得るのか。
そもそも,何をもって「行動」と考え,何をして「後悔」と呼ぶのか。
もの思いにふける。
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秋が来れば,また違う,ときの流れ。
その想いは一緒に連れて行くことにしよう。いくつかの曲がり角を過ぎれば,自ずと答えは見つかるさ。たとえ,どうしようもないゴールでも,最後まで諦めなければ悔いはない。
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