1章-『省察的実践とは何か』

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1章 専門的知識に対する信頼の危機

○専門的職業(profession)は,私たちの社会に必要不可欠なものとなっている。(3頁)
○プロフェッショナルとは,問題を定義づけ,解決してくれる,特別な訓練を受けた人々。

 →エヴァレット・ヒューズがいみじくも,「〈プロフェッショナル〉は,偉大なる社会的意義のための卓越した知を求める」と名づけたものに敬意を払い,その見返りとして,特別の権限と威信をプロフェッショナルに与えるのである。(3頁)

●「私たちは,プロフェッショナルに頼りきっているとはいえ,彼らに対する信頼がゆらぐきざしも見えつつ」ある。(3-4頁)
●「人類的な意義にかかわる卓越した知を身につけたい」というプロフェッショナルへの要求そのものに向けられる疑問。その現れ…

 →民衆がプロフェッショナルへの信頼感をもたなくなっていること
  左翼系の人々による,プロフェッショナルに対する激しいイデオロギー攻撃
  プロフェッショナル自身の利害関心や世の中への支配を維持したいというパワーエリートの関心に沿う点の暴露
  卓越した知への要求をめぐり,プロフェッショナル自身が自信を失うきざしが見えている。

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○1963年,アメリカ芸術科学アカデミーの雑誌『ディーダラス』のプロフェッショナルに関する特集

 →「アメリカの生活のいたるところでプロフェッショナルが勝利をおさめている」で始まる。

●「しばらくは,プロフェッショナルはその役割に対する需要の増大に対応していたが,やがて負担の増加に苦しむことになった。」(7頁)

 →『ディーダラス』誌のエッセイ記事。酷使される医師,科学研究周辺の官僚主義への癒着,司法の独立性困難,など。
  成功に伴う困難に関する描写の出現

●1963年から1981年の間,「この時期,プロフェッショナルも普通の人間も,専門家の能力に対する信頼の低下という社会現象に悩まされ,プロフェッショナルの正統性に重大な疑義を投げかけていた」(9頁)

●「プロフェッショナルが無能になっていることは,学術面でも明らかになっている。」(11頁)

 →「プロフェッショナルが頼りになるのはあくまで仕事に対してであり,仕事を意味づける点ではあまり当てにならない」(チャールズ・ライク)


★プロフェッショナルに対する信頼が危機に陥っており,そしておそらくプロフェッショナルそれ自体のイメージが低落していることの原因:

 →プロフェッショナルのもつ,実効性に対する疑いの増大,人々のウェルビーイングへの貢献に対する懐疑的な評価に根ざしている。


 【疑いの中心にあるのは,専門的知識への疑問である。】(13頁)

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専門的知識の能力に深刻な考えをもつ各分野のプロフェッショナルの解釈
●専門的知識は実践の場が変化するという性質にそぐわない
●複雑性,不確実性,不安定さ,独自性,価値観の葛藤など,求められる実践の場において見られる諸現象にますます合わなくなっている


●専門的知識が,たとえプロフェッショナルの現場における新しい需要に追いついたとしても,プロフェッショナルの仕事によって改善できるのは一時的なものに過ぎないだろう。(14頁)

 →専門的職業は今や,「予測できない状況に適合する」という課題を突きつけられている。(14頁)

●要するに,一流のプロフェッショナルがプロフェッショナルに対する信頼が危機に瀕していることについて記述し語るとき,彼らは実践・実務の現場では,伝統的な行動様式や知識が当てはまらないという点に焦点を置く傾向がある。(17頁)

 →複雑性,不確実性,不安定性,独自性,価値観の衝突のもつ重要性への認識の高まり
  「多様な意見」いくつもの手段からひとつを選択実行しなければならない実践者の苦境も裏に

★プロフェッショナルの実践が,少なくとも問題を解決することと同じくらい,問題を見つけることにかかわるならば,問題の設定(problem setting)もまた,プロフェッショナルの実践であると認識することができる。


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○1960年代「プロフェッショナルが謳歌する」時代 → 1970年代,1980年代初頭の「懐疑と不安」へ導く出来事。

○プロフェッショナルはまだ,プロフェッショナルの能力の中心として見なされるようになったプロセスを説明できないままである。(18頁)

 →専門的知識から照らしてみれば,これらプロセスは奇妙に映るからだろう。(18頁)


 【(次章にあるように)実践の認識論に向かって行かざるを得ないことになる。】(19頁)

 


【メモ】
 プロフェッショナルに対する需要と期待が大きかった時代から,プロフェッショナルに対する懐疑と不安の時代への移り変わり。この流れの中で,専門的知識を提供するプロフェッショナルと,その専門的知識を実行する実践者のそれぞれが苦しみ悩む。複雑化,不確実性,不安定性,独自性,価値観の衝突といった専門的多面性に,伝統的な専門的知識が対応できていないという問題が重大視されてきたわけである。

 そこには,実践者が状況に合わせてみせる巧みな能力について,プロフェッショナル自身が満足に説明できないという課題があるという。このような問題を考えるために,実践の認識論について考えなければならないと論じているようだ。


 

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