久し振りの書店めぐり

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 「ブックファースト」という書店チェーンがある。東京・新宿に新しく店舗をオープンしたというので,用事のついでに訪れた。分断されているとはいえ,広いフロアに90万冊の雑誌や本が揃う。

 紀伊国屋や三省堂,ジュンク堂にリブロなど,東京には大型書店がいくつもある。やれ80万冊だ,こっちは100万冊だ,90万冊だ,いやいや150万冊だと,夢みたいな冊数で競い合う。だいぶ慣れてしまって,本の冊数では驚かなくなったし,それだけの冊数があっても,無い本は探しても無いということも分かってきた。

 それでも新しい書店がオープンしたと聞けば,それなりに心は躍るものである。足を踏み入れて,真新しい書棚とフロアにわくわくしながら,広いフロアを眺め歩いた。ただし,様子が分かってくると「ふーん,なるほどね」という感じになる。そもそも売っている本自体は,他の書店と違うわけじゃないから,当然か。

 ただビックリしたのは洋雑誌コーナーだった。そこで積み上げられた新刊雑誌の量が圧巻。他の書店でも洋雑誌は扱われているが,同じ号でも2,3冊あれば多い方だというのが普通。ところが,ここは日本の雑誌と同じくらいの部数がドカッと陳列されているのである。まるで海外の空港内にある書店のようだ。それが新鮮だった。

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 新しい書店に刺激を受けてか,貧乏なのを忘れて,久し振りに本を買い漁った。ブックファースト以外でもあちこち。どうして本を買い漁ったのか。それはもちろん,担当している大学の授業のためでもあったし,修士論文のためでもあったし,私自身のためでもあった。じっくり読む時間はあまりないが,斜め読みしながら大事なポイントをいくつか吸収してみる。


 内田樹氏の新刊『街場の教育論』(ミシマ社2008/1600円+税)を買った。どっちかというと『下流志向』の方がより教育本っぽいのかも知れないが,そっちは買ってなかったりする,ははは。

 内田氏の書く思考過程はとてもクリアだと思う。フランスの現代思想がご専門だからか,どうしてこんなにシンプルな哲学が実践できるのか,いつも感心してしまう(それでいて扱われている内容は東洋思想も豊富)。日本中の人が最低限この『街場の教育論』を読んだうえで教育を議論したら,もうちょっとマシになるんじゃないかと思うんだけれども,内田氏の「放っておいて欲しい」という至極まっとうな指摘通り,この本を読んでみんなが冷静になるべきかも知れない。それから,226頁あたりで展開するキャリア教育に関するくだりは,膝打ちたくなるほど。そういう国になっちゃってることを私たちはもっと自覚すべきなのだと思う。

 まあ内田節に誤魔化されているだけという意見もあるので,他の著者の本もいろいろ読む必要はあるけれど,その上で,この本を読んでいくと私自身も反省するところをいろいろ思い出す。また一方で,願わくはもっと信頼をして教育の営みを私たちに引き受けさせてくださいっていう気持ちにもなる。自分のすべきことに向けて,淡々と真面目に毎日を生きることがもっとも大事なのかなと思える。

 教育や先生の秘密を暴かれている感じがして,ちょっと気恥ずかしくなってしまうが,是非とも学生たちにも読んでいろいろなことを考えて欲しい一冊だと思う。

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 徳久恭子氏の『日本型教育システムの誕生』(木鐸社2008/4500円+税)は,徳久氏の博士論文をもとにした力作。教育史ではなく,政治学の立場から描き出した過去と諸アクターに「国家−社会」「伝統−近代」という二軸で区分された座標面を重ねたところにゾクッときた(174頁)。

 昨今「教育委員会」をめぐる問題がいくつか報道され,日本の教育行政に関して注目が集まっている。大分県の教員採用汚職,大阪府での学力テスト調査結果開示に関する知事と市町村教委の確執,神奈川県教委の委託業者から個人情報流出など。

 教育委員会の廃止,あるいは教育委員会制度の抜本的な改革が主張されるものの,何故このような自体になったかについて,私たちが知っている知識は乏しい。以前の駄文で「教育改革関係図2007」というものを書いた。すでに内閣も変わって状況が一変し,関係図を新しく描き直さないといけないが,それでもこうした構図を私たち全員が共通認識していたかといえば,それはいまでも心許ないはずである。

 さらに地方分権改革に対する関心から芋づる式に地方自治というものがそもそもどのような歴史を辿って成立したかを紐解くと,当時の自治省と文部省(現在の総務省と文科省)の対立構図がくっきりと浮かび上がる。大阪府の橋本知事と市町村教育委員会のバトルは,歴史的な視野で見るとその代理戦争をしているといってもいい。なんてことだろう…。

 (文部省は一方で,日教組とのバトルを展開していたわけだが,現場レベルでは教育委員会と教員組合との蜜月関係の構築によって,なんとか地方教育行政を回そうとしていた地域もあったわけである。それが今日まで残っていたために汚職問題を生むことになってしまった。かなり粗雑に描けばそういうことになると思う。)


 たぶん,そろそろ教育社会学者の先生だけでなく教育行政学の先生達も,もっと世間一般に向けて議論を始める状況がこないといけない。特に地方自治と地方分権改革の歴史の中で教育行政がどのように捉えられてきたのかを分かりやすく語る論客が期待されている。その上で,それぞれの土地に住む私たちが,その土地でどのような行動(アクション)をとればよいのかを示唆してくれることが必要だ。

 大分だとか,その他の土地で起こっている教育委員会の問題も,結局はその土地に住む人びとが自分の土地の現状について知る術を使うことなく,また行動する術を知らなかったために取り残されてきたことが今さら出てきてしまったのだから。

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 最後に,爽やかな本もご紹介しておこう。翻訳書であるが,中田麗子 訳『新しく先生になる人へ ―ノルウェーの教師からのメッセージ』(新評論2008/1800円+税)である。

 ノルウェーで教員養成課程を卒業し,いざ新任教師として一歩を踏み出す人びとに宛てた先輩からのメッセージ本といったものである。ノルウェーの教師が,どんな心構えで仕事をしているのかをうかがい知ることが出来る。

 日本にもその手の本はいくつもある。ただ,日本のその手の本はどこか老年教師が書いた若い人たちへの遺言的な空気があったし,最近出てくる比較的明るめ軽めの本でさえ,開放感に満ちているというよりは,ストイックな世界でどう肩の力を抜いて生きていけるかという暗い影からの逃走という雰囲気を払拭できていない。

 それに比べると,この本の語り口は「〜してはいけません」「〜なければなりません」という文言も少なくないのだが,それは場を開いていくためのものとして納得に包まれているのである。そして,多様性に対応するためのいくつもの提案や問いかけを提供してくれている。

 やはりお国柄が教師文化にも反映されているのだろうか。まあ,先に紹介した本を読んだ私たちからすれば,日本の教員文化がどこかどろどろしたいるのも仕方ないなぁとは思う。ノルウェーとか,フィンランドとか,北欧の国のような教師文化はどこか優雅である。それは写真を見ていてもそう思う。この本もそうだし,ナントカ波書店のフィンランドの教師の育て方とかナントカという本に掲載されている写真も,教師たちはゆったりとしたソファーやチェアのある部屋でくつろいで談話する様子が見られる。ところが日本の学校にはそういう環境がない。あるのはパイプ椅子である。ストイックな私たちにはお似合いかも知れないが…。


 さて実は,訳者の中田さんとはお友達(のつもりなのだが,ろくにご一緒する機会も持てぬまま…ご無沙汰してます)で,この本を翻訳されたという話を聞いて,ご紹介と相成った。彼女が北欧に縁が深いというのは,研究などで知っていたが,5カ国語もしゃべれるほどの語学堪能だったとは知らなかった。とにかく,そんな中田さんの充実した「訳者あとがき」も読み応えがあるので,興味のある方は是非。

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 いやはや,それ以外にも,あれやこれやと興味深い本はあるのだが,ここまで。

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