取材内容通知問題〜不幸な記事

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 毎日新聞によると「教育委員会と議会の間における報道機関取材内容に関する通知問題」が発生していたのだという。報道の自由が侵害される類の問題とされる。

 私は最初,今朝(29日付)の記事「取材内容通知問題:和歌山市教委でも取材内容、市議に提供 掲載予定日や印象も」を目にして,頭の中に,はてなマークが踊ったのである。

 「この言葉足らずなWeb記事は,何が言いたいのだろうか?」

 幸い,キーワード検索をして,岡山の問題の記事が読めたからよかったものの,もしもこの記事単独でコピーが提示されても,この記者が何を問題にしているのか,素人にはさっぱり分からない。

 うちみたいに,読者のこと考えない駄文を書くのを前提とするなら,前提を解説する必要もない。けれども,一応全国紙なんだし,物書きのプロなんだから,こういう新聞(Web)記事を書いてはいけません。


 この記事が書くべきだったことは
・「報道の自由を侵害する可能性」が発生したこと

 なぜ侵害する可能性があるのかについて
・「事前に」市議へ取材内容を通知したこと
・よって事前に報道へ「圧力が加えられる」余地が生まれること

 そもそも
・市議からの「通知要請はなかった」こと
・その場合に「通知する義務」もないこと
・記者個人が特定できる「個人情報の扱い」に配慮がなかったこと


 くらいは,要素として盛り込んで,記事を書いてくれないと,新聞報道の信頼性低下にもつながってしまう。高校生や大学生の新聞じゃないんだから,もうちょっとプロとしての仕事してよね。

 それとも研修が足りませんか。報道関係者研修の機会でも増やしてもらいましょうか。そうすれば,我が国の報道・言論の質の向上と高度化にもつながってよいかも知れません。教育機関はいいですよ。報道関係の皆さんの主張のおかげで,研修だらけですからね。必ずや日本の教育の質は上がります。ここは是非見習っていただいて,報道機関の研修も充実させましょう。ははは(乾いた笑い…)。

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 冗談はさておき,この記事は,私たちに様々なことを考えさせる材料となりそうだ。

 ・そもそも教育委員会と議会の関係はどうなっているのだろうか。
 ・首長やそのほかの部局との関係はどうなっているのだろうか。
 ・住民の代表たる議会に取材内容の通知をすることの是非は結局どうなんだろうか
 ・住民の情報源たる報道と,住民の代表たる議員と,どちらに価値を置くべきだろう
 ・個々の組織の独立性と住民から見た場合の連携性のバランスはどうすべきか

 ・取材記録の情報公開で記事を作成した記者と,取材記録の廃棄を求めた記者の矛盾


 私たちは,実のところ教育法規も行政法についても,ほとんど知識がない。教育に関わる人間でさえ,そうした事柄への関心が薄いというのに,世間一般の人たちはどうだろう。そもそも記事を書いた新聞記者たちは?

 つまり,この記事からは日本の教育報道に関わる不幸な状況が浮かび上がる。

 全国紙のそれぞれの地方で修行を積んでいる(たぶん若手の)記者たちが,それぞればらばらに地域の現状を見て,何の共通見解もないまま「問題の構図」だけ引き写すかのような記事を書く。
 昔だったら,それぞれの地方版に掲載されて終わり。こうやってへそ曲がりな教育関連サイトの人間にからかわれることはなかった。でもいまではWeb記事として記録され,地方地方の記事が検索結果で比較されてしまう。そのいつの間にか起こってしまったメディアの地殻変動に,記者たちの頭は追いついているのかも知れないが,身体は追いつけてないようだ。もしかして全く逆で,どうせWeb記事になるから,検索してもらえれば過去の経緯が分かるだろう,と甘えてやしないだろうな。


 一方,私たち受け手自身も「理解の解像度」をあげなければならない。

 これを他山の石として,自らの駄文にも向けなければならない。自分の見解を書くのは「言論の自由」として保証されているのかも知れない。けれども,そのことによって何をもたらしたいのか,何がもたらされるのかについて,今まで以上に考えを巡らす必要も出てくる。そうした事柄への理解を丁寧にきめ細かく展開するよう配慮しなければならない。


 ボールは投げ続けるだけではすまない。いつか投げ返されることを覚悟していなければならないということである。そのことへの配慮が私たち言葉を操る者には,今まで以上に必要だというのに,今回のこの不幸な記事には,その配慮の欠片もない。そのことがすごく残念なのである。

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