【講義後記】20081201

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 珍しく授業直後に書いている。今日の授業は先週の振替休日のせいで2週間ぶり。そして,とうとう師走に入った。本当に時間というのはあっという間に過ぎる。
 今日はテレビ生放送のスタジオ観覧のお土産話と,受講生の調査活動の中間発表を行なった。

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 「初等教育の内容と方法」という授業なのだが,どうも授業の筋が教育改革や教育行政の現状など時事的な方へと寄り道しがちになっている。最初は,初等教育現場にも影響を与える昨今の動向を解説するつもりで始めたが(学習指導要領改訂もあったし…),教育に絡む興味深いニュースや今回のテレビスタジオ観覧といった外的要因がいろいろ働いて,結構そちらに全体の雰囲気もシフトしていた。

 私がテレビの生放送番組を観覧して得た感触については,別にまた詳細を書くとして,それ自体はのお土産話には学生たちも大変興味を示してくれた。番組作りというものが,特に生番組ということもあって,授業実践のリアルタイム性にも通ずること。放送された部分以外の出演者や番組制作者の様々な立場や思惑について,見た来たことを伝えて,考えたことを語った。

 私がなぜ,教育内容(私はこれを「カリキュラム」だと前提して担当しているが)の話に,こうした教育行政やメディアの教育言説の雑談をことさら取り上げるのかといえば,目下,それが現代の重要な問題だからである。カリキュラム・ポリティックス(教育内容・課程の政治学とでも理解しようか)に関する研究は,立派な学術領域だし,そのことを身近に意識することは,無知であるよりも望まれていると思う。

 問題は,そのことを「初等教育」段階の教育内容に結びつけて考えることの難しさと,どちらかといえば「教育方法」との関連に於いて「教育内容」を捉えようとする性格の授業であることを考えると,さて,今後どのように話を接続していくべきなのかということが,授業の醍醐味となってくると思う。

 結果的には,だいぶ長引いてしまったが,前座のお話はテレビ番組観覧を踏まえたメディアの特性の共有で十分満たされたと思うので,あとは,テキスト内容を進められればいいかなと思っている。

 残る教科書的な知識の伝達において,それを面白い部分とどう融合させるか。これは結構,難題ではある。学生たちは,まだ社会人経験のない人たちばかりだし,教育歴があっても家庭教師か塾講師を少し程度であろう。そうした実経験のない段階で,知識ばかりが先行しても,実感を伴わないかも知れない。


 あと,これはある人に言われて少し反省をしているのだが,ものごとの事実を批判的に見るまなざしや思考(クリティカル・シンキング)を持つべきだという主張は,ともすると批判のための批判,実行の伴わない批判,抵抗のための批判に陥りやすい。私が期待しているのは「省察的な実践」という言葉にも込められたような,実践のための批判もしくはそのための批判的解釈であって,手足を動かさないための批判ではなかったはずである。

 ところが,教育改革や教育行政の話は,八方ふさがりな雰囲気が強く,意欲的な実践に対して冷や水を浴びせている感も強い。学生が,様々な批判的まなざしを獲得することは大事なことだが,そのことによって,だから実践をあきらめるとか,だから実践する意味がないのだとかいう理由立てにまなざしを使うようになるなら,これは逆効果だなと思った。

 今の学生たちは,批判のための批判や実行の伴わない批判や抵抗のための批判について,むしろ敏感に察知して嫌悪している世代ではないかと私は思っていて,だから批判的なまなざしを持たせることは,彼らの前向きな姿勢を後ろだてするために依然として大事だと信じている。だとしても,それは逆の意味で学生を買いかぶって,配慮に欠けていたのかも知れない。

 個人が自己に対して配慮して,完全にコントロールすることは難しい。いや,不可能なことかも知れない。だとしたら,私はもっと,具体的な事柄に即して,批判的まなざしを踏まえた実践がどうあるべきかを,丁寧に示す必要があるのではないか。もちろん,それは実務家教員の方々のテリトリーであり,私がどんなに背伸びしたって太刀打ちは出来ないが,少なくとも,そのテリトリーとの接続性については,責任を持って何かしらのことを示す必要があるのかなと思う。

 修行には終わりがないものだが,私はまだまだ修行が足りないのだなと思う。

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 「教材論」の授業は,4週にわたる中間発表会に入り,担当した教材に関する調査の進捗や,その時点までで分かったことを発表してもらう。トップバッターの学生さんはとても緊張していたが,さすが他の授業で鍛えられているだけに,ちゃんとパワーポイントを使いこなして,発表をこなしていた。

 まだ十分な時間をかけられていないので,前半発表組はインターネットや図書館の文献などを探索した成果が中心となっていたが,これからもっと現実世界に切り込んでいくことになると思うので,中間報告はとても興味深く聴いた。

 他の学生たちには,コメントシートを渡して,発表内容や調査内容に対するコメントやアドバイスや質問,もっとこういうところが知りたいという要望を書いてもらいながら,発表を聴いてもらった。
 コメントシートは,振り分けてもらって,今日の発表者に渡す。こうして相互に影響を与え合ったり刺激し合ったりしていくことで,見えてくるものがあると思う。

 対象は違えど,他者の発表を実際に聴くことで自分の対象にどう迫ればよいのかヒントを得られた学生もいたようだし,調査や発表へのよい意味での切迫感を感じた学生さんもいた。発表者も,実際に発表の形にすることで,今後何をすべきか見えてきたとコメントしてくれている。

 たぶん,発表後の私とのやりとりが,少しは役に立っていると思いたいが,思っているのは本人だけだったりするので,そういう自意識はとりあえず置いといて,とにかく場が活性化するように雰囲気作りに徹する事にしよう。


 まったく異なる展開の授業を連続したコマでやるのは,面白いといえば面白いが,いろんなプレッシャーにも耐えねばならず,それはそれで大変である。

 正解がない以上,自分がベストと思うことを信じてやりきるしかない。修行は足りんわ,自己ベストを信じなきゃならんわ,今年も終わるわで,私本当にどうなるんでしょうか。人生明るい方だけ見て生きられればねぇ…。

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