スキナーの時代再来

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デジタルネイティブ時代のICT教育 (マイコミジャーナル)
http://journal.mycom.co.jp/column/icteducation/001/index.html

 いよいよ年末が近づいて,駄文を書く余裕が無くなってきたのだが,この記事を見つけて(見つけてる時間はあるのかい!という細かいツッコミは,ちょっとご勘弁を。たまには息抜きしたいのさ。),紹介せずにはいられなかった。

 インテルと内田洋行の共同研究。なにやら公立学校にパソコンを配布という報道は誤報だとか,いろいろ誤解はあったようだが,まぁ,とにかく実証実験が始まっていて,その経過報告のようである。


 この記事の後半に,このような紹介がある,失礼ながら引用させていただく。


そして、この学習システムを使ったメリットは、大きく分けて以下の2点が挙げられる。

1. 従来の手書きの書き取り練習では、教員が児童を個別に細かく指導することは難しかったが、システム上で"その場で指摘や評価を受ける"ことは、児童の意欲向上に繋がる。

2.覚えきれていない漢字を着実にクリアしてから次に進むといった、個人差に応じたペースでの学習が可能となる。


 これを読んで,ベタに,スキナーのティーチングマシンの再来というか,その現代版を忠実に実証実験しているように思えたのである。スキナーは,その徹底した行動主義的心理学による研究によって,多くを参照され,また多く批判を受けた大心理学者である。そして一応,時代遅れというレッテルとともに隅っこへと追いやられた存在でもある。

 ただ,その極めてシンプルで一貫した学問的成果ゆえに,現在でも学習心理学の分野の教科書を開けば,スキナーの「オペラント条件付け」を見つけることが出来る。結局は,無視できない存在なのだ。


 スキナー自身がティーチングマシンを考えていた時代よりも,技術的には進んでいるはずの現代において実証実験されているものの中身は,実のところスキナーの時代に人々が考えたティーチングマシンの本質と何一つ変わっていない。むしろ技術進歩のおかげで,スキナーたちが考えた理想をより忠実に具現化できているのかも知れない。

 (後日追記:僕はこれを皮肉のつもりで書いたのだが,そう読まなかった人もいたようである。もうちょっと丁寧に皮肉ると,2大企業がそんな前時代的な発想のものをやっていてよろしいんですか?と。あなた達はフロンティアで活躍する企業なんだから,もっと未来を志向してくださいよ,と言いたいのだが,そう書くと今度は2社を批判していると勘違いされる人もいるので困る。僕はどちらかというと,お互いが批判的関係でいることでお互い前進しようねと本当に思っている人である。とここまで説明してもわかってもらえない人もいるかも知れない…。だとしたらちょっと悲しい。本当のことを書くと,この駄文の真の批判対象者は,このどうしようもない記事を書いた記者の人である。申し訳ないが,こんな単純化した理解の枠組みで教育関係の記事を書こうというのは,記事の分かりやすさを理由に逃げているだけで,そろそろ弊害になりつつあると思う。)


 そのことを思うと,この実証実験を,どれだけ政治的な効果としてプラスになるようにデザインされていくのか,実はそのことが今大きな問題になっていることが分かる。記事のように「ソフトウェアが少なかった」なんてのは,ちょっと安易な分析というか,わかり易い解説で済ましてしまってるなぁという感じである。


 人間の学力を向上させるための道具は,もう何十年も前から考案され,そしてその時々の技術を使えば,いくらも実現化できるし,効果を上げるように使うことが出来る。

 しかし,この道具が使われる率を上げるためには,かなりの政治力の向上が必要になったりする。


 学力を上げるためには,政治力を上げる必要があるが,政治力が上がるためには学力が上がってないといけないし,果たして,鶏が先か卵が先か。まあ,こんな考え方も偏見めいているが,まあ,なんかそう思ったので書いてみた。ああ。


 (田中角栄に学力があったのか,政治力は学力と関係ないんじゃないかとか,そりゃまぁ,もっと丁寧に駄文を書くべきなのだと思うのだが,だから,いま丁寧に駄文を書く余裕がないので,とりあえず記事の紹介と思っていただきたい。研究者の仕事はよりよい選択肢を作り出して並べていくことなのだけれども,並べすぎて選びようもなくしてしまっているとしたら,それはまた,俺の仕事じゃないから知らないでは済まないような気がしないでもないと,心の中では思ってみたりしているのである。でも,辞めさせられた元軍服の方のように,私たちの立場は,そうは思いつつも,そうは行動しちゃいけないのであるかも知れず,そうありたいと思うなら,白衣を脱ぐみたいな,そういうことなのだろうかと,珍しく,思考のナマ状態を,ここにつらつらと書き綴ってみているのだが,あんまりしっくり来ていないのも事実だったりする。。本来ならば,こういう状態の思考を調理する必要があるのだが,繰り返すように,そういう心の余裕がないので,はい失礼します。)

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