少しくたびれて

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 修士論文審査と博士口述試験を兼ねた発表を終えました。考える事いろいろですが,終わってしまった以上は結果を受け入れるしかありません。修士の修了は許してもらえるとして,博士課程への進学は…どうでしょうね。出直してこいと言われることもなんとなく覚悟しています。

 これで一段落…,ということにはならず,明日以降も原稿やら非常勤やら仕事が待ちかまえています。でもちょっとくたびれてしまいました。周りには大勢の人たちがいるにも関わらず,孤独な作業を続けているせいかも知れません。そのことは昔から変わりませんが,ときどき気持ちがくたびれてしまいます。

 人間関係というのは不思議なもので,遠い人ほど事情を察してくれていて,近くにいる人たちほど事情を知らないものです。まあ,改まって話をする機会も無いですからね。私は人に対する関心が高すぎて,よく誤解を受けるので封印しているタイプの人間ですが,それで話せないこともたぶんストレスになっているのだと思います。


 そんなことや仕事のことをぼんやり考えてたら,また夜更かししてしまいました。さてと僅かな時間でも眠りにつきますか。

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こんにちは、林さん。
寒中御見舞い申し上げます。修士論文の提出と博士課程口頭試問、お疲れ様でした。二度も修士論文を書く…想像しただけでも、血の気がひいていきます。私はもう二度と、あんな辛い作業はできません…。

今日は勤務校の閉校記念式典です。人一人の逝き様を見送るのでさえ、悲しみを土台に、それこそ感慨無量としか言いようのない心の状態になります。ですから、1700人もの卒業生の魂のふるさとがこの世から去っていくことを、「記念式典」という名のセレモニーで簡単に片づけたくはないと思うのですが。しかし、耳障りの刺激的な、表層的な合理性を基盤に、ずるずると意志決定をしてきた日本という国のかたちのひずみが、いわゆる地勢的周縁部である地方(田舎)や、社会的周縁部にいる障碍者や高齢者・年少者などに特化して噴出していることは、この国の末法状況を示しているのか。あるいは、逆説的ですが、ミロク出現の兆しを示している=いわゆるピンチはチャンス的な状況の証なのか、どうにも一介の地方教育公務員には判じかねるところです。
知識基盤社会に生きる公民の育成なるものと、土井先生ではありませんが、YOU遊世間的な人材育成という、ベクトルの異なる実践が、まったく矛盾を感じさせずに共存する学校世界は、このやるせない世の中に生きる意欲(力ではありません)を取り戻す「場」たり得るのか。林さん、そういった「場」の創出にまつわる理論研究を、ぜひ林さんの研究の足場から発信して下さい。

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