東京という場所で-2

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 この3年間は,社会的にも様々な出来事があり,私たちの意識も右往左往している。小泉政権後,教育基本法改正につながるてんやわんやを経て,地方分権(道州制等)議論・都道府県知事への注目,米国のサブプライムローン問題とリーマン・ブラザーズ破綻を起因とした急激な経済不況,そして雇用問題。様々なイシューの発生が,国内の分断と島宇宙化をさらに進めた。

 世界ではYouTubeがスタートして,国内ではニコニコ動画が脚光を浴びネット動画視聴が当たり前化する。子どもとの関係では,ネットいじめや学校裏サイトの問題も表面化した。教員はICT指導力求められ,新しい教育指導要領の実施を求められ,学力テストにも対応し,教員免許更新制まで授かった。それでいて,学校教育に割く国家予算は子どもの減少を理由に削減するか,分権を理由に地方へ負担を委譲する方向へと進む。

 文部科学省と財務省と総務省の歴史的確執を,あちこちの審議会や地方自治を舞台に様々な人たちが代理戦争して疲弊する。マスコミの単純化によって,学術的見地さえ同じ土俵に乗せられて無力化を被る。換金可能な理系的知がだけが重視され,人文知は説教の如く受け流される。社会を相手取って政治的(キレイに言えば戦略的)に動くか,世俗とは回路を断ち切って自分たちの島の中に閉じこもるのか,あるいは第三の道を探すのか。そんな岐路に追い込まれたかのようにも思える。

 アカデミアも変わっていく。職階が「助手−講師−助教授−教授」から「助手−助教−講師−准教授−教授」へと変わった。こうした地位(アカデミックポスト)への争いは,ますます激化している。公正な比較を理由に,想定される能力尺度はますます単純化して,それに当てはまらなければ,容赦の無い蔑みがあちらこちらでささやかれる。就職を心から喜ぶこともあり得ない。道具的な関係をどうやってオブラートに包んで日々をこなしていくか。それをコミュニケーション能力だと思い込んでいたりする。私自身の心根にも,そうしたものが忍び込んでいたりする。


 3年という時間に見聞きしたこと,遭遇し直面したこと,肌で感じたことは,まだたくさんあるし,もっと明るい出来事もある。それらを踏まえて,これからどうしていくのか。またじっくり考えなければならないと思う。

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