東京という場所で-4

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 大学院の所属研究室で春合宿があった。姉妹研究室との合同ということやOG/OBの参加もあって,参加者は三十数名の大所帯である。修了式を除けば,大学院生活最後のイベントである。

 私にとって,こんな大所帯に属して行動するのは人生初めての経験だった。さらに,かつての教え子達と同じような年齢の人たちの集団だから,ある意味で,自分の振舞いを決めるのが大変難しい環境だった。

 自分の実年齢を変えることはできないが,精神年齢ならばいくらでも調節可能である。ものを知らない自分を見せることも,試行錯誤しながら成長している風に見せることも,社会人経験者として一家言持っていそうに見せることも,すべて達観していて仙人のように振る舞うことも,必要ならいくらでも演じ分けることは可能である。

 ただ,場や全体の関係性を考慮した場合に,すでに存在しているキャラクターを重複して演じる必要はないので,そういう場合は,特に何も設定しないで周りと距離を置くことが多い。場が上手くいっている限りにおいて,余計な役割を担ってまで何かをしたいと思わないのである。
 その代わり,場が上手くいってない場合には,そのことがどうしても我慢できずに前にしゃしゃり出ることもあるのだが,最近はだいぶ我慢強くなってきたと思う。


 そうして,最後の合宿は自分なりに静かに過ごせた。新顔の人たちと話してみたい気もしたが,情が増すと別れの寂しさも増すので,それは諦めることにした。居なくなれば忘れ去られる存在である。それよりはこれから一緒になる人たちで対話を増やしてもらうことの方が大事だろう。最後にちゃんとフェーディングするのが先輩の役目でもある。


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 自分のアイデンティティを言い表すならば「放浪教育研究者」なので,人間関係に深入りする機会が少ないのも,そのせいだと思っている。どこかの一派に所属しているという自覚があまりない。(すいません,あちこちに所属しておきながら…)

 呼ばれりゃ行くし,呼ばれなかったら仕方ない。いつ呼ばれてもいいように,自分なりに研鑽や精進をしておくことしかできない。ご縁に対してオープンであるためには,一方で,いろんなことに対してフリーであることも必要だったりする。


 マックス・ウェーバーが学者の世界とは「僥倖(ぎょうこう)」によって支配されているというようなことを書いている。有名な『職業としての学問』には,その他にも大学教員に関しての言及があれこれ書いてある。

 「僥倖」でアカデミックポストが決まる(学者への就職が決まる)なんて曖昧あやふやでは,公平性に欠けると考えて,公募方法や業績評価の仕方,最近では男女雇用の均等に関してルールも定められている。しかし,すべてにおいてそれが徹底されているわけではないし,そもそも,ルールを運用することや厳格に評価することはそう簡単じゃない。そこが悩ましい。

 マックス・ウェーバーの議論は,アメリカとドイツの大学を比較して語っていたと思うが,結局のところ,あまり理想を描くな,目の前のことを頑張りなさいという感じの話だったと思う(忘れちゃったので端折ってます。買って読み直そう…)。

 つまり,同じく僥倖がやって来るとしても,日々の努力をしているかいないかによって,もたらされる機会や地位などの意味が大きく異なるのだということ。それを踏まえて,職業としての学問において僥倖を受け取るにあたり,必要なことは何かを講演したのがマックスウェーバーの議論だったのかなと思っている。

 じゃあ,必要なことをしていれば僥倖がやって来るのかというと,そういうことを論じているわけじゃない。それは,たぶん人それぞれのやり方があるのだと思う。


 私が次なるご縁をいただけたのは,たぶん誰かがそういう風に仕向けてくれたおかげだと思う。実のところ,それが誰なのか,そんな誰かがいるのかも,分からないのだけど。でも,そう考えて恩返しのつもりで努力していれば,いつかまた次のご縁に巡り合うこともできるだろう。そうやって,一つ一つを繋げていきながら放浪していくのである。


 その放浪の旅路に,東京という街があったこと。そこでいろんな人たちと会えたことはとても嬉しいことだった。

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