情報: 2008年6月アーカイブ

iPhone 3G

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 ニュースでお聞き及びと思うが,アップル社が日本でソフトバンクモバイルと組んでiPhone 3Gを7月11日に発売することになった。噂のiPod携帯電話が,いよいよ日本に上陸というわけである。

 日本では,iPod Touchという製品が同じような操作性の機器としてリリースされており,だいたいの使用イメージというのは知られているところだけれども,iPhoneという携帯電話として登場する今回の機器は,携帯電話通信網を使って通信できることと,カメラとGPS機能が追加されたという違いがある。

 このような機能は,従来の携帯電話で珍しくはない。しかし,あらためてiPhoneという通信機器を吟味したとき,携帯電話とは全く違う情報端末としての次元の違う可能性が広がっていることがわかってくる。

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 現在までも,教育の現場に携帯電話を積極的に取り込み,授業や学習に活かそうという実験的試みがいくつかなされてきている。しかし,モバイル端末としての有用性は確認されながらも,端末操作の難しさや機能デザインの柔軟性の無さ,あるいは料金コストを考えた場合に,本格的な導入にはまだハードルが高いということも見えていた。

 すでに市場に出回っているスマートフォンを利用した社会人向けの学習コンテンツの研究では,一定程度の効果も認められ,あとは端末コストと通信コストの問題であるところまでいっている。

 そこにiPhoneである。

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 iPhone 3Gが注目すべき製品であるのには理由がある。これは 1) MacやWindowsと同じレベルのプラットフォームレベルの商品であるということ。2) 全世界70カ国を対象に安価($199〜)で提供されること。極端な話,この2点である。

 1)は,もっと細かい特徴に細分化できるが,とにかくタッチパネル操作によるパソコン並に高性能な携帯電話・情報端末であるということだ。消費者からすると従来のスマートフォンとか携帯情報端末との違いがわかりにくいが,この機器のためのソフト開発をするという立場から眺めると,その次元の違いは明らかである。

 2)は,そのような高性能な機器が,世界各国で安価に販売されるため,普及する程度がかなり高くなるということである。たとえば,世界の誰かとやり取りするときに,同じiPhoneだと使えるアプリが共通なので,なにかと便利だったりするかもしれない。海外での活用事例を取り込むこともできるし,逆に日本での活用事例を海外に提供することもできる。

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 いま,日本の学校は教員一人一台のパソコン整備が進められている。先生たちは教室,もしくは職員室に自分の仕事用パソコンを持つわけである。

 それが一段落するかしないかのところで,そのパソコンと組み合わせて使うデバイスに関しても未来を見据えなければならない。その際,連絡用の携帯電話としても使用でき,教育支援のための様々なアプリを開発することが期待できるiPhoneのようなモバイル端末が当然俎上にのぼってくるはずである。


 おそらく,あちこちの研究グループがiPhoneの教育利用に関するアイデアを練っていることだろう。これまでの機器とはその操作性も開発環境も,そしてコストの問題さえ一線を画してしまう。そんな可能性を持った機器だからこそ,ごくごく普通の教育実践を支えてくれる有能なツールとして活用できることが期待されている。


 まずは学校現場でのiPhone活用の可能性を模索する研究プロジェクトがいくつか登場するだろう。授業の中で子どもたちが使うツールとして,また教師にとっての公務支援ツールとして。

 それから,高等教育では学生にiPhoneを支給するところが出てくるだろう。入学生にパソコンやiPodを支給するのと同じ調子で,最初のうちならiPhone支給が宣伝上も効果的である。語学教育用のツールとしても,学生支援や学務の大学ポータルサイトへのアクセス端末としてもかなり理想的だ。Microsoft Exchangeを活用する手もある。

 塾や通信教育業界も,Nintendo DSと同じようにプラットフォームとしての可能性を見逃さないだろう。アプリの開発によってタッチスクリーンや傾きセンサー,カメラやGPSなどを利用したDSとはまた違った教育ソフトを提供することが可能になる。

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 携帯電話との親和性が比較的高い日本における活用事例は,きっと世界的にも注目を集めるはずだし,世界に情報発信するよいきっかけになるだろう。時間はかかるかもしれないが,大きな変化が起こり始めると思う。
 それだけに,先日のNEW Education Expoの雰囲気が,世界を先取りするどころか,自分たちの目標にすら到達するのに四苦八苦している状態であることを憂いでしまうのだ。杞憂であればいいが。