日記: 2009年2月アーカイブ

撤収準備

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 実家でしばらく両親と過ごしてから,東京へ戻ってきた。たぶん,今後ゆっくりと一緒に過ごす時間もなくなるだろうと思ったためである。東京に戻れば,こちらの生活や仕事の撤収作業に取り掛からなくてはならない。


 さっそく,春以降の職場から担当して欲しい授業科目の連絡があった。

 「教育学」に始まり,「教育方法・技術論」「情報検索演習」「栄養情報処理」「情報リテラシー」「PCデータ活用実習」などなど,何でもやってくださいね,という多彩なリクエストである。都合のいい教員になってやしないかとご心配の向きもあろうと思うが,何事も最初のスタートラインはそういうもの。落ち着いたら,やりたいことをやればいい。

 そんなこんなの就職活動が今まで落ち着かず,そしていまも細かいところが落ち着かない。特に引っ越し作業は頭痛の種だ。東京から徳島という遠距離引っ越しにかかるコストは馬鹿にならんし,部屋探しもまだこれから。数千冊の蔵書を置けるくらいの研究室が与えられるのかどうかもまだ分からない。そして,上のような授業の準備もしないといけないし…。

 一人旅行くのは慣れているが,一人引っ越しするのは大変である。


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 それにしても,私は節目ごとにバッサリと環境や居場所を変えるので,人との関係が中途半端になりがちである。常に距離が縮まらないというか,ずっと一緒には居られないというか。それはそれで寂しくもある。けれども,ご縁がある人となら再度ご一緒できるはずであるし,そうでないならご縁がなかったまでのことだと覚悟している。

 一方,新しい環境に慣れるのは,大変ではあるが,楽しくもある。新しい人たちや新しい出来事に出会えるのは,嬉しいことだ。不安がないわけではない。けれども,それくらいは乗り越えないと。


 山岸俊男『日本の「安心」はなぜ,消えたのか』(集英社2008.2)をぽつりぽつりと読みながら,あらためて自分自身の集団主義や個人主義に対する考え方を見直してみたりしている。この本では,安心社会から信頼社会への移行が必要でありながら,日本人は上手く信頼社会に乗れていないことを指摘していて,他者への不信ではなく,他者への信頼によって信頼社会を定着させるために必要な考え方を提唱している。

 とにかく,少し肩の力を抜いて,柔軟に対応できるように心がけよう。

慌ただしい休日

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 あちこちの仕事の連続がやっと途切れた。一休みできるかというとそうでもなくて,大学院に出かけたり,家で宿題だった原稿を書いたり,久しぶりに駄文も書きたかったし,溜まりに溜まった洗濯物をやっつける必要もあった。

 部屋の掃除もしなければならないと思い,台所の可動式の棚を拭いていたら,棚が外れて,たくさんの食器が割れてしまった。その上,その拍子にお湯を出していた蛇口の向きが変わって,流し台の外側へ。しばらく気がつかず,部屋の一部が水浸しになった。他にもやるべき仕事があるのに…,まったく,慌ただしい日々である。

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 私製サバティカルの3年間が終わりそうなことは幾度か書いている。あれこれ就職活動をしていることも隠す必要はないだろう。春以降の予定が決まるのは,まだ少し先なので,どうなるのか今は正直分からない。

 春以降がどうなるか別として,懐具合は自動的に3年でシャットダウンすることになるので,残りの一ヶ月半の東京生活を楽しまなければならない。生活の場所となった東京は,あらためて観光しなくなるので,あちこち楽しんでいないのである。


 私はディズニー好きだが,東京ディズニーランドに行ったことがない。

 幕張メッセやメディア教育開発センターに用事があるとき,もっとも近くを通りすぎるのだが,降り立ったことがない。東京に住んでいてもその程度なのである。

 銀座や表参道,西麻布なんかで贅沢な食事をしてみたいと夢見たものだったが,貧乏人にはなかなか難しい。もっともお金の問題よりも,貧乏性が問題なのかも知れないが。

 横浜も遊びに行く機会が無かったなぁ。湘南海岸とか江ノ島とか,歌の世界に出てくる場所に憧れたのに,ちっとも出かける機会が無かった。ああ,夏は終わってるよ,とっくの昔に。

 日光なんかにも行ったことがないなぁ。妹によれば,なかなかよい場所だそうだ。しまったなぁ,ゼミの合宿,日光に投票しておけばよかった…。

 屋形船も体験してないなぁ,江戸の諸々を楽しむ余裕がほとんどなかった。芝居もほとんど観に行けなかったなぁ。悔しいなぁ。


 まあ,すべてを制覇することは土台無理だが,少しずつでも東京観光を達成しようと思う。

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 これから何度も繰り返し書くことになると思うので,読む側の皆さんには本当に申し訳ないのだが,この3年間という時間で起こった出来事は,私にとって夢のようなことばかりで,本当に有り難い時間だった。もちろん,それと同時に様々な方々にご迷惑をおかけした日々でもあった。

 そうした事柄をすべてひっくるめて,本当に3年間は楽しかった。


 4年目以降の選択肢としては,1) 東京に何らかの形でとどまるか,2) 愛知の実家辺りに戻るか,3) 別天地へ行くか,という3つが考えられる。(※本当に何も確定していないので,ここからは想像の話である。数週間のうちにきっと予定が確定すると思うので,今はまだご心配なさらずに。たぶん ^_^;)


 このまま何もなければ,2)実家辺りに戻る,という選択肢が有力馬。就職活動次第で,1)か3)になるという感じである。

 東京に住み続けられれば,それはそれで嬉しいが,この高コスト都市で生活するのは大変である。まあ,3年も住んだので,だいぶ気は済んでいる。東京はたまに来るのがよろしい場所だ。

 実家に戻れば,蔵書も待っているし,とりあえずは住む場所を確保できるだろう。いくらか財産処分すれば,もう少しくらいお金はなんとかできる。非常勤を紹介してもらって,日常に埋もれるのも悪くない。

 別天地へ出かける選択肢はもちろん捨てがたい。仕事辞めて東へ飛び出したんだから,今度は西へ飛び出すのもいい。大阪に住めば,三大都市制覇になるし。といっても,先立つものが無い以上,今回ばかりはハードルが高い。いっそのこと,海外に飛び出してみようか。残りの人生でパックパッカーするのも悪くない。


 いやぁ,男(もう直)38歳にして,まだまだ人生いろんな選択肢があるものだ。コラ,そこで油を売っている20代よ,可能性を閉ざすな。そして,いつでもワクワクせよ。まだ世界は冒険に満ちている。