教育: 2008年11月アーカイブ

 映画「未来を写した子どもたち

 文部科学省特別選定作品だからってわけじゃない。ワークショップとは何なのか,考えさせられる作品。

 彼の国の子たちにとってのカメラは,私たちの国の子たちにとっての何になるのだろう。

 次期アメリカ合衆国大統領であるオバマ氏が政権のチーム作りに励んでいることは報道などでも知られている。その政権における教育政策ワーキンググループの正式スタッフとして,スタンフォード大学のリンダ・ダーリンハモンド(Linda Darling-Hammond)女史を起用したらしい。(サンフランシスコ・クロニクル記事

 ところでダーリンハモンドって誰?という皆さんもいらっしゃるかも知れない。

 ダーリンハモンド女史は,教育研究者であり,スタンフォード大学に在籍している。教師や学校研究の分野では第一線の人である。そのような教育学者が,選挙中のオバマ氏の教育関係政策ブレーンとして活躍していた。

 そして今回,来年からの新政権におけるワーキンググループでの起用も確定したようだ。ただ,どうやらダーリンハモンド女史については,教育長官への推薦が各方面から強く出ており,彼女の登用如何が今後のアメリカの公教育を大きく左右すると考えられている。


 記事にも書かれているように彼女は「a teacher-friendly」な教育研究者である。それゆえに教師研究や教師教育・学習研究における様々な知見を積み上げて,世界的な影響力を持っているわけだ。

 ところが日本の文脈だとティーチャー・フレンドリーってだけで,構えてしまう人が多い。おまえは教師寄りなのか,組合の味方なのかと,すぐさま勝手な筋書きをつくって,敵視や排他的態度をとる人たちがいる。

 そういう誤解は,丁寧に議論をして解くべきだと思うが(某政治家の発言とか,あれやこれやの議論は,すべて丁寧さが足りないことから誤解が生まれている分,余計な労力を使っているのである),いずれにしても,教育を支えていく主体の一方である「教師」にとって,その専門性を支えるための「思慮深い支援」が必要なのである。


 アメリカは,世界が認めている教育研究者を教育政策の中枢に据えることで,その「思慮深い支援」に向けて動き出す準備をしているのである。

 とはいえ,教育政策や行政に関わるということは,政治ゲームを戦うということでもある。とにもかくにも,ダーリンハモンド女史のお手並み拝見といった感じだ。

【講義後記】20081115

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 非常勤講師先での講義も4回目となり,気がつくと日付も11月半ばとなっていた。授業の展開としては,ぼちぼち深みにはまるところに誘わなければならないが,相変わらず回り道をしているので,展開が強引になっているかもしない。

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 「初等教育の内容と方法」では,先週の番組鑑賞についてフォローした。非正規雇用教員の問題は,悲観的な側面が大きい。しかし,非正規雇用教員と括った中には,時間単位で勤務する非常勤講師だけでなく,年間契約の専任講師も含まれている。それぞれの立場において苦しい面と,あるいは,妥協できる面があったりもする。
 要するに,構造的な問題として解決しなければならないという問題の捉え方と,現実的にはその役目を引き受けなければならない立場に立った場合の捉え方を,単純に一緒にしてしまうのは,それも少し乱暴というわけである。もちろん,一方の問題が他方の問題への認識を曇らせてしまうことがあってはならないのだけれど。

 それから,ようやくテキストを使った授業に入った。テキストを使うというのは難しい。基本それに準じるとはいえ,その通りなぞるだけなら予習か復習で淡々と読んでくれればいい話であって,生身の講師が90分の時間,多くの学生を拘束する意味がない。とはいえ,実際にはテキストを熟読して授業に臨んでくれる人は少ないし,読んできても理解が十分でないのが前提だから,どうしても授業中にテキストをある程度なぞることになる。

 「なぞる」なんて書くと簡単そうだが,実のところ,なぞることほど難しいことはない。下手になぞれば,単なる棒読みになりがちで,お昼ご飯を食べた私たちには,子守歌以外になりようがない。
 そこで,一生懸命,単調にならないように抑揚をつけたり,話を脱線させたり,突然読むところを飛ばしてみたりと試してみるのだが,あれ何だろうね,眠たい時ってのは,つねられても眠気が消えないものである。

 ただ,考えてみると,この日はテキストを使うぞとばかり張り切っていたものだから,教室の温度がかなりポカポカであることに気がつけなかった。最後に書いてもらったコメントによれば「今日は教室が暖かすぎました」とか「エアコンの温度下げて欲しかったです」という意見が多数。ははは,それは授業中に言って欲しいなぁ…。

 とにかく,テキストを駆け足で眺めながら,必要な箇所について指摘したり,ポイント解説したりして,あっという間に授業時間が過ぎてしまった。次回は学生たちもテキストを少しは意識してやってきてくれるだろうから,ビュンビュン飛ばしていきましょう。

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 「教材論」の授業は,各学生が調査する教材や教具などの対象を決定し,似たような調査対象がある者同士でグルーピングを行なった。基本的には個人による調査課題なのだが,協力できるところは複数で取り組んだ方がいいし,他者の進捗や取り組み具合を知ることはよい刺激にもなるはずなので,そのような活動形態にした。


 調査対象は,電子辞書から始まって環境デザインまで様々。ちょっとちょっと,教材論なのにとお思いかもしれないが,まあ,世の中何でも教材になりますよってことで,かなり幅広く扱っている。

 オーソドックスに教科書について調べたいと考えている人もいるし,教材マンガと少年マンガの比較や,競合通信教材同士の比較,市販の参考書の傾向調査,NHK教育テレビの番組や組織について,福祉機器の現状,学校の教室の机などの配置や,掲示物の構成について,あるいはゲーム教材や廃材などを教材化する方法といったことまで,本当に多岐にわたる。

 やり始めてわかったが,卒業論文指導みたいな感じになっきた。もちろん,現時点では問題設定がおおざっぱだから,卒業論文テーマにするには,いくらもダイエットが必要だが,もしかしたら,何人かの人にとっては今回の課題が卒論に役立つかもしれない。そういう想像をすると,だいぶ楽しくなる。


 学生という身分は,学ぶことを正式に許されているわけなので,実際の企業や外部の人にコンタクトをとって教えを請うたり,協力していただくことも,やりやすい立場である。さらに「授業の課題なのです」という口実が付け加えれば,なおのこと外部の人に協力を要請しやすいだろうということで,積極的にコンタクトをとりなさいとけしかけている。

 もちろんご迷惑をおかけしてはならないが,何かあったときには私が責任をとる覚悟なので,是非とも学生のうちに,いろんな社会人と接触して欲しいと考えている。僕らは世界の騒がしさや賑やかさに対して,圧倒的に経験不足だと思う。まして,最近は学生もバイトやサークルやらで忙しく,世界に向けて出かけられていない。あくまでも教材論という切り口でしかないが,授業の中で社会と接触してみることは,結構意味のあることじゃないかなと思っている。


 「教材論」に関する教科書(テキスト)というのは,実は(教育学の分野では)あんまり無い。原理について語っている論文や文献が無くはないものの,教員養成課程における教材論の素材としては,すべてを埋め合わせるものにはなり得ない。だから,世間一般の教材論の授業は大概,教科との関連において具体的な教材づくりや教材分析に関する議論を行なう。

 あるいは,コースデザインとかインストラクショナルデザインといった知見を援用して,学習内容(コンテンツ)がどのような機能や構造を持っているのかを見通し,デザイン原理に基づいて開発する様を学んだり実践する授業もある。
 こちらは,教育工学の様々な知見も豊かで,確かに学習プロセス(教育システムまでも)を見通した上でコンテンツ開発について学べるので,大変賑やかではある。
 ただ,どうしても僕には,理論的な議論としては(教材論なのだから)わかるとしても,実際に論を動かそうとするときに使う筋肉が違ってきちゃう気がして,中核としては扱えないでいる。担当しているのが,教材開発者養成講座とか,人材育成担当者養成講座だとかならわかる。でも初等中等教育教員養成なので,使う筋肉は違うはずなのだ。

 というわけで,教科にも紐つかず,教育工学からも逃れて,初等中等教育段階に関係する教材論を語ろうとするとき,そんなものがあるのかどうなのか,実のところ,誰も示してくれてはいない。
 そういう,未開拓みたいなところに,コソコソ出かけていくのが好きなので,任された学生たちを連れ立って,旅に出ているというわけである。

 今回,学生たちが頑張って調査してまとめてくれる内容が,なかなかのものだったとしたら,きっと生きた「教材論」のテキストになるんじゃないかなとひそかに期待を寄せている。こんなに多彩な教材教具を一遍に扱った教材論のテキストは,そうはないでしょ。
 取材先がある場合は,先方の許可も必要だし,学生たちの賛同も必要だが,みんなの成果をWebなどで公開できたらと思う。それこそ教材を作った「教材論」というユニークな授業になるな。

 どうかそのときまで,体力と気力が残っていますように…。

【講義後記】20081110

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 名古屋へ寄ったり,静岡に研究調査へ出かけたり,慌ただしい週末を経て,本日も非常勤先で教育関連の講義。せっかく指定したテキストを使って,淡々と授業をしようかと思っていたが,まあ,どうしても先日のNHK「クローズアップ現代」を活きが良いうちに皆で見たいと思い,ビデオ観賞会と相成った。

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 自治体の厳しい財源事情を背景とした非正規教員への依存の強まり。しかし地方によっては,非正規教員の確保にも難儀することで,授業に穴を開けてしまう事態が発生している。番組は,とある中学校現場等を取材し,非正規教員の実態の一例を紹介している。収入や雇用の不安定。そのような非正規教員の増加が,非正規教員本人はもちろんのこと教師集団や正規教員への負担増加をもたらし,学校教育自体のポテンシャルを削いでいる現実。深刻な問題である。ゲストは,教育社会学者である藤田英典先生。


 正直,このような内容の番組を教員志望やそこで迷っている学生に見せることに,いくらか不安はある。現場の厳しい現実を見てしまうと,考え込んでしまうんじゃないか。教育に関わる意欲を失わせてしまうのではないか。あるいは,こういう泥臭い側面を扱うことは望ましいのかどうか。
 むしろ,いかに教師という仕事が誇り高いもので,子どもたちの可能性と進歩成長は大きな喜びであるか。そのための困難に立ち向かえる教師力量を形成するために自己研鑽していくことに意欲的であること。そこにフォーカスし,教育内容や教育方法の知識を講義すれば,それで私の役目は十分なはずである。

 けれども,そんな風に笛を吹いて教育の世界に誘っておいて,「あとは自分で現実を知ってね」ということが後ろめたく思える。少なくとも私自身が非常勤で働いている手前,見えているものを見えていないふりをすることが難しい。
 だったら,むしろ現実の一側面をしっかりと認識してもらって,その上で悩んでもらい(最近「悩む力」もブームだし…),乗り越えてもらった上で,教育に携わって欲しい。そういう気持ちで,こういう問題を扱うのが私の流儀である。

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 前回の授業で,カリキュラムが,国レベル,地方自治体レベル(都道府県/市町村),学校レベル(学校長/教師)において具体的な形で決められていくことを説明した。少々乱暴だが,今回の番組が扱っている主題も,実はそれぞれのレベルで展開した政治的・財政的な問題の絡み合いによって起こっていることを解説してみた。
 学習指導要領や教育課程を作り教育を運営・実践していくという動きの土台のところで,資金や権限に関する影響力の及ぼし合いみたいなものが激しく動いている。そのことに無知でいることよりも,自覚的であるべきだと思う。

 多くの学生たちが,自分たちの身近なあるいは,進み行く先で起こっている問題として,強い関心を持って番組を見ていた。ビデオ上映は大いに眠気を誘う手段だが,ほとんどの学生が食い入るように見たり,メモを取りながら見ていた。私も番組進行中の横で,必要な事柄を板書していた。


 少なからぬ学生たちが「ショックであった」とか「知らなかった」など,危機意識を持ったとコメントしてくれていた。特にもともと地方から出てきた学生たちは,自分たちの地元の実態がどうなのかを気にしていた。また,実際に自分たちが通っていた中学高校の先生に非常勤講師がいたり,自分のサークルの先輩が非常勤講師だという人もいて,番組の内容と自分の現実とを繋げて考えている人も多かった。


 国や地方自治体がやっていることにやるせなさを感じるのは確かである。一方で,それを無視して教育に情熱を注ぐという生き方もできるとは思う。いまは,問題があることを認識した上で,それでも自分たちを励まして,教育に意欲を持って関わっていくことを励まそう。でも,その現実は必ず何かの機会に変えていくことができるはずだ。第44代アメリカ大統領にオバマ氏が選ばれて,世界も変化に前向きだ。私たちもそうした世界の流れから学ぶべきことがある。


 タイムリーな話題や番組を使って,そんなような話を展開した。さて,これからがいよいよ専門知識の出番だ。厳しい現実の中で,頼りにできるのは,自分自身の知識だけである。そのような知識を得て,はじめて知識を媒介とした人々との連携も可能になる。そして教師という仕事は,そのことに関して常に誠実であることによって喜びを得ることができる。もちろん具体的には子どもたちとのかかわり合いという形に落とし込まれていくわけだが,それも教師自身の学びによって支えられているのである。そんな先生の育成に少しでも役立つ授業になればと思う。

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 もう一つの授業の方も,個人個人の課題決めをして,いよいよ具体的な行動に移すよう仕向けていく。調べたい教材教具を決めて,調べる項目についてラフに考えたもらった。次回は,予備調査報告として,この一週間で対象をざっくりと探ってもらって,その報告をしてもらう。面白そうなら,より深く調べていくことになる。

 題材決めから調査の内容,調査対象へのコンタクトまで,ほとんど学生たちに自前で頑張っていただくことになる。その成果をうまく発表などで披露してもらい,全体で共有していく中から次のステップや行動に結びつけていくように授業の場をコーディネートしてくのが私の仕事。どちらの努力も欠けてしまうと上手くいかない。頑張らねば。