雑記: 2008年10月アーカイブ

日本賞の夜に

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 すでに開催期間がスタートして,いくつかの催しも済んでしまっているが,NHKが中心になって動いている「日本賞」が開催中である。今日は学生セミナーもあったようだ。今年は残念ながら参加する余裕はなかった。

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 とはいえ,遠方からセミナー参加に来た他大学の学生さん達との交流会があるというので,皆さんにはお世話になったこともあるし,担当の先生にもご挨拶をしたいと思って,誘いを受け,気晴らしも兼ねて渋谷へ出掛けた。

 連絡の行き違いで少し遅れて到着すると,たくさんの学生さん。勢いに負けないように,少し昔を思い出しながら,あれこれ楽しく交流した。卒論や修論に取りかかっている者に共通する悩みなんかを意見交換できて,刺激を受けた。

 さてと,明日は非常勤先の授業。一週間は速い。

 「201号室の加藤くん,201号室の加藤くん,お電話です。至急事務室まで来てください。201号室の加藤くん,お電話です。事務室まで来てください。」

 15年ほど前まで,寮に住む大学生に電話連絡すると,こんな風に放送で呼ばれる風景があった。まだ携帯電話が業務用でしかなかった時代である。ひとり暮らしの学生にとっては「固定電話」を契約することがまだステイタスになっていたのである。


 ちなみに,冒頭呼び出された加藤くんに電話をかけたのは女性である。もしも男性がかけてくるとこうなる。

 「201号室の加藤くん,201号室の加藤くん,電話です。至急事務室まで来てください。201号室の加藤くん,電話です。事務室まで来てください。」

 僕らは,そんな細かいニュアンスを,電話の呼出しという付随したやりとりの中に込めて,コミュニケーションをしていた。ある意味では,勝手に場に巻き込まれて,みんなで楽しんでいたのである。

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 「安藤さん,外部からお電話です!」

 声の届く大きさのオフィスなら,受話器の口を手でふさいで,同僚の名前を呼ぶ。

 今なら当たり前の内線交換機のようなシステムが普及していない時代は,全部が同じ回線に繋がった電話を先に取った人が出て取り次ぎ,相手の希望する人物が別の電話の受話器を取るのを確認してから,自分のとった受話器を置く(タイミングがずれると電話が切れてしまうから)。

 そうやって,同じ空間にいる人間の様子を確認するのは自然なことだったし,電話が終わると「○○さん,ありがと!」と取り次いでくれたことに礼を言うのも当たり前だった。そこから「どうお昼食べに行かない」とか,コミュニケーションが展開することもある。また,「誰からの電話だよ」という詮索に対しても,誤解を受けないように電話を受ける術を工夫したりする術を磨くことにもなった。

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 「え,あの,えと,まり,さん…いらっしゃいますか…」

 「君は誰で,まりに何か用かね」

 好きな人の家に電話をかけることが,どれほどの緊張を強いるものなのか,説明はいらないだろう。そうでなくても,本人にたどり着くには,大きなリスクが待ちかまえている。

 「あ〜,あの同じくクラスの○○です。学校のことで…」

 「明日じゃダメなのかね」

 大人の考えていることはわからない。なんで素直にまりちゃんが出てこないのか?あなたと話したい訳じゃないのに。

 それでも,障壁が大きければ大きいほど,相手への思いは増すばかり。僕らの時代は,本人にアクセスするのが困難なのは当然だったし,伝えたい想いが伝わらないことは日常茶飯事だった。

 リスクを冒して電話する本人も,様々な障壁の向こう側にいるまりちゃんも,想いを察してからかうクラスメートも,みんなある意味,正直だった。そしてそれぞれ,不器用だった。

 「用がないなら,切るぞ」

 「はい,すみません…」

 「(ガチャ)…プー,プー,プー」

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 同じ空間にいる人への配慮は日常的だった。けれどもそれは,裏を返せば,息苦しくて窮屈な気遣いと言えなくもない。だから,みんなが適当な距離感を欲していたのだろうし,そして一方でコミュニケーションの煩わしさから解放されたいとも思っていたのだろう。

 ポケベルに始まり,やがて携帯電話とメールが,人びとの隙間に入り込み,物理的距離の縛りをバッと緩めた。それは同じ空間に居ながら適度な距離をつくることにも貢献したけれど,やがて,同じ空間に居ることの重要性やその場のコミュニケーションを忘れ始めることにもなっていった。

 携帯電話は,同じ空間に居る人びとのコミュニケーションに,好き勝手に割り込んでくることにもなった。言葉によるコミュニケーションが行なわれていないからと,携帯電話を確認したり,メールを打つ行動をとることは,当たり前になってしまった。けれども,それがどの程度許容されることなのか,いまだにコンセンサスが形成されたとは言い難い。


 「情報モラル」というものを考えるとき,私たちはどの時代の意識までを踏まえるべきだろうか。インターネットも携帯電話も当たり前になり,今後も消えゆくことはないことがハッキリとしているからといって,かつての時代性や世界観を閑却してしまってよいものなのだろうか。

 少しだけ,昔話を思い出すことにしよう。

 日本教育工学会が上越教育大学で催されている。初日は一般発表とシンポジウムが2本行なわれた。今日は午前中に一般発表と,午後に全体会やシンポジウムがある。

 昨日のシンポジウムについて,関係者の方々の感想などが,いくつかブログにアップされ始めている。私は,昨年から継続のテーマである「実践研究をどのようにデザインし,論文にまとめるか」の方を見に行った。

 今年はお口チャックを誓って参加したので,ひたすら議論を聞き入る。

 コンビは呆けと突っ込みが入れ替わった方が適切な場合があるが,それをシンポジウムにあてはめれば,今回はその典型だったかも知れない。適切な人選と役割分担が功を奏した。そして,大変教科書的な学会シンポジウムが展開した。
 もちろん,この「教科書的な」という言葉は,(ここは教育ト書きなので)何重の意味があるが,本当に文字通りそんなシンポジウムになっていたので,多くの人びとにとっては満足のいくものだったと思う。

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 実践研究に限らず,研究のデザインをどのように取り組み,どう作品としての論文に仕上げていくのかは,研究を生業にする人びとにとって関心の高いテーマである。

 だから僕らは大学院の授業で「研究法」を履修する。ただ,この手の授業は,実際のところその内実が千差万別である。分野領域によって異なることは当然としても,同じ領域にもかかわらず,力の入れようは授業ごとバラバラだったりする。

 僕は教育学の分野を学んだこともあって,宗像誠也の『教育研究法』を少しだけ読んだことがある。本当に少しだけで,そのうえ長い時間が記憶を消し去っているのだけれど,先達は,研究のデザインについても論文のまとめ方についても,ちゃんと(その人なりの言い方ではあるけれども)語っていたりする。

 知っていても,出来るわけではない。けれども,「知っている」状態になることは,本を読めば比較的容易である。ならば,「知っている」状態くらいは,みんな教科書を読んで知っておこうよ。僕はそう思う。

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 シンポジウムは,学会においても注目された論文や研究を事例として,その裏側を語ってもらいながら,どのように実践研究をデザインしていくべきか,そして論文として落としていくときの流れが概観された。

 それ自体は,大変教科書的な話だった。

 そのような過程で,査読に耐えうる研究論文として落とし込む際に直面する困難とは何か。それを実際の研究事例とそのご本人に登壇してもらって明らかにしていったという意味では,大変興味深いケーススタディであった。

 そういう意味では,学会というシステムの中で研究成果を出す,ということの教科書的な話だった。

 今回のシンポジウムは,会の進行もスムーズだった。学会のシンポジウムが,報告者とコメンテーターとの緊張関係を上手に素材としてフロアに見せながら進行させるものであることを「やってみせて」いた。フロアからの発言を求めたら,誰も手を挙げず,結局,大御所の先生方にお願いをするところも,ある意味ではオーソドックスな展開だった。

 シンポジウムの進行という意味でも,とても教科書的な会だった。


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 研究上で追究する「モデル」とは何か。それは誰のためのものであって,どのようなものとして形作るべきか。そのような問いかけも,今回のシンポジウムで出たもう一つの大きな問いであった。

 ただ,これも研究を生業にする人間なら,誰しもある種の立場を決定しなければならない基本問題である。そのことをシンポジウムの場で問題として扱っていたのだということに,僕は正直驚きを憶えた。そんな問題,昨年の段階で何かしら前提があったことじゃないのか?もしかして,原点回帰?根本問題は,やはりいつまでも根本問題?いままさにそれをみんなで論じる時期や機運がやってきたのだということ?

 21世紀に入って,それが問題なのだと,ようやくみんなが意識しだしたというなら,僕は,正直,昔からそういうことばっかり考えていて疲れちゃったので,苦笑いするしかない。

 たとえば,省察的な実践を唱えたショーンが,関連書を書いたのは1983年頃である。すでにその当時から,実証主義についてはいろいろ議論されていたし,あれこれ反省のもと模索が試みられていたはずである。
 複雑系に関するお話しも90年代に盛り上がった時期があった。そうした,従来までの問題枠組みの限界と,今後どうすべきかを議論すべきであるという問題意識は,とっくの昔に持たれていてよいはずであった。

 残念ながら,最新のトピックスが全体に広まるにはタイムラグがある。5年で広まれば早いほうだ。10年20年かかっても,何も広まらないかも知れない。問題共有が大事と方々の発表で語っていても(そして私自身の研究でも語っているが),当の学会が問題を共有するには時間がかかる。だから,そのことについては,諦めるほか無いのかも知れない。


 だから,今回のシンポジウムは,私たちの学会が直面している問題はこれなんじゃないの?ということを示すという意味でも,なんだか教科書的なシンポジウムだと思えた。


 これは世代間の認識落差の補完?異なる領域の人びとが集うがゆえの共通認識の形成?日々の仕事や研究で忙しくて,かつて「教育法」で学んだか学ばなかったかで忘れてしまった知識の復習?


 僕はお口チャックする必要はなかった。チャックしなくても,僕はポカンと口を開けて状況に驚くだけだった。