20181127_Tue

Amazonプライムビデオに『ウエストワールド シーズン2(字幕版)』が追加された。

シーズン1を見てアンソニー・ホプキンスの名演とともに作品として気に入ったので、続編も期待して一気見してしまった。

目まぐるしい場面切り替えの映像構成手法は前シリーズに負けず劣らずといったところ。物語に入りきらないと、それだけで脱落してしまうかも知れない。

せっかくの脚本を味わうにはネタバレとの接触は極力避けた方がいいが、哲学的な要素を中心に据えた物語になっているので、SF作品につきものの技術的な飛躍や有り得なさみたいなものはあまり気にしないで見ることをお勧めしたい。

出来映えは、続編として及第点か。シリーズ1の世界観の続きを楽しめる人は「そうきたかぁ」と言えるが、それにしても要素が多くて大変だし、新鮮さが薄れている部分もあるので、人によって評価は分かれそう。私は好きだけれども。

シリーズ3の製作が決定されたようだが、さてどうなりますか。

20181126_Mon

授業と学生対応。

教育方法・技術論は,インストラクショナル・デザインについて。ガニェ『学習の条件』に書かれた事柄を紹介した。「学習成果の5分類」や「9教授事象」は定番中の定番か。とはいえ,これをビギナーに解説するには,具体的な場面を想起させながらでないとなかなか難しい。分かってしまえばなんてこともないが,そこに至るまでの橋渡しはこちらの仕事だ。

職場の大学院の試験業務と,ゼミ3年生が研究室にやって来て卒業研究に向けて相談してくれたので,それ関連の雑談などをした。

20181124_日本教育メディア学会

日本教育メディア学会年次大会初日。

鹿児島大学附属小学校での公開授業から始まった。4年生の総合的な学習の時間で「附属小学校の伝統を伝えよう」という単元。附小クイズを作成して,クイズに解答してもらう活動を通して学校の伝統を知ってもらうことを目指していた。

その際,選択クイズを出題するツールとしてScratchを利用し,そのプログラムの流れを考えるのが今回の授業であった。

選択問題のScratchプロジェクトを作成する際,回答に応じた処理が必要となり,「分岐」という考え方と「もし」ブロックの利用へとつなげていく。授業案で想定されていたのは,そのような展開である。

子どもたちは,前時よりペアになってクイズのプロジェクトを進めており,問題と回答に応じて表示する画面などはすでに作業が終わっているものの,回答に応じて表示するための処理は分かる子達以外は組み込めていないという状況だった。

伝統を低学年に伝えるためのクイズ作成という軸はぶらさずに,選択クイズをプログラミングしていくわけだが,ペアごとにブロックの組み立て方がバラバラなので,たとえばキー入力待ちの処理のしかたも,「ずっと」ブロックを使うペアあり,「○秒待つ」ブロック後に「もし」ブロックでキー判定するペアあり,そのまま「もし」ブロックを使っているペアあり…と動くものもあれば動かないものもあったりする。

今回の授業では,回答によって結果が変わることの必要性と「もし」ブロックの存在を知ることがひとつの目標だったが,限られた時間でプログラミング活動をする難しさみたいなものをあらためて感じた授業だった。

その後は一般発表と鼎談企画へ。

一般発表では「プログラミング」関連を聞いていたが,やはりまだまだ模索段階にあるなぁと感じた。その模索を否定したいわけではないのだけれど,ある程度厳しい問いに晒しながら進めないと,ごっちゃに受け止められてしまう懸念もある。

鼎談企画は「教育メディアのこれまでと展望」と題して,日本教育メディア学会と学会紀要の論文の歴史を振り返りながら語るもの。

教育と情報の歴史研究に携わっている私としては,興味津々のテーマと内容であった。携わっているといっても私自身は教育とコンピュータの領域から取りかかっているため,視聴覚教育の領域に関しては学ぶことばかりである。

学会前身の「視聴覚教育研究協議会」の第1回が1954年に行なわれた際,「わが国における視聴覚教育の現状」として「放送教育」「映画教育」「幻燈教育」「紙芝居教育」「視聴覚教育資料」「視聴覚教育の諸問題」「The Use of Audio-Visual Materials in the USA」といった立場からの発表があったという。こうしたキーワードから過去について,また今後の展望についていろいろな語りが出ていた。

その中ではかつての「西本・山下論争」を振り返って,昨今では「論争」があまりないこと,学会でもっと論争すべきといったご意見もあった。

ただ,論争がないというのは,多くの人々が注目をする論争のための場がないだけで,細々としたところでは異論を唱え合っているという事態は進行している。学会という場が論争の場になるためには,そうした言論空間の時代変化に対応していく必要があるだろう。

今回は学会史の序盤だけで終わった感じである。

そして,来年の年次大会で続編を企画しようかという話も出た。教育と情報の歴史研究会も再始動させて,徳島でも歴史を振り返る機会を持てるようにしたい。

20181123_Fri

日本教育メディア学会の年次大会参加のため鹿児島へ。

朝から自家用車で神戸空港に向い,そこから飛行機で鹿児島空港に移動した。前回,鹿児島に訪れたのは2001年みたいなので,17年振りということになる。

鹿児島空港からバスで鹿児島中央駅へ。鹿児島のランチを検索して,黒豚とんかつの美味しいお店があるとのことなので降り立ったバスターミナルからトコトコ歩いて「黒かつ亭」。行列には並んだが,とんかつ自体は美味しくいただいた。

学会理事会は8期が終わり9期へとバトンタッチ。

変わり種として身を置かせていただいていた私も理事の任を解かれ,唯の学会員に戻った。と思ったら,あんまり仕事してなかったことがバレたので,来年度の年次大会の開催担当をする宿題が課されて,期間限定の理事招聘をいただいた。

というわけで,2019年度の年次大会は徳島である。

2019年11月2日(土),3日(日)に徳島文理大学の徳島キャンパスで日本教育メディア学会の第26回年次大会を開催する。

今回はそのバトンを鹿児島までもらいに行くというのが主目的である。

20181122_Thu

保育原理は,発達段階のお話。

ベタではあるが原理の授業なので「エリクソンの8つの発達段階」を紹介した。「乳児期」「幼児前期(早期幼児期)」「幼児後期(遊戯期)」「児童期(学齢期)」「青年期」「初期成人期」「成人期(壮年期)」「成熟期(老年期)」と並ぶ,アレである。

保育や幼児教育に関わる前半部分を紹介するのだが,個人的にこの話題は話していて楽しい(いつも楽しそうに講義していると言われるけれど)。乳児さんから年長さんの様子をイメージしながら,赤ちゃんやちびっ子が何をしでかすかを話すのだから楽しくないはずがない。「あなた自分の子がいないから気楽にしゃべれるのよ」と言われてしまうかも知れないが,だとしても,子どもたちが招くテンヤワンヤを理屈を通して話せるのだから気にしない。

プロジェクト活動も,こうした発達段階を前提に考えてから進みたかったので,今回は一旦お休み。次回は子どもたちの姿や様子がわかる動画を探して視聴しようと思う。年齢によって身体的な違いや動作・行動の違いなどを掴めると面白いなと思う。

夕方に突然,実家からビデオチャットが舞い込み,姪っ子甥っ子が顔を出した。大きくなったねぇ。

卒業研究は地道に進行中。

小学生向け体験教室で縁のある学生が「プログラミング教育」をテーマとした卒業論文を書いていたそうで,相談にのることになった。どんなプログラミング体験が論理的思考力を育むのかを考えたいとのこと。

まずは,本人の現状認識を聞き出すところから。

一通り本人の考えや明らかにしたいことを聞き出した後,それらを論文として組み立てるための構造を考えるフェーズに移る。使う語の定義や先行研究のレビューの重要性,自分が注視しているものを説得力を伴って押し出すために必要な手続きなど,ボーカルとバックコーラスの関係を例え話に解説しながら,論文に必要なものを意識してもらった。

とにかく,そもそも論理的思考とは何かを調べて理解した上で定義する必要があるので,参考になりそうな関連文献(『思考・論理・分析』とか『論理的思考 最高の教科書』とか)を紹介した。残された時間は多くないので,あまり深入りしないで,ある程度のところで自分なりの説得的主張を決めた方がいいとアドバイスした。一応,ざっくり私の考えも紹介したけれど,それもひとつの考え方でしかないし,むしろ語られていないところに自分なりの論を展開すべきことも言い添えた。

大学キャンパスに献血車。

少し時間もあったし,体調も普通だったので,久し振りに献血することにした。記録を調べてもらったら8年ぶりだった。前回は平成22年だったらしい。そんなに前だっけ?時間ばかりが過ぎてしまう。