20190221_Thu ACMは米国計算機学会じゃない

ACMという団体の会員更新。

そろそろ更新(renew)期限が来るので,メールとか郵送物でのお知らせが賑やかになっていた。「ACM Digital Library」という電子文献データベースサービスを使い続けたかったので更新。

更新画面を眺めながら,あらためて「ACM」って何の略だっけと確認すると,トレードマークの横に「Association for Computing Machinery」と書いてある。

日本語名称は「機械計算学会」とでもなりそうなのだが,Wikipediaに面白いことが書いてあった。

日本語に訳して「計算機械学会」とされることもあるが、こんにちこの訳語が用いられることはほとんどなく、通常は単に”ACM”という略称で呼ばれるのがもっぱらである。ACMの「A」は Association (学会、団体) の頭文字であるが、アメリカ数学会 (AMS) と混同して「米国計算機学会」と誤訳されることがある。

ああ,確かに自分も「米国計算機学会」って思っていた節がある。全然違ってたんだ。

でもこの勘違いって,わりと根深いのかも知れない。

検索してみると,あの東工大のプレスリリースで「米国計算機学会(ACM)」という表記をしてしまっているものがあるくらいだから,もしかしたらかつてはAmericaで通していた時期があったとか,そういう刷り込み要因があったのではないかとさえ思える。

それと,大問題は「Computing」である。

辞書的な日本語訳は

「コンピュータの使用」「計算」(小学館ランダムハウス英和大辞典)
「コンピュータの使用」「コンピューティング」「計算」「演算」(英辞郎)

とされている。

Computing Machineryになると,機械仕掛け(machinery)の計算(computing)ということで,それは「計算機」という日本語訳になるが,これが単独のcomputingとなった場合のよい日本語訳が,いまだ登場していない。ここでは「コンピューティング」とカタカナ語にして逃げておこう。

しかし,上の2語の組み合わせ(computing machinery)で,わざわざ機械仕掛けと修飾して「計算機」という表現を持ち出していることから逆算すると,単なるコンピューティング(computing)は機械仕掛けじゃないものもあるって話にもなりそうだ。

さて…「コンピューティング」とは何なのか?

この問いはとても奥が深い。

実は,コンピューティングを科学研究分野として成立させるために,専門家の人々が「コンピューティングとは何か」を真剣に探究してきた歴史がある。その代表的な研究者がピーター・デニング氏であり,その成果は『Great Principles of Computing』という著作としてまとめられている。

それによると,たとえばコンピューティングの大原則は6つのカテゴリー「Communication」「Computation」「Recollection」「Coordination」「Evaluation」「Designe」に分かれていく。

それぞれのカテゴリーが焦点としているのは…

「Communication」は,地点間の確実な情報移動,

「Computation」は,計算の可不可について,

「Recollection」は,情報の表現や記号化とメディアからの取得,

「Coordination」は,いくつもの自律計算エージェントの効果的な利用,

「Evaluation」は,意図された計算を産出するシステムかどうかの計測,

「Designe」は,確実性と信頼性に向けたソフトウェアシステムの構造化,

とされていて,これらをまるまる一冊かけて記述している。専門分野として捉えようとすると,それだけ幅広く複雑な荒野を見渡さなくてはならないというわけである。

こういう構成要素を分析したアプローチだと深みにハマるしかないが,適用から考えるアプローチであればもう少し緩やかであってもよいのではないか。

所詮「コンピューティング」というカタカナ語で逃げざるを得ないなら,「コンピュータ技術が関わる」というくらいの括りで考えた方が,むしろスッキリするということだ。

「コンピューティング」とは「コンピュータ技術が関わるあれこれ」である。

だから,教科コンピューティングは,コンピュータが関わるあれこれを扱う教科くらいな捉え方になる。

昔の人は「計量的」とか「計算的」とかの語を苦労してあてはめようとしてきたけれど,そろそろ観念して「コンピューティング」という言葉を受け入れる方向に持っていった方がいいのかも知れない。

20190219_Tue 学校と携帯電話・スマートフォン

学校への携帯電話・スマートフォンの持ち込みに関してニュース。

とりあえずクリッピングだけ。

20081205「大阪府・橋下知事の「携帯電話の使用・持ち込み禁止令」を考える」(PC Online)

20181013「携帯電話:小中校持ち込み禁止を大阪府教委が見直しへ」(毎日新聞)

20181106「4月から小中学校へ携帯電話持ち込み可 大阪は大丈夫か?:竹内和雄」(Yahoo!ニュース個人)

20181108「小中学校スマホ解禁、大阪で19年度にも 災害時に有効」(日経新聞)

20181119「携帯・スマホ持ち込み禁止 見直しへ」(日本教育新聞)

20181127「安否確認?学力低下?…“子どもスマホ不要論”に大きな変化」(FNN)

20181201「小中学校にスマホ持参OKへ 大阪府、災害時の連絡用に」(朝日新聞)

20181204「スマホの校内持ち込みOKへ 大阪の公立小中、19年度に」(教育新聞)

20181213「大阪の小・中学でケータイ持ち込みOKへ 「大問題」と尾木ママ叱る」(週刊朝日)

20190218「小中学校でスマホ、使用は災害時のみ 大阪府が指針案」(朝日新聞)

20190218「スマホ校内持ち込み容認へ 大阪府がガイドライン素案」(産経新聞)

20190218「携帯電話の学校への持ち込み…『許可』へ 大阪府の公立小中学校」(FNN)

20190218「公立小中学校でスマホ持ち込みのガイドライン作成 大阪府教委が素案」(毎日新聞)

20190218「小中学校 携帯電話の持ち込み容認へ 大阪府がガイドライン」(NHKニュース)

20190218「大阪の公立小中の携帯持込が「一部解除」 学校、保護者は混乱 保管や歩きスマホなど問題点は?:竹内和雄」(Yahoo!ニュース個人)

20190219「小中学生の携帯・スマホ普及率6~7割、原則禁止見直し」(日経新聞)

20190219「大阪府小中学生のスマホ・携帯の所持、登下校時に限り解禁へ」(ReseMom)

20190219「小中学校へのスマホ持ち込みも 文科省、禁止方針の見直しへ」(共同通信)

20190219「小中学校スマホ持ち込み 「原則禁止」見直し、文科省」(日経新聞)

20190219「学校へスマホ持ち込み禁止の指針、文科省が見直しへ」(朝日新聞)

20190219「小中学校へのスマホ持ち込み、見直し検討 文科省」(産経新聞)

20190219「スマホ:小中学校でも? 文科相、ルール緩和検討」(毎日新聞)

20190219「“携帯”の持ち込み禁止 見直し検討」(TBS NEWS)

20190220「学校でのスマホ禁止を見直し 文科省が通知緩和へ」(教育新聞)

20190220「学校にスマホ、保護者は歓迎 悩む学校も「トラブルに」」(朝日新聞)

20190220「「安心」「悪影響」小中学校へのスマホ持ち込みに賛否両論 」(ITmedia)

20190220「スマホ小中持ち込み 栃木県内公立校は原則禁止 現時点で方針変更なし」(下野新聞)

20190220「ホリエモン、小中学校スマホ持ち込み解禁問題に持論「禁止してるのがそもそも終わってる」」(スポーツ報知)

20190221「【主張】小中のスマホ解禁 頼りすぎる弊害が心配だ」(産経新聞)

20190221「社説:学校とスマホ 持ち込み禁止解く前に」(信濃毎日新聞)

20190221「小中スマホ持ち込み「原則禁止」を国が見直しへ 私が「時期尚早」と考える理由:竹内和雄」(Yahoo!ニュース個人)

20190123_Wed 統計倫理が必要

このところ勤労統計不正ニュース続き。

国の文書管理のお粗末な状況は今に始まったことではないとはいえ,今回の統計調査が実際の給付事業に影響を与えるという点で注目が集まった。

政府レベルの統計調査の扱いがこんなに杜撰な状況が,まるで当たり前のようになってしまうと,日本で統計調査やデータ処理を仕事にしている人々の信用問題にも繋がるのではないかと心配にもなる。

しかもデータサイエンスやAI技術など,統計が関わる専門分野は広がりを見せているわけで,そういった仕事にデータを誤魔化すことが日常化している国の人材が携わることに不安感を抱かせてしまったら,ますます取り残されそうで怖い。

研究者に対して,研究が公正に行われることを促すための様々な取り組みがある。

たとえば「研究公正ポータル」といったサイトがあり,研究倫理に関する様々な情報に触れることが出来る。また私たちは研究倫理を学修するように求められているため,それを支援する「研究倫理eラーニング」もある。

統計の世界には統計倫理というべき研究倫理があるようだ。

日本人に欠けているのは統計的な「センス」と「倫理」【特別対談】東京大学・竹村彰通教授(4)」(ダイヤモンド・オンライン)

ただ多くは,統計を用いる研究活動に対する倫理という括りで語られるようだ。しかし,行政やビジネスの世界で統計を用いることも珍しくなくなっているのであるから,研究倫理という言葉とはまた別に統計倫理を考えてデータの扱い方について考えていくことは重要になってくるだろう。

学校教育にも「データの活用」といった学習内容が入ったりして,統計教育への注目も高まっているが,統計倫理的な要素も含めて,もっと考えていく必要がありそうだ。

20190121_Mon デジタル教科書の活用の在り方ガイドライン

授業してから原稿書き。

研究室には誰も来ず。原稿も進まず。現実逃避が続いた。

文部科学省で「学習者用デジタル教科書の効果的な活用の在り方等に関するガイドライン」が公表された。

「デジタル教科書」の効果的な活用の在り方等に関するガイドライン検討会議」で策定作業が行われた結果である。

公表時期は前後するが,このガイドラインの前提となる法律改正に関して「学校教育法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係政令の整備及び経過措置に関する政令案等に関するパブリックコメント」が行なわれ,その資料として提示された「告示案」の文言が話題となったことは記憶に新しい。

文部科学省告示案には文言があった。

「第一条 学校教育法第三十四条第二項(同法第四十九条,第四十九条の八,第六十二条,第七十条第一項及び第八十二条において準用する場合を含む。以下,この条において同じ。)に基づき,同法第三十四条第一項(同法第四十九条,第四十九条の八,第六十二条,第七十条第一項及び第八十二条において準用する場合を含む。)に規定する教科用図書(以下この条及び次条において「教科用図書」という。)に代えて同法第三十四条第二項に規定する教材(以下「教科用図書代替教材」という。)を使用するに当たっては,次の各号に掲げる基準を満たすように行わなければならない。

一 教科用図書ょ使用する授業と教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用する授業を適切に組み合わせた教育課程を編成すること。また,当該教育課程において教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用する授業の授業時数が,各学年における各卿か及び特別の教科である道徳のそれぞれの授業時数の二分の一に満たないこと。

(後略)」

「第二条 学校教育法第三十四条第三項(同法第四十九条,第四十九条の八,第六十二条,第七十条第一項及び第八十二条において準用する場合を含む。)に基づき,教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用するに当たっては,前条各号(第一号後段を除く。)に掲げる基準に加え,次の各号に掲げる基準を満たすように行わなければならない。

一 教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用した指導において,児童又は生徒の学習上の困難の程度を低減させる観点から,当該児童又は生徒に係る学校教育法施行規則第五十六条の五第三項各号に掲げる事由に応じた適切な配慮がなされること。

二 教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用する授業の授業時数が,各学年における各教科及び特別の教科である道徳のそれぞれの授業時数の二分の一以上となる場合には,児童又は生徒の学習及び健康の状況の把握に特に意を用いること。」

この中の「授業時数の二分の一」という部分が,デジタル教科書などの教科用図書代替教材の使用に制限をかけるように受け止められ,なにゆえアナログな印刷教科書を優先させたいのか,わざわざ「二分の一」と区切る根拠はあるのか,といった反応を一部で引き起こした。

第二条の条文まで読み含めれば,健康上の配慮を明確にする一定の線引きのためともいえる。また,穿った見方をすれば「二分の一に満たないこと」という制限によって,印刷教科書を「主たる教材」として建て付けている様々な法規やここまでの検討内容を辛うじてひっくり返さないように配慮したともいえる。

ちなみに今回のガイドラインには,「授業時数の2分の1未満であること」という記載について,興味深い注釈記述がある。

「学校教育法第34条第2項に規定する教材の使用について定める件(平成30年文部科学省告示第237号)第1条第1項において規定。なお,紙の教科書に加え補助教材として学習者用デジタル教科書を使用する授業は,「2分の1未満」の算定に含まない。」(11頁)

この他の含めて,文部科学省告示とガイドラインとで「二分の一」に対する捉え方や態度に若干の違いも感じられてしまうが,パブリックコメントの反応に対して出来得る限りの補正を試みた結果なのかも知れない。

(追記)2018年12月27日付で「学校教育法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係政令の整備及び経過措置に関する政令等の公布について(通知)」が出されて,「各条の内容等」で上記の注釈の元となった「補足事項」がすでに公表されていた。告示そのものに書き加えられたわけではないが,パブリックコメントの反応を汲んで本通知が応えた形になっている。

これらの文書は,これまで積み上げてきた学校教育や教科書に関する行政・制度や法規の枠内で,デジタル教科書などの代替教材を使えるように措置したもの。

とはいえ,デジタルに関連する技術や利用の実態はどんどん進化し変わっていくため,学習者が手元の端末画面を参照することを前提とした今回の法改正やガイドラインの策定も,見直しが必要になってくることは当然の流れだろう。まずはテイクオフさせることが今回の一連動きの目標であり,それはなんとか達成された。

しかし,そもそも授業や学習に教材やツールを用いることに,法改正やガイドラインを用意するといった大げさな動きが必要なのか。

こうも考えられないだろうか。

学習に使うための「えんぴつ」や「辞書」の類いに対して,なにゆえ国からルールやガイドラインを押し付けられなければならないのか。「二分の一」云々の決まり事は,個人の手段選択の自由を制限される感覚が伴っている。私が私の授業や学習のために使うものについて他の誰かが(特に国が)口出しをするのは本来野暮な話ではないのか。

そういった捉え方も可能だと思う。

ただ,日本という国の,学校教育という世界は,「国のお墨付き」で動くという現実にあることも一方の事実。今回もその現実に対して最も有効な手段でガイドラインが提示された…ということになる。

ガイドライン自体も興味深いが,一緒に公表された「附属資料」と「参考資料」も情報がまとまっていて便利であるから見ておきたい。

20190119_Sat サーバー整理とプログラミング教育

センター試験担当ではなく休日。

さすがに職場に入構することは出来ないので文献資料を持ち帰って自宅で過ごす。研究会発表の原稿を書きたいのに,頭の中で熟成が追いついておらず,なかなか文字にならない。現実逃避が続く。

インターネット・サーバーを何らかの形で管理している研究室は多い。

このブログも職場外のレンタルサーバーを借りてサイトを構築し,ドメイン名を確保して公開・情報発信をしている。いろいろ実験もしたいので,複数のサーバーやドメイン名を確保していたりする。

当然のことながら経費はかかる。そして,経費節約のため見直しは大事。

稼働しているものを確認して,サーバー整理出来ないか検討を始めた。

ブログのWordPress,WikiのMediaWiki,メーリングリストのMailman,SNSのMastodonなど,それに付随するものも含めて,あれこれサービスを設定してきた。これを機会にアップデート作業もしておこう。

アマゾンWebサービス(AWS)に構築したサーバーを最小モデルで動かし続けているが,これはさすがにコストがかかる代物なので,愛おしいコンテンツたちを退避した上で他に統合することにする。

小学校段階のプログラミング教育に関して,さまざまな捉え方がある。

もっとも「学習指導要領が示した情報活用能力育成の一環としての小学校におけるプログラミング教育」という限定的文脈で考える場合は,同じ小学校での取り組みを考えるにしても,学習指導要領改訂の経緯に沿わなければならないところもあって,議論をする際にはどういう前提なのかを明確にする必要がある。

学習指導要領が示す前提を無視するなら,小学生でWordPressを使ったエントリー記事作成やら,ブログ更新アプリを利用した積極活用なんてことをすると,それはもしかしたらサーバーサイドのアプリケーションプログラミングに役立つかも知れないから,長い目で見た場合のプログラミング教育の入口(体験)の一つなんじゃないかと言えないこともない。

Raspberry Piで自分コンピュータを構築するという作業だって,そういう体験の一つになり得るんじゃないの?と言うこともできる。いっそのこと図画工作室にメイカースペースを作れば,フィジカルなプログラミング体験の推進だと叫ぶことだって出来るやも知れない。

学習指導要領が示す前提を踏まえるなら,いくらサーバーアプリを活用しても,自分コンピュータを構築しても,メイカースペースを確保しても,それはねらっているプログラミング教育ではない。

とはいえ,学習指導要領が示す前提を踏まえたプログラミング教育の実像が何であるのか,何にするのがベターなのかは,数少ない例が示されている以外はこれから積み上げていくことになる。その部分に関して言えば,まだ多様な姿があり得る部分だし,学校にかかわる人々の間でどんどん発想していけばよい。

プログラミング的思考については,定義と呼ばれるものが置かれたものの,それをどういう文脈に配置して展開させるのかは曖昧なままである。そういう文脈が何なのかを模索する部分なら知恵を出し合う余地が残されている。いろいろなアプローチが登場しているが,これといったものはまだない。

そんなことを考えながらサーバーのメンテナンスをしていたら,自分でWebサービスを構築してみたい気持ちになってしまった。

スマートフォンアプリは開発したことがあるが,Webアプリケーション開発には本格的に取り組んだことがない。プログラミングというよりはアプリケーションフレームワークをカスタマイズするといった方が近いようにも思うが,さて,どうだろうか。

プログラマブルであることと,カスタマイザブルであることの境界線はすでに曖昧化しているが,そういう技術変化の中では,もはや「プログラミング教育」という言葉で考えること自体が難しくなっているのかも知れない。