手書き認識と教育クラウド

 今回の駄文は、7NotesというiPadアプリを使って入力しています。このアプリがどのようなアプリなのかをご存知でない方もいらっしゃるかも知れません。これは、最近発売された文書作成アプリです。そして、その特徴は独自の手書入力機能(mazecと呼ばれています)を有していることです。
 従来までもタブレットPCには手書き文字入力機能が存在していましたので、それ自体は目新しいものではありません。教育らくがきでも、かつてThinkPadのタブレットPCで駄文を入力した経験があります。今回のアプリが面白いのは、手書き文字を認識しておきながら、文書に手書き文字がそのまま使われるという見た目が大変アナログな文書作成アプリなのです。
 残念ながらブログに使うためには手書き文字のままというわけにはいかないため、今回は従来と同じく文字変換していますが、手書き文字のままで作成すればPDF出力するという形で利用することが可能です。

 現時点ではiPadの処理能力の限界に足を引っ張られているため、細かいところでまだ実用段階に至らないと感じる部分も多いのです。それでも、野心的な試みを一先ず形にして出したという点は大きく評価してもよいのではないかと感じています。
 何よりも教育の文脈で考えたときに、手書き文字を認識しておきながらそのまま文書として残せるという仕組みは、大きな可能性を秘めていると言えます。
 つまり昨今、デジタル教科書議論の中でも取り上げられているデジタルノート(電子ノート)の具現化に大きな一歩となる応用技術だと考えられるのです。
 学校教育における手書き入力とキーボード入力の使い分けや移行タイミングについてはまた別に考えるとして、この技術を学習用デジタルノートに応用すれば、子どもの手書き文字をノートに残せる一方、文字データとしても認識されているので後々の検索が可能となり過去のノートへのアクセスが容易になるというメリットが生まれます。
 これは教育クラウドとも連動した重要なメリットです。
 仮に教育版のオンラインストレージサービス(Dropboxのようなもの)が実用化されたときのことを想像します。
 子ども達はセキュアな個人のストレージ(ディスク)領域を持ち、通っている学校に登録してリンクさせ、通常はクラスのフォルダの中に自分のストレージ領域を見つけて利用します。学年があがったり、上の学校に進学しても登録を変更し、自分のストレージ領域をあらたな学校やクラスのフォルダから覗くだけです。そしてノートや作品を保存し続けていきます。
 このような個人ストレージ領域を持つ方法だと学校側は学校サーバーで個人情報を保持して管理をする必要から解放されますし、進級や進学の際のデータ移行や削除の手間を大幅に低減できます。学校教育から卒業後は、完全に個人のものですから、そのまま個人用のクラウド・ストレージとして利用を続けるか、個人で破棄・移行すればよいことになります。学校教育在籍中は無償かアカテミックプライスで提供してもらい、卒業後に有料サービスとして有償化するビジネスモデルを構築してもらえたらと思います。
 さて、このような教育クラウドの世界で、過去の手書きノートを後から参照したい場合を考えるとします。
 手書きノートを単にカメラで撮ったとか、スキャナで画像として保存した等の記録では、小学校から高校大学までに溜まった膨大な記録から希望のものを電子的に検索することは大変困難です。なぜなら、検索しようにも対象とするキーワードが文字データになっていないからです。
 しかし、あらかじめ手書き文字が文字データとして認識された状態のノートとして保存・記録されていれば、これを電子的に検索することができます。
 現実的に過去のノートを参照する機会やそのニーズがあるかどうかは、また別の議論になるかも知れませんが、膨大なデータを管理する側からすると、この技術が実用化されることは大きな飛躍を持たらしてくれることには違いないはずです。
 教育的な観点からしても、過去の学習履歴にアクセスしやすくなるというのは、学習指導上もちろんのこと、学習者自身にとっても過去の学習履歴を振り返ることで学習を深めるという手段を支援してもらえる点で大変意味のあることです。

 と、ここまでずっと手書き文字を変換しながら駄文を綴ってきました。率直に書けば、それなりの長さの文章を手書き入力するのは、不慣れもあってやはり疲れてしまいます。キーボード入力にもそれなりのメリットがあるというわけです。
 しかし、手書きのゆっくりしたペースというものにもそれなりの良さがあるのではないか、そんなことを感じてみたりもします。
 ドン・ノーマン氏の『インビジブルコンピュータ』にはまだほど遠いですし、あえて手書きにこだわるべきかどうかの議論もあるとは思いますが、このような形でコンピータが透明になっていくのは大事な進歩だと思います。まだまだ磨いていく必要はありますけどね。
 フューチャースクール推進事業では、こうした最新動向に十分キャッチアップできませんが(それは悲しいかな、事業計画が先にあるためなんです)、議論は積極的にしていくつもりです。むしろICT絆プロジェクトなんかの方が取り組みやすいかも知れません。それともNTTグループのプロジェクトかな。
 りんラボはいつもの如く、勝手に動向追いかけていきます。

[徳島]公開授業&研究協議

 2011年2月3日に徳島県の東みよし町立足代小学校で、フューチャースクール推進事業(初年度)公開授業&研究協議が行なわれました。
 ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
 足代小学校では「2年生の算数」「4年生の音楽」「5年生の理科」の授業をご覧いただきました。学校の先生方も子ども達も、さすがに公開を意識して準備してきたわけですが、変な背伸びはしない普段の姿も見せられたのではないかと思います。
 私自身がカウントしたわけではありませんが、関係者も含めて180名もの参加数だったとのこと。児童数120名規模の学校ですから、この日は大人の数の方が上回り、子ども達も緊張したのではないかと思います。

 2年生の算数では「三角形と四角形」の単元の最後で、基本の図形の組み合わせで繰り返しのタイル模様をつくるという取組みでした。
 まずは、電子黒板で表示されている様々な模様を、図形の名前を意識して説明するという活動から入ります。やがて児童達が自身のタブレットPCの上で、単位となる図形を用いて模様をつくる作業に取り組むという流れでした。この授業はICT支援員さんが入ってくれた授業なので、先生と子どもたちだけでなく、ICT支援員さんが授業の中でどう動いているのかを見ていただくこともできました。
 4年生の音楽では、音楽室にタブレットPCを持ち込み、冬のメロディをつくってみる授業を展開しました。
 先生から、今日の取組みに関する説明と作曲ソフトの説明が一通り行なわれたところで、児童達がタブレットPC上で作曲作業を試みるという活動です。この日のために、文字キーを鍵盤に見立てられるようPCのキーボード上に載せる特製シートを手作りで用意したりもしました。その後グループでお互いのメロディを聴き合ったりして、グループで発表する予定だったようですが、時間の関係上発表は先送りだったようです。
 5年生の理科では電磁石の働きを知るために、様々なコイルの巻き方の電磁石が用意されて、みんなで実験できる環境が用意されました。
 様々なコイルの巻き方の電磁石を紹介し、その強さ弱さを調べる方法として持ち上げられる釘の重さを比べることが押さえられたあと、実験をします。教室の真ん中に用意された実験コーナーで各自が実験した結果をそれぞれのタブレットPCのワークシートに手書きでまとめていきます。そしてコラボノート上に用意された座標に、各自の結果を書き込んで結果を共有するという使い方がされました。
 3つの授業を周りながらでしたので、細部は違ってたかも知れませんが、こんな感じでそれぞれの授業が展開しました。
 ICT環境を使っている様子に限って切り出すと、多少の違和感を感じるところもあるかも知れませんが、小学校で日々積み重ねられている実践の文脈を想像していただき、その文脈の中で見ていただければ、ICTの溶け込み具合も悪くはないなと感じていただけると思います。
 あと、子ども達はやっぱり緊張してしまって、いつもより静か〜になってたみたい。

 私も担当研究者として研究協議のモデレーター役をいただきました。十分役目を果たせたのか自信はありませんが、学校の先生と事業者の方にも登壇していただき、お二人のお話の聞き役として頑張りました。
 正直なところ、どの方向でお話したりお話を聞き出すべきか悩みました。ご参加の多くは教育関係の方々ですから、当日の授業を振り返った教育的な議論をすべきかとも考えました。
 ただ、次の理由でそれをあえて退けました。

  • これは総務省管轄の事業なので、その色合いを前面に出すべきではないか。
  • 教育関係者は、教育の議論についてはよくご存知なので、あえて違った側面の話題提供をして、視野を拡げていただいた方がよいのではないか。
  • 本年度は3年継続事業の初年度であり、位置づけとしてICT環境の導入構築という初期の問題をメインに扱うべきタイミングではないか。(教育への効果の議論は次年度でも可能だが、初期環境構築の議論はこのタイミング以外ないと考えるので…)

 というわけで、初年度の事業推進や環境構築に関わる論点を私の方からお話をして、お二人の発表を聞くことにしました。
 そのとき私が使ったスライドはこちらです。→「教育の情報化とフューチャースクール推進事業」

 スライドをご覧いただくだけだと、さっぱり分からないと思います。
 しかも、順送りしていただいて分かるように、スライドに含まれているのに使ってない情報もあります。当日も10分だけだったので、お話できていません。
 当日は、なぜ教育の情報化が必要なのか、情報教育やICT活用が必要になる社会背景や世界情勢のようなものとの繋がりを「グローバル」という言葉からたぐり寄せて考えてみました。
 つまり今日では、ICT抜きでは考えられない世界の動きが起こっているわけですが、この出来事を理解するためにも関わっていくためにも、ICTとは何かを理解すること、必要なら使えるだけの準備を整えておくべき時代になっているということです。
 ICT機器を使える使えないは実のところ本質ではありません。もちろん使えた方がいいからこそ機器の導入もするわけですが、機器利用のスキルの必要性だけで「教育の情報化」を肯定することはできないことも事実です。
 けれど、ICTを基盤にした世界が動いていることは、無視できない事実です。これを知らぬままにすることはできません。まして私たちは世界から注目を集めるエレクトロニクス企業を複数有している国の人間です。その歴史からいっても、私たちの国の教育が情報化しない理由は、世界の人々にとっても考え難いと言わざるを得ません。
 そうした世界の人々と渡り合っていくためにも、教育の情報化は必要なのではないか。と考えてみたわけです。

 その他にも、このスライドにはいろいろ面白ネタが詰まっていて、これを解説するだけでも90分くらいの講演ができてしまいます。
 私が言いたいのは、問題の本質のことも、過去の取組みのことも、現在の困難も、いろいろ耳を傾ける姿勢を持って、今回のフューチャースクールを取り組んでいます、という事です。
 逆にいえば、そうした様々な事柄が分かっていても、思うように進められていないとしたら、皆様にはこの試みを世論として支援して欲しいというお願いです。
 今わかっていることは、仮に順調に議論や計画が進んだとしても、教育現場に本当の変化が訪れるのは2020年よりも、もっと後だということです。
 もしここで、政治的不安定や国民の皆さんの理解を得られずに議論や計画が長引けば、学校教育の変化は、もっともっと先の未来へとずれるということです。
 次代の人達に宿題をそのまま残すだけに終わらせないためにも、できる事を進めていきたいと思います。
 そうすれば、何かのイノベーションも起こって、思いの他早くに変化が訪れる可能性だって、無いわけではないのです。

Becta閉鎖

 英国の教育情報化を推進してきた組織Bectaが廃止され、Webサイトも閉鎖されることになりました。興味深い研究成果がたくさん公開されてきたサイトなので残念です。
 今後もアーカイブに残るそうですが、資料ファイルや動画がちゃんと残される保証は無い(経験上、こういうパターンで残っているのは難しい)ので、必要なファイル類はダウンロードして確保することにしました。
 結構時間がかかってしまいましたが、まあ、見たくなりそうなものはできる限り記録したので、またゆっくり読めたらと思います。
 果たして、日本はBectaのような組織を作ることができるのか。財政を考えると難しそうですが、教育情報化をしっかり進めるためには、そうした役割を担う立場をつくらなければならないと思います。
 http://www.becta.org.uk/