-20190131_Thu 卒業研究締切

卒業研究論文締切日。

論文を書いている3人の執筆状況を横目で見ながら自分の原稿書きに明け暮れていた。自分の原稿が一段落したので、ようやく学生達の卒論添削作業へ。

とはいえ、なかなか頭が切り替わらず、学生たちがギリギリまで執筆途中で苦しんでいる未完成な文章を読む気持ちになるのが難しかった。そういうときには他の取り組み事に逃げがちでもあった。添削作業は意外とエネルギーが必要なのだ。

Microsoft Wordも共同編集作業機能がついたので、OneDrive経由で共有できれば、執筆中の論文を覗くのは手続き的に楽になった。製作していたWebサイトやアプリもクラウド経由で共有できる。今回はJimdoDropboxPaperなども活用していた。

とりあえず3人とも提出ができそうなので一安心。仕上げはまだ少し作業が必要だが。

20190124-27 原稿書き

授業最終週。

研究会の発表論集に投稿する原稿の締め切りが迫っていたので、頭の中はずっとそのことばかり考えていた。材料となる点は集められても、それを線でつなぐとなるとそう簡単な話ではない。

本来は10集めて考えて、上澄みの2を書くのが理想だが、今回は2集めて考えて2でまとめる綱渡り。思考の余剰がないので、今のところ広がりを持ち得ていない。

書いていたのは、論理的思考力から考えるプログラミング教育という、わりとベタなお話である。先行知見がプログラミング的思考とは何ぞやと、さまざまな角度から分析しているのに対して、プログラミング的思考を何とするやと、考えることを提案したものである。

今回の原稿では「プログラミング的思考」が登場するまでの経緯を記録としてまとめる目的もあった。この部分が難産だったが、「プログラミング的思考」を論ずるなら最低限これぐらいは押さえてから肯定否定して欲しい、というところをまとめておいた。

見直しの余裕は足りなかったが、滑り込みセーフで提出をした。3月の研究会で発表する予定で、今度はあまりしゃべらずに済ませて、参加者と議論する場にしたいと考えている。

20190123_Wed 統計倫理が必要

このところ勤労統計不正ニュース続き。

国の文書管理のお粗末な状況は今に始まったことではないとはいえ,今回の統計調査が実際の給付事業に影響を与えるという点で注目が集まった。

政府レベルの統計調査の扱いがこんなに杜撰な状況が,まるで当たり前のようになってしまうと,日本で統計調査やデータ処理を仕事にしている人々の信用問題にも繋がるのではないかと心配にもなる。

しかもデータサイエンスやAI技術など,統計が関わる専門分野は広がりを見せているわけで,そういった仕事にデータを誤魔化すことが日常化している国の人材が携わることに不安感を抱かせてしまったら,ますます取り残されそうで怖い。

研究者に対して,研究が公正に行われることを促すための様々な取り組みがある。

たとえば「研究公正ポータル」といったサイトがあり,研究倫理に関する様々な情報に触れることが出来る。また私たちは研究倫理を学修するように求められているため,それを支援する「研究倫理eラーニング」もある。

統計の世界には統計倫理というべき研究倫理があるようだ。

日本人に欠けているのは統計的な「センス」と「倫理」【特別対談】東京大学・竹村彰通教授(4)」(ダイヤモンド・オンライン)

ただ多くは,統計を用いる研究活動に対する倫理という括りで語られるようだ。しかし,行政やビジネスの世界で統計を用いることも珍しくなくなっているのであるから,研究倫理という言葉とはまた別に統計倫理を考えてデータの扱い方について考えていくことは重要になってくるだろう。

学校教育にも「データの活用」といった学習内容が入ったりして,統計教育への注目も高まっているが,統計倫理的な要素も含めて,もっと考えていく必要がありそうだ。

20190122_Tue 必要は理解力の母?

授業と会議の日。

授業ではScratchの作品の仕上げ。ほとんどが女子学生の学年だったが,創造的な作品づくりと捉えてくれたようで,ゲームやら作品やら作りたいものを思い描いて,あとは熱中してコーディング。

ある学生の作品は,恐竜が口を開けたり閉めたりするコスチューム(見た目)を繰り返して,そこへ少年がバスケットボールをスローインするのだが,恐竜の口が開いていたらボールを食べ,口が閉じているときはボールに当たったことを怒る反応をするというもの。

少年が投げるボールの軌跡を実現する方法は学生なりに解決したあと,ぶち当たった難関は恐竜の口の開閉に応じたボールとの接触の反応分岐だった。

必要は理解力を高めるのだろうか,そもそも学生が優秀なのだと思うが,私が処理の流れをつぶやきながらブロックを紹介するプロセスにちゃんとついてきてくれた。

たとえば私は解決策に「変数」を使って分岐を起こすしかないと考えて,「kuchi」という目印(変数)を作って,恐竜の口が開いているときに「1」閉じているときに「0」という目印を入れておくよう提案した。そのためのブロックの拾い出しと組み方はまだ慣れないとしても,私が手伝って組んだコードと作品の動きとの関係性についてはちゃんと理解してくれたようだ。その後,自分なりの調整をしていたのも理解できていたからだと思う。

他のある学生さんは,キャラクター同士が会話をするパートを作っていた。

その会話のやりとりは,最初,「○と言う」と「○秒待つ」のブロックを組み合わせて,2つのキャラクター(スプライト)が別々に時間を待ちながら自分のセリフを表示する方法だった。

この方法は,相手のセリフが表示される分をもう片方が「あらかじめ時間を決めて待ってあげる」わけだが,この待ってあげ合う方式だと,何かの理由でタイミングがズレて,セリフがかぶったりする。

そこで,会話は「○と言う」ブロックで自分の吹き出しを見せて「○を送る」ブロックで相手にメッセージを送り,相手は「○を受け取ったとき」ブロックで相手のメッセージを受け取ったら…ということの積み重ねでやりとりさせることを提案した。もちろんこの他にも変数を使う策もあるだろう。

このメッセージの送り合いを一往復半くらい手伝えば,あとは「もう分かった」といった感じで,自分でコーディングを始めてくれた。

ちょうど年明けの残り授業分で取り組んだ活動だったので,正式リリースしたばかりのScratch3.0での実践。職場のパソコン教室は,幸いChromeブラウザをインストールしておいてくれていたのでScratch3.0も問題なく使えていた。これはラッキーだったと思う。

20人弱の学生たちを独りで対応するシチュエーションだったので,サポートに入れなかった学生もいたが,学生同士で教え合うということにも助けられて,今回も無事に活動は終了した。

20190121_Mon デジタル教科書の活用の在り方ガイドライン

授業してから原稿書き。

研究室には誰も来ず。原稿も進まず。現実逃避が続いた。

文部科学省で「学習者用デジタル教科書の効果的な活用の在り方等に関するガイドライン」が公表された。

「デジタル教科書」の効果的な活用の在り方等に関するガイドライン検討会議」で策定作業が行われた結果である。

公表時期は前後するが,このガイドラインの前提となる法律改正に関して「学校教育法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係政令の整備及び経過措置に関する政令案等に関するパブリックコメント」が行なわれ,その資料として提示された「告示案」の文言が話題となったことは記憶に新しい。

文部科学省告示案には文言があった。

「第一条 学校教育法第三十四条第二項(同法第四十九条,第四十九条の八,第六十二条,第七十条第一項及び第八十二条において準用する場合を含む。以下,この条において同じ。)に基づき,同法第三十四条第一項(同法第四十九条,第四十九条の八,第六十二条,第七十条第一項及び第八十二条において準用する場合を含む。)に規定する教科用図書(以下この条及び次条において「教科用図書」という。)に代えて同法第三十四条第二項に規定する教材(以下「教科用図書代替教材」という。)を使用するに当たっては,次の各号に掲げる基準を満たすように行わなければならない。

一 教科用図書を使用する授業と教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用する授業を適切に組み合わせた教育課程を編成すること。また,当該教育課程において教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用する授業の授業時数が,各学年における各教科及び特別の教科である道徳のそれぞれの授業時数の二分の一に満たないこと。

(後略)」

「第二条 学校教育法第三十四条第三項(同法第四十九条,第四十九条の八,第六十二条,第七十条第一項及び第八十二条において準用する場合を含む。)に基づき,教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用するに当たっては,前条各号(第一号後段を除く。)に掲げる基準に加え,次の各号に掲げる基準を満たすように行わなければならない。

一 教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用した指導において,児童又は生徒の学習上の困難の程度を低減させる観点から,当該児童又は生徒に係る学校教育法施行規則第五十六条の五第三項各号に掲げる事由に応じた適切な配慮がなされること。

二 教科用図書に代えて教科用図書代替教材を使用する授業の授業時数が,各学年における各教科及び特別の教科である道徳のそれぞれの授業時数の二分の一以上となる場合には,児童又は生徒の学習及び健康の状況の把握に特に意を用いること。」

この中の「授業時数の二分の一」という部分が,デジタル教科書などの教科用図書代替教材の使用に制限をかけるように受け止められ,なにゆえアナログな印刷教科書を優先させたいのか,わざわざ「二分の一」と区切る根拠はあるのか,といった反応を一部で引き起こした。

第二条の条文まで読み含めれば,健康上の配慮を明確にする一定の線引きのためともいえる。また,穿った見方をすれば「二分の一に満たないこと」という制限によって,印刷教科書を「主たる教材」として建て付けている様々な法規やここまでの検討内容を辛うじてひっくり返さないように配慮したともいえる。

ちなみに今回のガイドラインには,「授業時数の2分の1未満であること」という記載について,興味深い注釈記述がある。

「学校教育法第34条第2項に規定する教材の使用について定める件(平成30年文部科学省告示第237号)第1条第1項において規定。なお,紙の教科書に加え補助教材として学習者用デジタル教科書を使用する授業は,「2分の1未満」の算定に含まない。」(11頁)

この他の含めて,文部科学省告示とガイドラインとで「二分の一」に対する捉え方や態度に若干の違いも感じられてしまうが,パブリックコメントの反応に対して出来得る限りの補正を試みた結果なのかも知れない。

(追記)2018年12月27日付で「学校教育法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係政令の整備及び経過措置に関する政令等の公布について(通知)」が出されて,「各条の内容等」で上記の注釈の元となった「補足事項」がすでに公表されていた。告示そのものに書き加えられたわけではないが,パブリックコメントの反応を汲んで本通知が応えた形になっている。

これらの文書は,これまで積み上げてきた学校教育や教科書に関する行政・制度や法規の枠内で,デジタル教科書などの代替教材を使えるように措置したもの。

とはいえ,デジタルに関連する技術や利用の実態はどんどん進化し変わっていくため,学習者が手元の端末画面を参照することを前提とした今回の法改正やガイドラインの策定も,見直しが必要になってくることは当然の流れだろう。まずはテイクオフさせることが今回の一連動きの目標であり,それはなんとか達成された。

しかし,そもそも授業や学習に教材やツールを用いることに,法改正やガイドラインを用意するといった大げさな動きが必要なのか。

こうも考えられないだろうか。

学習に使うための「えんぴつ」や「辞書」の類いに対して,なにゆえ国からルールやガイドラインを押し付けられなければならないのか。「二分の一」云々の決まり事は,個人の手段選択の自由を制限される感覚が伴っている。私が私の授業や学習のために使うものについて他の誰かが(特に国が)口出しをするのは本来野暮な話ではないのか。

そういった捉え方も可能だと思う。

ただ,日本という国の,学校教育という世界は,「国のお墨付き」で動くという現実にあることも一方の事実。今回もその現実に対して最も有効な手段でガイドラインが提示された…ということになる。

ガイドライン自体も興味深いが,一緒に公表された「附属資料」と「参考資料」も情報がまとまっていて便利であるから見ておきたい。