5年目のマストドン

2016年にリリースされ、2017年には世界中を巻き込んだ盛り上がりを見せていた分散型ソーシャルネットワーキングシステム「Mastodon」(マストドン)。

一時はTwitterを代替するか?!とまで言われましたが,2018年以降は表舞台からフェードアウトして,ニッチな界隈で生き残っている感じでした。マストドンのシステム自体は,いまも着実にバージョンアップを繰り返しています。

2017年4月に日本初の教育系マストドン・インスタンスとして開設された「elict-mastodon」(エリクト・マストドン)は,開設以来ずっと運営を継続してきました。

もっとも利用者が減り,システムの管理も停滞し,マストドンのバージョンも2.7.4でストップ。そのため,周りのインスタンスが3.0などにアップデートする中で,こちらとのフェデレーション(連合)機能も動かなくなっていました。

旧システム(2.7.2)

このブログでも当時のシステム構築について記していますが,マストドン推奨のサーバーOSではないCentOSで運用しようとしていたことも,アップデートが困難だった理由です。

いつかはサーバーそのものを引っ越しし,推奨サーバーOSのUbuntu上で再構築したいと考えて,早5年。

まさかTwitterがイーロン・マスク氏に買収され,Twitterというプラットフォームが揺るがされる日が来るとは思っていませんでした。再び,その代替システムであるMastodonが話題に。

すでに最新バージョンは4.0.2になっています。お引っ越し先のサービスとしてXserver VPSがよさそうだということも見えてきたところだったので,この機会にエイやと再構築することにしました。

というわけで,新生「elict-mastodon」を立ち上げました。

新システム(4.0.2)

すでに時代はGIGAスクール構想で小中学校や都道府県によっては高等学校にも学習者用情報端末が整備された世となりました。大学入試の世界でも情報科目の扱いを本格議論するようになってきています。

そうした話題をメインに扱う情報交換の場があってもよいはずですので,elict-mastodonをいま一度しっかり構築して,引き続き継続できるように整えた次第です。

もちろんTwitterは,運営会社のゴタゴタはあれど,コミュニケーション・プラットフォームとして今後も存続していくでしょうし,マストドンへの関心もまた時間とともに薄れるのだとは思います。それでも,何かあるときの緊急避難場所や選択肢の確保は決して無意味なことではないと考えています。

elict-mastodonは教育学習とICT活用に関心のある皆様の登録をオープンに受付けています。

教育関係者のみならず,お子様が学校に通っているご家族,学校ICT関係の企業に関わられている皆さん,教育と情報に関係することに関心があれば,どなたにも参加資格はあります。

情報交換の場を守るために,ご配慮・ご遠慮いただくこともあるとは思いますが,ゆるやかにコミュニケーションを展開できればと思います。どうぞお気軽にご参加ください。

「メーガーの三つの質問」再訪

あれから熊本界隈の人々を敵に回した感だけを残した駄文…

「メーガーの三つの質問」探訪
https://www.con3.com/rinlab/?p=4593

は,これ以上,嫌われたくない私の中で,あれで決着したもの…だとずっと思っていました。

まさか,その続編を書くことになるとは…。う〜ん。

先日,とあるオンラインセミナーを流し観していたとき,「R.メーガーの3つの質問」と題されたスライドが飛び込んできました。

Where am I going?             ←学習目標
 どこへ行くのか?
How do I know when I get there?     ←評価方法
 辿り着いたかどうかをどうやって知るのか?
How do I get there?            ←指導内容
 どうやってそこへ行くのか?

「引用元は鈴木先生の論稿かな?」

と思って参考文献をチラッと見ると,見た記憶のない書籍の名前。しかもR. F. Mager氏の著作です。

参考文献:R.F. Mager (1997). How to Turn Learners On… Without Turning Them Off. Atlanta : Center for Effective Performance.

おおおお!もしや,謎の答えがもたらされたのか!と,私,興奮気味。

さっそく検索しました。(AmazonとWorldCat)

本書はもともと1984年にメーガー氏が著した『Developing Attitude Toward Learning』という書籍を改版の際に改名したもの。1997年のThird Edition(第3版)が最新のようです。

目次を見てみると次のようになっています。(Amazon.comのLook insideから)

Contents

Preface
Part I  Where Am I Going?
 1  What It's All About
 2  Why It's All About
 3  Defining the Goal
Part II  How Shall I Get There?
 4 Recognizing Approach and Avoidance
 5 Sources of Influence
 6 Conditions and Consequences
 7 Positives and Aversives
 8 Modeling
 9 Self-Efficacy
Part III  How Will I Know I’ve Arrived?
 10 Evaluating Results
 11 Improving Results
 12 An Awesome Power

なるほど,パート題目が3つの質問になっています。

Where am I going?
How shall I get there?
How will I know I’ve arrived?

いやしかし,3つの質問とはまた少々異なる順番と語彙で記されているのは気になります。

そうは言っても,前回までの調査の時点では,それまで通説的に挙げられていた文献資料の範囲で,このような3つの質問をストレートに表記した記述を見つけられませんでした。

今回の文献で,目次がこのように記述されている以上,メーガーの3つの質問がメーガーの3つの質問である証拠として十分なものが示された…と考えるのが妥当だと思われます。

「何がギルピンだ。それみろ,やはりメーガーの3つの質問は本当だったじゃないか。りん研究室ブログは,フェイク情報を書きやがったクソ・ブログだ。」

と罵っていただいて結構です。あ〜ん。>_<;

ならば,当該文献の中身は一体どうなっているのか?

ここまできたら,紐解いてみようじゃありませんかということで,注文,ポチっ。

続けたくはないけれど,続くかも知れない。


〈追記20221206〉

というわけで,ポチった文献が届きました。

駆け足でページをめくって確認しましたが,日本で多く引用されている表記の英文はありませんでした。

その代わり,こんな粋な詩が冒頭に掲げられていました。

There once was a teacher
Whose principal feature
Was hidden in quite an odd way.
  Students by millions
  Or possibly zillions
  Surrounded him all of the day.

When finally seen
By his scholarly dean
And asked how he managed the deed,
  He lifted three fingers
  And said, "All you swingers
  Need only to follow my lead.

"To rise from a zero
To big Campus Hero,
To answer these questions you'll strive:
  Where am I going,
  How shall I get there, and
  How will I know I've arrived?"

RFM
【粗訳】
昔々とある教師の
抜きんでた素質は
不思議な形で埋もれていた。
 生徒たちが数百万
 とうてい数えきれないほど
 一日中彼を取り囲んでいたためだ。

ついにその姿を
学究の長がとらえて
どうやっていたかを訪ねると,
 彼は3本 指を立て
 こう言った「迷えるすべての人々よ
 私の言うとおりにしなさい。

「ゼロから始め
キャンパスの英雄に至るには
これらの問いに答えるよう努力されるがよい:
 どこへ行くのか,
 どうやってそこへ行くのか,そして
 たどりついたかどうかをどうやって知るのか?」

Robert F. Mager 

メーガー先生は,本当に洒落っ気のある粋な筆者だったようです。

そんなわけで,日本で多く表記されている英文は,おそらく引用の際に表現を馴染みやすくする配慮のもと作成されたもので,原文そのままの引用ではないということになりそうです。もちろん憶測です。

ちなみに,原文の表記を直接引用した日本の資料が検索で見つかりました。厚生労働科学研究成果データベースに登録されているもののようですが,具体的な文書名などがはっきり分かりません。

当該文書(1)当該文書(2)

こちらは改題前の原著『Developing Attitude Toward Learning』からの引用となっています。

少なくとも,今後「メーガーの三つの質問」に関する引用・参考文献の表記は

参考文献:R.F. Mager (1997). How to Turn Learners On… Without Turning Them Off. Atlanta : Center for Effective Performance.

に揃えた上で鈴木先生の議論を参照するような形にするのが無難なのではないかと思われます。

さて,これでこの話題に終止符を打ったことになるといいのですが。

教育データ標準は寂しがり

洗濯してても教育データ標準のことを考えたりする今日この頃です。(#教育データ

先日(11/14)「教育データの利活用に関する有識者会議(第14回)」が開催されていました。

仕事もしていないのに会議資料に自分の名前がチラッと出てくるのは気まずいものです。

【資料1-2】教育データの標準化に関する事業状況報告」ですが,ここでもご紹介した「活動情報」をどうデータ形式化するのかが検討されています。私もこれ見て初めて知りました ^_^;

教育データの「活動情報」とは何なのか?

同スライド資料でも再度引用されているように…

多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、個別最適化された学びの実現や、学校現場での「主体的・対話的で深い学び」に向かうためのデータ活用

において学習履歴情報がデジタルデータ化されたものを指します。

そこで今回の資料では学校での「活動」を明らかにする手だてとして,ジャーニーマップなる行動タイムスケジュールをいくつかの典型的な人物モデルを想定して作成しています。

もちろん学校で過ごさない人達もいますから,そういうモデルケースも想定して,いろいろ検討していくわけです。いろんな距離感はあれど学校教育に関わるという緩やかな範疇において,まずは私たちが掴みたい「活動」がいくつか浮かび上がってくることになります。教職員についても,使う材料は(ジャーニーマップとは)違うけれども,校務等を分類整理しています。

さて,そうした作業をして次のようなことが得られたようです。

ふむ,なるほど。

学習履歴を記録する国際データ標準規格である「Experience API」(xAPI)を考えてみると…

1.「主体」と「活動」は「actor」と「verb」で分離できるので,汎用的にっていうのは納得できます。

2. 「活動」は「行動」と「状態」に区分できるというのも,行動を「verb」「context」で表現し,状態は「result」で表わすと解釈すればよそさうです。

3. 「行動」を「生活」「学習」「指導」「運営」とするのは…

かなり大ざっぱな区分ですが,学校でやっていることはそんなことぐらいなのでしょう。具体的な活動のキーワードをジャーニーマップから抽出することが必要になりますから,いまはこのくらいで。

4. 「状態」は,多様なデータセットとして整理される…?

ん〜,確かに,活動の「結果」として様々な指標が出てくるというのは確かにそうですが,xAPI等ではこうした指標データや評価データは別のプラットフォームが管理することを前提にしていて,「活動情報」の範疇としてはあまり考えていないように見えます。

xAPIでは,result項目において記載される例として「passed」「failed」とか「success: true」とか,そういう達成未達成ぐらいの粒度の情報であり,実際の成績データは評価データを管理しているシステムに問い合わせるという連携を想定しているようです。

ここで「状態」として扱おうとしているものは,データセットを管理する別システムとのエンドポイント的に捉えておくのがよいのではないかと思われます。

ちなみに「状態」とか「結果」と聞くと日本人の私たちは,どうしてもそこで何かが区切られて止まってしまうようなニュアンスを感じ取ってしまいますが,私たちとしてはあらゆる活動とその結果は長い軌跡の途中のものであることを忘れないようにしなければなりません。

ラーニング・トラジェクトリーズ(Learning Trajectories)という考え方があり,子どもたちの学びを軌跡(trajectory)として捉えて,子どもたちの概念や思考の発達軌跡に応じた学習の支援や環境をアレンジしたり調整していくことを重視するものです。

教育データ全般に言えることですが,ある時点のスナップショットデータから描き出された様々な指標にもとづいた局所的な対応を考えるだけでなく,ロングスパンの学習軌跡としてデザインすることがまず先にあって,データはその旅路の進捗(progressions)を知るナビゲーションとして捉え,もっと先の目標を見据えた対応が肝要になります。

たまに旅路を振り返り,「ああ,あんなことしたな,こんなことしたな」と思い出を振り返りながら,「さあ,目的地に向かって頑張ろう」と勇気をもらえる。そんな「活動情報」であって欲しいと思います。

ところでスライドには「内容情報」についてこんな風な記述もあります。

「内容情報」を「活動情報の対象となる内容」として整理…

なかなか興味深い記述です。

内容情報といえば「学習指導要領コード」(Course of Study Code: CSコード)が先行公開されてます。

このCSコードについて,「学習指導要領コードの利活用に関する調査研究事業」というものが走っているらしく,いくらか調査研究してきているようです。

xAPIで記録される「活動情報」の中に日本独自で「CSコード」を埋め込んで,活動情報がやりとりされることによって自動的にCSコードが付与されたり,関係する情報同士をCSコードで引き寄せてくることができるようになるかも知れません。

教育データ標準で定められた情報形式やコードは,それぞれを単独で動かそうとしてもあんまり役に立たないのです。ひとりじゃ寂しい。

以前もご紹介した通り,「学校コード」は「位置情報」と仲良くすることで様々な可能性が拓けます。「学習指導要領コード」は「活動情報」やSNSなどでの「共有活動」が組み合わさることで面白い展開を描けます。

教育データ全般は,個人情報などセンシティブな情報を扱うにあたって難題も多いのですが,そここそはテクノロジーの力を活かして解決できる事柄も多いはず。官僚的な対応ばかりしていては乗り越えられるものも乗り越え難くなってしまいます。

長い旅路は始まったばかり。そして,旅は楽しむものでなくては。是非ご一緒に。

プログラミング教育探し -1

日本の学校教育では小中高校を通してプログラミングに触れる機会が設けられました。

学校種ごとに扱われ方は異なりますが,俗に言う「プログラミング教育」が実施されているということになります。本ブログでは「プログラミング体験・学習」と表記するようにしてきましたが,面倒を省くために当面はプログラミング教育と書くことにします。

小中高におけるプログラミング教育を考えるにあたって,最初に立ち上がってくる疑問は「なぜプログラミング教育なのか?」です。

まず,小学校のプログラミング教育に関して着目すれば,これは「情報活用能力」に含まれるものとして位置づけられています。

(プログラミング教育の位置付け)
 本手引はプログラミング教育を対象として解説していますが、プログラミング教育は、学習指導要領において「学習の基盤となる資質・能力」と位置付けられた「情報活用能力」の育成や情報手段(ICT)を「適切に活用した学習活動の充実」を進める中に適切に位置付けられる必要があります(後略)

文部科学省「小学校プログラミング教育の手引(第三版)」(令和2年2月)p2より

ちなみに,平成29年告示の学習指導要領から「情報活用能力」は「資質・能力」の一つとして本文に採用され,学習の基盤となる資質・能力の育成は教科横断的に育成することが目指されています。

というわけで,「なぜプログラミング教育なのか?」という問いの答えは「なぜ情報活用能力なのか?」という問いの答えに便乗する形になっています。

「なぜ情報活用能力なのか?」

この問いへの答えは30年も前から「高度に情報化された現代社会において適切な対応ができるために必要」という主張のもと,その骨格に時事の様々な言葉(高度情報化社会,知識基盤社会,第4次産業革命,Society5.0,AIスマート社会,等々)が付属する形で理由が示されてきました。

こうして,情報活用能力が必要ならば,その一部であるプログラミング教育もまた必要という理屈が成り立つことになります。

しかし,この理屈を安易に納得することはできません。

そもそも「情報活用能力の育成に,なぜプログラミング教育なのか?」という部分について疑問が残るからです。

この疑問にアプローチする道筋は2つ考えられます。

一つは,1) 小学校にプログラミング教育を導入するにあたって展開した議論を追いかけるアプローチ。

もう一つは、2) すでに先行導入している中学校と高等学校でプログラミング教育に関する現状や導入経緯を追いかけて,小学校段階がそれに足並みを揃えたのではないかを検討するアプローチです。

まずは1)のアプローチで関係資料を参照してみます。

小学校の学習指導要領は,1996(平成8)年の第15期中央教育審議会第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」以来,「生きる力」の育成を基本的な観点として重視する方向に変わりました。

この「生きる力」は,基礎・基本の定着を踏まえつつも,子どもたちが自ら学び,自ら考える教育への転換を目指す考え方として導入され,ここから思考力の育成重視が始まったといえます。

もっとも2003(平成15)年には,学力低下論争の影響もあり,「生きる力」に対する「確かな学力」という考え方を打ち出すことでバランスをとることとなりましたが,令和の現在においても「生きる力」というキーワードが前面に押し出されていることを考えれば、考える力,つまり思考力の育成というお題目が日本の学校教育にとって最重要であることは今も変わりない方向性です。

しかし,「思考力育成」を日本の学校教育にどのように導入するかは,なかなか着地点を見出せない問題でした。

たとえば,「習得型の学習」と「探究型の学習」という議論は,知識技能の育成と考える力の育成とを取り組むためのもので,「活用型の学習」でこれらの関連付けを深めようとしたのが平成20年告示の学習指導要領でした。

また,思考力・判断力・表現力等も含めた汎用的な能力の育成を目指した「総合的な学習の時間」に関する様々な取り組みや,フローチャートやシンキングツールといった思考ツールを利用した「高次の思考力」育成を目指す研究も私たちの記憶に新しいところです。

そして,21世紀型スキルの国際的な議論の流れで,日本でも「21世紀型能力」として基礎力・思考力・実践力といった構造が示されて,「メタ認知」や「適応型学習力」の必要性が主張されているのはご承知の通りです。

よって,日本の学校教育はずっと「思考力育成」のネタ探しを続けている状態であったわけですが,そこに情報教育の側から新たな潮流が持ち込まれてきます。コンピュータサイエンスへの注目とプログラミング教育です。

2013年に諸外国の事例の紹介や日本の産業界でもIT人材育成のためプログラミング教育の必要性について声が上がり始めたことで,2014年には文部科学省が「プログラミング学習に関する調査研究」という調査部会を立ち上げて現状把握を開始します。

2016年には「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」を設置し,間近に迫っていた学習指導要領改訂にスピード導入することを達成しました。

その後,次世代の教育情報化推進事業などにおいてプログラミング実践を取り組んでいる実証校IE-Schoolなどの実証報告を揃えることで,情報活用能力の枠組みの中に「プログラミング的思考」なる言葉でプログラミングを取り込みました。

実にあっという間の出来事でした。

先の有識者会議の名称には,思考力育成という流れとプログラミング教育という流れを交差させる意図がわかりやすく表れていますが,もともとプログラミング教育はコンピュータサイエンスやIT人材育成の文脈で注目されていたものだったことを考えると,この両者は同床異夢の関係と言ってよいかも知れません。

情報教育の文脈からすれば,本来的にはコンピュータ活用やコンピュータ・リテラシーの育成を目指すことが本筋であったでしょうし,それまでの情報活用能力の議論はタイピング技能やデジタル読解力を中心に議論が展開してきたはずでした。

しかし,新たな学びを学習指導要領に組み入れることを考えた場合,そのための新たな時間を確保することは難しく,そのための環境も(GIGAスクール構想より以前には)無かったため,正攻法ではほぼ不可能だったろうと思われます。

そこで取られた策が,思考力育成を切り口とする情報教育の領域拡大策であり,プログラミングで用いられる見方・考え方を論理的思考と見立てた情報活用能力の育成を目標にするプログラミング教育の導入だったといえます。

結果としてこの策は学習指導要領への導入には功を奏しましたが,コンピュータリテラシーの一部分であるプログラミング教育を,論理的思考力に焦点化する都合上,単独で切り出す形となりました。そのうえ,小学校学習指導要領の場合,算数と理科の例示と総合的な学習の時間でのみ記述されたことから,プログラミングと教科の学習とのバランスの難しさが目立つ結果も見えます。

「コンピュテーショナル・シンキング」という国際的な議論とも通じ合わないままに,足がかりだけがつくられた状態,というのが現行学習指導要領のプログラミング教育の実状です。

この足がかりを有効活用して,次期学習指導要領ではコンピュータリテラシー等の能力育成を十全に可能とするカリキュラムの設計が期待されているというところです。

ここまで,小学校段階にプログラミング教育が導入されるまでの展開を眺めました。

その経緯をおおよそ踏まえて,もしも現行のプログラミング教育が十分な形を纏っていないのだとすれば,どのようなプログラミング教育が理想として考えられるのか。

そうした議論が考えられてしかるべきでしょう。

それについてはまた回をあらためて。また2)のアプローチで「なぜプログラミング教育なのか?」を考えることも回をあらためて考えてみたいと思います。