2010年の「教育の情報化」(2)

■永遠のライバル?−文部科学省と総務省
 まずは教育界関係図と呼ばれる図をご覧ください。(→教育界関係図
 図自体は誇張や省略もありますし,目まぐるしい状況変化を反映できていない部分もあります。しかし,教育の世界における文部科学省と総務省の縦割り具合が基本構図になっていることは読み取っていただけるのではないかと思います。
 こうした縦割り対立構図は,日本に学校制度を導入した時点から始まった歴史の長いものです。そして,必ずしも仲の良い関係だったわけではありません。しかも,省庁間の争いが下部の所管部分でも代理戦争の如く垣間見えるときがあるのも特徴的です。
 この構図は〈デジタル教科書〉においても無縁ではありません。

■「教育の情報化」は苦手政策−文部科学省
 文部科学省が教育と情報について作業を始めたのは昭和40年代からの歴史があります。産業が盛んになった社会からの要請という形で,専門教育としての情報処理などを取り入れようとした動きに端を発します。
 それから40年もの年月が流れたわけです。けれども,文部科学省が推進する教育の情報化が全国的に開花することはありませんでした。
 コンピュータ教育という呼び名で,パソコンが教育現場に持ち込まれる動きが本格化したのは昭和60年とされています。国際科学技術博覧会(つくば万博)が開催された年です。科学技術に対する時代の高揚感を伴い,臨時教育審議会における情報化の議論と相まって,関係者の勢いも増した頃です。
 しかし,技術への期待とは裏腹に,技術は未熟で高価でした。
 当時の日本のパソコン市場を振り返ると,日本電気のパソコンが台頭し始めたとはいえ,富士通もシャープも東芝も元気にパソコンを発売し,MSXでソフトを共通化しようとか,日本語ワープロの一太郎が出て間もなくといった調子。
 やがて日本電気がエプソンに振り回され,海外勢が力をつけてきてAXパソコンやDOS/Vなるものが賑やかになりそうなところで,ぼちぼちWindowsの時代が幕を開ける。そんな波乱万丈なパソコン時代だったのです。
 そんな流れの中で昭和が終わり,平成が始まった最初の十数年は,コンピュータ教室の整備をするのが精一杯。理科室の実験器具と同じく,高価なパソコンは自由に使えるようには開放されていないことが多かったのです。
 CAI,OA,ニューメディア,マルチメディア,インターネット…と市場を賑わすキーワードが出てくる度に,コンピュータの教育利用が期待され,様々なプロジェクトも行なわれましたが,学校への浸透は限定的なものでした。
 教育用コンピュータ機器の導入がそんな状態のため,日本では「情報教育とは何か?」という理念的問いかけが盛んに行なわれ,大変分厚い思想が積み上がりました。
 それが文部科学省(文部省)系の流儀のようになって,その後,ICT機器を導入するのにたくさんの議論がまとわりつくようになったことは,良くも悪くも「教育の情報化」政策を複雑なものにしました。
 2010年,「学校教育の情報化に関する懇談会」で〈デジタル教科書〉が取り上げられたことは重要なことではありましたが,いつものようにビジョン(骨子)は総花的なものとなり,どこから手を付けるべきかを迷い始めて一歩も動けないのではないかと懸念さえ感じさせます。

 しかし,実のところ文部科学省が「教育の情報化」に躓き続けている原因は,日本の行政システムと政治の影響に他なりません。
 冒頭ご紹介した教育界関係図に黄色で書き込まれた様々な権限。この権限の分散と構造が教育行政の大きな足かせとなっています。さらに,あの昭和60年に教材費国庫負担制度が廃止。教育現場にお金を回す仕組みに強制力が無くなっていったのです。
 文部科学省が補助金を確保しても,実際の予算編成と決定権は文部科学省側にはありません。地方自治体に教育への理解が無いと補助金は使われず,現場には届かないのです。
 それでも2009年初めには政府の景気対策の中に「スクールニューディール構想」が盛り込まれ,学校施設の耐震化とともにICT環境の整備(電子黒板と教師用のデジタル教科書など)に対しても大きな予算が確保されることになりました。
 手厚い財政措置と議論も成熟感が増したところで,いよいよ学校現場の情報化が本格的に勢いづくと,関係者の多くが盛り上がりました。文部科学省の教育の情報化政策も今後は明るく照らされるはずでした。
 ところが,2009年の夏,歴史に残る政権交代が起こります。こうした政治の動きが,スクールニューディール政策にブレーキをかけることになりました。文部科学省の「教育の情報化」行政は,再び議論レベルへと引き戻されてしまったのです。
 幸い,平成20年度改訂学習指導要領への移行のために必要な教材整備の予算が確保されていたため,スクールニューディールほどの規模はないものの,実際にはICT環境の整備は続けられています。
 しかし,明示的なICT関連の予算は文部科学省から消えました。その代わり浮かび上がってきたのが総務省の情報化予算です。その上,2009年末に飛び出したのが,全ての児童生徒に配布するという〈デジタル教科書〉のアイデアだったのです。

 次回は総務省のお話。

韓国・『デジタル教科書の健康調査報告書2009』要約抜粋粗訳

 2010年7月27日付けで,韓国教育学術情報院(KERIS)のWEBサイト上で公開された「デジタル教科書の健康調査報告書」について,報告書の要約部分を参照して,研究結果を概観する。
 同報告書は正式名を「デジタル教科書活用が学生と教師の健康に及ぼす影響の分析研究」としており,デジタル教科書実験校を対象として,高麗大学校の研究者が中心となって調査研究したものである。
 研究手順として,国内外のデジタル教科書及び健康関連の文献調査,国外デジタル教科書事例の調査,デジタル教科書を1年以上使用した小学生を対象とした面談調査,デジタル教科書実験校の教師と専門家のグループ討議による健康障害の問題分析を行なっている。
 研究結果は次のように要約されている。
 以下は報告書内の要約を抜粋し粗訳したものである。
【注意:誤訳チェックは行なっていない。研究結果に関する記述部分については,原文を参照することを強くお勧めする。】
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(前段略)
 第一に,デジタル教科書が常用される場合の健康機能障害の問題を把握するため,文献研究を通して,コンピュータを活用した類似の学習環境で想定される主な健康機能障害の原因を探索した。
 研究の結果,身体的症状としては視覚的症状,筋骨格系に関する症状,全身に関連する症状,皮膚に関する症状などが主な問題であり,心理的症状としては学業燃え尽き症状,学業ストレスなどが最も主要な問題だった。
 第二に,デジタル教科書を1年以上活用した小学生を対象に実際に経験したデジタル教科書に関係する健康上の問題を把握するため面接を行ない,現実的に着手可能な解決策を提示しようとした。
 研究の結果,デジタル教科書に関わって現在現われている身体的症状と,今後懸念される健康問題に関してより深く検討していく必要があると分かった。いま現われている身体的・心理的症状は軽微なものとはいえ,デジタル教科書の長期間利用を想定したとき,今回現われなかったが今後現われてくるであろう問題について,早期の予防的な健康管理を実施する必要があると考える。
 また,デジタル教科書は,様々な伝達メディアと教育方法で,学習への興味誘発し,学習の深化を可能にするという特徴があるが,一方で,情報の過負荷によって学生の注意・認知が適切に制御されなくなると,情報処理過程を阻害して学習効果を減少させてしまうことも考慮しなければならず,何かしら補完の仕組みが必要であることがわかった。
 第三に,デジタル教科書の活用が生徒と教師の健康に及ぼす影響を知るため,フォーカスグループディスカッションを通じて実験校の担当教師と関連分野の専門家による認識確認を行なった。
 研究の結果,環境的領域に関する健康上の問題は,電磁波の懸念,学生達のデジタル教科書使用に関わるコンピュータ用の机椅子の必要性,教室の空調,照明に対する懸念等があった。
 身体的領域に関する健康上の問題としては,潜在的な視力低下,不適切な姿勢,コンピュータの発熱による環境への不快感等があり,心理的領域に関する健康上の問題としては,疲労感やストレスに関わる健康問題が懸念された。利用や体験に関わる性急さやフラストレーション,教師と生徒との間における相互作用の困難さが一部あったという見解もあり,これに対する長期的な対策の準備が必要であることも分かった。
 第四に,デジタル教科書の使用環境に対する電磁波測定の研究結果では,学生達が使うコンピュータの電磁波は憂慮するほどの数値ではなかったものの,問題点は発見された。
 教師用コンピュータの周辺には電子機器が多く,学生よりも電磁波をたくさん受けることが分かった。これは配置や環境調整で解決できると考えられる。学生達の場合,標準的な50cmの距離であれば電磁波の問題はないが,タブレットPCを使う姿勢によって,距離が急に近づいたときには電磁波の数値が上がるので,これに対しても姿勢調整の必要性があるとわかった。
 第五に,デジタル教科書の活用による健康機能障害の分析のため類似の実験研究を調べると,ドライアイ症状の測定で,デジタル教科書の群と書籍型教科書の群を有意水準5%検定で比較した結果,眼表面疾患指数(Ocular Surface Disease Index)や毎分の瞬目率,涙液層破壊時間などにおいて,両群に有意な差は見られなかった。手根管症候群の測定でも,デジタル教科書の群と書籍型教科書の群を有意水準5%検定で比較した結果,正中神経および感覚神経の検査で両群に有意な差は見られなかった。脳波測定では,デジタル教科書の群と書籍型教科書の群を有意水準5%で検定し比較した結果,覚醒時の安定状態と問題解決過程の大部分の波長帯で両群に有意な差は見られなかった。
 (中略)
 この研究では,一小学校を対象としたため,対象数が少なく,解釈にあたっては慎重を期すべきだと思われる。
 第六に,デジタル教科書の健康機能障害的な部分を測定するツールが無かったので,まず先行研究の文献考察を行ない,デジタル教科書を1年以上使用した小学生を対象とした面接を行なった。これらと1年以上教えた実験校の教師と専門家からのフィードバックを分析して,調査ツールの開発研究を試みている。
 (中略)
 以上の研究結果を踏まえて,デジタル教科書活用時の健康機能障害軽減のための取組み案を以下の3領域で提示してみる。
 1番目,デジタル教科書の使用環境に対する取組みでは,個人のタブレットPC使用時に学生との距離を最低限50cm以上になるようにする必要がある。(中略)
 2番目,デジタル教科書を使用する場合の身体的な取組みとして,現在のデジタル教科書運用にかかわる急激な視力低下の問題よりも,潜在的な視力低下が懸念されるので,これが測定できる信頼性の高い検査基準ガイドラインが必要だということと,授業でデジタル教科書を使用する時間の調整,またタブレットPC内に一定時間経過後にリラックスできるような動画を搭載すること,そして健全なタブレットPC活用の生活習慣が維持・管理できるようなプログラムを開発することが必要である。
 3番目,デジタル教科書を使用する場合の心理的な取組みとし,デジタル教科書を使用する授業への集中に伴って,精神的な疲労感やストレスが現われるので,これに対する解決策としてデジタル教科書の運用,教師による教科時間の配分調整ができるようタブレットPCのパフォーマンスのアップグレードが必要であり,タブレットPCを通じて起こる学業燃え尽きや学業ストレスを管理するプログラムを開発し,デジタル教科書を使う学生達の心理的健康の維持管理をしなければならない。
 以上のように,対象が学齢期の成長する児童と教えている教師であることを考慮した上で,デジタル教科書に関わる現在あるいは潜在的な健康問題についての正確な実態の把握と予防策が具体的に用意され,今後適用されなければならないし,定期的に管理が行なわれるようなマニュアルの開発などが必要だと思われる。
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 以上の要約の後,報告書では調査結果とデータを含めて研究内容が詳述されている。
 このような研究成果は,日本における教育の情報化事業にとっても大変参考となる知見であり,分野を超えた専門家が連携して持続的に取り組む必要のある研究課題と考えられる。
オリジナル: http://www.keris.or.kr/board/pb_board_print.jsp?bbsid=board01&ix=16253
(以上,Facebookノートより転載)

2010年の「教育の情報化」(1)

■電子書籍によって誘引された〈デジタル教科書〉議論
 2010年の日本で始まった〈デジタル教科書〉議論。
 「デジタル教科書」という用語もすっかりお馴染になってしまいましたが,一般的には「電子教科書」の言葉の方が普通でした。それに関係者にとって「デジタル教科書」は某教科書出版社が盛んに使っていた名称という印象も強く,2010年に入ってこれが一変してしまったという感じです。
 今回,私は2010年に巻き起こった議論を「〈デジタル教科書〉議論」と書いてみたいと思います。
 なぜならこの「〈デジタル教科書〉」は,「デジタル教科書」という名詞と分けて考える必要があるからです。日本の〈デジタル教科書〉は他のデジタル教科書とは違い,迷走状態です。そして〈デジタル教科書〉議論と書くことで,それは2010年の日本で起こった固有の問題であると表わしたいからです。

 ところで〈デジタル教科書〉という言葉の出所は?
 2009年12月22日に発表された総務省「原口ビジョン」にこの言葉が登場したことは多くの人々に知られているところです。また〈デジタル教科書〉議論の発端の一つが,このビジョンであることもよく知られるようになりました。
 それにしても,なぜ電子教科書と言わずに〈デジタル教科書〉なんて言葉を選んだのでしょうか。
 考えられる筋としては,民主党関係の資料に「教科書のデジタル化」や「教科書のデジタルデータ」という言葉が使われたからではないかと考えられます。
 これはかつて鈴木寛議員(現文科副大臣)が取り組んでいた拡大教科書の充実化活動において,ボランティアの拡大教科書製作をやりやすくするため教科書データをデジタル化が必要であると訴えていたものです。
 また,一番オーソドックスな筋としては,総務省用語(「地上波デジタル放送」など)から影響をうけて〈デジタル教科書〉になったというものもあります。
 あるいは,某教科書会社のデジタル教科書という呼び名も影響したかも知れません。

 〈デジタル教科書〉が注目を集めたのは,いくつか話題が盛り上がるための条件が重なったからです。
 ・電子書籍の盛り上がり
 ・教育の情報化の盛り上がり
 ・政権交代と国家IT戦略再始動の盛り上がり
 ・原口ビジョンの発表
 ・iPadの発表と発売
 これらのうち最初の3つがそれぞれ高まりを見せたところに残りの2つが投入され,一気に話題が沸騰し始めたと考えられます。
 もっとも大学人にとって電子教科書への関心の高まりは,2007年のKindle登場時から始まっていたともいえます。2009年10月のKindle2世界発売の頃には,洋書(主に英語文献)を入手する手段として魅力を持ち始め,電子教科書としての可能性を感じさせるに十分だったのです。
 そういう意味では,2009年後半から始まった電子書籍の本格的なブーム到来に便乗する形で様々な出来事が起こり,〈デジタル教科書〉議論が始まったといえます。

 もちろん,忘れてならないのはiPadの登場です。
 これはこれで〈デジタル教科書〉に限らず,大きなインパクトを与え,いまも世界は右往左往している真っ最中です。この年末までに,周りからのリプライ(競合製品など)がやっと登場してきたという感じです。
 iPad発表から発売までの間。実物がない分だけ,人々は様々なイマジネーションを注ぎ込みました。そして,その想像がさらに人々の関心をかき立てていきました。
 かつてCD-ROMを媒体として様々なマルチメディア・タイトルが登場し,人々が興奮した時代がありました。それが今度はiPad上で起こっているという感じです。それに魅力を感じるか,ただの焼き直しと感じるかは人それぞれのようです。
 ともかく,デバイスとしてのインパクトは強力でした。
 一枚板の形をしたデバイスを指でタッチ操作するだけで,メールやWeb,写真,音楽,ビデオを閲覧できる気軽さ。その完成度の高さは,競合製品が登場した今でも,全く色あせていません。
 もちろん,だからといって教育現場で使うツールとしての完成度が高いとまではいえません。まだ改善の余地のある製品です。しかし,シンプルでトラブルフリーである点は教育現場で使用するツールの条件として大変価値ある特徴です。
 そんなiPadが〈デジタル教科書〉の端末として魅力を放っていたというのも理解できます。なにより,それを積極的に印象づける人物が存在していたことが〈デジタル教科書〉議論の特徴でもあります。
 それがソフトバンクの孫正義社長です。

 〈デジタル教科書〉議論に登場する人物はいろいろいますが,一般の人々にこの議論を喧伝するのに力を発揮したのが孫氏であることに異論のある人はいないでしょう。
 しかし,〈デジタル教科書〉そのものに対する孫氏の関心は,それほど大きいわけではありません。
 孫氏にとって〈デジタル教科書〉は,ITによって実現する教育のひとつの形に過ぎず,むしろそのための基盤をつくっていく必要性に最大の関心があるようです。つまり〈デジタル教科書〉はあくまで分かりやすい事例の一つなのです。
 孫氏自身には教員になりたかったという過去の志望があり,もともと教育に対して関心が高かったことは確かです。
 それがこのように世間的な発言として現われるようになるきっかけは,総務省「グローバル時代におけるICT政策に関するタスクフォース」の国際競争力検討部会に関わるようになってからだと思われます。
 つまり,世界の中にある日本をどうしていくか,という問いに対して「ICT教育」の必要性を主張したことから一連の発言が注目を集め始めたようです。
 2010年1月25日の夜には「皆さんは、30年後の教育はどうあるべきだと思いますか?」というツイートで意見を募り,その後,ソフトバンクによるUSTREAMを使ったPR攻勢は多くの皆さんがご記憶の通りです。
 孫氏のこうした表立った動きとは対照的に,裏側で忙しく動いていた人物がいました。各種の審議会や研究会などのメンバーとして名を連ね,コンテンツ関係の政策動向に深く関与していた慶応義塾大学の中村伊知哉氏です。

 〈デジタル教科書〉議論において,中村伊知哉氏は「デジタル教科書教材協議会」(DiTT)という業界団体をつくるのに奔走した人物として知られますが,もともとコンテンツや著作権などの政策に関わった元官僚でもあります。
 そうした経歴を活かして,様々な分野の人物と繋がり,また人々を繋げながら,こうした動きを作ってきた張本人でもあります。
 ハブ的な立場に立つ人物として,中村氏の言動は〈デジタル教科書〉推進に大きな影響を与えることは明らかです。
 そうした期待に応えるように,〈デジタル教科書〉に関する著書を出したり,様々な人物との対談を企画してUSTREAMで流したり,デジタル教科書教材協議会の運営において会員間の潤滑油として動いている様が,外部からも見えます。また総務省と文部科学省の双方に研究会や懇談会のメンバーとして関わってもいます。
 残念ながら,私個人は現時点までの中村氏の活動をあまり高くは評価していません。たくさんの人物に会い,たくさんの情報を得て,大きな影響力を持っているはずですが,いまのところその成果が十分に発揮されておらず,ご本人が語る理念部分の説得力が弱くなっているためです。
 しかし,〈デジタル教科書〉に関わる主要プレイヤーは,ハブを求めて中村氏の周辺に集まっています。そこでプレイヤー同士が協力して力を発揮できるかどうかは,中村氏のコーディネイトにかかっています。今後の活躍が注目されます。

 次回は総務省と文部科学省が〈デジタル教科書〉にどう絡むのかを振り返ってみたいと思います。