20181012_Fri

大学祭初日。

いつも通り出勤して,こどもひろばの様子を覗きに行く。

金曜日の平日ということもあり,近隣の幼稚園から園児たちが遊びに来てくれる予定が入っている。1年生スタッフが入れ替わり手伝うようにアレンジされているが,たくさんの園児を相手となると会場は慌ただしくなる。

どのブースも賑やかで,子供たちは存分に楽しんでくれている様子。私もたまに覗きに行って,写真記録をしながら過ごした。

20181011_Thu

木曜日なのに月曜授業。

祝日のルールが変わってから,大学にとっての月曜日は実に面倒な存在になった。何かの祝日は月曜日に寄せられて,他の曜日に比して授業回数進度や確保が難しくなったからだ。今回の体育の日もそれだ。そのため木曜と入れ替えられた。

それと合わせてローカルな事情が重なったものだから,後期の月曜日授業は本日ようやく始まったところ。授業オリエンテーションとおおよその内容から。

翌日から大学祭のため午後休講。

学科の学生たちが「こどもひろば」を準備しているので様子を見に行った。案の定,そのまま会場設営の手伝い。教員が手を出すのもどうかと思うが,男手が足りない事情もある。

一日だけの限定開催だが,プログラミングたいけん活動の学生たちが担当するブースも準備が進んでいた。そちらは4年生が中心ということもあって,手を貸さずとも動いていた。

20181010_Wed

水曜日なんだけど金曜授業。

専門ゼミナールで『ライフロング・キンダーガーテン』の第1章を読み始め。

諸般の事情で本が到着したのが本日だったので,ゼミ生達はまだ中身を読めていない。最初ということもあり,私が担当して概説をした。概要をつかんでもらおうと,レジュメを作成して一気に説明をしてしまったが,もっとゆっくり味わうように進んでもよかったなと反省。次回は事前に読んでもらっておいて第1章の再検討から始めたい。

その後,学生と談話。

進路についてあれこれ話を聞く。「どうすればいいのか,よくわからない」と困っている様子。学生によっては,本当に何も決まっていない場合もあるが,その学生は自分なりに関心のある分野の企業を調べてあたりをつけている。それでも教職と一般企業とを悩み,また一般企業でもそこでいいのか「何が正解かわからない」と思うところを話してくれていた。

私の乏しい人生経験から役立つ話はできなかったが,いろいろ話をしていて,私自身も「これが正解かわからない」状態だったのに,なんとか今に至っているのは何故なのかを振り返った。

好むことや苦にならない自分の軸足になるものが一つだけでなく,二つ三つあったからなんとか時を過ごせたのかなと思う。

特別好きなことはないという人も多いが,とりあえず身を置いたり,軸足を据える場を見つけられれば,それがまず大事。その上で,いざというとき別の場にその身や軸足を移せるかどうか。そういう場を見つけられるかどうかが,「なんとかなる」につながるのではないか。その先が正解かどうかは,実のところあんまり関係ないのかも知れない。正解であることを心掛けたいとは思うけれど。

そういう意味で,昔と今では,身や軸足を移すための諸条件や状況がかなり変わっているのかも知れないなと思う。

私たちの時代は,あらかじめ限られた情報流通手段しかなかったので,流れ込んでくる情報を自身でフィルタリングする必要は薄くて,そうする習慣も強くない。つまり,わりとあれこれを知ろうとする姿勢が保たれていた。けれど,いまはインターネット経由で情報がたくさん流れ込んでくるので,最近の人は無関係と思うもの,関心ないものは自身で無意識にフィルタリングする習慣がついている。逆に関心あるものは無駄なものでも消費したりもする。

この仮説が正しいとは証明されていないけれど,たとえば授業中に提示される学習内容を「難しい」と括って受け付け難くなってしまうのを説明できるかも知れない。

話を戻せば,進路のことを話していて「何が正解かわからない」と言う,その言葉が発せられる原因は何かを考えた時,もしかしたら無意識に発動してしまっているフィルタリングのせいではないか,と思えたのである。

話のオチは,だからこそ「クリエイティブ・ラーニング・スパイラル」に巻き込こんでいくような,そうしたゼミナールや学びの環境を一緒に作っていけばいいんじゃないの?ということになるが,転がり始めるための最初は,まだまだ暗中模索といったところである。

20181009_Tue

授業と会議の日。

情報科学はコンピュータの現状と誕生について。

パソコンやスマートフォンといったコンピュータ機器の種類を知ることから始めている。iPhoneユーザーが圧倒的多数なので,ブランド名やメーカー名,基本ソフトの種類の紹介でAppleのものを先頭にした。20年前には潰れかかっていた会社だったと思うと感慨深い。

コンピュータの歴史を知るのに,映画「ドリーム」と「イミテーション・ゲーム」を紹介した。映画は1960年頃と1939年頃の実話をベースとした物語であり,日本のパソコンブームの到来が1980年頃であることも示しながら,コンピュータが60年〜80年くらい前に生まれたものというイメージを持ってもらった。どこを起点にするかは諸説あるだろうけれど。

教員採用試験に臨んだ4年生達の結果が順に判明して会議でも報告が上がる。努力の成果が実った人も多かったし,悔しい結果になった人もいる。結果についてはいろいろ考えられることはあるけれど,ご縁が有ったか無かったか。最終的にはそこに尽きる。縁を受け入れるお互いのタイミングが合ったかどうかなのだと考えれば,次の一歩を踏み出しやすいとも思う。

20181008_Mon

体育の日で祝日。

ニコラス・G・カー『クラウド化する世界』(翔泳社)を覗く。

コンピュータネットワークにどっぷり浸かった日常を,もう一度,その始まりから考えたいと思って開いていた。

ちょうど10年前,2008年の著作。原題は”THE BIG SWITCH”(大転換)であり,様々なソフトウェアがネットを介したサービスとなっていく流れの幕開けを記録した本である。カー氏は『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』※(ランダムハウス講談社)や,『〜・バカ』という邦題を付けられてしまう著作をあれこれ書いている人だ。(※『もはやITに戦略的価値はない』という電子書籍になっている。)

気になった部分。

「技術と経済の相互作用が最も明らかに見ることができるのは,社会に不可欠な資源が提供される方法に変化が起きるという,ごくまれな機会である。」「その他の重要な多種多様な資源−−水,輸送,文字,政治組織など−−の供給が変化したことは,社会を形作る経済的取引をも変化させた。百年前に人類は,テクノロジーが人間の身体的能力を超える瞬間に到達したのである。そして今日,我々は同様に,テクノロジーが人間の知的能力を超える時を迎えている。」(27-28頁)

カー氏は,人々の技術進歩の受け入れを,経済の問題として語る。

私たちが電化について,電力インフラを構築した世の中を受け入れたのは,「経済的な力の帰結」と指摘する。これと同じ事が情報化についても起こっているとカー氏は述べているし,実際,私たちはそうやってインターネットに支えられた社会を受け入れている。

「クリックがもたらす結果が明らかになるまでには長い時間がかかるだろう。しかし,インターネット楽観主義者が抱きがちな希望的観測,すなわち「ウェブはより豊かな文化を創造し,人々の調和と相互理解を促進するだろう」という考えを懐疑的に扱わなければならないのは明らかだ。文化的不毛と社会的分裂もまた,等しくあり得る結果なのだ。」(199頁)

経済という観点から電化と情報化を類似的に見ることは容易であっても、文化的な観点から考えた時には,かなり異なる影響のしかたをする。その後に続くカー氏の一連の著作(『〜・バカ』)が,それを掘り下げてたものになっていることも興味深い。

結局,私たちは何をして生きたいのか。そういうベタな問いに戻ってしまった。