20180513 「みんなでつくる!情報時代の学校 ~教師・家庭・地域・民間をICTでつなぐとできること」

2018年5月13日、仙台で「みんなでつくる!情報時代の学校 ~教師・家庭・地域・民間をICTでつなぐとできること」という催事があり、参加させていただきました。こちらも『情報時代の学校をデザインする』という本絡み。翻訳チームのリーダである稲垣忠先生が関わられている別のプロジェクトの成果報告と合わせて、本に触れるという感じのイベントでした。

催事の前半にNTTドコモさんがバックアップしてくれた実証研究の報告が小学校の先生方によって行われ、休憩の後、協働でのICT活用という部分で私が少し話したり、NTTドコモさんから話があったり、最後は会場でディスカッションしようという組み立て。

当日は仙台ハーフマラソンにも関わらず、催事取材に多くの地元マスコミが集まってくださったようで、テレビ取材カメラもバシバシ撮影していたのですが、その夜に放送、配信されたニュースはこんな感じ。

テストの平均点が2倍に!!タブレットPCを小学校の授業に活用で:仙台放送」(Yahoo!ニュース)

NTTドコモなどが実証研究 タブレットPCで点数2」(仙台放送)

前半の報告で、算数の事前・事後テストの結果を全体と上位群、中位群、下位群に分けて正答率の伸び率をグラフ化したスライドがあり、それが大変印象的に見えたらしいのです。

おかげで後半部分はまったく触れられず、無かったかのような扱い。河北新報のマラソン応援旗を振り過ぎて仙台放送に避けられたんだという話もありますが、これでは何のためにずんだシェイクと麻婆焼きそばを食べに来たのかと思ってしまいます(紹介されずにホッとしているのも事実ですが)。

そもそも、勉強する前と勉強する後で点数が上昇するのは当たり前。「タブレットPCで点数2倍」というのは「紙の教科書で点数2倍」というのと同じくらいに当たり前。新しく学ぶ内容なら、2倍なんて伸び方は少ない方です(タブレットPCで1倍以下マイナスにならなかっただけマシ)。でも最近の子供達は事前に塾や通信講座で勉強していることもあるので、そういう子が多ければ事前事後の差が少なく2倍以下になるかも。

その辺は事情を知っている人たちから補足説明があれこれ発信されていますので、お読みいただければと思います。

お騒がせしております。」(阿部さんのFacebook)

「みんなでつくる!情報時代の学校 ~教師・家庭・地域・民間をICTでつなぐとできること」実践紹介詳細レポート(2018513日)」(教育ICTリサーチブログ)

あのスライドから読み取るべきは、「タブレットPCの活用が下位群の子供達の学びにグンと役立つ、かも知れないね…(仮説)」というものであり、それ以上でも以下でもないというところです。その仮説だって、「もしかしたら紙の教科書も下位群の子供達の学びにグンと役立ってるかも知れないね」と言われたら、特段のメリットもないことになりますので、これからまだまだ実証研究を重ねなきゃね、教育委員会さん、NTTドコモさん、引き続き支援よろしくね、ということに話がつながっていくわけです。

というわけで、すっかり注目をかっさらわれてしまったわけですが、私の話は、「つなげるICT」と『情報時代の学校をデザインする』の話。

協働でのICT活用について稲垣先生から話を振られたので、このブログでも以前書いた「授業でのICT活用を摑まえる」の図をご紹介して、他者との関わり合いにおいてICTが大きな力を発揮するかもね、という話をしました。

それで、工業時代と情報時代という話になって、過日、滋賀県で行なった話を簡単にご紹介したわけです。

つまり、「工業時代の教育」と「情報時代の教育」という話をすると、いまの学校は依然として工業時代の教育を行なっているんだという話になりがちで、そうなると聞いている教師の側は、自分のやっていることが自分自身をひっくるめて「工業時代の教育」という時代遅れをやっているのだと、それは古くて、お払い箱なんだと聞かされれば、いま教師である自分自身が捨てられる扱いなのだと聞こえてしまう。

この本が書かれた米国や海外であれば、正論を真正面から書いたり発言しても、「なるほど I see. あなたの言っていることはもっともだ。私たち教師も変わらなければ、Yes, we can!」なんて話になるんでしょうけれども、ここは日本なので、そういうことにはならないわけです。

というわけで、本を訳しておいて何なんですが、この本を扱う時は、日本の文脈に配慮したよみかたと受け取り方をしなければならないわけです。でも「タブレットPCで点数2倍」とかで舞い上がって、後半の人の話を取材しない人達がいる日本ですから、本当に「ちょとまってちょとまってテレビマン」しないと、ちゃんと聞いて理解してもらう姿勢が生まれません。そういうシチュエーション(状況)をこちらが作ってあげる必要があるのだろうと思います。

それで、私の話は簡単で、実は日本に限らず先生たちのマインドはすでに「情報時代の教育」を志しているのだということです。

情報時代の教育の内容を聞いて、それを否定しようと考える教師はどこにもいないわけで、問題は、それをさせてくれるような条件や環境にないということ。

日本の学校教育でいえば、ある人は「学習指導要領体制」が問題なのだと表現するでしょうし、ある人は「通知表や評価」が問題なのだと表現するかも知れません。もちろんある人は「日本的学校文化」という問題を指摘するでしょう。

ある人達がするように「日本の先生たち」が問題だと表現することも可能ですが、おそらく個々の先生方は「情報時代の教育」がもつ特徴を理解しているはずです。

仮に自分たちが工業時代の学校制度の中に位置付けられているとしても、先生たちのマインドはすでに情報時代を受け取れている部分があるはず。であるなら、それが前面に出せるように従来の様々な縛りを丁寧に「解除」していくことが大事なはずです。

この本の中でツールの役割について語られている部分はありますが、それは全体の一部です。『情報時代の学校をデザインする』の6つのアイデアを検討していくと、日本において教師を縛っている解除すべきものが山のようにあることが、いろいろ見えてくるはずです。

ICT活用は、新しいものを取り入れるという意味において、日本の学校やその仕組みを見直す契機になりやすく、それ故に解除すべきものの多さに頭を抱える、工業時代の教育と情報時代の教育の狭間を揺れ動かざるを得ない困難さが伴います。

そこを渡って、なんとか向こうへ行くには、勢いも必要ですし、丁寧な計画や仕掛けも必要だったりします。そうした様々な状況に応じた様々な手段を上手に使い分けなければならないわけですが、そのためのコンセンサスを作る機会がなかなかないことが、私たちの苦しい状況を生んでいるのかも知れません。

20180511 滋賀県都市教育委員会連絡協議会

ご無沙汰してます。りん研究室です。

平成30年度が始まって、すでに5月中旬ですが、あれこれやっているうちにブログの更新が滞ってました。研究室は、新しく加わってくれたゼミ生たちとの活動や4年生たちの卒業研究の取り組みも始まって賑やかです。

2018年5月11日に滋賀県近江八幡市で「滋賀県都市教育委員会連絡協議会」が行なわれ、ゲスト講演者としてお呼びいただきました。文部科学省の事業でご縁を頂いてから近江八幡市にお邪魔していますが、今回は他市の教育長や教育委員の皆さんもいらっしゃる前で「ICTの可能性 〜過去と未来をつなぐもの〜」というお話をさせていただきました。

翻訳に関わった『情報時代の学校をデザインする』(原題 Reinvented Schools)にご関心を持っていただいていたこともあって、その本のご紹介をしつつ、ICTまわりについてお話しすることになりました。本は、特に教育委員会レベルの皆さんに読んでいただいたり、考えていただき、自分たちなりの情報時代の学校教育を描いていただくのがとても重要だと思うので、これは願っても無い機会と思いました。

それだけだと商売っ気が強すぎるので(ええ、それが私の大人げないところですが)、歴史を振り返ると称して過去の関連文献を書影とともに辿りました。否定派・肯定派の様々な文献があったわけですが、否定するにしたって、肯定するにしたって、こういう蓄積をちゃんと参照しようねというお話です。ご紹介したもの以外にもまだたくさん文献はあります。

『情報時代の学校をデザインする』も、アルビン・トフラー『第三の波』を参照する形で工業時代と情報時代の議論を展開しています。ある意味ベタなパラダイム議論ですが、Sカーブの説明はシンプルなだけに理解を得やすいようです。

物事の始まりからしばらく(A点からB点)は生産性や成果など緩やかですが、やがて劇的な改善期間(B点からC点)を迎えて、いずれ上限に達する(c点からD点)のがSカーブ。

しかし、Sカーブの上限に達したものの、さらに上の域を目指さざるを得ないニーズが発生した場合、どうしたらよいのでしょうか。その場合、別のSカーブに移行するという選択があります。本では、米国の鉄道輸送と飛行機輸送の2つのSカーブの喩えで説明しています。

増加する輸送ニーズに応えるため、飛行機が持っているポテンシャルに期待して導入を始めるわけですが、鉄道が長い時間をかけて達した上限と比べると、飛行機の初期段階の生産性はまだ低い水準で推移するため、飛行機に対する懐疑的な意見も根強いことになります。それでも飛行機が本領を発揮するまで地道な整備と投資を続ける(E点からF点)ことで、やがて鉄道を超えるポイント(F点)を迎え、飛行機は安全性の高い輸送手段としての地位を確立するに至るというのがSカーブ的な説明となります。

どのように具体を解釈するか、様々な態度があり得ますが、教育とICTについても同様なことが言えるのではないかというのが私たちの議論になります。つまり、ICTを活用した教育・学習も地道もしくは周到な準備期間無しに、劇的な改善を迎えることはできないという至極まっとうな捉え方をしようということです。

それは、A点からB点(別の図でF点を迎えるまでの踏ん張り期間)を覚悟して積み上げなければならないということですが、残念ながら日本の教育の情報化の歴史を振り返ると、この踏ん張り期間の積み上げるべき時に積み上げができていなかったことが、現在、大きなツケとなって私たちに降りかかっているのです。

こうなると、もはや「地道に」では足りなくて、「周到な」策を用意しなければ、期待するような成果を得ることは難しいということになります。

そもそもこの本はICT活用を中心には書いてなくて、情報時代の学校を再発明しようというテーマであり、学習を取り巻く私たちのパラダイム(見方・考え方の枠組み)を転換しなければならないことを書いてます。

とはいえ、いきなりマインドを替えるというのは毎度唐突な話なので、最近邦訳が登場した『ライフロング・キンダーカーテン』に絡めて、幼児教育の世界で言われている「環境を通した教育」を考えてみることも意味があるのではないかとお話ししました。

つまり、私たち自身を学びに仕向けていく環境や状況に置くことが大事なのだと。その環境や状況を作り出していく努力を小中高大はもちろん、生涯学習全体で真剣に取り組んでいかなければならないということです。その原点が保育や幼児教育にあることを、教育委員会に関わる人々が再発見することが重要なのかなと思います。

そうなると、もはや一つひとつの市区町村が個別に取り組んで済むような次元ではなく、こうした連絡協議会のつながりを今まで以上に活用して、県域や県レベルでの連携を具体化していくことが求められるのだとお話しした次第です。

相変わらず話に熱が入って時間ちょいオーバーでしたが、懇親会の場ではいろんな教育長や教育委員の方にお声がけいただき、個々の疑問についてご一緒に考えてみるなど時間を過ごせました。

それから、今回匿名質問箱サービス「Peing」も冒頭にご紹介してQRコードで体験してもらったりしたのも評判良かったです。やはりいろいろ体験していただくことが大事だなと思います。とにかくよい機会をいただきました。

電通大附属図書館の古本市にて

2018年1月25日から27日まで,東京にある電気通信大学の附属図書館が,除籍図書を売却するための古本市を開催しました(古本市告知Webページ)。

「すべて1冊100円」という破格の値段で古本資料が買えるというニュースに小躍りして,ちょうど東京出張が重なっていたので,出発を早めて古本市に駆けつけることにしました。

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電通大の附属図書館の除籍本ですから,当然ながら理工学系の英語文献が多いわけですが,一般図書や図鑑・年鑑などもある程度出ていました。ほとんどは電通大生か院生の人たちで,量子力学や理論物理学の英語文献を当り前のように眺めて漁っています。

私の求めているものは,それとは違うレベルの図書ですが,どうもネットで販売する目的のせどりの人たちも居たようで,気を抜くと目ぼしいものが奪われてしまう感じです。

3日間行なわれた古本市の各日で陳列するジャンルが異なっているらしく,在庫は随時追加されるシステム。私は2日目に訪れて,『図解 コンピュータ百科事典』(1986)とか『総合コンピュータ辞典』(1994)とか,『パソコン通信ハンドブック』(1986)など,当時のパソコン事情を垣間見ることのできる図書を中心に購入しました。

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80年代の百科事典は,図版が多く,技術水準はいまと比べると未熟ですが,逆に基本的な仕組みを丁寧に解説することに力が入ることになるので,この分野の基本知識を独学するのに大変便利な図書になっています。現在,こうした要望を満たす図書を探すのは難しいのではないでしょうか。その代替が事実上Wikipediaになっているのでしょう。そう考えるとWikipediaへの寄付をもっと真剣に考える必要があるのかも知れません。

また『視聴覚教育研集ハンドブック』(1973)なんかを見ると,このときの視聴覚教育研修に対する熱と,いまの情報活用教育研修に対する熱とでかなり開きがあるなぁと感じたりします。

初日から参戦して通い続けたら,もっといろいろ手に入ったような気がしないでもないですが,それでも興味深いものをいくつか手にすることができ,早めの出発の甲斐もありました。

後記 – 『NEW』誌と時代を振り返る座談会01

2018年1月21日に「『NEW』誌と時代を振り返る – 座談会01」を行ないました。

これは,かつて1985年から2007年まで23年間刊行され続けていた教育向けパソコン活用情報誌である『NEW 教育とマイコン』(1995年4月より『NEW 教育とコンピュータ』と改称,以下『NEW』)と当時を振り返ることから,現在と未来を考える手がかりを得てみようとする試みです。

連続企画として考えていて,全体の初回となる今回は,創刊当時の編集長と副編集長,そして主要執筆者である方々にお集まりいただき,座談会形式としました。少人数での語らいから雑誌と刊行されていた時代を思い出していこうという意図でした。また,座談会の様子はネット配信するとともに,録画をして皆さんもアクセスできるようにしています(座談会01のWebページ)。

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大雑把な感想を先に書いてしまうと,やはり当時と現在で時代背景が大きく違うということを感じました。様々なことが,当時の経済状況や文化意識・時代認識に依存していて,たとえば,同様なことを具現化することは今日だと不可能に近かったりします。

そうした時代に依存した出来事を振り返ることにどれだけの意味があるのか,一般の皆さんには意義のようなものを見出せない取り組みかも知れません。私自身,気持ちが揺らいでしまう部分がないわけではありません。しかし,現在や未来を把握することは,過去に何があったかを知ることから始める必要があります。いまは,そのための記憶や記録の断片を集め留めておく作業が圧倒的に足りないのです。

必ずしも統制された方法で資料を収集管理できているわけではないのですが,とにかく残せるものを収拾確保して残していこうとしています。ご関心ある方は「教育と情報の歴史研究」ページにご注目いただければと思います。

『NEW』誌の創刊は,初代編集長である貞本勉さんとご同僚方の尽力によってなされました。ある意味では,「貞本勉」という人物の軌跡を追うことが『NEW』誌の始まりを追うことになります。

今回の座談会によって,

  • 貞本氏は学習研究社入社前は中学・高等学校で教員をしていた経験がある。
  • 学習研究社への入社は,新たな教育システムの開発に従事するためだった。
  • 当時は,スキナーの「プログラム学習」理論が注目され,そうしたシステムの開発だった。
  • その後,「アナライザー」の開発にも取り組んだ。
  • 教育システムに対する評価が芳しくなくなったこともあり,教育書編集の担当へと変わる。
  • やがてパソコン教育利用の情報誌の刊行の企画が持ち上がる。
  • 既刊雑誌『学習コンピュータ』上の教育情報コーナーとして雑誌創刊の準備が始まる。
  • 『学習コンピュータ』誌が,『合格情報処理』誌と『NEW 教育とマイコン』誌に分化する。
  • 「NEW」という名前は「新しい教育の波」(New Education Waves)に由来する。
  • 創刊時「教育とマイコン」を雑誌名に選択する際,実は「パソコン」など他候補もあった。
  • 創刊前に,パソコン教育利用研究会全国一覧を作成し,各地の研究会の協力を仰いだ。

など,当時の貞本さんの奔走ぶりが見えてきました。

こうした貞本さんのパソコン教育利用情報誌づくりを技術的な側面で支えて来られたのは清水永正さんです。当時は,百科事典編集や情報技術者試験向けの雑誌の編集に携わっており,『マイコンライフ』というパソコン技術情報誌の編集をされていた頃に新しい雑誌をつくる仲間として貞本さんと合流されました。

その後,副編集長として『NEW』誌の刊行を支え,貞本さんが編集長から編集人へと代わられるのを機に『NEW』誌編集長に。その後,編集人へと立場を変えながらも,『NEW』誌の前半期に長く関わられてきました。姉妹雑誌『FD教材データ』や『教材CD-ROM』など,様々な展開にも清水さんは尽力されてきたのです。

また,雑誌の企画指導協力者の1人として岡田俊一先生,そして当時小学校の先生の立場として雑誌に記事を寄せていた原克彦先生も座談会に加わっていただき,当時の様子を教えていただきました。それについても機会をあらためてご紹介したいと思います。

貞本さんが語ったエピソードの一つ,当時開発された新しい教育システムの「アナライザ」にまつわる話がありました。

これは児童生徒に選択ボタンを持たせることで,5肢までの選択質問の回答を集計できるシステムです。これを児童生徒の理解度把握に利用することで,回答に応じた支援に繋げることができるというものです。特に,「その他」という選択肢を選んだ児童生徒に向けてどう対応していくかがとても重要であると貞本さんは語っています。

うまく活用することでよりよい学習支援に繋がり,アナライザーの利用がより進むと考えられがちですが,実際には,うまくいかなかったそうです。

なぜならば,子供たちの現状が把握できるということは,翻って,先生達にとって自分の授業の善し悪しが見えてくることでもあり,出てきた集計結果が自分の授業の未熟さを指し示しても,うまく対応できないまま次から次へと時間が流れていってしまうことで,直に先生達が嫌になって使わなくなってしまうことが起きたといいます。

学習状況の把握や学習履歴の蓄積を学習や支援に建設的に生かすというモチーフは,ビッグデータやAI,アダプティブ・ラーニングなどといった言葉が登場してはいますが,今日の教育とICT界隈でも生き続けています。

最新技術のおかげで,データ解析結果に応じた適切な対応や支援を有効的に提供できるようになっている部分もありますが,とはいえ,先生達にとってはデータ解析結果をどのように活用すればいいのか,そうしたデータに接する際のメンタルな部分について,どう対応しどう処理するのかという十分な蓄積があるわけではありません。直に先生達が嫌になってしまうという,かつてと同じことが起こらないという保証はないのです。

今回の座談会でお聞きした話から,こうした,現在や未来の取り組みで考えなければならないことのヒント等を見つけ出せるとよいなと思います。ただ,そのためにもまだまだ掘り起こしが必要な段階だと思います。

次回の企画は未定ですが,引き続き,座談会企画やバックナンバー記事をたどる企画など考えて実現していきます。