『情報時代の学校をデザインする』

新しい本が出ました。

情報時代の学校をデザインする 学習者中心の教育に変える6つのアイデア』(北大路書房2018)

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今回は,稲垣忠,中嶌康二,野田啓子,細井洋実というメンバーに加えていただき,第5章を中心に担当しました。稲垣先生との翻訳仕事は3回目。といっても日の目を見たのは『デジタル社会の学びのかたち 教育とテクノロジの再考』という一冊ですが,北大路書房さんのご尽力をいただき今回の翻訳本を出版することができました。

「学習者中心の学び」を実現する学校のことを書いた本です。

このように書くと皆さんは「児童中心主義」という言葉を思い出し,それがうまくいった話は聞いてないと,かつての勉学成果を発揮されるかも知れません。

確かに児童中心主義は,かつて進歩主義的教育の主要な潮流であり,統制よりも自由を追い求めてみたものの,結果的に個人的な発達に任せただけでは現実に対応しきれず,運動として衰退しました。

そういう歴史を学んだことのある先生方は,「学習者中心」という言葉にも同じ匂いを感じ,自らの職業的アイデンティティを誇示する思いも伴って,児童生徒任せの学びと距離を取らざるを得ないのだろうと思います。少なくとも,教科書の単元を一通り消化しなければならない教育の営みを,不確定な要素で乱されることには抵抗が強いはずです。

でも,そうも言ってられませんね,というのがこの本になります。

この本が掲げる「学習者中心」は,児童生徒の欲求赴くままにという意ではありません。

「情報時代」と呼ぶ世界で,教育というものは,そもそも初めから学習者が「中心にある」形や仕組みで成り立っているのだという意味です。

私たちは「工業時代」と呼ぶ世界を生きてきた人がほとんどですから,工業時代の教育の形や仕組み(たとえば工場モデル)から出発して物事を考えるしかできないので,学習者中心というと,児童生徒を主人公っぽくして何かを学ばせるという発想でイメージしがちです。つまり「工業時代」の目線から「情報時代」の話を読もうとしています。

しかし,この本の話は徹底的に「情報時代」の教育を語っているのです。

「情報時代」の教育を純粋に思い描きたければ,「工業時代」の教育目線はなるべく排す必要があります。こんなことできないよぉ,と思ったとしたら頭が「工業時代」だからかも知れないからです。

そうはいっても現実的には「工業時代」の教育を営んでいる学校がほとんどですから,そこから「情報時代」の教育へ変えるためにはどうしたらよいだろうか,ということが大きく6つほど提案されているというわけです。

本の中では「パラダイム転換」という言葉が使われていますが,それはもう「価値観の転倒」さえ覚悟してもらわなければならないのだということを意味しています。

「情報時代」の教育の実行には,必然的にテクノロジの力を借りなければなりません。

いやいや,そもそも情報時代とはテクノロジの時代なのだから,教育にテクノロジが利活用されるのは当たり前なのだというくらいの振り切り方が必要です。

だからといって,四六時中コンピュータやテクノロジを前にして教育が行なわれるなんて未来イメージを描くとすれば,それは漫画か映画の見過ぎです。

テクノロジはすでに生活や社会の中に溶け込んでいるわけですし,学びや探求心が加速する場では,自然や外界との接触意欲や機会も豊かなものになっていくと考えるのが妥当でしょう。

そうした活動を支援したり,活発化させるのがテクノロジの貢献する部分でもあるはずなのです。

というわけで,肝心の核心部分は何も解説していませんが,6つのアイデアとは次の通り。

コア・アイデア1:到達ベースのシステム
コア・アイデア2:学習者中心の指導
コア・アイデア3:広がりのあるカリキュラム
コア・アイデア4:新たな役割
コア・アイデア5:調和ある人格を育む学校文化
コア・アイデア6:組織構造とインセンティブ

さて,これらがさらにどんな要素で構成されているのかは,本をお読みいただければと思います。

翻訳者メッセージでは担当者として「第5章こそ読んでくれ」みたいな負け惜しみを書きましたが,本書の大事な部分は第1章から第4章です。たぶん,日本の(根深いほど工業時代的な)学校制度の中では,かなり読むのが大変だと思います。

とはいえ,平成29年と平成30年に出た学習指導要領は,「カリキュラム・マネジメント」という言葉のもとで,混みあってきた学習内容をどのように教育するか計画することを学校に任せてきました。「学びの地図」に記された箇所すべてを時間内に回りきることは,これから年次が進行するほど無理が増します。

無理がたたって学校関係者の皆さんの疲弊や崩壊が行き着くところまで行く前に,この本をきっかけに自分たちで「パラダイム転換」してみてはいかがでしょうか。

JSET「プログラミング教育」リベンジシンポジウムのこと

2018年3月3日に東京・創価大学で日本教育メディア学会(JAEMS)と日本教育工学会(JSET)の研究会がありました。今回はJSET側の研究会テーマが「プログラミング教育・LA(ラーニングアナリティクス)」で多数の発表や関連シンポジウムがあったので参加してきました。

各発表のプログラミングに対する斬り口は様々ですが,いまは多様性を充実させる時期かも知れません。率直な感想は「プログラミング」を前提とした大車輪は回り始めて止まらない感じがしています。個人的には「プログラム」あるいは「ソフトウェア」あたりから入るべきだったのではないかと思いますが。

さて,2017年9月17日の日本教育工学会全国大会で開催が予定されていながら,台風の影響のため中止されたシンポジウム「プログラミング的思考力をどのように捉え,いかに育むか?」が,今回の研究会を機にリベンジ開催されることになりました。

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登壇メンバーは昨秋に予定されていたメンバーに1人加えられた5人となりました。

阿部和広さんは,Scratchの日本の伝道師とも言うべき方です。様々なワークショップや活動の場で接してきた子供たちの様子を踏まえて,自由に試行錯誤できる環境を与えられれば子供たちは自らプログラミングを「楽しみ」ながらその世界を会得していくことを指摘されました。

平井聡一郎さんは,学校教師の経験と教育委員会でICT環境整備などを主導してきた経験を踏まえて,いまは全国を飛び回りプログラミング体験・学習の講演をなされています。今回も移行期間で教師が現実的に始められる取り組み段階を紹介されていました。

高橋純さんは,東京学芸大学の教員で,国の有識者会議やワーキンググループの委員を務めています。今回の小学校におけるプログラミング体験に関する位置付けを一部の「必修化」という誤解を正しながら解説し,学習指導要領や教員養成カリキュラムに関連事項を入れ込むことがどれだけ大変な事だったかを紹介されました。3月10日にJSET産学協同セミナーがあるため,おそらくそこでも似た話を聞けるだろうと思います。

御園真史さんは,島根大学の教員で,数学教育に携わられています。数学の条件式やシグマの数列和などにもすでにアルゴリズム的・プログラミング的な処理の仕方が含まれているという話から始まり,しかしながら,教科の中でのプログラミングが教科の目的を達成するものとして意味を持つためには,教科教育における研究とそのための教師育成が必要であると指摘されました。

久保田義彦さんは,宇都宮大学の教員で,理科教育を専門にされています。算数と同様にプログラミングが例示された理科の立場からお話をされるにあたって、関わられている雑誌『理科の教育』の特集の紹介と,ご自身が講演などでわかりやすく示すための「調理の最適化」というお話でコンピュテーショナルシンキングの思考活動を説明されました。

各登壇者15分程度の発表後,フロアに対して横並びで質疑応答に移りました。

私はてっきり,司会者がテキパキと進行を采配しながら展開していくと思ったのですが,特別そういった形式はとらずに,登壇者とフロアとの緩やかなやりとりで進みました。

ふわぁっとフロアへ質問の振りが行なわれましたが,多くの方が様子見姿勢だったので,私から高橋先生へ質問をしました。

高橋純先生は発表で,今回の「プログラミング」は,総理大臣や一部の会議内での発言が「必修化」という言葉を使っているため,まるでプログラミングという授業が必修化されたように受け止められているけれども,現実には必修化という文言は使われていないし,学習指導要領の中で「プログラミング」は配慮事項として加えられたに過ぎないと冷静に解説されました。

また,おそらくそれは,プログラミング等をもっと積極的にやるべきと考えている人々にとっては,100求めたいところの1でしかないと映るかも知れないが,0から1になっただけでも大変なことであり,次(10年後)の学習指導要領でそれが少しでも増えるために,いまは盛り込めた「1」について大事に受け止めてしっかり成果を出していくことが肝要であると提言されました。

その解説はもっともで,大変大事な指摘なので,もっと広く周知されて,理解されるべきと思いました。

そして,その解説の際に,いかにプログラミング等の文言をあちこちに入れ込むことについて周囲からの抵抗があって,いま残せたものさえ危うかったか,敵の多さや入れ込むのに孤軍奮闘した苦労を多少冗談めかす形で語りつつ,参考にするものがあるとすれば英語教育の活動ではないか,それに比べ情報関係は20年遅れたとも言われたのです。

それで,フロアからの質問がすぐには出そうになかったので,「英語教育に比べ遅れた20年の原因について,先生の見立ては?」という質問を投げかけました。

シンプルな返答は「保護者や一般の人々への情報のイメージが英語に比べて良くなかった」というもの。これは情報のイメージがネガティブというよりは,英語の方が役に立つイメージが強かったという意味だと思います。高橋先生は「英語の教材等が豊富に用意され・充実したこともある」といったことも付け加えました。

とにかく,今回の学習指導要領で書き込まれた配慮事項が,実際の教科書でどのように書き込まれるかを注視し,丁寧に実践する事例と成果を積み上げる必要性があることを繰り返し説かれました。

その質疑の後は,現場の先生や教育委員会,大学で教員養成に関わる方からの質問に対して,登壇者が順にコメントしていく形が続き,シンポジウムの全体的な雰囲気はわりとふんわりとしたまま,時間となって終わりました。

刺激的なディスカッションが好きな私としては,テキパキとした司会進行のない今回のシンポジウムは,ちょっと物足りなかったというか,登壇者同士の対話や鼎談部分が薄かったかなぁと感じました。

阿部先生や平井先生は,どちらかといえば積極的にプログラミングに関わることをご自身の活動の中で推進している立場。高橋先生は,国の動きの中で起こっている現実を引き受けている立場。御園先生と久保田先生は教科教育における受け止めの中で語られる立場。この立場の違いをシンポジウムとしてもう少し面白く調理することができたはずなのですが,残念ながら,それぞれの味を引き出すというところには至らなかったのではないかと思います。

そのため,現実を引き受けている高橋先生の話のトーンがシンポジウム全体を染めてしまい,現実の中でどうするかを語り合う,探り合うといった,微妙な雰囲気に終始してしまいました。

当たり前のことですが,学習指導要領が告示されてしまった後なので,夢や理想のようなものを語るフェーズではありません。プログラミング体験やプログラミング学習に関して,その前提を問うという原理的あるいは理念的な議論をする部分については私自身積極的なのですが,学習指導要領に関わる部分について語る場合,あまり議論として盛り上がるものはないと考えています。

なので,100を求めちゃいけないよ,0が1になったことを大事にしなきゃいけないよ話は,本当のことではありますが,議論としてはあまり盛り上がらないし,微妙な感じになりがちです。さらに微妙さがあるとすれば,国の会議や審議会の場における様々な抵抗勢力話や孤軍奮闘話をあとから聞かされるという体験かも知れません。

もし,抵抗勢力や孤軍奮闘の苦しさがあるなら,その真っ最中に,多くの学会員に協力を求めたり,ロビー活動を要請するといった関係者の連携を模索してくれるべきなのですが,そういった国の会議や審議会の内部情報はほとんどクローズドになっているためか,結局一部の人たちが抱え込んで苦労しているのです。

そんな苦労を「大変だった…」とか「誤解が多くて…」とか「敵が多くて…」とか「猛抵抗にあって…」とか,場を盛り上げるリップサービスとして口にされているのだとは思いますが,それを聞かされる側は,手を貸さなかったかのような微妙な気分にもなってしまいます。

学会のシンポジウムには,いろいろ見せ方があるとは思いますが,今回のような旬なテーマの場合は,一種のプロレスみたいなものとして見せてもいいんじゃないかと思っています。

そのためには,司会者あるいはコーディネーターがある程度は場を操って,様々な立場や意見を交錯させて化学反応を引き起こすことが必要です。

今回のシンポジウムはその見せ方を取らなかったというだけですが,それぞれの登壇者の主張が平行したままフロアに投げかけられて終わったため,それも微妙な感じを残したのかも知れません。

現実路線は構わないのですが,議論に巻き込んで味方を増やすということをしないと,あと10年経っても周囲から抵抗や攻撃を受ける弱い立場が変わらないんじゃないか,そう思ったシンポジウムでした。

プログラミング的思考 -4

今年度も残りわずかになってきました。この時期はあれこれ催事が開かれますが、プログラミング教育関係をテーマにしたものも多いです。(カレンダー

20180223-24「こどものプログラミング教育を考える2018 ~2020年度を見据えた地域の教育実践例~」(オープンソースカンファレンス)
20180224「第3回こどもプログラミング・サミット2018 in Tokyo
20180224「Microsoft Education Day 2018 〜2040年に生きる子どものための学びのニューモデル〜
20180227「Webの未来を語ろう 2018 プログラミング教育編
20180227「セミナー「ICT活用を教える現職教員の対応力強化策」
20180303-04「Raspberry Jam Big Birthday Weekend 2018 in TOKYO
20180303「教育工学会研究会 プログラミング教育・LA/一般
20180308「プログラミング教育とICT利活用人材
20180308「総務省「若年層に対するプログラミング教育の普及推進」事業 成果発表会
20180308「Bett報告会 ブリティッシュパブでイギリス発教育サミットbettを語る夜
20180310「新学習指導要領でのプログラミング教育の実現に向けて 教育工学の立場からプログラミング教育を考える
20180312「「プログラミング教育が変える子どもの未来」出版記念セミナーイベントin東京〜プログラミング教育の名の下に世界で何が起きているのか、未来は本当に見通せているのか?〜
20180313「子ども達に,いま必要なマナビ:プログラミング的思考や読解力の必要性と教育のあり方は? 〜データなどの確かな根拠に裏付けされた実態と展望〜」(情報処理学会全国大会)
20180313「次世代の教育情報化推進事業「情報教育の推進等に関する調査研究」成果報告会」(文部科学省)
20180325「第4回 お茶の水女子大学附属学校園ICTフォーラム「プログラミング教育の現状と課題」

これだけの機会、プログラミング教育やプログラミング的思考なるものについて情報が交わされるわけです。なかなか興味深い展開ですが、これらの内容を知ることも、議論を接合することも、重複参加しているような人々でないと難しいのが困ったところです。

いまは、それぞれのテリトリーで課題に対する解決策を追いかけることで精一杯であり、それらをオープンにすることやコネクトしていくことにエネルギーを割いている余裕がないというのが実際のところだと思います。

「プログラミング的思考」に関してこれまで、「有識者会議の定義」「様々な論者の記述」「英訳を考える」といったアプローチで描写してきました。

その後、海外の文献なども取り寄せながら様子を見ていたのですが、ある論文に「Algorithmic Thinking」という言葉が用いられていることを見つけて、これが「プログラミング的思考」という言葉を使いたい人たちの考えに近い英訳ではないかと思えたのです。(論文「Algorithmic Thinking: The Key for Understanding Computer Science」)

あとからいろいろ調べてみると、すでに『コンピュテーショナル・シンキング』という本で、「アルゴリズミック・シンキング」という言葉が20世紀中庸に用いられていたことが紹介されており、そのことを指摘した論文「Beyond Computational thinking」が『Communication to the ACM』誌に掲載されていると書かれていました。

あえて古い言葉「アルゴリズミック・シンキング」の方が「プログラミング的思考」の英訳として適していると感じるのは、有識者会議の議論のまとめが、コンピュータでのコーディングよりも論理的思考の方に重きを置いたような印象を与えるからです。海外の人たちへ紹介するときの英訳としても、その方が理解や納得を得やすいのかなと想像していますが、これは実際に使ってみないとわかりません。

学習指導要領が本格実施されるときのプログラミング体験・学習が、どのような姿に落ち着いているのかは、今のところまだわかりません。

ScratchやViscuit等を用いるスタイルはもちろん生き残るとして、プログラマブルロボットやmicro:bitのような工作・メイカーキットの活用が加速するのか、あるいはアンプラグドと呼ばれる取り組みが教科との多様な連携を見せるのか。正解がない以上は、あれこれ試してみてはダメ出しや改善をしながら切磋琢磨して紡ぎ出すしかないと思います。

たとえば、Webデザイン(情報デザイン)やゲームデザイン、AIシナリオデザインといったものも、プログラミング体験や学習の範疇に取り入れる可能性についても、「あえて」取り組んでみる必要があるかもしれません。そうしたときに教科の横断や連携といった試みも必要性のもとに浮かび上がるかもしれません。

以前「プログラマー「を」育てる教育を」という雑文を書きました。

プログラマーを「特定の職業ではなく、数理系に偏るものではなく、高度な情報活用能力の体現者」という風に考えてみてはどうだろうか、というのが雑文の趣旨でした。

正直なところ、いま起こっている物事の全てが、「プログラミング」という言葉を所与のものとして前提したまま展開していることが、このややこしさの出発点だと思っています。そのうえ、学習指導要領には長い年月積み残した宿題(問題)が放置されたままであり、私たちはその上に新しいことを継ぎ足そうとしていることも、事を難しくしています。

「プログラマーを」育てるという言い方は、もちろん、多少の釣り要素が込められた言い方ですが、それがいまいち腑に落ちないのであれば、「能動的なユーザーを」育てると言ってもいいし、「情報時代に生きる市民を」育てると言ってもよいと思います。

この時期、あちこちの催事で語られるプログラミング教育やプログラミング的思考なるものに関する議論で、それらがどのように描かれていくのか。議論する私たちも、もっとたくさん学ばなければならないのだと思います。

平成28年度 学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果

2018年2月20日に政府統計ポータルサイトe-Statで文部科学省「学校における教育の情報化の実態等に関する調査(平成28年度)」結果の確定値が公開されました。日本の教育情報化の実態を全国的に悉皆で調べている唯一の調査です。

今回の調査結果の発表は例年に比べるとかなり遅かった上に,コンピュータ周辺機器として台数公表されてきた「プリンタ」「スキャナ」「デジタルビデオカメラ」「デジタルカメラ」の項目が削除されました。(逆に平成26年度からは校務支援システムの調査項目が加えられるなど,情勢に応じて項目は見直しが行われています。)

「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」は,質問票の公表はされず,集計前の回答データも公開されていないため,今回の項目削除が調査しなくなったのか,集計結果を公開しなくなっただけなのかは不明です。

こうした変更で困るのは,「経年比較」をする場合です。

りん研究室では,公開されてきた調査結果の一部を,年度順に配置し直した「経年データ」を作成しています。これによって年を経る毎の変化を見ることができるのです。

学校における教育の情報化の実態等に関する調査の経年データ(Googleスプレッドシート)
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1t-PAZ5Ijit2bSzaxbkQcnJ2xPryKsr9gjSZT9wlF9UU/edit#gid=1533587962

経年データを使うと,たとえば,どの周辺機器がどんな変化をしているのか見ることができます。

このグラフからわかることは,

・どの周辺機器台数も普通教室の数を超えていない。
・「実物投影機」と「電子黒板」がスクールニューディールをきっかけに伸びてきた。
・「プリンタ」は減少。

などです。一部の周辺機器の項目が削除されたため,今後はこのグラフを伸ばして比較することができなくなったことは大きな問題です。

また,公立学校のWindowsバージョンの変化もある程度わかります。

この時点では,まだWindows7がかなりの割合を占めていることが分かります。

これらは全国の小中高等学校の数値をまとめてしまったものですが,実際には,学校種や都道府県毎の経年変化に分けて分析することが重要です。その上で,それぞれの地方自治体で導入ペースや今後の計画を設計していくのに役立てるべきです。

もう一つ考えなければならないことは,調査項目そのものがかなり前時代的な内容であるということです。

学校に導入されているものが,実際そのようなものであるという現実もあるし,一方で,ChromebookやRaspberryPi,micro:bit等,昨今急速に注目を集めて学校に導入されようとしているものを掌握できないという課題もあり,これからの時代に学校が導入すべきものが何かという議論と,調査内容を大掛かりに見直す必要が出てきているといえます。

導入すべきものの議論は,すでに「学校におけるICT環境整備の在り方に関する有識者会議」が議論を行ってきており,近く「教育ICT環境整備指針」というものが示されることになっています。

さらに調査内容の見直しも,これまで使われてきた「教員のICT活用指導力の基準(チェックリスト)」を大幅に改訂する必要性が議論されており,関係者によって作業が行われていると言われています。それをきっかけに他の項目も見直されるべきと思いますが,逆に経年比較ができるように配慮することも必要なので,項目の継続も大事なことになります。

どれも公表という形で蓋を開けてもらわなければ,私たちには伺い知れない議論や見直し作業なので,座して待つしかありません。私たちにできることは公表されたデータをもとに,いろんな語りを交わらせることだと思います。

電通大附属図書館の古本市にて

2018年1月25日から27日まで,東京にある電気通信大学の附属図書館が,除籍図書を売却するための古本市を開催しました(古本市告知Webページ)。

「すべて1冊100円」という破格の値段で古本資料が買えるというニュースに小躍りして,ちょうど東京出張が重なっていたので,出発を早めて古本市に駆けつけることにしました。

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電通大の附属図書館の除籍本ですから,当然ながら理工学系の英語文献が多いわけですが,一般図書や図鑑・年鑑などもある程度出ていました。ほとんどは電通大生か院生の人たちで,量子力学や理論物理学の英語文献を当り前のように眺めて漁っています。

私の求めているものは,それとは違うレベルの図書ですが,どうもネットで販売する目的のせどりの人たちも居たようで,気を抜くと目ぼしいものが奪われてしまう感じです。

3日間行なわれた古本市の各日で陳列するジャンルが異なっているらしく,在庫は随時追加されるシステム。私は2日目に訪れて,『図解 コンピュータ百科事典』(1986)とか『総合コンピュータ辞典』(1994)とか,『パソコン通信ハンドブック』(1986)など,当時のパソコン事情を垣間見ることのできる図書を中心に購入しました。

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80年代の百科事典は,図版が多く,技術水準はいまと比べると未熟ですが,逆に基本的な仕組みを丁寧に解説することに力が入ることになるので,この分野の基本知識を独学するのに大変便利な図書になっています。現在,こうした要望を満たす図書を探すのは難しいのではないでしょうか。その代替が事実上Wikipediaになっているのでしょう。そう考えるとWikipediaへの寄付をもっと真剣に考える必要があるのかも知れません。

また『視聴覚教育研集ハンドブック』(1973)なんかを見ると,このときの視聴覚教育研修に対する熱と,いまの情報活用教育研修に対する熱とでかなり開きがあるなぁと感じたりします。

初日から参戦して通い続けたら,もっといろいろ手に入ったような気がしないでもないですが,それでも興味深いものをいくつか手にすることができ,早めの出発の甲斐もありました。