滞っている研究室ブログの更新を再開していこうと思います。
7月後半から8月初旬は、大学授業の前期締めくくりと、公立学校が夏休みに入るということもあり、いろんな催事とそのお手伝いをする仕事、および夏期の講習関係の担当など、盛りだくさんでした。
その後、私的な米国渡米で不在をしていましたが、無事に帰国もできたので、少しずつ通常営業に戻しつつある日々です。
様々なドタバタがあり、最新動向のキャッチアップもできていないので、しばらくは浦島太郎状態で、勉強のし直しです。
滞っている研究室ブログの更新を再開していこうと思います。
7月後半から8月初旬は、大学授業の前期締めくくりと、公立学校が夏休みに入るということもあり、いろんな催事とそのお手伝いをする仕事、および夏期の講習関係の担当など、盛りだくさんでした。
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様々なドタバタがあり、最新動向のキャッチアップもできていないので、しばらくは浦島太郎状態で、勉強のし直しです。
小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)
→ 文部科学省サイト
→ 書込みPDF
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文部科学省「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」(平成28年5月13日,5月19日,6月3日)での議論を取りまとめた文書が6月16日に公表されました。
長い会議名に対して,まとめ文書は端的なタイトルです。
事の流れを大雑把に振り返ると,「e-Japan戦略」の頃から「IT人材育成」はずっと唱えられ続けてきており,2013年の「情報通信技術人材に関するロードマップ」で初等中等段階におけるデジタルコンテンツの制作やプログラミング等のカリキュラム開発が言及されました。
その後,「日本再興戦略」「世界最先端IT国家創造宣言」「日本再生実行会議」,そして「産業競争力会議」では4月19日の「初等中等教育からプログラミング教育を必修化します。」という発言が話題にもなって,同日に文部科学省が有識者会議の設置をしました。
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事の始まりから「初等中等教育」と言及され,小学校(初等教育段階)と中学・高等学校(中等教育段階)の両方でプログラミング教育を検討することが折り込まれていたといえば,確かにそうです。
また,議論の取りまとめを読むと,教育課程の中にすでに取り組みが存在する中等教育段階のことを考えれば,それへの準備期間である初等教育段階のプログラミング教育の在り方を検討することは,当然の成り行きなのでしょう。
しかし,このような流れでは,小学校段階における「必修化」の是非そのものを検討することは飛び越されています。つまり,小学校での必修化は不要であるとの選択肢は除外されていたわけであり,それが有識者会議における議論の苦しさ,取りまとめ文書のまだるっこしさの一因ではないかとも思います。
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その上,取りまとめ文書は,とても読み難いと感じました。
行政関連文書としての独特の言い回しをする必要があることも理解できますが,一部の文章は大仰に表現することを迫られて書いたようにも読めます。
そのため,「プログラミング教育」とか「プログラミング的思考」として捉えなくてもよいものまで,無理にその枠組みに入れようとしている印象を与え,小学校段階での「プログラミング教育」とは,現時点においてまなざしの問題であるかのように思わせてしまう側面もあります。
別の言い方をすれば,この取りまとめ文書の中で,小学校における「プログラミング教育」の成否は,各学校の「カリキュラム・マネジメント」による采配次第であるとされており,それが実現するかどうかは,次期教育課程の出来上がり次第です,期待してます,おわり,という構成になっているということです。
それがどこか対岸を眺めている「まなざし」という印象を生むのかも知れません。
もちろん,取りまとめ文書は,外堀に関しても言及しており,小学校の外部からの働きかけについて様々示唆されているように思います。そういう意味では,すべてを学校任せにせず,私たち自身が,日本という国が持続するための人材育成にもっと関わっていくべきと前向きな解釈をして「プログラミング教育」のムーブメントを推し進めていくのも大事でしょう。
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けれども,取りまとめ文書の,特に冒頭部分の一連の文章は,私の読解力の低さがあってか日本語として冗長な部分が多いと感じ,プログラミング教育を語る後半にたどり着くまでにはすっかり疲れてしまいました。普通の人たちは,これくらいあっという間に読み解くものなのでしょうか。
仕方ないので,私なりに添削をしたのが冒頭の「書込みPDF」です。
行政関連文書ではそんな風に書かないというご意見もあろうかと思いますが,誰かに読んで欲しいならば,こんな感じで変更してみてはどうだろうかという私なりの提案です。
その他,思いついたことも少し書込みましたので,ご笑覧ください。何か思いついたら追加して書込んだりしますので,そのときは再ダウンロードを。
昨年度(平成27)は,文部科学省「ICT活用教育アドバイザー派遣事業」に関わって,ICT活用教育アドバイザーとしてお仕事をしました。
臨機応変に仕事をさせてもらえたので悪い印象もなく(逆に言えば好き勝手してご迷惑をおかけしたので私の悪評は増したと思いますが),断る理由がなかったので今年度もアドバイザーリストに名前を連ねることになると思います。(今年度の関連ページ)
とはいえ,昨年度の仕事について,事業全体の視野で考えをまとめることができていないのは残念だったので,今年度はもう少しその辺の考えを深めたいと思います。
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ちなみに,昨年度の仕事は,次のような報告書にまとめられています。
「地方自治体の教育の情報化推進事例―ICT活用教育アドバイザー派遣―」報告書
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/1370125.htm
この報告書は「自治体の持つ課題」を7つに類型化して掲載しています。
この類型化は,自治体と,そこで一緒に議論した人間にとっては,少々取っ付き難いというか,何というか。自分たちのことを分析した時に「〜がない」とか「不足」とか言うのは納得できますが,初めからこう分類表現されてそこに自分たちを当てはめるとなると,心理的な抵抗感や違和感があるように思います。そのことを意見できなかったのは後悔しています。
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一方,アドバイザーとしてのアプローチに関して,各人各様だったとはいえ,類型化のような整理が行なわれず,報告のみになってしまったことで課題として残りました。
昨年度は事業自体に許された時間が短期間だったことも,未整理の原因でした。今年度がどうなるのかは見当もつきませんが,少しは前進するといいなと思います。
ちなみに,ICT活用教育アドバイザーの中の一人として私が個人的に考える課題へのアプローチ項目は次のようなものです。すべての課題に対応するものではありませんが,こういう項目は確認しておきたいなと思うところです。
「現状認識の整理」
「技術的可能性の理解」
「地域としての願望整理」
「教室での利用場面を思考再現」
「鳥瞰的なシステム概略図の作成」
「国・都道府県と自治体の施策比較」
「教職員のICT環境の見直し」
「関係部局の協業体制の構築」
「関係者の継続的なコミュニケーション」
今年度はどこかを担当するのか,しないで終わるのか分かりませんが,あれこれ心配されている教育システムに関する問題についても意識をしながら,このお仕事も考えてみたいと思います。
年度内にまとめる予定の次期学習指導要領と,2020年に向けた様々な動きと相まって,教育と情報に関わる範疇でもいくつか重要な議論や方針が伝えられています。
ここ数ヶ月に限れば「教育の情報化」「情報活用能力育成」「デジタル教科書」「プログラミング教育」といった論点において,次のような動きが伝えられています。
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【教育の情報化】 「「2020年代に向けた教育の情報化に関する懇談会」中間取りまとめの公表について」(文部科学省)20160408 「ICT効果に期待9割 PC室更新は6割がタブレット系:2020年代に向けた教育の情報化に関する懇談会<文科省>」(教育家庭新聞)20160411 【情報活用能力育成】 「20160420 教育課程部会 情報ワーキンググループ(第7回)配付資料」(文部科学省) 20160531 「教育の強靭化に向けて(文部科学大臣メッセージ)について(平成28年5月10日)」(文部科学省)20160510 【デジタル教科書】 「「デジタル教科書」の位置付けに関する検討会議」(文部科学省) 「文科省の有識者会議「2020年度からのデジタル教科書導入は各自治体の判断」」(ZDNet)20160603 【プログラミング教育】 「小学校のプログラミング教育必修化 IT技術でなく論理的思考力が大事 文科省有識者会議」(産経ニュース)20160603 「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議(第3回)配付資料」(文部科学省)20160603
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こうした方針に対して,肯定否定も含めて反応は様々です。
Twitterのような衝動発言も多く含まれるメディア上で散見される反応は,報道の見出しの誤読によって生じているものもあり,誤解に基づいた見解もありそうです。しかし,現時点では正式な議事録や方針に関する資料が公表されていないものもあり,報道や伝聞の情報をもとにするしかありません。
私自身も,この界隈の関係者として議論に関する周辺知識はありますが,国の審議会や懇談会(有識者会議)で具体的に何が話し合われているのか知る術は報道と伝聞以外にありません。
そうした前提条件を念頭に,たとえばデジタル教科書であるとか,プログラミング教育といった注目の話題に関して,有識者会議がまとめたとされる内容には,大きく議論の余地が残されていると私自身は感じます。
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「デジタル教科書」なる言葉が使われ出したのは21世紀(2001年以降)に入ってからというのが私の調べです。当初は「教科書のような/教科書に沿ったデジタルの教材」という意味合いで使われた言葉だと推察されます。やがて2005年に指導者用デジタル教科書といった商品が登場し,教科書そのものをデジタル化することのイメージが強まりました。
そこから10年程,様々な出来事を経て,今回の検討会議は,これを正真正銘の「教科書」の観点から扱うとしたら,どう捉えればよいのかということが議論されているのです。
この問題の難しさは,紙の印刷物を中心に考えればよかった時代の法令にあります。日本の学校は,学校教育法の第三十四条で「文部科学大臣の検定を経た教科用図書又は文部科学省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。」と定められており,この条件を満たせる「教科用図書」は,紙の検定教科書だけなのです。デジタル教科書は,これを代替することはできません。
使用義務が課せられている教科書の特権的な位置付けは,当然様々な思惑や課題を引き寄せるわけで,別の言い方をすれば,簡単に中身を変えられる位置付けではないということになります。その代表が「教科用図書検定」であり,これが紙の印刷物を検定対象とする前提である以上,デジタル教科書そのものが「教科用図書」になることはあり得ません。
今回の検討会議は,紙版教科書をそのままデジタル化した「デジタル版教科書」についてはあらためて検定する必要はなのではないかという見解を示したようです。しかし,そこから先のことは明確に伝わってきていませんので,その部分が長期的に見て重要であるがゆえに,短期的にはあえて言及していないのではないかと推察されます。
使用形態の議論は,法令遵守の観点でも名目上は重要ですが,あまり深堀過ぎると決まり事が多くなって窮屈になり,自分たちの手足を縛りかねないので,いまは曖昧のままがよいだろうと思います。
「「デジタル教科書」という用語」(教育と情報の歴史研究) 「デジタル教科書の過去,現在,そして明日─提示型デジタル教科書からデジタル版教科書へ─」(原久太郎)
小学校段階でのプログラミング教育に関しては,多くの反応と同じく,時間確保をどうするのか見えないままです。また,プログラミングを身に付けるのではなく,プログラミング的思考を身に付けるんだという方向にグイッと引っ張った感じもあります。これは私も傍聴した第2回目の有識者会議で議論されていたことでした。
「総合的な学習の時間」で取り組んでもらうのをイメージする人達も多いですが,この「時間」が何やっていいのか分からず持て余している枠だというのは遠い過去のもので,いまやどの学校も何かしらに取り組んでいて,むしろ3年先まで予約の取れないレストラン状態といってよい時間です。
報道によれば,取り組む教科や時間は学校側が決定することを提言するようですが,これもそうした事情が分かっているからこそ,現実的には任せるしかないという落とし所でしょう。丸投げといわれればそうかも知れませんが,下手な明言も爆弾投げ込みとなり,無理な話です。
Computational Thinking(コンピュテーショナル・シンキング)を「プログラミング的思考」として何やら定義したようですが,これも現時点では詳細は確認が取れません。ちなみにこの言葉は他にも,「コンピュータ的思考」「計算論的思考」「計算科学者的思考法」「プログラマ的思考」などのような日本語が考えられます。
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とにかく,有識者会議での議論やまとめられた文案を確認できない状況で,細かな論点を批判検討しようとすることはフェアではありません。その上,これら有識者会議は,どちらかというと現状を把握あるいは追認する形で,国の対応をどうするか提言する目的のものです。新しいものが飛び出す場でもないのです。
腰を悪くした老人に瞬間的に姿勢を正せと要求するのが難しいように,様々な法令でがんじがらめになっている組織が,明日から新しい事態に理想的な対応をとる組織に生まれ変わることは普通あり得ません。短期的には理想を捨てて,現実路線からのソフトランディング,何を言うかよりは何を言わないかが重要になります。
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一般論として,あるいは学術論として,意見表明をして議論を闘わせることは大事なことです。もっと議論は盛り上がるべきと思います。
ただ,議論の精度を上げるために,もっと行政側の情報開示が積極的になされるべきです。
かつてのように情報発信と拡散の手段が限られた時代であれば,非公開という選択肢を含めた制限的(防御的)な情報対応が審議や検討の自由な意見交換を守ることになったのでしょうが,いまは条件が変わっています。そのことは数々の災害や政治の問題を経て,日本人の多くが身にしみて感じていることではないでしょうか。
次代の人々が,この時代を振り返った時に,ちゃんと記録が残されており,どのような意見が表明されてどのように議論が積み重なったのか確認できるようにしておきたいものです。
そのとき,「当時の人々の間ではろくに議論もされず,コンセンサスの無いまま突き進んだ」と書かれないようにしたいと,私は思います。
りん研究室の物理空間のお引っ越しは山場を越えて,あとは適当に詰め込んでしまった蔵書の整理をする作業が残っているところですが,年度は走り始めてしまい,日々の授業や職務などでなかなか手付かずです。
一方,教育研究活動にとって重要な道具であるデジタル・ネットワーク関係も,繋ぎ合わせの累積でできた環境を見直して,もう少しシンプルに整理する必要がありました。
たとえば,ドメインとサーバーです。
この界隈では,研究室で独自ドメインを取得して,Webサイトを運用したり,メールアドレスを設定しているところもあります。インターネットにおける住所の基盤となるドメインは,社会活動する上では重要な情報です。
そして,実際にWebページやメールを処理するのがサーバー・コンピュータということになります。このコンピュータをどう確保して運用するのかは悩ましいのですが,自分で設置して管理するよりは,ネットワーク上の有償レンタルで利用するのが一般的です。
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りん研究室も「rinlab」といったキーワードでドメインを取ろうかどうしようか,いつも悩むのですが,ユーザー名との組み合わせがあまり美しくないので,結局は目的に応じたドメインを取得する形にしています。
このブログも「www.con3.com/rinlab/」というアドレスになっていますが,con3.comというのは私の父が命名したオフィスのネーミングに由来しています。
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問題はサーバーです。
大学という職場はインターネット環境は整備されていてある程度は利用しやすいのですが,サーバーを自前で設置するとなると役所並に面倒なことになります。実験的なことがいろいろしたいなら外部に用意した方が手軽です。
昨今はブログを開設すること自体は簡単になっていますし,あちこちクラウドストレージサービスも存在していますから,いろいろ試しているうちに,あちらにブログ,こちらにWebサイト,こちらに掲示板みたいなかんじで,自分の情報も散在してしまったりします。
レンタルサーバーも競争ですから,契約していたものが閉鎖したり,サービス内容が変わったりして,最初はそこで頑張ろうと思っていたものも,だんだんまとまりがなくなってきてしまったりします。
結局,安価なレンタルサーバーとクラウドサーバーにまとめることにしました。
安価なレンタルサーバーは自由度が多少低くなるのですが,メンテナンスはお願いできるので,安定運用したい目的に利用するように。クラウドサーバーは,要するにAmazon Web Serviceで,クラウド上に自前のサーバーを構築するわけなので,セッティングやら何やら全部自己責任です。その分,自由に実験的なことも出来ます。
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というわけで,ここ数日はコンピュータの前でそれ関連のセッティングで格闘して,いろんなブログやWebサイトをお引っ越ししていました。その引っ越し作業もまだ途中ですが,集約されれば見通しがよくなって管理もしやすくなります。