20120531高知県高等学校放送・視聴覚教育研究会にて講演

 高知県の高等学校放送・視聴覚教育研究会から講演の依頼をいただいたので、高知南高等学校にお邪魔してきました。

 秋に研究大会があるので、それに向けた取り組みの参考にするためのお話をしなさいというのが今回のお題でした。

 先進的にやっている中高の実践事例があれば紹介して欲しいというご注文でもあったのですが、中高の事例は小学校のそれに比べると少なく、まして私が持ち合わせているものはかなり乏しいので、直前まで内容は悩みました。

 講演というものには、既存の知見を紹介して理解を広く得るという役目があります。なので、基本的には講演内容に関しては決まった持ちネタがあって、それを違う場所で繰り返すというのがごく普通の活動になります。

 ただ私は、講演内容のスライドなどがあれば公開するのが基本方針なので、それを方々で繰り返すのは自身の心理として後ろめたさがあるのです。そりゃまぁ、私も語れることは限られていますから、ネタが繰り返すことはありますが、プロットに何も変化を加えないでしゃべるのは、ボランティアならばともかく、ある程度の謝礼をもらう仕事だと申し訳ない気持ちになります。

 それで、今回も直前まで、ご要望と持ちネタとを掛け合わせて、新しい講演のプロットを考え出すのに苦労したという次第です。

 今回は「コミュニケーションを育む情報技術と学校」という題目をつけて、もしも研究大会で何か提案されるのであれば、こうした点に着目してはどうですかというメッセージを込めてお話を構成しました。(後日、資料やレジュメは追加して公開します。)

 先方の研究会の趣旨などを読んで、新しい時代について意識されていたので、「新しい時代」というのは何だろうところから話を始めました。

 そして未来を考えるために、私たちが歩んできた過去の出来事を社会年表も見ながら皆さんと一緒に振り返り、メディアや機器の寿命などを意識することを通して、今あるもの、新しいものについて感じてみたわけです。

 今回は、前々から使ってみたかった「ネオ・デジタルネイティブ」のお話を入れました。私たちが相手にしている児童生徒たちがどんな世代なのかを意識することも大事だし、その人たちに新しい時代を生きてもらうために何が必要なのかを考えてみたかったからです。

 それから現在起こっていると思われる「コミュニケーションに関する困難」を三つご紹介し、こうした困難を乗り越えることもこれからは必要ですよねというお話もしました。今思うと、この部分は分量オーバーだったかなと思いますが、思考スキルの鍛錬が大事ということをお話しする中で取り上げた関西大学初等部の取り組みに関心を持った先生もいたので、まあ、無駄ではなかったなと思います。

 そしてかなり未来にぶっ飛んだ話で終わるのも忍びなかったので、日常から取り組めることを三点示した感じで締めました。

 途中う、簡単な実践事例の写真を見せて、ご紹介した知見がこんな形で関係しますよとお話したり、質疑応答の時に届いたばかりのフューチャースクール推進事業のDVD映像を見せたりして、まあ、テープレコーダー的な講演もしました。そちらの方が会場の関心度も高かったので、あらやっぱりという感じでしたが… ^_^;

 直前まで講演内容づくりにこだわるのは結構だけど、やっぱり盛りだくさん過ぎたし、ぶっ飛んだ話も多かったので、講演直後は会場「ポカ~ン」状態。またやっちゃったかなと直後は凹むのですが、それでも雑多な話の中からフィードバックを返してくださる方もいて、それほど酷いこともないかなとちょっと自分を慰めるという感じです。

 その後、私を呼んでくださった先生のメールには「よい研修会になったと思います」と書かれていたので、刺激にはなったのかなと思います。まあ、たまには変わり種もよしということで。^_^

 講演音声を自分で録音したつもりだったのですが、押したはずの録音ボタンの直後に停止ボタンに触れてしまったらしく、残念ながら録音ならず。まあ、残すほどの講演はしていないので、また次回の新作に向けて精進をしましょう。

 というわけで、講演を終えて、次はその足で岡山を目指したのでした。

教育ITソリューションEXPO 2012

 2012年5月16日から東京ビックサイトで「教育ITソリューションEXPO」を開催しています。せっかくなので教育ICTに関する最新動向の調査をするため参加してます。
 かなり大規模な展示会で、主要企業が何らかの形で出展してることもあり、情報収集には良い機会。しかし、平日開催であることや、来場者も教育企業や自治体関係者、大学関係者が多いため、小中高校の先生方にとっては距離が遠い催事でもあります。
 少しでも情報が伝わればと思って会場からのツイートをしてみたりしますが、前述したように客層が硬い人たちばかりなので、私以外のツイートはほとんどないといった状況ですし、大して反応もないのでちょっと寂しいところ。
 まぁ、教育展示会としては老舗のNEW Education Expoが別にあり、そちらは教育現場との距離も近いので、うまく棲み分けていると考えればいいのかも知れません。

 さんざん教育のICTを追っかけているお前が展示ブースを見て回ることに意味があるのか、と思われてしまいそうですが、展示そのものよりもお客さんの反応を見に行っている部分も大きいのです。
 私自身にとってはだいぶ見慣れた商品やサービスを、普通の来場者は喰いついてるのかどうなのか…。
 今回、会場を回って感じたことは、目新しいものは多くないということです。
 ハードウェアに関していえば、電子黒板ソリューションが目立っていましたが、液晶やプラズマによるディスプレイの大型化というわかりやすい進化を除けば、電子黒板としての機能は何年も前からすでに出来上がっている状態。大手電機メーカーの決算に関する昨今のニュースを思うと、価格の問題は簡単じゃないことも感じます。
 また、情報端末に関しては、シャープの学習端末が目立って展示されている以外は、いずれも控えめな露出といった風で、学習者用情報端末に主役としての勢いはありません。タイミング的にWindows8待ちの中途半端な時期であることも原因でしょう。Androidに関してはフラグメンテーションやマシンパワー不足などがあともう一息で解消するという、これまた中途半端な時期だけに、本腰が入らないのも仕方ないのでしょう。
 ソフトウェアは、様々な企業が趣向を凝らして開発していますが、部分的な目新しさを除くと、ジャンルとしてはタイプがほぼ出尽くしているので、見た目や使いやすさで差別化をしていくくらいしかないといったところです。
 それでも教育の情報化市場の拡大を期待して、様々な企業がいまある商材を持ち寄って熱烈アピールをしているわけです。また、そうしたものに初めて接する来場者も少なくなかったりします。

 幸い、フューチャースクールや学びのイノベーション、絆プロジェクト、教育スクウェア×ICT、DiTT実証実験などの実践事例が充実してきたこともあり、単に商品が存在するのではなく、具体的な活用と共に示されていることは今までにない傾向です。
 また、デジタル教科書に関しても、実際のデジタルコンテンツの充実と関係する団体や政府の動きの活発化もあって、盛り上がりが感じられるようです。
 こうした雰囲気が良い方向へと展開していくことを願いつつ、一方で、道具を活かすカリキュラムや教育方法の蓄積がますます重視されなければならないのだと思います。

香港の電子教科書開発計画

 5月7日に香港の教育局長が電子教科書開発計画について発表したそうです。
 孫明揚:開拓電子教科書市場(香港政府ニュース)
 2012〜2013年に試行して、2014〜2015年には全面的に導入するということだそうですが、一体これはどんな文脈で起こっているのでしょうか。
 教育局長の発言を報道するニュースWeb記事を眺めると,どうも教科書価格の問題が背景にあることから決定された計画のようです。

 香港では、教科書検定制度をとっており、購入は保護者負担です。
 教育局としては、保護者が過度の負担を負わないために、様々な策を講じているようですが,どうも満足する成果が上がっていないようなのです。
 昨年は教科書会社に教科書から教材の分離を要求して、少しでも教科書価格を低下させようとしたようですが,これが思うようにうまくいかなかった。
 そこで、非営利団体に対して電子教科書開発を補助する計画をスタートさせ,教科書会社が寡占している市場を破壊しようというのが教育局長の言い分のようです。
 電子教科書を開発して教育局から無償提供すれば、これは従来の教科書会社にとって厄介な競争相手が登場することになりますから、価格への影響は不可避でしょう。

 もともと電子教材の開発などは推進していたようですので,昨日今日始まったということではないようですが,それにしても教育局長からの発表にネット上ではいろいろ反応が見られます。
 国が電子教科書をつくることはよいことなのか。たとえば統制の問題や民業圧迫という話も出てくるでしょう。
 電子教科書は情報の素早い更新にこそ意味があるのであって,それは検定制度とは相いれないのではないかという指摘もあります。
 日本と違って学校単位で採択することが基本のようなので,どの電子教科書や教材を選ぶのかということに関して問題を言及する人はあまり見当たりません。教育の専門家である教員のすることに素人が口出さないのは当然といった感じが漂います。

 もう一つ面白いのは、この話題にiPadだとかタブレットPCだとか、デバイスの話がほとんど出てこないところです。
 日本は(それと韓国なんか)どうしても情報端末と一緒にイメージする議論になりやすいですが,他の国の議論を眺めると、CD-ROMやWebとしてアクセスできる教育コンテンツなら全部電子教科書みたいに考える大らかさがあります。
 それに対して、「正規教科書」とかいうヘンチクリンな用語を持ち出して法律を書き直そうとしている日本の動きを見ると、また複雑化して後始末が厄介な事態が生まれそうで不安になります。
 とにかく、ここ数年は各国の動向が賑やかそうです。

ICTとともにある教育

 世界中の国がICT(Information & Communication Technology:情報通信技術)を教育に活かそうとしています。

 OECD報告書(2004)では、各国が教育に対するICT投資を続けてきた理由を次のように報告しています。文言は私が勝手要約したものです。

 「教育経費低減への期待」
 「経済成長の源泉として重視」
 「最低限能力として必要」
 「教育・学習の質の改善」
 「教育の管理・説明責任の改善」

 何に重きを置いているかは国によって異なります。しかし、概して教育に対するICT投資には様々な障壁があるという認識が共有されています。

 報告書では「校長や各学校のリーダーたちはICT開発目標を達成するうえでとくに以下の4つの障壁に注目している」として、次の項目を挙げています。

 ・教室でおこなわれる授業にコンピュータを統合する問題。
 ・コンピュータの利用時間の確保。
 ・教員の教授ツールとしてのコンピュータに関する知識不足。
 ・教員のコンピュータを利用した授業のための準備時間の不足。

 これらの克服はもちろんのこと,学校と組織の改革も必要だと続けています。つまりICT導入だけでは意味がないということです。

 こうした報告内容は、教育情報化に対する(日本の)人々の直感的な懸念とかなりの程度通じ合っているといえます。拙速な情報化に対して疑心暗鬼が強いのも、一定の根拠があると考えられます。

 しかし、教育に対するICT投資を無価値と裁定して、これをあえて推進しない国を探すことは困難です。

 なぜならば、現代は知識情報社会あるいは知識基盤社会と称されているように、先進国に生きるのであれば何かしらICTと関わっていると考えられるからです。

 また、産業という面でもICT分野は重要です。たとえば経済産業省の全産業供給指数といった統計資料を見ても,情報化関連の消費の指数は上昇基調にあります。日本に限らず世界で働く場合でも、ICTに対する知識や技能を無視することはできません。

 よって、教育が「情報化」を謳うのは必然的な流れであり,私たちは対応しなければならないという前提を共有しなければならなくなっています。

 まして、若い学習者が生き続ける未来社会は、私たちが想像する以上にICTを前提としているわけですから,ICTとともにある教育に真剣に向かい合わなければなりません。

 ICTとともにある教育。

 それはデジタル教育といった言葉が想起させるような、教育環境のあらゆるものを電子機器に制御させるといったイメージではありません。

 ICTという資源は、学校現場の教師が伝統的に受け継いできた教育の資源(それは教育技術という見えない技であったり、教材教具という物質的なものだったり様々)と相通ずるのです。ICTには情報と向き合う技能的な部分も多く,機械的な部分は目立つ一部分に過ぎません。

 私たちが学ぶ者にとって最善と思われる教育資源を必要に応じて選択的に駆使するのと同様に,ICTもまたその一つとして選択されたりされなかったりするというだけです。

 ICTを近づけることもあれば,ICTを遠ざけることもある。

 その遠近操作を他の教育資源と同様に行なえることが、知識情報社会に生きるための学びの環境に必要だと考えます。

 確かに「ICTとともにある教育」という理想を実現するためには、ICT機器はきわめて未成熟な部分や条件が多いと言わざるを得ません。

 iPadのようなスレートタイプのタブレットデバイスの台頭は、理想への敷居を低くしましたが、それもまだ始まったばかりであり,未成熟であることには変わりありません。学用品としてのICT機器への道のりはまだ遠いと言えるでしょう。

 しかし、それらは時間が解決する小さな問題。

 むしろ、ICTと教育の取組みによって奇しくも浮かび上がってきた問題は、教育の場における教育資源が絶対的に不足しているという現実と,必要なものを必要に応じて用意し選択できない仕組みや実態の問題でした。

 こうした問題の解決を優先しなければ,どんなに良い資源が提供されようとも、教育の場で利用したり活用できない問題が繰り返されるだけです。

 ICTとともにある教育への過程ともいえる教育情報化の取組みは,ICT機器やデジタル教材の導入という分かりやすい問題に矮小化され、その善し悪しに議論の注意を向けさせてしまいがちです。

 しかし、大事なのは教育資源を必要に応じて近づけたり遠ざけたりできる環境の整備であり,そのような環境のもとで教師が知識情報社会に生きる学習者たちに対して責任を持って教育を展開できることだと考えます。

デジタル教科書関係図2012

 先日,デジタル教科書教材協議会(DiTT)が政策提言を発表しました。
 発表されたのは提言概要を書類一枚にまとめたもので、詳細は後日アクションプランとともに発表されるまで分かりませんが,概ね妥当な提言(あるいは願望)だろうと思います。
 この提言について一つだけ懸念を表明しておくとすれば,「デジタル教科書を教科用図書とする」という文言が実際には何を意図しているのか注意する必要があるということです。
 もしデジタル教科書を検定対象にして検定教科書と同等に扱うという意味であれば、それは好ましい方向とは思いません。私個人は教科用図書のカテゴリを広げてデジタル教科書を含められる程度の制度変更を求めるのが妥当と考えます。もちろん検定制度や実態をひっくり返す気概があるなら別ですが…。

 さて「デジタル教科書」と呼ばれるものの周辺にたくさんのプレイヤーが存在するようになりましたが,おかげでこれらを鳥瞰的に理解することが難しくなりました。議論の新参者ならばなおさらです。
 デジタル教科書に関心を持つ一般の人々は多く,その人たちの間の現状認識や理解の幅の違いを効率良く解消したり高め合う方向に持っていくことが重要となっています。
 『デジタル教科書のゆくえ』とトークイベントUSTなどはよい素材と思いますが,手軽に鳥瞰するというには時間がかかるので,もう少し簡単な資料を作ろうと考えました。
 というわけで、「デジタル教科書関係図2012」をお届けします。

 デジタル教科書関係図2012


 デジタル教科書に関心があるなら、まずはこのA4一枚をとっかかりに知識を広げていただければと思います。
 本当にこの通りなのか?実際はどうなのか?今はどう変化しているのか?何が記載されていて何が記載されていないのか?作成者の利害はどこに関連しているのか?など。
 皆さんの議論が深まり、アクションが生まれることを祈っています。