東京出張

 東京に出張しました。
 4月15日に文部科学省で「学校教育の情報化に関する懇談会(第12回)」が行なわれるというので、傍聴したのです。
 今後の教育の情報化の行方を見通す「教育の情報化ビジョン」策定のための最後の懇談会です。昨年度のうちに終わるはずでしたが、東日本大震災の影響で今回まで延びてしまっていたのでした。
 ネットによる動画配信が行なわれましたので、わざわざ東京に行かなくても内容を知ることはできましたが、私自身が現場の雰囲気を知ることを大事に思う質なので、傍聴申込をした次第です。
 末端ながら総務省のフューチャースクール推進事業に関わっている人間としては、文部科学省の学びのイノベーション事業に強く影響を与えるだろうビジョンの策定現場について知っておきたいという動機もありました。

 先回の総務省・研究会への傍聴を経験して、過度な期待を抱かないことに決めたので、懇談会の内容に対しては、特別な感想はありません。あらためて、骨子作成の段階までが大事だったのだなということと世代のアンバランスを確認した程度です。
 「教育の情報化ビジョン」は、座長と事務局がもう少し作業した後、正式版が公開されると思います。
 私としてはご縁があって関わっているお仕事を通してビジョンをより良く運用していくことしか出来ないのかなと思います。

 短い滞在時間の間には、パナソニック教育財団を資料調査のために初めて訪れたり、5, 6年ぶりとなった教育関係の古書店であるヤマノヰ本店での古本探しなど、それなりに充実していました。

教育の情報化ビジョンの行方

 もうすぐ平成22年度が終わり,平成23年度がやって来ます。
 平成22年度中に策定される予定とされたものはあれこれありますが,教育と情報に関連して一番注目されているのは「教育の情報化ビジョン」でしょう。
 学校教育の情報化に関する懇談会で検討され,3月16日に予定されていた第12回を最終機会としてビジョンが示されるはずでした。
 しかし,ご存知の通り,3月11日の大震災の影響のため,この回は取り消され,構成員間でのメールのやり取りによって最終的な検討に代える 延期とされ,調整の上で4月中に開催される予定となり,その後にビジョンも発表するとされたようです。(追記:当初の記述は誤りでした。こちらの記事を参考に訂正します。)
 ここ数日,従来は熟議カケアイのサイトに保存していたこれまでの議事概要を文部科学省サイトにも転載するなど,いよいよビジョン公開に向けて準備に入り始めた動きを見せています。

 すでに「教育の情報化ビジョン」の骨子本文案は掲載されていますので,これまでの慣例からすれば部分的な修正を除き,素案内容が正式なビジョンとして策定されることになると思います。
 ビジョンの章立ては次のようなものになっています。

  • 第一章 21 世紀にふさわしい学びと学校の創造
  • 第二章 情報活用能力の育成
  • 第三章 学びの場における情報通信技術の活用
  • 第四章 特別支援教育における情報通信技術の活用
  • 第五章 校務の情報化の在り方
  • 第六章 教員への支援の在り方
  • 第七章 教育の情報化の着実な推進に向けて

 懇談会構成委員はもちろん,4つのワーキンググループに集まった外部の方々を加えた有識者による議論が盛り込まれた内容です。
 この教育の情報ビジョンが2020年に向けて日本が取り組むべき施策の方向性を指し示していると位置づけられるわけです。

 しかし残念ながら,学校教育の情報化に関する懇談会において,これら項目や工程に関する優先順位の議論は,最後の最後まで行なわれませんでした。
 月並みな批判の言葉を使うなら,ビジョンの内容は総花的で,長期に及ぶ取組みの過程で早期に取り組むべきものと積み重ねた上で取り組むべきものといった計画を組むために必要な指針は明示されているとはいえません。
 各項目はどれも重要であり,どれも可及的速やかに取り組むべきなのだという風に彩られています。
 「これはビジョンだから…」
 という指摘もあり得るでしょうが,個別項目のビジョンだけでなく,「教育の情報化」という総体的な取組みに対する展望を示す中に,2020年なりそれ以降への見通しを持った流れを描くことも含まれてよいはずです。
 ところが,その部分について教育の情報化ビジョンが何をどうしたのかといえば,附属資料として高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部が策定した「新たな情報通信技術戦略工程表」を添付した形で終わっているのです。
 この工程表は懇談会の議論が反映されたものではありません。
 工程表は2011年度をスタートラインとして,非常に多くの取組みを「よ〜いドン!」とスタートさせ,2020年に向けてどの取組みも期間がぼよ〜んと延び続けるように描かれています。工程表としての鮮明さを欠いています。
 そのうえ,教育情報ナショナルセンターといった運用停止が決定したものについて,体制や機能強化に関する記述もそのまま。これを添付したものを新しいビジョンとして提示することに,実質的なプラス効果があるのか疑問です。
 なぜこんなことになってしまっているのでしょうか。

 この問題には行政論理といった修正困難な要素が大きく関わっています。
 けれども,もう少し別の角度から考えてみましょう。本当にそれは修正なり,もう少し妥当なものへと前進させることは出来なかったのでしょうか。
 多少意地悪とは思いますが,懇談会構成員に目を向け,この懇談会がどのような人々によって進行されていたのかを確認してみることにしましょう。
 以下が,構成員の名簿を生年順に並べたものです。
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【学校教育の情報化に関する懇談会・構成員22名】
生年  年齢
1945  66  村上 輝康  株式会社野村総合研究所シニア・フェロー
1946  65  安西祐一郎  慶應義塾大学理工学部教授
1949  62  三宅なほみ  東京大学大学院教育学研究科教授
1950  61  若井田正文  世田谷区教育委員会教育長
1951? 60  重木 昭信  株式会社NTTデータ顧問、社団法人日本経済団体連合会高度情報通信人材育成部会長
1953? 58  市川  寛  東京書籍株式会社編集局ソフトウェア制作部部長
1953  58  馬野 耕至  読売新聞東京本社メディア戦略局専門委員
1955  56  西野 和典  九州工業大学大学院情報工学研究院教授
1956? 55  大路 幹生  日本放送協会放送総局ライツ・アーカイブスセンター長
1956  55  玉置  崇  愛知県教育委員会海部教育事務所所長
1958  53  陰山 英男  立命館大学教育開発推進機構教授
1959  52  関口 和一  日本経済新聞社産業部編集委員兼論説委員
1960  51  野中 陽一  横浜国立大学教育人間科学部准教授
1961  50  天野  一  社団法人日本PTA全国協議会副会長
1961  50  小城 武彦  丸善株式会社代表取締役社長
1961  50  中村伊知哉  慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
1962  49  新井 紀子  国立情報 学研究所社会共有知研究センター長
1964  47  堀田 龍也  玉川大学大学院教育学研究科教授
1972  39  國定 勇人  三条市長
?     五十嵐俊子  日野市立平山小学校校長
?     千葉  薫  仙北市立生保内小学校学校支援地域本部地域コーディネーター
?     宮澤賀津雄  早稲田大学IT教育研究所研究員(研究総括)
 ※公開されている情報を収集して生年を付させていただきました。「?」は推定または不明です。年齢は2011年から生年を単純に引いただけですので正しくないものもありますが,おおよその世代を知るのが目的なのでご容赦ください。
 (計22名:30代 1名/40代 2名/50代 11名/60代 5名/不明 3名)
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 構成員のほとんどが50,60代であり,30,40代はごく限られた人数です。
 上位世代が情報化を議論するのにふさわしいとかふさわしくないという議論をしたいわけではありません。しかし,このような極端にアンバランスな年齢構成は,本当に次代のための議論をするのに適していたのでしょうか。
 確かにワーキンググループのメンバーの年齢構成も加味する必要があるかも知れません。もう少し多様性が確保されている可能性もあります。
 しかし,肝心の親会の構成員がほとんど50,60代で,ネット世代との掛け橋となる30,40代が少数では,そもそも発言回数的にも不利であり,10,20,30,40代の問題意識をどれだけ議論に反映し得るのか,し得たといえるのか,はなはだ疑問です。
 振り返れば,長年の専門的経験にもとづいて未来や新しい教育を見通して発言された多くの知見は,無意識のうちに上位世代が下位世代のために展望を指し示してあげているというような構図になっていないでしょうか。
 本来ならば,この日本がガチガチと組み上げてきてしまった制度や条件のために,次の世代が取り組みたがっている新しい試みが思うようにできないといった問題を解決するのが重要ではないのか。
 それを上位世代がいまだにメインを陣取って,自分たちの方がよく分かっているからと,代わりに新しい試みを描いてしまおうとしていないのか。
 そうした善かれと思っているお節介を国家規模的にやってしまっていないかということを今一度考えてみなければなりません。

 教育の情報化ビジョンは,確かに従来までの知見の集大成です。
 この国はここに書かれた事柄に取り組んでいかなくてはなりません。
 しかし,このビジョンには,余白がなさ過ぎる。
 老婆心が集積され,粗削りな挑戦を後押ししているとは言えない。
 優先順位を付けることさえ放棄したビジョンは,私たちがその先を見通すように導くどころか,今後いつも振り返って配慮しなければならない文書になっている。
 
 ビジョンが公開された後,私たちは解釈を繰り返し,解説を繰り返し,2020年に至るまで,見通しの悪い議論を繰り返すことになるかも知れません。

手書き認識と教育クラウド

 今回の駄文は、7NotesというiPadアプリを使って入力しています。このアプリがどのようなアプリなのかをご存知でない方もいらっしゃるかも知れません。これは、最近発売された文書作成アプリです。そして、その特徴は独自の手書入力機能(mazecと呼ばれています)を有していることです。
 従来までもタブレットPCには手書き文字入力機能が存在していましたので、それ自体は目新しいものではありません。教育らくがきでも、かつてThinkPadのタブレットPCで駄文を入力した経験があります。今回のアプリが面白いのは、手書き文字を認識しておきながら、文書に手書き文字がそのまま使われるという見た目が大変アナログな文書作成アプリなのです。
 残念ながらブログに使うためには手書き文字のままというわけにはいかないため、今回は従来と同じく文字変換していますが、手書き文字のままで作成すればPDF出力するという形で利用することが可能です。

 現時点ではiPadの処理能力の限界に足を引っ張られているため、細かいところでまだ実用段階に至らないと感じる部分も多いのです。それでも、野心的な試みを一先ず形にして出したという点は大きく評価してもよいのではないかと感じています。
 何よりも教育の文脈で考えたときに、手書き文字を認識しておきながらそのまま文書として残せるという仕組みは、大きな可能性を秘めていると言えます。
 つまり昨今、デジタル教科書議論の中でも取り上げられているデジタルノート(電子ノート)の具現化に大きな一歩となる応用技術だと考えられるのです。
 学校教育における手書き入力とキーボード入力の使い分けや移行タイミングについてはまた別に考えるとして、この技術を学習用デジタルノートに応用すれば、子どもの手書き文字をノートに残せる一方、文字データとしても認識されているので後々の検索が可能となり過去のノートへのアクセスが容易になるというメリットが生まれます。
 これは教育クラウドとも連動した重要なメリットです。
 仮に教育版のオンラインストレージサービス(Dropboxのようなもの)が実用化されたときのことを想像します。
 子ども達はセキュアな個人のストレージ(ディスク)領域を持ち、通っている学校に登録してリンクさせ、通常はクラスのフォルダの中に自分のストレージ領域を見つけて利用します。学年があがったり、上の学校に進学しても登録を変更し、自分のストレージ領域をあらたな学校やクラスのフォルダから覗くだけです。そしてノートや作品を保存し続けていきます。
 このような個人ストレージ領域を持つ方法だと学校側は学校サーバーで個人情報を保持して管理をする必要から解放されますし、進級や進学の際のデータ移行や削除の手間を大幅に低減できます。学校教育から卒業後は、完全に個人のものですから、そのまま個人用のクラウド・ストレージとして利用を続けるか、個人で破棄・移行すればよいことになります。学校教育在籍中は無償かアカテミックプライスで提供してもらい、卒業後に有料サービスとして有償化するビジネスモデルを構築してもらえたらと思います。
 さて、このような教育クラウドの世界で、過去の手書きノートを後から参照したい場合を考えるとします。
 手書きノートを単にカメラで撮ったとか、スキャナで画像として保存した等の記録では、小学校から高校大学までに溜まった膨大な記録から希望のものを電子的に検索することは大変困難です。なぜなら、検索しようにも対象とするキーワードが文字データになっていないからです。
 しかし、あらかじめ手書き文字が文字データとして認識された状態のノートとして保存・記録されていれば、これを電子的に検索することができます。
 現実的に過去のノートを参照する機会やそのニーズがあるかどうかは、また別の議論になるかも知れませんが、膨大なデータを管理する側からすると、この技術が実用化されることは大きな飛躍を持たらしてくれることには違いないはずです。
 教育的な観点からしても、過去の学習履歴にアクセスしやすくなるというのは、学習指導上もちろんのこと、学習者自身にとっても過去の学習履歴を振り返ることで学習を深めるという手段を支援してもらえる点で大変意味のあることです。

 と、ここまでずっと手書き文字を変換しながら駄文を綴ってきました。率直に書けば、それなりの長さの文章を手書き入力するのは、不慣れもあってやはり疲れてしまいます。キーボード入力にもそれなりのメリットがあるというわけです。
 しかし、手書きのゆっくりしたペースというものにもそれなりの良さがあるのではないか、そんなことを感じてみたりもします。
 ドン・ノーマン氏の『インビジブルコンピュータ』にはまだほど遠いですし、あえて手書きにこだわるべきかどうかの議論もあるとは思いますが、このような形でコンピータが透明になっていくのは大事な進歩だと思います。まだまだ磨いていく必要はありますけどね。
 フューチャースクール推進事業では、こうした最新動向に十分キャッチアップできませんが(それは悲しいかな、事業計画が先にあるためなんです)、議論は積極的にしていくつもりです。むしろICT絆プロジェクトなんかの方が取り組みやすいかも知れません。それともNTTグループのプロジェクトかな。
 りんラボはいつもの如く、勝手に動向追いかけていきます。

Becta閉鎖

 英国の教育情報化を推進してきた組織Bectaが廃止され、Webサイトも閉鎖されることになりました。興味深い研究成果がたくさん公開されてきたサイトなので残念です。
 今後もアーカイブに残るそうですが、資料ファイルや動画がちゃんと残される保証は無い(経験上、こういうパターンで残っているのは難しい)ので、必要なファイル類はダウンロードして確保することにしました。
 結構時間がかかってしまいましたが、まあ、見たくなりそうなものはできる限り記録したので、またゆっくり読めたらと思います。
 果たして、日本はBectaのような組織を作ることができるのか。財政を考えると難しそうですが、教育情報化をしっかり進めるためには、そうした役割を担う立場をつくらなければならないと思います。
 http://www.becta.org.uk/

2010年の「教育の情報化」(2)

■永遠のライバル?−文部科学省と総務省
 まずは教育界関係図と呼ばれる図をご覧ください。(→教育界関係図
 図自体は誇張や省略もありますし,目まぐるしい状況変化を反映できていない部分もあります。しかし,教育の世界における文部科学省と総務省の縦割り具合が基本構図になっていることは読み取っていただけるのではないかと思います。
 こうした縦割り対立構図は,日本に学校制度を導入した時点から始まった歴史の長いものです。そして,必ずしも仲の良い関係だったわけではありません。しかも,省庁間の争いが下部の所管部分でも代理戦争の如く垣間見えるときがあるのも特徴的です。
 この構図は〈デジタル教科書〉においても無縁ではありません。

■「教育の情報化」は苦手政策−文部科学省
 文部科学省が教育と情報について作業を始めたのは昭和40年代からの歴史があります。産業が盛んになった社会からの要請という形で,専門教育としての情報処理などを取り入れようとした動きに端を発します。
 それから40年もの年月が流れたわけです。けれども,文部科学省が推進する教育の情報化が全国的に開花することはありませんでした。
 コンピュータ教育という呼び名で,パソコンが教育現場に持ち込まれる動きが本格化したのは昭和60年とされています。国際科学技術博覧会(つくば万博)が開催された年です。科学技術に対する時代の高揚感を伴い,臨時教育審議会における情報化の議論と相まって,関係者の勢いも増した頃です。
 しかし,技術への期待とは裏腹に,技術は未熟で高価でした。
 当時の日本のパソコン市場を振り返ると,日本電気のパソコンが台頭し始めたとはいえ,富士通もシャープも東芝も元気にパソコンを発売し,MSXでソフトを共通化しようとか,日本語ワープロの一太郎が出て間もなくといった調子。
 やがて日本電気がエプソンに振り回され,海外勢が力をつけてきてAXパソコンやDOS/Vなるものが賑やかになりそうなところで,ぼちぼちWindowsの時代が幕を開ける。そんな波乱万丈なパソコン時代だったのです。
 そんな流れの中で昭和が終わり,平成が始まった最初の十数年は,コンピュータ教室の整備をするのが精一杯。理科室の実験器具と同じく,高価なパソコンは自由に使えるようには開放されていないことが多かったのです。
 CAI,OA,ニューメディア,マルチメディア,インターネット…と市場を賑わすキーワードが出てくる度に,コンピュータの教育利用が期待され,様々なプロジェクトも行なわれましたが,学校への浸透は限定的なものでした。
 教育用コンピュータ機器の導入がそんな状態のため,日本では「情報教育とは何か?」という理念的問いかけが盛んに行なわれ,大変分厚い思想が積み上がりました。
 それが文部科学省(文部省)系の流儀のようになって,その後,ICT機器を導入するのにたくさんの議論がまとわりつくようになったことは,良くも悪くも「教育の情報化」政策を複雑なものにしました。
 2010年,「学校教育の情報化に関する懇談会」で〈デジタル教科書〉が取り上げられたことは重要なことではありましたが,いつものようにビジョン(骨子)は総花的なものとなり,どこから手を付けるべきかを迷い始めて一歩も動けないのではないかと懸念さえ感じさせます。

 しかし,実のところ文部科学省が「教育の情報化」に躓き続けている原因は,日本の行政システムと政治の影響に他なりません。
 冒頭ご紹介した教育界関係図に黄色で書き込まれた様々な権限。この権限の分散と構造が教育行政の大きな足かせとなっています。さらに,あの昭和60年に教材費国庫負担制度が廃止。教育現場にお金を回す仕組みに強制力が無くなっていったのです。
 文部科学省が補助金を確保しても,実際の予算編成と決定権は文部科学省側にはありません。地方自治体に教育への理解が無いと補助金は使われず,現場には届かないのです。
 それでも2009年初めには政府の景気対策の中に「スクールニューディール構想」が盛り込まれ,学校施設の耐震化とともにICT環境の整備(電子黒板と教師用のデジタル教科書など)に対しても大きな予算が確保されることになりました。
 手厚い財政措置と議論も成熟感が増したところで,いよいよ学校現場の情報化が本格的に勢いづくと,関係者の多くが盛り上がりました。文部科学省の教育の情報化政策も今後は明るく照らされるはずでした。
 ところが,2009年の夏,歴史に残る政権交代が起こります。こうした政治の動きが,スクールニューディール政策にブレーキをかけることになりました。文部科学省の「教育の情報化」行政は,再び議論レベルへと引き戻されてしまったのです。
 幸い,平成20年度改訂学習指導要領への移行のために必要な教材整備の予算が確保されていたため,スクールニューディールほどの規模はないものの,実際にはICT環境の整備は続けられています。
 しかし,明示的なICT関連の予算は文部科学省から消えました。その代わり浮かび上がってきたのが総務省の情報化予算です。その上,2009年末に飛び出したのが,全ての児童生徒に配布するという〈デジタル教科書〉のアイデアだったのです。

 次回は総務省のお話。