韓国・『デジタル教科書の健康調査報告書2009』要約抜粋粗訳

 2010年7月27日付けで,韓国教育学術情報院(KERIS)のWEBサイト上で公開された「デジタル教科書の健康調査報告書」について,報告書の要約部分を参照して,研究結果を概観する。
 同報告書は正式名を「デジタル教科書活用が学生と教師の健康に及ぼす影響の分析研究」としており,デジタル教科書実験校を対象として,高麗大学校の研究者が中心となって調査研究したものである。
 研究手順として,国内外のデジタル教科書及び健康関連の文献調査,国外デジタル教科書事例の調査,デジタル教科書を1年以上使用した小学生を対象とした面談調査,デジタル教科書実験校の教師と専門家のグループ討議による健康障害の問題分析を行なっている。
 研究結果は次のように要約されている。
 以下は報告書内の要約を抜粋し粗訳したものである。
【注意:誤訳チェックは行なっていない。研究結果に関する記述部分については,原文を参照することを強くお勧めする。】
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(前段略)
 第一に,デジタル教科書が常用される場合の健康機能障害の問題を把握するため,文献研究を通して,コンピュータを活用した類似の学習環境で想定される主な健康機能障害の原因を探索した。
 研究の結果,身体的症状としては視覚的症状,筋骨格系に関する症状,全身に関連する症状,皮膚に関する症状などが主な問題であり,心理的症状としては学業燃え尽き症状,学業ストレスなどが最も主要な問題だった。
 第二に,デジタル教科書を1年以上活用した小学生を対象に実際に経験したデジタル教科書に関係する健康上の問題を把握するため面接を行ない,現実的に着手可能な解決策を提示しようとした。
 研究の結果,デジタル教科書に関わって現在現われている身体的症状と,今後懸念される健康問題に関してより深く検討していく必要があると分かった。いま現われている身体的・心理的症状は軽微なものとはいえ,デジタル教科書の長期間利用を想定したとき,今回現われなかったが今後現われてくるであろう問題について,早期の予防的な健康管理を実施する必要があると考える。
 また,デジタル教科書は,様々な伝達メディアと教育方法で,学習への興味誘発し,学習の深化を可能にするという特徴があるが,一方で,情報の過負荷によって学生の注意・認知が適切に制御されなくなると,情報処理過程を阻害して学習効果を減少させてしまうことも考慮しなければならず,何かしら補完の仕組みが必要であることがわかった。
 第三に,デジタル教科書の活用が生徒と教師の健康に及ぼす影響を知るため,フォーカスグループディスカッションを通じて実験校の担当教師と関連分野の専門家による認識確認を行なった。
 研究の結果,環境的領域に関する健康上の問題は,電磁波の懸念,学生達のデジタル教科書使用に関わるコンピュータ用の机椅子の必要性,教室の空調,照明に対する懸念等があった。
 身体的領域に関する健康上の問題としては,潜在的な視力低下,不適切な姿勢,コンピュータの発熱による環境への不快感等があり,心理的領域に関する健康上の問題としては,疲労感やストレスに関わる健康問題が懸念された。利用や体験に関わる性急さやフラストレーション,教師と生徒との間における相互作用の困難さが一部あったという見解もあり,これに対する長期的な対策の準備が必要であることも分かった。
 第四に,デジタル教科書の使用環境に対する電磁波測定の研究結果では,学生達が使うコンピュータの電磁波は憂慮するほどの数値ではなかったものの,問題点は発見された。
 教師用コンピュータの周辺には電子機器が多く,学生よりも電磁波をたくさん受けることが分かった。これは配置や環境調整で解決できると考えられる。学生達の場合,標準的な50cmの距離であれば電磁波の問題はないが,タブレットPCを使う姿勢によって,距離が急に近づいたときには電磁波の数値が上がるので,これに対しても姿勢調整の必要性があるとわかった。
 第五に,デジタル教科書の活用による健康機能障害の分析のため類似の実験研究を調べると,ドライアイ症状の測定で,デジタル教科書の群と書籍型教科書の群を有意水準5%検定で比較した結果,眼表面疾患指数(Ocular Surface Disease Index)や毎分の瞬目率,涙液層破壊時間などにおいて,両群に有意な差は見られなかった。手根管症候群の測定でも,デジタル教科書の群と書籍型教科書の群を有意水準5%検定で比較した結果,正中神経および感覚神経の検査で両群に有意な差は見られなかった。脳波測定では,デジタル教科書の群と書籍型教科書の群を有意水準5%で検定し比較した結果,覚醒時の安定状態と問題解決過程の大部分の波長帯で両群に有意な差は見られなかった。
 (中略)
 この研究では,一小学校を対象としたため,対象数が少なく,解釈にあたっては慎重を期すべきだと思われる。
 第六に,デジタル教科書の健康機能障害的な部分を測定するツールが無かったので,まず先行研究の文献考察を行ない,デジタル教科書を1年以上使用した小学生を対象とした面接を行なった。これらと1年以上教えた実験校の教師と専門家からのフィードバックを分析して,調査ツールの開発研究を試みている。
 (中略)
 以上の研究結果を踏まえて,デジタル教科書活用時の健康機能障害軽減のための取組み案を以下の3領域で提示してみる。
 1番目,デジタル教科書の使用環境に対する取組みでは,個人のタブレットPC使用時に学生との距離を最低限50cm以上になるようにする必要がある。(中略)
 2番目,デジタル教科書を使用する場合の身体的な取組みとして,現在のデジタル教科書運用にかかわる急激な視力低下の問題よりも,潜在的な視力低下が懸念されるので,これが測定できる信頼性の高い検査基準ガイドラインが必要だということと,授業でデジタル教科書を使用する時間の調整,またタブレットPC内に一定時間経過後にリラックスできるような動画を搭載すること,そして健全なタブレットPC活用の生活習慣が維持・管理できるようなプログラムを開発することが必要である。
 3番目,デジタル教科書を使用する場合の心理的な取組みとし,デジタル教科書を使用する授業への集中に伴って,精神的な疲労感やストレスが現われるので,これに対する解決策としてデジタル教科書の運用,教師による教科時間の配分調整ができるようタブレットPCのパフォーマンスのアップグレードが必要であり,タブレットPCを通じて起こる学業燃え尽きや学業ストレスを管理するプログラムを開発し,デジタル教科書を使う学生達の心理的健康の維持管理をしなければならない。
 以上のように,対象が学齢期の成長する児童と教えている教師であることを考慮した上で,デジタル教科書に関わる現在あるいは潜在的な健康問題についての正確な実態の把握と予防策が具体的に用意され,今後適用されなければならないし,定期的に管理が行なわれるようなマニュアルの開発などが必要だと思われる。
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 以上の要約の後,報告書では調査結果とデータを含めて研究内容が詳述されている。
 このような研究成果は,日本における教育の情報化事業にとっても大変参考となる知見であり,分野を超えた専門家が連携して持続的に取り組む必要のある研究課題と考えられる。
オリジナル: http://www.keris.or.kr/board/pb_board_print.jsp?bbsid=board01&ix=16253
(以上,Facebookノートより転載)

2010年の「教育の情報化」(1)

■電子書籍によって誘引された〈デジタル教科書〉議論
 2010年の日本で始まった〈デジタル教科書〉議論。
 「デジタル教科書」という用語もすっかりお馴染になってしまいましたが,一般的には「電子教科書」の言葉の方が普通でした。それに関係者にとって「デジタル教科書」は某教科書出版社が盛んに使っていた名称という印象も強く,2010年に入ってこれが一変してしまったという感じです。
 今回,私は2010年に巻き起こった議論を「〈デジタル教科書〉議論」と書いてみたいと思います。
 なぜならこの「〈デジタル教科書〉」は,「デジタル教科書」という名詞と分けて考える必要があるからです。日本の〈デジタル教科書〉は他のデジタル教科書とは違い,迷走状態です。そして〈デジタル教科書〉議論と書くことで,それは2010年の日本で起こった固有の問題であると表わしたいからです。

 ところで〈デジタル教科書〉という言葉の出所は?
 2009年12月22日に発表された総務省「原口ビジョン」にこの言葉が登場したことは多くの人々に知られているところです。また〈デジタル教科書〉議論の発端の一つが,このビジョンであることもよく知られるようになりました。
 それにしても,なぜ電子教科書と言わずに〈デジタル教科書〉なんて言葉を選んだのでしょうか。
 考えられる筋としては,民主党関係の資料に「教科書のデジタル化」や「教科書のデジタルデータ」という言葉が使われたからではないかと考えられます。
 これはかつて鈴木寛議員(現文科副大臣)が取り組んでいた拡大教科書の充実化活動において,ボランティアの拡大教科書製作をやりやすくするため教科書データをデジタル化が必要であると訴えていたものです。
 また,一番オーソドックスな筋としては,総務省用語(「地上波デジタル放送」など)から影響をうけて〈デジタル教科書〉になったというものもあります。
 あるいは,某教科書会社のデジタル教科書という呼び名も影響したかも知れません。

 〈デジタル教科書〉が注目を集めたのは,いくつか話題が盛り上がるための条件が重なったからです。
 ・電子書籍の盛り上がり
 ・教育の情報化の盛り上がり
 ・政権交代と国家IT戦略再始動の盛り上がり
 ・原口ビジョンの発表
 ・iPadの発表と発売
 これらのうち最初の3つがそれぞれ高まりを見せたところに残りの2つが投入され,一気に話題が沸騰し始めたと考えられます。
 もっとも大学人にとって電子教科書への関心の高まりは,2007年のKindle登場時から始まっていたともいえます。2009年10月のKindle2世界発売の頃には,洋書(主に英語文献)を入手する手段として魅力を持ち始め,電子教科書としての可能性を感じさせるに十分だったのです。
 そういう意味では,2009年後半から始まった電子書籍の本格的なブーム到来に便乗する形で様々な出来事が起こり,〈デジタル教科書〉議論が始まったといえます。

 もちろん,忘れてならないのはiPadの登場です。
 これはこれで〈デジタル教科書〉に限らず,大きなインパクトを与え,いまも世界は右往左往している真っ最中です。この年末までに,周りからのリプライ(競合製品など)がやっと登場してきたという感じです。
 iPad発表から発売までの間。実物がない分だけ,人々は様々なイマジネーションを注ぎ込みました。そして,その想像がさらに人々の関心をかき立てていきました。
 かつてCD-ROMを媒体として様々なマルチメディア・タイトルが登場し,人々が興奮した時代がありました。それが今度はiPad上で起こっているという感じです。それに魅力を感じるか,ただの焼き直しと感じるかは人それぞれのようです。
 ともかく,デバイスとしてのインパクトは強力でした。
 一枚板の形をしたデバイスを指でタッチ操作するだけで,メールやWeb,写真,音楽,ビデオを閲覧できる気軽さ。その完成度の高さは,競合製品が登場した今でも,全く色あせていません。
 もちろん,だからといって教育現場で使うツールとしての完成度が高いとまではいえません。まだ改善の余地のある製品です。しかし,シンプルでトラブルフリーである点は教育現場で使用するツールの条件として大変価値ある特徴です。
 そんなiPadが〈デジタル教科書〉の端末として魅力を放っていたというのも理解できます。なにより,それを積極的に印象づける人物が存在していたことが〈デジタル教科書〉議論の特徴でもあります。
 それがソフトバンクの孫正義社長です。

 〈デジタル教科書〉議論に登場する人物はいろいろいますが,一般の人々にこの議論を喧伝するのに力を発揮したのが孫氏であることに異論のある人はいないでしょう。
 しかし,〈デジタル教科書〉そのものに対する孫氏の関心は,それほど大きいわけではありません。
 孫氏にとって〈デジタル教科書〉は,ITによって実現する教育のひとつの形に過ぎず,むしろそのための基盤をつくっていく必要性に最大の関心があるようです。つまり〈デジタル教科書〉はあくまで分かりやすい事例の一つなのです。
 孫氏自身には教員になりたかったという過去の志望があり,もともと教育に対して関心が高かったことは確かです。
 それがこのように世間的な発言として現われるようになるきっかけは,総務省「グローバル時代におけるICT政策に関するタスクフォース」の国際競争力検討部会に関わるようになってからだと思われます。
 つまり,世界の中にある日本をどうしていくか,という問いに対して「ICT教育」の必要性を主張したことから一連の発言が注目を集め始めたようです。
 2010年1月25日の夜には「皆さんは、30年後の教育はどうあるべきだと思いますか?」というツイートで意見を募り,その後,ソフトバンクによるUSTREAMを使ったPR攻勢は多くの皆さんがご記憶の通りです。
 孫氏のこうした表立った動きとは対照的に,裏側で忙しく動いていた人物がいました。各種の審議会や研究会などのメンバーとして名を連ね,コンテンツ関係の政策動向に深く関与していた慶応義塾大学の中村伊知哉氏です。

 〈デジタル教科書〉議論において,中村伊知哉氏は「デジタル教科書教材協議会」(DiTT)という業界団体をつくるのに奔走した人物として知られますが,もともとコンテンツや著作権などの政策に関わった元官僚でもあります。
 そうした経歴を活かして,様々な分野の人物と繋がり,また人々を繋げながら,こうした動きを作ってきた張本人でもあります。
 ハブ的な立場に立つ人物として,中村氏の言動は〈デジタル教科書〉推進に大きな影響を与えることは明らかです。
 そうした期待に応えるように,〈デジタル教科書〉に関する著書を出したり,様々な人物との対談を企画してUSTREAMで流したり,デジタル教科書教材協議会の運営において会員間の潤滑油として動いている様が,外部からも見えます。また総務省と文部科学省の双方に研究会や懇談会のメンバーとして関わってもいます。
 残念ながら,私個人は現時点までの中村氏の活動をあまり高くは評価していません。たくさんの人物に会い,たくさんの情報を得て,大きな影響力を持っているはずですが,いまのところその成果が十分に発揮されておらず,ご本人が語る理念部分の説得力が弱くなっているためです。
 しかし,〈デジタル教科書〉に関わる主要プレイヤーは,ハブを求めて中村氏の周辺に集まっています。そこでプレイヤー同士が協力して力を発揮できるかどうかは,中村氏のコーディネイトにかかっています。今後の活躍が注目されます。

 次回は総務省と文部科学省が〈デジタル教科書〉にどう絡むのかを振り返ってみたいと思います。

諸外国の事例を調べる

 研究室が蔵書でひっくり返っている状態は変わらず,毎日の授業とあれこれの雑務に追われています。この頃は時間が過ぎるのも速く感じられます。
 12月11日に仙台で教育メディア学会の研究会があり,そこにお呼ばれをしました。いま取り組んでいるお仕事とデジタル教科書について話をせよという分担。そのためというわけではありませんが,調べものをしている最中です。
 特に,諸外国における教育の情報化やデジタル教科書への取組みについて確認をしておく必要があると思って,日々ネットサーフィンしています。一昔前なら「それ仕事?」と聞かれてもおかしくないですが,世界中の公文書や政府情報を見るには一番便利な方法なのです。だから(胸張って)仕事です!

 諸外国における「教育の情報化」もしくは「教育におけるICT活用」について情報を得る方法はいろいろです。
 一番敷居が低いのは,日本で流通している日本語の文献資料を参照することです。彼の地へ視察に出かけた人やコネクションがあって情報が入ってくる人が日本語で書いたレポートや記事があれば,比較的楽に知識が得られます。
 ところが困ったことに,こうしたレポートや記事は,旬を逃すとすっかり内容が古くなってしまうのです。しかも,頻繁に情報更新してくれるわけでもないので,新しい情報はわからず仕舞い。古い情報があたかも現在も通用するかのごとく流布し続けることも少なくありません。
 というわけで,最新の情報が知りたい場合,自分でその国にアクセスして調べる他ありません。もちろん,現地に直接出かけて視察するという方法も考えられますが,最近ではほとんどの国が政府Webサイトを立ち上げていますから,かなりの情報を遠隔地に居ながらにして得ることができます。
 場合によっては,文書をネットで取得し,じっくり翻訳しながら検討できる分,視察よりもたくさんの情報が得られる可能性があります。組み合わせれば,もっと深く知ることもできるでしょう。本当に便利な時代になりました。
 言語の壁は薄くありませんが,それでもインターネットと様々なツールを組み合わせれば,乗り越えられる場合も増えてきました。そして世はソーシャルメディアの時代。どうしても助けて欲しいときには,TwitterやFacebookを活用して,彼の地の人々に協力してもらうこともできるに違いありません。

 調べていくと,世界中の国々が教育の情報化に邁進していることがわかる一方で,実はそれほど順風満帆ではない現実も見えてきたりします。ただ,日本のモタモタした足取りに比べれば,明らかに世界は先へ進む歩調が速いです。
 ちょこちょこ訳した情報の下書きはFacebookなんかに載せているのですが,もう少し整理がついたら,こちらにも載せたいと考えています。

文教製品に必要なこと,5つのポイント

 WIRED VISION「Apple社のメディア戦略、5つのポイント」という記事に着想を得て,文教製品についても次のような5つのポイントがあるのではないかと考えツイートした。

(1) 文教製品は,完成させた製品で語って欲しい。中途半端な事務機転用商品で語るなら,いらない。

(2) 文教製品は,学校生活の物語を作るものであって欲しい。フリーズしてデータを失ったり,接続がうまくできずに諦めて,物語が途切れてしまうなら,いらない。

(3) 文教製品は,使いやすさと美しさのデザインにこだわって欲しい。操作にまごつくUIや洗練されてないデザインで,児童生徒学生の感性がざらつくなら,いらない。

(4) 文教製品は,入念に計画された製品で,生態系を育めるものであって欲しい。教室の置き場に困るような筐体や他社製品と組み合わせると機能せず,教室空間で生態系を組めないなら,いらない。

(5) 文教製品は,教師および児童生徒学生が使いたがるものであって欲しい。見ていて楽しい,使って嬉しい,そこにあって欲しいと思うものこそ,欲しい!

 具体的なイメージも必要かと思って「完成させた製品」の一つの例として書画カメラの「みエルモん」を挙げたりした。

 だからといって機器だけというわけではなく,ソフトウェアやコンテンツでも同じことを指摘したいのである。

 学校教育現場のニーズをすくい取ることは当然の努力として,それを文教製品としてどうまとめあげ,かつ完成された製品として人々をどう魅了するかを真剣に考えて実現して欲しいということである。

 そのためなら,教育現場にも研究分野にも協力者はたくさんいるはずだ。

成熟社会とデジタル技術

 鈴木寛『「熟議」で日本の教育を変える』(小学館)が書店に並んでいます。サブタイトルは「現役文部科学副大臣の学校改革私論」とあります。
 私たちにとっては「スズカン」という名を聞くと「コミュニティスクール」という連想が自然に出るくらい,2000年前後に起こったコミュニティスクールの議論において金子郁容氏とともに活発に動かれていました。
 アメリカのチャータースクールも注目を集めていたときでしたから,それと基本的には同じ考えであるコミュニティスクールにも注目が集まったわけですが,違いは何なのか,教育バウチャーとの絡みはどうなのか,そもそも現行制度との整合性はどうするのかといった疑問も飛び交い,話題としては一歩下がったところに落ち着くようになりました。
 結局,アメリカのチャータースクールの事例について,成功したところと失敗したところの落差もあって,当初の手を上げた人達が学校を作っていくというコミュニティスクールのイメージから路線変更し,地域で学校を支えていくという形で各地に広がっていったように思います。
 今回の新しい本でも,コミュニティスクールについて3段階あるとし,第1段階を「土曜学校,放課後」,第2段階を「学校支援地域本部」,そして第三段階を「本格的コミュニティスクール」と説明しています。

 鈴木副大臣は昔から一貫して,教育の工業化は終わりを迎えており,オーダーメイドの教育が必要であることを訴えており,そのための制度的な変革としてコミュニティスクールを唱え,そして学びの手法としてはコラボレーティブラーニング,つまり熟議のような方法で学ぶことを提案しているわけです。
 これに絡めてデジタル技術についても,熟議カケアイの場を支えるものとして触れているだけでなく,学びのイノベーションを起こすために必要なものとして位置づけています。そのためのデジタル教科書・教材なのだというけです。
 繰り返しになりますが,このような主張は,従来の義務教育システムの前提であった同一水準,同一内容の教育を提供するという考えに転換を迫っています。
 統一的な到達目標を目指して指導を展開していた教育のあり方を,個人ごとの到達目標の設定を前提として指導を展開していくわけです。それだけ教員側に柔軟で高度な対応力が必要とされます。
 だからこそ,本書でも教員自身のセルフラーニングの必要性が強調され,さらに教員養成と教師教育,教育大学院の重要性が記されているわけです。

 カリキュラム研究の分野からすると,この問題は「工学的アプローチ」と「羅生門的アプローチ」で有名な議論と重なり合います。
 カリキュラム開発に関するこの2つのアプローチにおいて,教育目的の設定と教育方法,さらには教員養成に関する項目にまで違いが指摘されています。
 特に羅生門的アプローチにおいては,教員養成の重要性が指摘され,教師の即興性が必要とされると掲げられていることからも,教員の資質の向上を何らかの形で支援していくことが必要なのは間違いありません。
 私個人は,教員に対して,人的支援,金銭的支援,知的支援を行なう条件整備をなるべくはやく構築することが大事だと考えています。
 人的とは,現在いる教員を支えてくれる秘書的な教育支援教員のような役職の制度的な確立を。金銭的とは,教員個人又は個別の学校に裁量権のある研究費の支給を。知的とは,教育実践や自己研修に必要な情報リソースの拡充を。
 こうした制度的条件整備を行なうことで,教育産業的にもビジネスが成り立つ目処が立ち,また子ども達に掛かりきりになる教員を外部と結びつけるための窓口ができ,普段からコラボレーティブな人的環境で仕事ができるようになる可能性が開けると思います。
 成熟社会における教育を実現する方法は様々あるとは思いますが,ますば教員がそのような社会にステップアップして参画できるように,デジタル技術などを駆使して,支えていく必要はありそうです。